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第二章 過去との対峙編
98.その〝過去〟は、如何にして彼らの運命を変えたのか24
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地上を照らす太陽が沈み、暗闇が世界を支配する夜。その日の空に星は無く、屋敷内を照らしてくれるのは、各々の部屋の灯りだけ。それ故に、普段使用されていない部屋の周囲に関しては、足元も覚束ない程の暗然とした空間が広がっていた。
そんな暗闇の中、一切の迷いなく屋敷の廊下を進む人影が一つ。
――勇者一族現当主、ツキマである。
ツキマが向かっているのは、彼が週に一度必ず訪れている場所。
誰も知らない……知らないはずの、名前の無い部屋である。
行き慣れた道を進み、部屋の目の前まで辿り着くと、ツキマはその扉に手をかけた。
カチャリ……。何の隔たりも無く開かれたが、本来その扉は、特定の条件を満たさなければ開けることの出来ない代物である。
扉を開け、室内からの空気を浴びた瞬間、ツキマは微かに目を見開いた。
「……」
そのまま部屋へ一歩足を踏み入れると、ツキマは部屋の隅に立てかけられている姿見に流し目を送った。
「……いるんだな…………俺と同じ、穢れた血を持つ存在が」
ボソッと、低い声音で呟くと、ツキマは自らの身体に施している術を解いて、本来の姿をその鏡に映した。
分厚いふわふわとした耳に、長く太い重量感のある尻尾。抹茶色に偽装していた髪は、耳と同じきつね色に逆行していた。
人間でありながら、獣の力と特徴を有する存在――亜人。
鏡に映る存在が自分自身であることなど、ツキマは嫌という程理解している。それでも、勇者一族という存在に傾倒しているツキマにとって、その事実は到底受け入れられるものではなかった。
「っ……」
――バリンっ!!
姿見に映る亜人はバラバラに切り裂かれ、その破片が床へ呆気なく零れていく。鏡を砕いたツキマの拳からは血が滴れ落ち、床の破片に染みを作っていた。
深く俯くツキマの呼吸は乱れていない。
もう何度も、何度も、何度も――。
何度も経験していることだった。鏡に映る自分自身に絶望するのも、現実から目を逸らすことも。
ずっと一人で抱えて生きてきた。何故なら、この事実を他人に知られる訳にはいかないから。知られたら最後、ツキマの崇める〝勇者一族〟は、一瞬にして崩れ去ってしまう。
だからこそ――。
「……一族を揺るがす懸念は、俺一人で十分だ」
新たに見つけたその懸念を、ツキマが放っておくという選択肢は無かった。
********
セッコウから初代勇者に関する記録について知らされたその日。いつも通り訓練を終えたユウタロウは、チサトと共に自室への帰路に就いていた。
あと数歩で辿り着くといった所で、自室から覚えのある気配を察知したユウタロウは、思わずその足を止めた。
「っ?ユウちゃん?」
隣を歩いていたチサトは急停止したユウタロウを振り向くと、不安げな表情で首を傾げた。ユウタロウは深刻な表情で自室の扉に視線を送っており、漂う雰囲気からは警戒心も窺えられる。
「……」
チサトの問いかけに答えずに進むと、ユウタロウは自室の扉を徐に開いた。するとユウタロウの視界には、彼が感じ取った気配の正体が、悠然と佇む姿が飛び込んでくる。
「……なにしてるんすか?ご当主様よ」
「あぁ、ユウタロウか。久しいな」
値踏みするように部屋を見回していた来訪者――ツキマは呼び声に振り向くと、涼しげな相好を綻ばせて言った。同じ屋敷内に住んでいるとは言っても、たかだか修行中の子供と一族の当主が相まみえる機会はそう多くない。
ユウタロウとツキマがまともに言葉を交わしたのは、それこそ彼が契約した精霊――チサトを紹介した時以来なのだ。
「相変わらずそこの精霊とは仲がいいようだな」
「……何の用かって聞いたよな?俺。……俺とチサトの愛の巣を覗きにきたわけでもあるまいし」
「いやなに。少し確認したいことがあっただけだ。既に解決したからもう用はない。そもそも、精霊と契約しているお前が、俺の探し人な訳も無いしな」
「あ?」
ツキマの発言の真意が分からず、ユウタロウは怪訝そうに首を傾げた。そんな彼の疑問に答えることの無いまま、ツキマはユウタロウの自室から退出すると、何事も無かったかのように踵を返していった。
底が知れない不気味な背中を見届けると、ユウタロウはそろりと口を開く。
「……なんだったんだ?」
「ユウちゃん……私、あの人嫌い」
「安心しろ、俺も嫌いだ」
組んでいたユウタロウの腕にぎゅっと力を込めると、チサトは翳りを帯びた表情で呟いた。肌から感じられる程の不安を振り払うように、ユウタロウはカラッとした声音で断言するが、当のチサトは未だ浮かない表情である。
「うん……でもユウちゃんは、ハヤテくんのことがあるから嫌いなんでしょ?」
「あぁ。……お前は違うのか?」
ハヤテの思いも、意思も。何もかも全て無視して、彼の母親をいとも簡単に殺したツキマ。
母親の死によって、ハヤテは一生かけても消えない傷を受け、今でも稀にあの日の悲劇を夢に見てしまう。ユウタロウにとってツキマとは、大事な家族に消えない傷を刻みつけた因縁の相手。
故にユウタロウは、チサトも同じような認識を持っていると思っていたのだが――。
「あの人……多分、精霊のこと見下してるわ。……いつもいつも、物凄い敵意を感じるもの」
「……。そうか……」
チサトの感じていた敵意をユウタロウは知らない。だが一方で、ユウタロウはその感覚を理解できていた。
悪魔も、悪魔の愛し子も、亜人も、精霊も。
ジルを生み出す力を持つ存在を、一族の人間は見下ろすことしか出来ないから。精霊を、忌避の対象という眼鏡越しに見ていなくとも、精霊と人間を同列に扱う人間は少ない。精霊は、人間の為の道具という考えが一般的だからだ。
「それにしても、探し人ってなんのことかしら?」
「さぁな」
この時。ユウタロウは気づけなかった。……気づくべきだった。
ツキマの言葉の真意を。
ツキマが探していた、探し人の正体を。
でなければ――。
ユウタロウは大事な友人を、二人同時に失う羽目になってしまうのだから。
********
「――そういや俺、当主から呼び出し食らってたわ」
「よ、呼び出し……?」
初代勇者の秘密について聞かされてから三日後。修行を終え、各々の部屋へ戻ろうとしていた双子の片割れ――ササノは、唐突に知らされた事実に目を丸くすると、不安げな表情と声で疑問を呈した。
「ま。直接呼び出したのは当主じゃなくてじじぃだけどな。〝ご当主様がお呼びだから、訓練の後に訪ねろ〟ってよ。ったくめんどくせーったらありゃしねぇぜ」
「な、なんで急に、呼び出しなんて……」
形容しがたい不安に襲われたササノは、当惑した表情で呟いた。その不安は、ササノなりの本能が必死に警鐘を鳴らしていた証拠だろう。本能的に、これはよくないことだと、自らの意識に刻みつけていたのだ。
「さぁな。ま、俺ユウタロウといい勝負するぐらいの問題児扱いだし、説教でもされるんじゃねぇの?」
途轍もない嫌な予感を覚えていたササノは顔を真っ青にしており、そんな彼の不安を拭う為に、セッコウは敢えて何でもないような態度で言った。
それでも、ササノの不安が完全に払拭されることは無かった。
「じゃ、じゃあ……僕も一緒に行くよ」
「はぁ?何でササノまでくんだよ。お前関係ねぇじゃん。わざわざ俺への説教一緒に聞くつもりか?」
「だ、だって……」
「ったくお前って奴は、いつまで経っても兄離れが出来ねぇのな。そんなんじゃいつまで経っても……」
「……?なに……?」
言いかけて、セッコウは結局、最後まで言葉を紡ぐことをしなかった。言ったところで今のササノには、その言葉の本質を理解することができないと分かりきっていたから。
キョトンと首を傾げるササノの頭を乱雑に撫でると、セッコウは困ったように微笑んでみせた。
「大丈夫だから。お前はもう自分の部屋で休め。分かったな?」
「……分かった」
「よし。じゃ、ご当主様の苦言を右から左に流してくっから、また後でな」
そう言うと、セッコウは背を向けると同時にヒラヒラと手を振り、ササノとのしばしの別れを合図した。焦がれるような瞳を揺らすササノは、そんな兄の背中しか眼中になく、どんどん遠のいていく背中に手を伸ばしたくなってしまう。
どうしてこんなにも胸騒ぎがするのか。その答えを、ササノはまだ知らない。
あの別れの手振りが、彼ら双子の永遠の別れの合図となってしまうことなど、彼らは知る由もなかったのだ。
********
ポツリ、ポツリ。暗然とした夜の世界で、彼らの足元を照らしてくれるのは、廊下に等間隔に配置されている小さな灯りだけ。暖色系の灯りは温かみを感じられるが、この状況下に限って言えば、緊張感を高める材料にしかなっていない。
『場所を変えよう』
当主であるツキマの自室を訪れると、彼は前置きもなくそう言った。何故わざわざ場所を変える必要があるのか?その問いは紡がれる前に、さっさと歩を進めてしまったツキマによって遮られた。
斯くしてセッコウは、ツキマだけが知る目的地へと向かっているのだ。
春だというのにどこかジメッとした、湿気を帯びた空気感は窒息してしまいそうな程。同時に、ツキマから発せられる雰囲気に、セッコウは形容し難い違和感も覚えていた。
何がどうと説明することはできないが、ただただ漠然と『何かがおかしい』という感覚だけが、鬱陶しい程頭を支配しており、セッコウはペースを崩されてしまう。
普段から何を考えているのか分からず、底の知れないツキマではあるが、今日に限ってはそれが顕著に感じられたのだ。まるで自分が、ツキマの作った劇の登場人物として動かされているような。ただただ、ツキマの掌の上で踊らされている光景が、何の違和感もないものとして風化していってしまうような。そんな違和感である。
セッコウは知らない。
形も、色も、大きさも。何もかも正体不明なその違和感ーー嫌な予感の正体が。
かつてツキマが、ハヤテの母親を殺した時と全く同種のものであるということを。
「着いたぞ」
「……ここって……」
ツキマの声でハッと顔を上げたセッコウは、見覚えのあるその場所を前に当惑した。何故ならそこは、一族の秘密が記された資料が保管されていた部屋だったから。
瞬間的に、セッコウは思う。この部屋を訪れたことが露見したのでは無いかと。
咎められる程度ならまだいい。問題は、ツキマがどこまで知っているのかということだ。
初代勇者の中に亜人がいた事実をツキマが知っているのなら、彼はその事実を秘匿していた側の人間。であるならば、一族の秘密を知ってしまったセッコウを黙って見過ごすなど考えられない。
今すぐこの場から逃げるべきか?
逃げたところでその後はどうする?
そもそも勇者一族から逃げることなんて可能なのか?
激流のように思考は溢れて止まらないというのに、それを上手くまとめることができず、セッコウは立ち尽くしてしまう。そんなセッコウの心情を知ってか、知らずか。ツキマは彼の頭上から凛とした声を放った。
「セッコウ。開けてみなさい」
「は?」
「この扉を開けろと言っているんだ。出来ないことは無いだろう?」
「入っても、いいんすか?」
「あぁ。俺が許可する」
本当に入ってもいいのか?この扉を開ける行為は、本当に正しいことなのか?自問自答が止むことはなく、それでも拒否する理由を見つけることさえ出来ない。
結局、ツキマの指示に従うことにしたセッコウは、その扉のノブに手をかけた。この時のセッコウが何よりも恐れていたのは、自らが拒否することで、ササノやユウタロウたちに悪影響を及ぼしてしまうこと。だからこそセッコウは、できるだけ波風を立てず、本気で危険を感じた時に逃げようと考えたのだ。
「じゃあ……」
恐る恐る手を伸ばすと、セッコウはそのドアノブに触れ、ゆっくりとその手を下ろした。
ガチャリーー。
やはり難なく扉は開き、不意にセッコウは先日のハヤテの言葉を思い出す。
『……そんな重大な内容が記された資料を保管している部屋に、一切、何の対策も講じていなかった?……本当に?』
確かに妙な話ではあった。扉を開きながら、セッコウは疑問に思う。
――何故、この部屋はこんなにも簡単に入室できるほど、警備がザルなのか。
――何故、ツキマはセッコウに扉を開けさせたのか。
そんなことを考えているうちに、扉は開かれ、真っ暗で何も見えない室内が視界に広がった。
「入るといい」
「……あぁ」
入るといい――。その言葉の前に、ツキマが微かなため息を吐いていたことを、セッコウは聞き逃さなかった。亜人である彼は、普通の人間よりも聴覚が優れているから。
一体、何に対する辟易とした感情を漏らしたのか、セッコウには分かるはずもなく。彼はツキマに言われるがまま、その暗闇の中を進んで行った。
ツキマはセッコウの後を追うように入室すると、扉を徐に閉め、掌に炎に似た灯りを灯した。
思わずセッコウは、いつの間にジルを集めていたんだ?と疑問に思うが、ツキマ程の手練れにとって、明かり用のジルを集めることなど、赤子の手を捻るようなもの。
それを一瞬でやってのけるなど訳ないので、彼がそれ以上思考することは無かった。
そんな暗闇の中、一切の迷いなく屋敷の廊下を進む人影が一つ。
――勇者一族現当主、ツキマである。
ツキマが向かっているのは、彼が週に一度必ず訪れている場所。
誰も知らない……知らないはずの、名前の無い部屋である。
行き慣れた道を進み、部屋の目の前まで辿り着くと、ツキマはその扉に手をかけた。
カチャリ……。何の隔たりも無く開かれたが、本来その扉は、特定の条件を満たさなければ開けることの出来ない代物である。
扉を開け、室内からの空気を浴びた瞬間、ツキマは微かに目を見開いた。
「……」
そのまま部屋へ一歩足を踏み入れると、ツキマは部屋の隅に立てかけられている姿見に流し目を送った。
「……いるんだな…………俺と同じ、穢れた血を持つ存在が」
ボソッと、低い声音で呟くと、ツキマは自らの身体に施している術を解いて、本来の姿をその鏡に映した。
分厚いふわふわとした耳に、長く太い重量感のある尻尾。抹茶色に偽装していた髪は、耳と同じきつね色に逆行していた。
人間でありながら、獣の力と特徴を有する存在――亜人。
鏡に映る存在が自分自身であることなど、ツキマは嫌という程理解している。それでも、勇者一族という存在に傾倒しているツキマにとって、その事実は到底受け入れられるものではなかった。
「っ……」
――バリンっ!!
姿見に映る亜人はバラバラに切り裂かれ、その破片が床へ呆気なく零れていく。鏡を砕いたツキマの拳からは血が滴れ落ち、床の破片に染みを作っていた。
深く俯くツキマの呼吸は乱れていない。
もう何度も、何度も、何度も――。
何度も経験していることだった。鏡に映る自分自身に絶望するのも、現実から目を逸らすことも。
ずっと一人で抱えて生きてきた。何故なら、この事実を他人に知られる訳にはいかないから。知られたら最後、ツキマの崇める〝勇者一族〟は、一瞬にして崩れ去ってしまう。
だからこそ――。
「……一族を揺るがす懸念は、俺一人で十分だ」
新たに見つけたその懸念を、ツキマが放っておくという選択肢は無かった。
********
セッコウから初代勇者に関する記録について知らされたその日。いつも通り訓練を終えたユウタロウは、チサトと共に自室への帰路に就いていた。
あと数歩で辿り着くといった所で、自室から覚えのある気配を察知したユウタロウは、思わずその足を止めた。
「っ?ユウちゃん?」
隣を歩いていたチサトは急停止したユウタロウを振り向くと、不安げな表情で首を傾げた。ユウタロウは深刻な表情で自室の扉に視線を送っており、漂う雰囲気からは警戒心も窺えられる。
「……」
チサトの問いかけに答えずに進むと、ユウタロウは自室の扉を徐に開いた。するとユウタロウの視界には、彼が感じ取った気配の正体が、悠然と佇む姿が飛び込んでくる。
「……なにしてるんすか?ご当主様よ」
「あぁ、ユウタロウか。久しいな」
値踏みするように部屋を見回していた来訪者――ツキマは呼び声に振り向くと、涼しげな相好を綻ばせて言った。同じ屋敷内に住んでいるとは言っても、たかだか修行中の子供と一族の当主が相まみえる機会はそう多くない。
ユウタロウとツキマがまともに言葉を交わしたのは、それこそ彼が契約した精霊――チサトを紹介した時以来なのだ。
「相変わらずそこの精霊とは仲がいいようだな」
「……何の用かって聞いたよな?俺。……俺とチサトの愛の巣を覗きにきたわけでもあるまいし」
「いやなに。少し確認したいことがあっただけだ。既に解決したからもう用はない。そもそも、精霊と契約しているお前が、俺の探し人な訳も無いしな」
「あ?」
ツキマの発言の真意が分からず、ユウタロウは怪訝そうに首を傾げた。そんな彼の疑問に答えることの無いまま、ツキマはユウタロウの自室から退出すると、何事も無かったかのように踵を返していった。
底が知れない不気味な背中を見届けると、ユウタロウはそろりと口を開く。
「……なんだったんだ?」
「ユウちゃん……私、あの人嫌い」
「安心しろ、俺も嫌いだ」
組んでいたユウタロウの腕にぎゅっと力を込めると、チサトは翳りを帯びた表情で呟いた。肌から感じられる程の不安を振り払うように、ユウタロウはカラッとした声音で断言するが、当のチサトは未だ浮かない表情である。
「うん……でもユウちゃんは、ハヤテくんのことがあるから嫌いなんでしょ?」
「あぁ。……お前は違うのか?」
ハヤテの思いも、意思も。何もかも全て無視して、彼の母親をいとも簡単に殺したツキマ。
母親の死によって、ハヤテは一生かけても消えない傷を受け、今でも稀にあの日の悲劇を夢に見てしまう。ユウタロウにとってツキマとは、大事な家族に消えない傷を刻みつけた因縁の相手。
故にユウタロウは、チサトも同じような認識を持っていると思っていたのだが――。
「あの人……多分、精霊のこと見下してるわ。……いつもいつも、物凄い敵意を感じるもの」
「……。そうか……」
チサトの感じていた敵意をユウタロウは知らない。だが一方で、ユウタロウはその感覚を理解できていた。
悪魔も、悪魔の愛し子も、亜人も、精霊も。
ジルを生み出す力を持つ存在を、一族の人間は見下ろすことしか出来ないから。精霊を、忌避の対象という眼鏡越しに見ていなくとも、精霊と人間を同列に扱う人間は少ない。精霊は、人間の為の道具という考えが一般的だからだ。
「それにしても、探し人ってなんのことかしら?」
「さぁな」
この時。ユウタロウは気づけなかった。……気づくべきだった。
ツキマの言葉の真意を。
ツキマが探していた、探し人の正体を。
でなければ――。
ユウタロウは大事な友人を、二人同時に失う羽目になってしまうのだから。
********
「――そういや俺、当主から呼び出し食らってたわ」
「よ、呼び出し……?」
初代勇者の秘密について聞かされてから三日後。修行を終え、各々の部屋へ戻ろうとしていた双子の片割れ――ササノは、唐突に知らされた事実に目を丸くすると、不安げな表情と声で疑問を呈した。
「ま。直接呼び出したのは当主じゃなくてじじぃだけどな。〝ご当主様がお呼びだから、訓練の後に訪ねろ〟ってよ。ったくめんどくせーったらありゃしねぇぜ」
「な、なんで急に、呼び出しなんて……」
形容しがたい不安に襲われたササノは、当惑した表情で呟いた。その不安は、ササノなりの本能が必死に警鐘を鳴らしていた証拠だろう。本能的に、これはよくないことだと、自らの意識に刻みつけていたのだ。
「さぁな。ま、俺ユウタロウといい勝負するぐらいの問題児扱いだし、説教でもされるんじゃねぇの?」
途轍もない嫌な予感を覚えていたササノは顔を真っ青にしており、そんな彼の不安を拭う為に、セッコウは敢えて何でもないような態度で言った。
それでも、ササノの不安が完全に払拭されることは無かった。
「じゃ、じゃあ……僕も一緒に行くよ」
「はぁ?何でササノまでくんだよ。お前関係ねぇじゃん。わざわざ俺への説教一緒に聞くつもりか?」
「だ、だって……」
「ったくお前って奴は、いつまで経っても兄離れが出来ねぇのな。そんなんじゃいつまで経っても……」
「……?なに……?」
言いかけて、セッコウは結局、最後まで言葉を紡ぐことをしなかった。言ったところで今のササノには、その言葉の本質を理解することができないと分かりきっていたから。
キョトンと首を傾げるササノの頭を乱雑に撫でると、セッコウは困ったように微笑んでみせた。
「大丈夫だから。お前はもう自分の部屋で休め。分かったな?」
「……分かった」
「よし。じゃ、ご当主様の苦言を右から左に流してくっから、また後でな」
そう言うと、セッコウは背を向けると同時にヒラヒラと手を振り、ササノとのしばしの別れを合図した。焦がれるような瞳を揺らすササノは、そんな兄の背中しか眼中になく、どんどん遠のいていく背中に手を伸ばしたくなってしまう。
どうしてこんなにも胸騒ぎがするのか。その答えを、ササノはまだ知らない。
あの別れの手振りが、彼ら双子の永遠の別れの合図となってしまうことなど、彼らは知る由もなかったのだ。
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ポツリ、ポツリ。暗然とした夜の世界で、彼らの足元を照らしてくれるのは、廊下に等間隔に配置されている小さな灯りだけ。暖色系の灯りは温かみを感じられるが、この状況下に限って言えば、緊張感を高める材料にしかなっていない。
『場所を変えよう』
当主であるツキマの自室を訪れると、彼は前置きもなくそう言った。何故わざわざ場所を変える必要があるのか?その問いは紡がれる前に、さっさと歩を進めてしまったツキマによって遮られた。
斯くしてセッコウは、ツキマだけが知る目的地へと向かっているのだ。
春だというのにどこかジメッとした、湿気を帯びた空気感は窒息してしまいそうな程。同時に、ツキマから発せられる雰囲気に、セッコウは形容し難い違和感も覚えていた。
何がどうと説明することはできないが、ただただ漠然と『何かがおかしい』という感覚だけが、鬱陶しい程頭を支配しており、セッコウはペースを崩されてしまう。
普段から何を考えているのか分からず、底の知れないツキマではあるが、今日に限ってはそれが顕著に感じられたのだ。まるで自分が、ツキマの作った劇の登場人物として動かされているような。ただただ、ツキマの掌の上で踊らされている光景が、何の違和感もないものとして風化していってしまうような。そんな違和感である。
セッコウは知らない。
形も、色も、大きさも。何もかも正体不明なその違和感ーー嫌な予感の正体が。
かつてツキマが、ハヤテの母親を殺した時と全く同種のものであるということを。
「着いたぞ」
「……ここって……」
ツキマの声でハッと顔を上げたセッコウは、見覚えのあるその場所を前に当惑した。何故ならそこは、一族の秘密が記された資料が保管されていた部屋だったから。
瞬間的に、セッコウは思う。この部屋を訪れたことが露見したのでは無いかと。
咎められる程度ならまだいい。問題は、ツキマがどこまで知っているのかということだ。
初代勇者の中に亜人がいた事実をツキマが知っているのなら、彼はその事実を秘匿していた側の人間。であるならば、一族の秘密を知ってしまったセッコウを黙って見過ごすなど考えられない。
今すぐこの場から逃げるべきか?
逃げたところでその後はどうする?
そもそも勇者一族から逃げることなんて可能なのか?
激流のように思考は溢れて止まらないというのに、それを上手くまとめることができず、セッコウは立ち尽くしてしまう。そんなセッコウの心情を知ってか、知らずか。ツキマは彼の頭上から凛とした声を放った。
「セッコウ。開けてみなさい」
「は?」
「この扉を開けろと言っているんだ。出来ないことは無いだろう?」
「入っても、いいんすか?」
「あぁ。俺が許可する」
本当に入ってもいいのか?この扉を開ける行為は、本当に正しいことなのか?自問自答が止むことはなく、それでも拒否する理由を見つけることさえ出来ない。
結局、ツキマの指示に従うことにしたセッコウは、その扉のノブに手をかけた。この時のセッコウが何よりも恐れていたのは、自らが拒否することで、ササノやユウタロウたちに悪影響を及ぼしてしまうこと。だからこそセッコウは、できるだけ波風を立てず、本気で危険を感じた時に逃げようと考えたのだ。
「じゃあ……」
恐る恐る手を伸ばすと、セッコウはそのドアノブに触れ、ゆっくりとその手を下ろした。
ガチャリーー。
やはり難なく扉は開き、不意にセッコウは先日のハヤテの言葉を思い出す。
『……そんな重大な内容が記された資料を保管している部屋に、一切、何の対策も講じていなかった?……本当に?』
確かに妙な話ではあった。扉を開きながら、セッコウは疑問に思う。
――何故、この部屋はこんなにも簡単に入室できるほど、警備がザルなのか。
――何故、ツキマはセッコウに扉を開けさせたのか。
そんなことを考えているうちに、扉は開かれ、真っ暗で何も見えない室内が視界に広がった。
「入るといい」
「……あぁ」
入るといい――。その言葉の前に、ツキマが微かなため息を吐いていたことを、セッコウは聞き逃さなかった。亜人である彼は、普通の人間よりも聴覚が優れているから。
一体、何に対する辟易とした感情を漏らしたのか、セッコウには分かるはずもなく。彼はツキマに言われるがまま、その暗闇の中を進んで行った。
ツキマはセッコウの後を追うように入室すると、扉を徐に閉め、掌に炎に似た灯りを灯した。
思わずセッコウは、いつの間にジルを集めていたんだ?と疑問に思うが、ツキマ程の手練れにとって、明かり用のジルを集めることなど、赤子の手を捻るようなもの。
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