宰相さんちの犬はちょっと大きい─契約編─

すみよし

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 思いがけずシファが市場に来ていた。それだけで今日荷着き場に来た甲斐があったと思うヨシュアは、自分に呆れる。

 眺めているだけで幸せ、などと言えば、昔の仲間には「は?」と聞き返されそうだ。

 実際、幸せなのだから仕方がない。

 自分は一介の商人で、シファは北の宮で皇帝に仕えた女官である。どう考えても不釣り合いだ。姿を目にできるだけで僥倖である。

 初めてシファを見かけたのは、ヨシュアが北の都で鬱々とした日々を過ごしている頃だった。

 行幸の列を見た。

 華やかな装束に身を包み、しずしずと進む行列に歓声が上がる中、ヨシュアは、あの装束の衣は卸ならいくらくらいか、などと考えていた。

 目に鮮やかな衣装も女官たちの髪飾りも、日々の厳しい値段交渉を生業とするヨシュアにとっては、煌びやかなそれらは楽しむものでなく査定の対象でしかない。

 連れている女官の装束がこれくらいで、この人数分を新たに仕立て直すなら、予算は結構なものになる。それを一手に引き受けることができれば……。

 そんなことを考えるヨシュアには、行列は値札の行列であった。

 女官の装束は、市井の者たちの憧れだ。衣装はともかく、髪飾り一つくらいなら、庶民の手にも入る。明日はあれに似たような髪飾りを多く市に出すように言ってみよう。

 例えば、あの銀の細工とか。

 艶やかにサラサラと風に揺れる見事な黒髪の女官が着ける銀の飾りは、ひときわ輝いて見えた。

 あれは耳にかける型か。

 黒髪に隠れて耳は見えないが、わずかに白い横顔が見えた。

 そのまま何となく眺めていたヨシュアは、そこに形の良い顎を見つけ、それをたどって花びらのような唇を見つけた。そして滑らかな頬を見つけたとき、後ろから他の女官に声をかけられたらしい黒髪の女官が振り向いた。

 ついにヨシュアは、慎まやかに下を向いた長いまつげに縁取られた憂い深げな薄紫の瞳を見る。

 ヨシュアの世界で髪飾りも装束も色あせ、ただその女官の瞳だけが浮かび上がる。

「おお~!」

 ヨシュア同様、シファの顔を見たらしい男たちが声を上げる。酒場で顔見知りの男たちだった。

「美人がいたぞ。すげーな」
「なんて言う女官だ?」

 男たちに聞かれてもヨシュアも知らない。さあ、とだけ答えて、改めて黒髪の女官をみるが、彼女は、伝言をたのまれたのか、行列の前の方へ行ってしまい、後ろ姿が小さく見えるだけとなってしまった。

「あら知らないの? 黒髪に紫の瞳はシファ様でしょう?」

 ヨシュアの代わりに答えたのは、反物を扱う女店主だった。あの方と同じ柄を、と求める娘さんは多いのだと言う。

「南の宮にいたのを、東の宮様が連れ帰って皇帝陛下にさしあげたっていう話よ」

「なーんだお手つきかあ」
「宮さま二人に、最後は陛下がお相手かー」

「なーんだ、ってあんたらなんかお手つきじゃなくったってあんな美人にゃ相手にされやしないよ!」
「うるせえ!」
「ほっとけよ」

 ケラケラと笑う女店主に、男たちはちぇっと舌打ちする。

 こうしてヨシュアの恋は一瞬で終わった。

 ずっと昔に偶然見かけた北の宮の女官は、皇帝の代がわりに宮を辞し、どういう経緯があったかヨシュアには窺い知れないが、西の都に流れた。

 東の宮から西の宮を紹介された当初、ヨシュアは西行きを断ろうと思っていた。

 東での商売はうまくいっていたし、東の宮の信頼を得るのに奔走したヨシュアは、手を広げるのを一休みしたい気分だった。しかし、噂でシファが西の宮に居るらしいというのを聞き及んで、即西行きを決めた。

 我ながらバカだなと思った。何年も前に見た女官をただもう一度見るためだけに西に行くなんて。

 ただ、あの出来事は、ヨシュアの生き方を大きく変えた。

 宮に出入り出来るくらいの商人になろう。

 そう思ったヨシュアは、商隊を渡り歩くのをやめ、一つの隊に落ち着き、そこで砂漠を行く技を学んだ。

 様々にツテも得た。独立して自分の商隊を率い、商会を立ち上げた。商売の手を広げるうち、緊急に武器の輸送を請け負ったのがきっかけで、東の宮に認められるまでになった。今では兵糧の調達と輸送も任せられている。

 ※

 そんなヨシュアは西の市で売り上げを得ようとは考えてはいなかった。新しい路を見つけるという依頼を受けてただでさえ目立つのに、その上儲けては、かえって面倒なことになる。

 だから西に下ろす荷も少し、滞在費を稼ぐだけ売り切ったらすぐに店じまいだ。

 両隣に挨拶をしてヨシュアの隊は引き上げた。

 後をつけてくる何組かの影を分散して撒いて、ヨシュア達は都の外れの防砂林に再び集まった。

 今日はこれからまた砂漠に出る。

 目的は東に着くことではなく、昼間この辺りにどんな魔物が出るか確かめることである。日が昇り切ればさすがに灼熱の砂漠を進むのは無理なので、そのまま天幕を張って砂漠で待機、夜にまた西に戻る。

 ヨシュアは防砂林で待機だ。仲間は二人以上で行動させるが、ヨシュアは一人で行く。不測の事態に備えての遊軍。何もなければ、気楽なものである。

 夜に備えて、ヨシュアは眠ることにした。何かあればすぐに砂漠に逃げ込めるよう、荷物をまとめ、日覆いの布を被って木の根元で丸くなった。

 ※

 市に来ていたシファは、ヨシュアを見失っていた。

 市をたたみ始めた時に声をかけようかと思ったが、忙しいところを邪魔するのは良くないだろう、と待っている間に、ヨシュア達は引き上げていった。

 今度こそ、と思い後を追うと、あまり穏やかでない者たちがヨシュア達の後をつけているのに気づいた。

 ヨシュアたちに知らせた方がいいだろうか? シファが迷っているうち、ヨシュア達はいつのまにか追っ手を撒いて消えていた。

 見事なものだ、と感心したシファは、魔力を使ってヨシュアを探す。魔力がないものを探すのは、意外と難しい。おそらく都の外れ、砂漠、と検討をつけ、シロたちに探してもらうと、ようやく、防砂林にいることが分かった。

 シロたちの案内で防砂林に行くと、ヨシュアが眠っているのを見つけた。

 やっと見つけた、とシファはほっとするが、さて声をかけるべきかどうかと迷う。おそらく必要があって仮眠をとっているだろうヨシュアを起こしては良くない。暇な自分とは違って彼はきっと忙しい。

 せっかくだけど、とシファが帰ろうとした時、突然シロが駆け出した。
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