レディバグの改変<W>

乱 江梨

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第二章 過去との対峙編

74.その正体は

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 ティンベルは顔を上げると、先の失言を挽回する為、とある可能性を口にした。


「あの……もしかしたら、当主の犯罪の証拠を見つけられるかもしれません」
「?どういうことだ?」
「この毒を入手したのが当主なのであれば、販売元が購入者の個人情報を所持しているはずです。それを見つけ出すことができれば……」
「当主の犯罪を証明できる」
「えぇ」

 ティンベルの発言を先読みして呟いたユウタロウに対して、彼女は首肯を返した。

「でもそんな上手くいくか?」
「こういった調査を専門に行う冒険者も居ますし、そういった方々に依頼してみましょう。もちろん、他の勇者一族の重鎮方も候補には入れますが」


 クレハのように隠密を得意とする戦士は多い。その特性を生かし、潜入捜査などを専門にしている冒険者もいるのだ。ティンベルはそういった冒険者に、非合法の毒を売買している機関への潜入を依頼することを提案した。


「これが上手くいけば、ロクヤ様が安心して暮らせる世界を作る第一歩になるはずです」
「そうか……。一族のことを気にかけてくれるのは嬉しいが、そっちは大丈夫なのか?まだXの正体、分からねぇんだろ?」
「あ、いえ。それでしたらもう分かりましたので大丈夫ですよ」
「そうか…………って、はぁっ!?」


 あまりにもサラッと報告されてしまったので、ユウタロウは一瞬その爆弾発言を流してしまうが、すぐに言葉の意味を理解し、衝撃でガタッと立ち上がった。
 アデルたちも呆けた面を晒すと、ティンベルに説明を求めるような眼差しを向けている。


「……本当に分かったのか?Xが誰なのか」
「はい。アデル兄様のおかげです」


 尋ねたアデルに、ティンベルは綻ぶような笑みを浮かべて答えた。先日、アデルがティンベルに助言したおかげで、別の視点から熟考することができたようだ。

 全員が好奇心で固唾を飲む中、ティンベルはニコニコと微笑むばかりで、一向にその正体を語ろうとしない。痺れを切らしたユウタロウは、苛立った様子で尋ねようとする。


「それで?Xって一体――」


 ガチャ――。ユウタロウの質問を遮るように、扉が開かれる音が玄関から鳴り響く。突然の来訪者に全員が玄関へ視線を移すと、そこに佇んでいた人物に全員が目を見開いた。

 来訪者はリオで、突如現れた彼はどこか困ったような表情を浮かべており、アデルはそんな彼の元へ駆け寄った。


「リオっ……どうしたのだ?」
「ねぇアデルん……ついさっき出た夕刊にまた変な記事が出てたわよ?……変っていうか、まぁ事実ではあるんだろうけど」
「「?」」


 恐らく、先刻発刊されたばかりの記事であれば、まだアデルたちはその存在を知らないだろうとリオは予想し、わざわざそれを伝えに来てくれたのだろう。どこか煮え切らない態度のリオを前に、アデルたちは不安げに首を傾げてしまう。


「変な記事とは、一体どういった内容のものですか?」
「これよこれ」


 ティンベルの問いに対し、リオは問題の記事をテーブルの上に広げ始める。その間、ティンベルはその記事について思考を巡らせていた。新聞という媒体を使っていることから、その記事の情報元はXなのだろうと、ティンベルだけが看破しているその人物のことを思い起こす。

 問題の記事に目を通したティンベルは、刹那の内に息を呑んでしまった。
 記事の内容に衝撃を受けたわけでは無い。以前同様、その記事の内容に嘘偽りはなく、クルシュルージュ家の人間にとっては周知の事実がそこには記されていたから。

 ティンベルが危機感を覚えたのは内容自体ではなく、この記事が世に出ることで起きてしまうであろう事態の方であった。

 記事には大まかに、アデルが伯爵家にいた頃、虐待を受けていた旨が記されていた。伯爵――ルークスが幼いアデルに対して振るった暴行の内容が事細かに書かれており、ユウタロウたちは眉を顰めてしまう。この状況でケロッとしていられるのは、当事者であるはずのアデルだけだった。


「っ……!……不味い、ですっ……」
「ティンベル?」


 掠れた声を上げるティンベルは顔面蒼白で、アデルは思わず不安気に首を傾げた。ユウタロウたちも、何故この記事でティンベルがここまで動揺するのか分からず、当惑している。


「このままではあの人が……」


 ティンベルが言いかけた瞬間、その空間に「ユウタロウっ」というハヤテの呼び声が響いた。それは、ユウタロウの所持している通信機器から鳴っており、ここにはいないハヤテが、緊急の連絡をする為に呼びかけてきたことは明らかであった。

 一瞬にして、ティンベルからユウタロウへと注目の的が変化し、皆がハヤテの声に耳を傾ける。


「ハヤテ?どうした?」
『…………すまない。ユウタロウ』
「……何があった?」


 ハヤテの声は今にもかき消えそうな程掠れ、通信越しにも彼が唇を噛みしめている事実が犇々と伝わってくる。その声音だけで只事では無いことを悟ると、ユウタロウは神妙な声で尋ねた。

 ハヤテの口から語られたのは、突拍子もない……荒唐無稽と切り捨てたい程の、衝撃的な状況であった。


『……当主が、ロクヤに……セッコウ殺しの罪を着せて……』
「はぁっ……?」
「「っ!」」


 言葉にならない程の衝撃と困惑。そして、状況を把握できないあまり、彼らは目を見開いて固まった。


『それで……当主がそれを騎士団の連中に吹聴したんだ。そのせいで今、屋敷に騎士団の連中が来ている』
「一族と騎士団の二組織がかりで、ロクヤを探し出そうとしてるってことか?」
『それはそうなんだが……状況はもっと深刻だ』


 現段階で既に状況は最悪に思えるというのに、これ以上何があるんだ?
 ユウタロウは思わず顔を顰めて疑問に思った。


『当主は、ロクヤを匿っているお前から居場所を聞き出そうとしている。だが、普通にお前を呼び寄せ、問い詰めたところでお前は答えないだろう?』
「あぁ……って、まさかっ……!?」


 そこまで聞くと、ユウタロウはハッと目を見開き、その可能性に気づいた。それは確かに、考え得る可能性の中で最悪のもので、ハヤテの様子がおかしかったことにも説明がついてしまったのだ。

 察したようなユウタロウの声を聞くと、ハヤテは切羽詰まった様子で核心を突く。


『すまないっ……スザクを人質に取られたっ』
「「っ……!」」


 刹那、その場にいた全員が衝撃で言葉を失った。そして、こんな所で油を売っている場合では無いことを即座に理解する。

 スザクを人質にとれば、ユウタロウがロクヤの居場所を吐露するかもしれない。例えユウタロウが吐かない、又は虚偽の証言をしたとしても、騎士団と協力してユウタロウたちを皆殺しにする算段なのだろう。

 ユウタロウ、クレハ、チサトの三人は、ハヤテからの報告に一瞬呼吸を忘れ、生きた心地のしない感覚と、バクバクと拍動する心臓が二律背反で、今すぐにでも駆け出してしまいたくなる。


「分かった、ハヤテ。今すぐそっちに向かうからちょっと待ってろ!」
「我らも向かおう。手を貸すのだ」
「おう、助か……」
「待ってください!」


 劈くようなティンベルの声に、二人の会話は遮られた。思わず、全員がティンベルに批難めいた眼差しを向けてしまうが、この状況で緊急性のない話題を切り出すわけも無いので、彼らの瞳には困惑も滲んでいた。

 一方、スザクの危機に居ても立っても居られないユウタロウは、思わず彼女の不調法を咎めるように声を荒げてしまう。


「あ゛ぁっ!?こんな時になんなんだよ生徒会長っ!今ちんたら話してる余裕はっ」
「Xがっ!……このままではっ、Xが殺されてしまいます!」
「あ゛?」


 逼迫した様子でティンベルが告げると、ユウタロウは怪訝そうな声を上げた。ユウタロウは唐突過ぎるその内容に吃驚していたが、自らを引き止めた理由がその程度のものなのか?という不満も抱えていたのだ。

 全員がティンベルに説明を求めるような眼差しを向ける中、彼女は非常に焦った様子で口を開く。


「アデル兄様に対する虐待の件を記事にしたのは、悪魔の愛し子を擁護する私たちのような人種にも、お父様が罪深い人間であることを印象付ける為ですっ。Xはそれ程までに、お父様を恨んでいるのです。例え爵位を剥奪されたとしても満足など出来るはずもなかったっ。牢に入れて、一生苦しませなければ気が済まなかった!
 ですがこれは仮面の組織の計画に反しますっ。アデル兄様が虐待を受けていた事実が世に知れれば、愛し子に同情する者も少なからず出てくるでしょう。そうなれば仮面の組織が掲げる、悪魔と愛し子を社会的に抹殺するという目的から後退してしまいます。つまりこの記事が出た瞬間、Xは仮面の組織にとって邪魔な存在に変わったのです!このままではXは仮面の組織に排除されてしまうのですっ。ユウタロウ様方が大変なのは重々承知なのですがっ、レディバグの皆様が一斉にそちらに向かわれるのは待って欲しいのです!このままではまたっ、被害者が……」


 スザクの身が危険に晒されている現状、無駄遣いできる時間などあるわけも無く、ティンベルは早口で捲し立て、自らの推論を述べた。

 彼女が記事を見た途端、危機感を露わにした理由をここに来てようやく、彼らは理解した。だがユウタロウは、どこの誰とも知れないXなどより、スザクの方が遥かに大事だ。寧ろ、比べることすら烏滸がましく、判断の秤にかけるまでも無い。


「お前なっ!……スザクの命より、んな犯罪者の命の方が大事だって……」
「分かったのだ。……我が一人で、仮面の組織を食い止めよう。……我以外のレディバグ構成員――リオたちには、ユウタロウ殿の応援に向かって欲しい」


 ユウタロウの抗議を遮ると、アデルは両者が納得できる妥協案を提示した。そのおかげでユウタロウは僅かに冷静さを取り戻した。一方、アデルの背中に庇われたティンベルは、微かに泣きそうな眼差しで彼を見上げている。


「アデル兄様……」
「……分かった。それで行こう……。もう時間がねぇ!俺は先に行っておくからなっ。
 ――チサト、クレハ」
「うん」「はっ」


 ユウタロウが呼ぶと、二人は彼の転移術で勇者一族の屋敷まで向かう為、彼の元に駆け寄った。二人が自身の身体に触れたのを確認すると、ユウタロウは転移術を行使しようとする。

 だがその時――。


「ユウタロウ様っ!クレハ様っ、チサト様!」


 大きな呼び声に誘われ、ユウタロウたちはティンベルの方を振り向いた。大きく目を見開き、顔を紅潮させているティンベルは、高鳴る胸を抑えつつ、嘘偽りない思いの丈をぶつける。


「私はこれからっ、毒の件を冒険者に依頼して参ります!一刻も早く当主の犯罪を証明してみせます!だからそれまで、しばしの辛抱ですが待っていてくださいっ……。
 ――そして……絶対に死なないでっ!」
「っ!……おうっ!」


 スザクを人質に取られてしまった以上、ツキマに付き従う者たちと騎士団の面々との戦いは避けられないだろう。これからユウタロウたちが強いられるであろう死闘を想像し、ティンベルは涙を滲ませた。

 初めて、ティンベルの剥き出しの感情を向けられたユウタロウたちは、一瞬目を瞠ると、精悍な面持ちで深く頷いて返す。そしてそのまま、ユウタロウたちは転移術でこの場を後にした。

 彼らの姿が消えて数秒後、リオは物言いたげな眼差しでアデルを見上げる。


「アデルん……本当に一人で行くの?大丈夫?」
「大丈夫である、リオ。いつも我の心配をしてくれるのは嬉しいが、我は滅多なことでも無い限り死なぬ。……寧ろ我はリオたちの方が心配なのだ」


 レディバグ最強の男――アデルの身を心配できる者など、序列一位のリオぐらいのものだろう。とは言っても、それは他の仲間がアデルを心配しないことと同義ではないのだが。

 アデルはリオの思いに対し、ゆったりと柔らかい笑みで返した。


「俺たちは大丈夫よ。今手の空いている子たちに片っ端から連絡するし」
「念の為、ロクヤ殿の守りを強化した方が良いだろうな……我から皆に連絡を入れておくのだ」
「それじゃあ……ティンカーベルちゃんは、当主の犯罪の証拠探しに。俺とコニアんは、ユウユウ勇者くんの加勢に。アデルんはXを仕留めに来るであろう仮面の奴らの対処ってことでいい?」


 互いがこれから果たすべき役割をリオがまとめて確認すると、アデルたちは首肯して返した。

 するとアデルは、Xの正体を未だにティンベルから聞けていないことを思い出し、ハッと顔を上げる。


「っ!……そうであった……ティンベル。結局、Xとは一体誰なのだ?
 ……我がこれから守るべき相手は、誰なのだ?」
「っ、それは……」


 クルシュルージュ家の問題と、勇者一族の問題。両者が突如急展開に見舞われるあまり、ティンベルは失念していたのだ。彼女だけがその正体を知るXを、アデルがということを。

 理解した瞬間、ティンベルは表情を曇らせて言い淀んでしまった。それはアデルにとって、あまりにも酷なように思えたから。だが、Xの正体を教えなければ、その命を救うことも出来ない。

 意を決すると、ティンベルは震える唇に鞭を打って口を開く。


「……Xの正体は、クルシュルージュ伯爵家……夫人」
「「っ!」」


 瞬間、アデルたちの目が衝撃で見開かれる。最後まで聞かずとも、答えは分かりきっていたから。クルシュルージュ伯爵家の夫人など、この世にたった一人しかいないから。


「私と、アデル兄様の実の母親――ネミウス・クルシュルージュです」


 Xの正体――その人の名前を、ティンベルは真っ直ぐな瞳孔で告げた。

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 Xの正体が分かったところで急なのですが、次回から過去編に突入します……。まぁ第二章「過去との対峙編」ですし、過去は必要不可欠なのですが。過去というのは勇者一族の過去でして、ユウタロウくんがハヤテくんたちと出会う頃のお話を書きたいと思っております。過去編はそれなりにありますが、彼らにとって大事なお話なので、呼んでいただけると幸いです。
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