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北の宮をどうにかしなければならないのは、リヒトも分かっている。東の宮に何度も諭されたからだ。北の宮あっての帝国だと。
それでも、リヒトは納得している訳ではない。
穏やかな時代を知る東の宮にとっては、北の宮は重んじるべきものなのだろうが、生まれてこの方、先々帝の苛政と現宰相の専横しか知らぬリヒトにとっては、北の宮など腐敗の象徴でしかない。
そんなところへ、なぜ、カイルやヨシュア、さらには宮を辞したシファをやる?
──あそこは酷いところだ。
北の宮からすれば外国の脅威に晒され続ける東の方が酷いというだろうが、リヒトは絶対に東の方がいい。
同じ帝国の者同士なのに、あれは敵でこいつは味方で、と思っていたらそいつに背後から斬り付けられる、そんなところへ呼ばれることを「名誉」などと言って自分を誘ってくる奴らの気が知れない。
いや、なぜ彼らが自分を誘うかは分かっている。だからリヒトは、カイルの背に言う。
「俺は行かない」
「ええ。私も帰りません」
小揺るぎもせぬ穏やかなカイルの応えに、リヒトは精一杯口の端を釣り上げる。自分が今どんな顔をしているかなんて、リヒトは考えたくない。
「はいはいそーですか。じゃ、お互いせめて長生きしましょうや」
カイルにとって東が今も帰る場所だと言うのなら、リヒトはずっと東で生きようと思う。
※
帰ったリヒトは東の宮のところに飛び込む。
「宮様! カイルの兄バカが酷いです!」
「何だ、知らなかったかお前」
「いや知ってましたけど! せめて何がひどかったか聞いて下さいよ」
リヒトは騒ぐが、東の宮は剣の手入れに忙しい。
「お前、何しにシファについて行ったんだ」
「あー、それは片付きました。取り敢えず宮様、今から宰相蹴っ飛ばしにいきません?」
「蹴っ飛ばして済むなら、とうにカイルがやっておるだろう」
うるさい奴めと言いながら、宮は剣を矯めつ眇めつする。
「で? 蹴っ飛ばしたいということは、お前も北に行く気になったか?」
「や、宰相蹴っ飛ばしていいなら行きますけど、でも、蹴っ飛ばしたら俺、東には帰れないんでしょう?」
「そうだ」
「だから俺は北には行きませんけど、でも、何でですか? 宮様だって以前は『乗り込む』とか仰ってたのに」
「今上のお許しがない」
「えー。そんなのずーっと無理でしょう。宰相補佐の殿下のお父上ですよ? 補佐の殿下だってお覚悟は決めてらっしゃるとはいえ、実際そうなったらどうなることか」
東の宮は知らず手を止めていた。
「そう、見えるか?」
僅かに沈んだ宮の声は、リヒトをたじろがせた。
「えー、あー、そりゃ、俺はよく分からんですが殿下も閣下も親子としての情はあるみたいですし?」
「ふん」
宮は再び剣の手入れを始める。
「カイルだって補佐の殿下寄りだし。……あ、そっか! 殿下を唆せばいいのか!」
「よせ。お前本気でカイルにやられたいか」
ようやく東の宮は顔を上げ、リヒトを睨み据える。
宰相補佐はカイルの兄弟子である。カイルが今上に仕えると決めたのは先帝の遺言だけでなく、この補佐の説得も大きい。
宰相の首は刎ねない、と決めているのは今上だが、その判断には、兄弟子を重んじるカイルの迷いも大きく影響しているだろう。
「あー、やっぱそうですかねー。……なんかイチイチ面倒ですね。
俺やっぱ、家族とかいらないですよ」
東の宮から視線をそらし、リヒトはボソリと、しかし吐き捨てるように言う。東の宮はそんなリヒトに言って聞かせる。
「お前がそれでいいならそれでいい。だが、そうしたいなら、そうでない奴もいるということは覚えておけ」
ムッとした顔を隠しもせず、しかし、ようやくリヒトは黙る。それを見る東の宮は内心ため息を吐く。
──こいつはカイルとシファのことになると途端に子どもに返る。
そもそもリヒトは、カイルを北の宮に留めさせた今上や宰相補佐が気に入らないのだ。
「東西の宮が乗り込むのは最終手段だ。だからヨシュアを送り込む」
それはそうですけれど、とまだ不満げなリヒトに東の宮は言う。
「落ち着けリヒト。シファがヨシュアと添わぬならそれで良い。あれはどこでも一人で生きて行ける」
「でも、それじゃヨシュアさんが」
「シファが守らねばたち行かんような奴をカイルが北に欲しがるか?」
「え? そりゃ要らんでしょう。……え? ってことは?」
「今は確かに危ないが、北の宮に入ったら宰相補佐が動くと言う話だ」
後はヨシュア自身で何とでもするだろう。
「シファに関しては、西の宮と俺が面白がってるだけだ。主にカイルを」
「主にカイルを」
「そうだ、見ていて飽きんぞ。ああ、前にもちょっと言ってやったら鍛錬場を破壊したし」
「ちょっ、あれ、あのですね、そりゃあそこは元々壊す予定でしたけど! 職人たちへの仕事の割り振りとか予算とかいろいろありましてですね、って何でかあの場にいなかった俺が官吏さんたちからの苦情承ったんですけど⁉︎ そういうのやめて下さいよ!」
「棟梁に俺から詫びを入れたから済んだだろ? 俺や西の宮が揶揄わずに誰があいつをからかってやるんだ?」
「いや、まあ、そりゃそうですけど、……いや違いますって」
「違っててもそうだろ。とにかくシファに関しては、完全にシファ次第だ。そもそも、あの小生意気な娘に無理強いが効くものか」
「あ。そっか」
旧友たちの自由を至上とするリヒトの機嫌は途端に持ち直す。
「そりゃそっすね」
へらりと笑うリヒトを見やって東の宮は言う。
「……お前はなかなか阿呆だな」
「あれ、ご存知なかったですか宮様」
「いや、改めて確認しただけだ」
この従僕は、単純だ。故に扱いやすく、しかし、扱いを一つ間違うとひどく頑なになってしまって目を離した隙に危険に飛び込もうとする。それが大抵他人の為であるのが、東の宮がリヒトを北に行かせない理由だ。
「お前は阿呆でヨシュアはド阿呆だな」
「あれ、ヨシュアさんはド阿呆ですか?」
「欲しいならあらゆる手を尽くすのは商人の本領発揮だろうが、しかしなあ」
どいつもこいつも、と言いながら東の宮は手入れしていた剣をリヒトに押し付ける。
「仕上げておけ」
「はあ、どちらへ行かれるんで?」
剣を預かりながらリヒトが聞くと、東の宮がうんざりした顔をする。
「珍しく西の宮が来いと言う」
あちらから呼ぶときは、大抵ろくな用事でない。それを知るリヒトは元気よく言う。
「俺はしっかり剣磨いてまーす」
「せいぜい励め。帰ったらそれでお前と試合だ」
リヒトは鈍とすり替えようか、いや、柄頭で殴られるのも嫌だし、と迷うのだった。
それでも、リヒトは納得している訳ではない。
穏やかな時代を知る東の宮にとっては、北の宮は重んじるべきものなのだろうが、生まれてこの方、先々帝の苛政と現宰相の専横しか知らぬリヒトにとっては、北の宮など腐敗の象徴でしかない。
そんなところへ、なぜ、カイルやヨシュア、さらには宮を辞したシファをやる?
──あそこは酷いところだ。
北の宮からすれば外国の脅威に晒され続ける東の方が酷いというだろうが、リヒトは絶対に東の方がいい。
同じ帝国の者同士なのに、あれは敵でこいつは味方で、と思っていたらそいつに背後から斬り付けられる、そんなところへ呼ばれることを「名誉」などと言って自分を誘ってくる奴らの気が知れない。
いや、なぜ彼らが自分を誘うかは分かっている。だからリヒトは、カイルの背に言う。
「俺は行かない」
「ええ。私も帰りません」
小揺るぎもせぬ穏やかなカイルの応えに、リヒトは精一杯口の端を釣り上げる。自分が今どんな顔をしているかなんて、リヒトは考えたくない。
「はいはいそーですか。じゃ、お互いせめて長生きしましょうや」
カイルにとって東が今も帰る場所だと言うのなら、リヒトはずっと東で生きようと思う。
※
帰ったリヒトは東の宮のところに飛び込む。
「宮様! カイルの兄バカが酷いです!」
「何だ、知らなかったかお前」
「いや知ってましたけど! せめて何がひどかったか聞いて下さいよ」
リヒトは騒ぐが、東の宮は剣の手入れに忙しい。
「お前、何しにシファについて行ったんだ」
「あー、それは片付きました。取り敢えず宮様、今から宰相蹴っ飛ばしにいきません?」
「蹴っ飛ばして済むなら、とうにカイルがやっておるだろう」
うるさい奴めと言いながら、宮は剣を矯めつ眇めつする。
「で? 蹴っ飛ばしたいということは、お前も北に行く気になったか?」
「や、宰相蹴っ飛ばしていいなら行きますけど、でも、蹴っ飛ばしたら俺、東には帰れないんでしょう?」
「そうだ」
「だから俺は北には行きませんけど、でも、何でですか? 宮様だって以前は『乗り込む』とか仰ってたのに」
「今上のお許しがない」
「えー。そんなのずーっと無理でしょう。宰相補佐の殿下のお父上ですよ? 補佐の殿下だってお覚悟は決めてらっしゃるとはいえ、実際そうなったらどうなることか」
東の宮は知らず手を止めていた。
「そう、見えるか?」
僅かに沈んだ宮の声は、リヒトをたじろがせた。
「えー、あー、そりゃ、俺はよく分からんですが殿下も閣下も親子としての情はあるみたいですし?」
「ふん」
宮は再び剣の手入れを始める。
「カイルだって補佐の殿下寄りだし。……あ、そっか! 殿下を唆せばいいのか!」
「よせ。お前本気でカイルにやられたいか」
ようやく東の宮は顔を上げ、リヒトを睨み据える。
宰相補佐はカイルの兄弟子である。カイルが今上に仕えると決めたのは先帝の遺言だけでなく、この補佐の説得も大きい。
宰相の首は刎ねない、と決めているのは今上だが、その判断には、兄弟子を重んじるカイルの迷いも大きく影響しているだろう。
「あー、やっぱそうですかねー。……なんかイチイチ面倒ですね。
俺やっぱ、家族とかいらないですよ」
東の宮から視線をそらし、リヒトはボソリと、しかし吐き捨てるように言う。東の宮はそんなリヒトに言って聞かせる。
「お前がそれでいいならそれでいい。だが、そうしたいなら、そうでない奴もいるということは覚えておけ」
ムッとした顔を隠しもせず、しかし、ようやくリヒトは黙る。それを見る東の宮は内心ため息を吐く。
──こいつはカイルとシファのことになると途端に子どもに返る。
そもそもリヒトは、カイルを北の宮に留めさせた今上や宰相補佐が気に入らないのだ。
「東西の宮が乗り込むのは最終手段だ。だからヨシュアを送り込む」
それはそうですけれど、とまだ不満げなリヒトに東の宮は言う。
「落ち着けリヒト。シファがヨシュアと添わぬならそれで良い。あれはどこでも一人で生きて行ける」
「でも、それじゃヨシュアさんが」
「シファが守らねばたち行かんような奴をカイルが北に欲しがるか?」
「え? そりゃ要らんでしょう。……え? ってことは?」
「今は確かに危ないが、北の宮に入ったら宰相補佐が動くと言う話だ」
後はヨシュア自身で何とでもするだろう。
「シファに関しては、西の宮と俺が面白がってるだけだ。主にカイルを」
「主にカイルを」
「そうだ、見ていて飽きんぞ。ああ、前にもちょっと言ってやったら鍛錬場を破壊したし」
「ちょっ、あれ、あのですね、そりゃあそこは元々壊す予定でしたけど! 職人たちへの仕事の割り振りとか予算とかいろいろありましてですね、って何でかあの場にいなかった俺が官吏さんたちからの苦情承ったんですけど⁉︎ そういうのやめて下さいよ!」
「棟梁に俺から詫びを入れたから済んだだろ? 俺や西の宮が揶揄わずに誰があいつをからかってやるんだ?」
「いや、まあ、そりゃそうですけど、……いや違いますって」
「違っててもそうだろ。とにかくシファに関しては、完全にシファ次第だ。そもそも、あの小生意気な娘に無理強いが効くものか」
「あ。そっか」
旧友たちの自由を至上とするリヒトの機嫌は途端に持ち直す。
「そりゃそっすね」
へらりと笑うリヒトを見やって東の宮は言う。
「……お前はなかなか阿呆だな」
「あれ、ご存知なかったですか宮様」
「いや、改めて確認しただけだ」
この従僕は、単純だ。故に扱いやすく、しかし、扱いを一つ間違うとひどく頑なになってしまって目を離した隙に危険に飛び込もうとする。それが大抵他人の為であるのが、東の宮がリヒトを北に行かせない理由だ。
「お前は阿呆でヨシュアはド阿呆だな」
「あれ、ヨシュアさんはド阿呆ですか?」
「欲しいならあらゆる手を尽くすのは商人の本領発揮だろうが、しかしなあ」
どいつもこいつも、と言いながら東の宮は手入れしていた剣をリヒトに押し付ける。
「仕上げておけ」
「はあ、どちらへ行かれるんで?」
剣を預かりながらリヒトが聞くと、東の宮がうんざりした顔をする。
「珍しく西の宮が来いと言う」
あちらから呼ぶときは、大抵ろくな用事でない。それを知るリヒトは元気よく言う。
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