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第二章 能ある鷹は完全犯罪を隠す
能ある鷹は完全犯罪を隠す11
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「その息子さんって、どんな子なんですか?」
青ノ宮学園までの道すがら、明日歌は男性の一人息子について尋ねてみた。下の兄弟が出来ることを喜ばしいととるか、否定的にとるかはその人の性格や状況によって異なるだろう。
明日歌は男性の家の事情を知らないので何とも言えないが、その息子の性格を知れば少しでも見えてくるものがあるのではないかと思ったのだ。
「そうだねぇ……優しい子だよ。とっても……今時珍しいぐらい家族を大事にしてくれるんだ。親バカって言われるかもしれないけど、本当にいい子なんだ」
心底嬉しそうに、息子のことを語る男性の笑顔は後ろに花が見えそうな程で陽だまりのようである。ここまで父親に思われるその息子は心底幸せ者だと感じ明日歌は破顔一笑する。
「なら、大丈夫なんじゃないですか?」
「あの子は優しいから、僕に気を遣って本当の気持ちを押し殺すんじゃないかって、それが不安なんだ。あの子が心から喜んでくれるのを願ってはいるんだけどね……」
家族を大事に思う息子なら、新しい家族が出来ることも手放しで喜ぶのではないかと明日歌は思ったが、男性の不安は拭えそうもない。
何故そこまで危惧するのか明日歌たちは理解できないまま男性の顔を眺めることしか出来ない。
男性が目線を下に落とすと同時に、明日歌たちは青ノ宮学園の正門に到着した。すると明日歌たちとは別の方向からやって来た透巳に彼女たちは気づき、手を振って呼び寄せる。
そのおかげで透巳も明日歌たちに気づくと、何故かその足をパタリと止めて男性の方に視線を集中させた。すると男性の方も透巳の視線に気づき、二人は互いに顔を見合わせる。
「……父さん?」
「っ……透巳くーん!久しぶり!」
「「え?」」
ポカンとした表情で男性のことを父と呼んだ透巳のせいで、明日歌たちは呆気にとられてしまう。そして状況を把握しきれない内に男性は透巳の元へ走って行ってしまい、勢いそのまま透巳に抱きついた。
目の前で起きている光景についていけず目を回している明日歌たちとは対照的に、男性に抱きつかれた透巳は嬉しそうに微笑んでいる。
久しぶりの再会に嬉々とした相好を見せる男性の名前は神坂純。透巳の実の父親である。
「え……透巳くんの、お父さん?」
「はい」
当惑しつつも尋ねた明日歌に、透巳はあっけらかんと即答する。まさかこの二人が親子だとは露程にも想定していなかった明日歌たちは目を見開いたまま固まってしまう。
「透巳くん、見ないうちにまた大きくなった?ご飯食べてるか?体調崩してないか?小麦ちゃんとも仲良くしてるか?」
「うん、大丈夫だよ。あと父さん、毎回言ってるけど、俺もうそんな成長しないから」
透巳に会った途端、彼を心配する言葉を湯水の如く沸き上がらせた純に、透巳は慣れたような対応をする。それだけでこういった会話が昔から定期的に行われているのだということは一目瞭然だ。純の過保護っぷりは父親というよりも最早祖父母の域である。
「……どうかしましたか?」
「こう言っちゃ悪いんだけど欠片も似てないね」
「あぁ、俺母親似なので」
どう考えても父親と息子のものでは無い雰囲気を醸し出す神坂親子を凝視している明日歌は、包み隠さず本音を零した。隣では兼も激しく頷いて同調している。だが当人たちにも当然そう指摘されるだけの自覚はあるのだ。
「そっか。透巳くん少し中性的な顔だもんね」
「俺、父さんには欠片も似てないですけど、母さんにはめちゃくちゃ似てますよ。顔も性格も」
透巳の顔を改めてじっと見つめた明日歌は納得したように呟く。透巳たちの周りには性格や顔が似ている家族が少ないが、透巳の場合は父親に似ていないというよりも母親に似すぎてしまっただけなのだ。
透巳と顔も性格も似ている母親というのが一体どんな人物なのか。明日歌は未知の存在に好奇心を膨らませる。
「じゃあ今日はそのお母さんも来るの?」
「いえ、俺の母さん小六の時に亡くなってるので来れませんよ」
「あ……そう、なんだ。……ごめんね」
「いえ」
何気なく質問した明日歌だったが、透巳の家庭のデリケートな部分に触れてしまったと感じて即座に陳謝した。だが当の透巳は大して気にしていないようで、あっさりと返す。
透巳の実の母親は透巳が小学校六年生の頃、がんで亡くなってしまった。それは透巳の人生において、大切な存在を亡くした唯一の経験であり、どうやっても忘れることの出来ない辛く温かい記憶である。
「どうせかおりさんも来ないんでしょ?」
「あー……うん、ごめんね。一応誘ってはみたんだけど」
「いいよいいよ。無理して来てもらうものでもないし」
透巳が〝かおり〟なる人物の話題を出すと、純は困ったように言い淀んでしまう。明日歌は透巳たちが誰のことを話しているのか察することが出来なかったが、先刻純が話していた悩みと透巳の母親が亡くなっていることを踏まえて考えれば、自ずと答えは出てきた。
「かおりさんって、もしかして……」
「父さんの再婚相手です」
明日歌は自身の推測が当たっていることを確認すると、同時に純が悩んでいた事情も何となく察した。恐らく透巳と純の再婚相手であるかおりはあまり仲が良くないのだろう。そしてそれが原因で純はこれから産まれてくるだろう、かおりとの子供を透巳が喜んでくれるか不安がっている。明日歌は透巳たちの会話からそれを推測した。
「父さん、場所取りしなくていいの?」
「あぁ!そうだったそうだった。じゃあ父さん行ってくるから、透巳くん体育祭頑張りなよ」
「うん」
学園の入り口で時間を潰してしまったので、純は慌てた様子でその場を立ち去った。純が透巳たちの視界から消えると、彼は心底優し気に微笑み明日歌たちの方を振り返る。
「可愛いでしょ?俺の父さん」
「うん……お父さんっていうよりも、お母さんみたいな感じだね」
「あの人以上のお人好しを俺は知りません」
心底嬉しそうに父親自慢を始めた透巳に、明日歌は呆れと感心の入り混じった笑みを向ける。初対面の明日歌たちでさえも純の人の良さをこの短時間で察した。家族である透巳がそう思うのは尚のことだろう。
「ねぇ、かおりさんって……どんな人?」
幸せそうに父のことを語る透巳に水を差して悪いとは思いつつ、明日歌は好奇心でそんな問いかけをした。だが透巳は特に動揺もせず、ほんの少し考え込むと口を開いた。
「……父さんのこと、すごく好きでいてくれる人ですよ。あとちょっと可愛い人です」
「ふーん……」
思い出し笑いか、かおりのことを語る透巳は僅かに微笑んでいて明日歌たちは呆気にとられてしまう。想定していた答えとは真逆で、寧ろ透巳はかおりのことを大事にしているように見受けられたからだ。
透巳の本心を知る術は明日歌たちには無いので詳しいことは分からないが、明日歌が想定していたほど険悪な関係ではないのかもしれないと彼女は朧気に思考するのだった。
********
そして太陽が一向に隠れる気配のないまま、体育祭の火蓋は切られた。じりじりと熱い日差しの下、眠くなる様な開会式を終えると早速競技が開催される。
透巳は部活対抗リレーだけではなく、キチンと学年別の種目にも出るのでそこそこすることがあるのだが、今回の体育祭の出番が限られている明日歌たちは鷹雪が忙しなく働いている救護所で暇を潰すばかりだ。
明日歌たちがぼぉっと競技を観覧していると、救護所に怪我をした百弥と彼に肩を貸している透巳がやって来た。百弥は膝から血を流していて、身体中あちこちが砂で汚れている状態だ。
「え、百弥どうしたの?転んだの?」
「おう。さっき透巳と短距離走で一緒になったんだけど、気合入り過ぎてゴールした途端転んだ」
透巳が百弥を椅子に座らせると、明日歌は痛々しいその傷について尋ねた。普通なら走っている途中で転ぶものだが、そこは流石としか言いようがない。負けず嫌いの百弥はゴールまで踏ん張り、張っていた気がゴールした途端緩んだのだろう。
「あ、そう。で、どうだったの?」
「透巳が一位で俺が二位だよ」
「そっか。百弥残念だったね」
鷹雪に傷の手当てをされながら百弥はあっけらかんと答えた。そんな百弥に明日歌は励ましの言葉を送ったが、当の本人は大して悔しがっていないように見える。
負けず嫌いの百弥の反応としては不自然で明日歌は思わず首を傾げてしまう。
「いや。俺は透巳が汗垂れ流しながら、必死こいて走ってくれただけで嬉しかったからいいんだ」
「なにそれ?」
「なんつーか……透巳でも汗かくんだなぁと」
「かくに決まってるじゃん」
百弥は満足気な相好で競技の感想を語った。当人の透巳からすれば百弥の気持ちは共感できるものでは無いが、明日歌たちは何となく百弥の言わんとすることが理解できるような気がした。
透巳は普段から冷静沈着で器用に何でもこなしてしまうので、彼が何かに本気で打ち込む姿を明日歌たちはなかなか想像できない。だからこそ、そんな透巳が人間らしく何かに必死になっているところを目の当たりにすると、言いようのない安心感に襲われるのである。
だが透巳にそんな百弥の気持ちは読めないので、彼の傷を心配げに見つめつつ不思議そうに呟いた。
「要は本気出してくれて嬉しかったんでしょ?」
「おう」
「百弥くん相手に手は抜けないよ」
そんな百弥の気持ちを代弁した明日歌に彼はニヤリと口角を上げて見せる。百弥の発言の意味を理解した透巳は「買い被り過ぎだ」と言わんばかりの発言を零す。
透巳は自身の身体能力にそこまでの自信を持っていない。確かに透巳は基本的に何でも人並み以上にでき、小学生の頃は空手も習っていた。だがそれは一般の人と比べればの話だ。本気でスポーツに打ち込んでいる者。世界を相手に格闘技に励んでいる者相手ではどうやっても透巳は負けてしまう。
透巳は自身の能力値をきちんと理解しているからこその、純然たる事実を述べたのだ。
「そういえば百弥。今日薔弥見てないんだけど、なんか知ってる?」
「あ?なんか今朝早くどっかに出かけてたぞ」
「完全サボりね。まぁアイツが真面目に体育祭に出場してもそれはそれでキモいんだけど」
ふと本日一向に姿を見せない薔弥のことを思い出した明日歌は、弟である百弥に尋ねた。最近の薔弥は一人でコソコソと何かを探っているようで不気味な上、彼の知られざる一面を色々と知ったりして明日歌は彼との距離感が測れずにいる。
明日歌は薔弥のことが心底嫌いなので大した問題ではないのだが、薔弥が何をしているのか不明という状況はあまり宜しくない。薔弥は目を離すとすぐに悪巧みし、他人を簡単に傷つけてしまうので監視は必要なのだ。
百弥も明日歌同様……いや、それ以上に薔弥のことを嫌っているが彼の場合、明日歌の様な危機感はない。なので薔弥が何をしようと基本的に興味が無いのだ。それが悪事でさえなければ。
そんな百弥は当然薔弥が今何をしているのか知らず、適当にそう答えた。
********
昼食休憩が終わるとすぐに部活対抗リレーは始まる。参加する部活は全部で十、走者は六人で明日歌たち文芸部はちょうどいい具合なのだ。
明日歌たちと違い部員が六人より少ない部活は顧問の教師に頼んだりして人数を補い、逆に部員が多すぎる部活は運動神経が優れている者を人選するのである。
今回文芸部の最大の敵なりうる部活は当然陸上部である。透巳、遥音、兼という運動神経抜群メンバーを揃えている文芸部は確実に上位に食い込むだろう。だが走ることを専門とする陸上部相手に一等を奪えるかどうかは話が別である。
とは言っても一等に固執しているのは明日歌だけなので、他の面々は気軽に構えている。
部活対抗リレーは一周二百メートルのトラックを一人半周走るので、明日歌たちは三人ずつに分かれて待機している。
第一走者の兼、第三走者の宅真、第五走者の透巳の三人がスタート地点に。第二走者の明日歌、第四走者の巧実、第六走者の遥音が反対側で順番を待つ形である。
予定の時間になり、それを知らせる放送が校庭中に鳴り響くと第一走者たちと第二走者たちが指定の位置につく。
担当の生徒が拡声器を左手で口元に、スターターピストルを右手に掲げ準備は万全。その生徒の「位置について」という声を皮切りに第一走者たちが両手を地面につけて足を伸ばす。
それを確認した生徒の「よーい」という掛け声のすぐ後に号砲一発、部活対抗リレーの火蓋が切られた。
青ノ宮学園までの道すがら、明日歌は男性の一人息子について尋ねてみた。下の兄弟が出来ることを喜ばしいととるか、否定的にとるかはその人の性格や状況によって異なるだろう。
明日歌は男性の家の事情を知らないので何とも言えないが、その息子の性格を知れば少しでも見えてくるものがあるのではないかと思ったのだ。
「そうだねぇ……優しい子だよ。とっても……今時珍しいぐらい家族を大事にしてくれるんだ。親バカって言われるかもしれないけど、本当にいい子なんだ」
心底嬉しそうに、息子のことを語る男性の笑顔は後ろに花が見えそうな程で陽だまりのようである。ここまで父親に思われるその息子は心底幸せ者だと感じ明日歌は破顔一笑する。
「なら、大丈夫なんじゃないですか?」
「あの子は優しいから、僕に気を遣って本当の気持ちを押し殺すんじゃないかって、それが不安なんだ。あの子が心から喜んでくれるのを願ってはいるんだけどね……」
家族を大事に思う息子なら、新しい家族が出来ることも手放しで喜ぶのではないかと明日歌は思ったが、男性の不安は拭えそうもない。
何故そこまで危惧するのか明日歌たちは理解できないまま男性の顔を眺めることしか出来ない。
男性が目線を下に落とすと同時に、明日歌たちは青ノ宮学園の正門に到着した。すると明日歌たちとは別の方向からやって来た透巳に彼女たちは気づき、手を振って呼び寄せる。
そのおかげで透巳も明日歌たちに気づくと、何故かその足をパタリと止めて男性の方に視線を集中させた。すると男性の方も透巳の視線に気づき、二人は互いに顔を見合わせる。
「……父さん?」
「っ……透巳くーん!久しぶり!」
「「え?」」
ポカンとした表情で男性のことを父と呼んだ透巳のせいで、明日歌たちは呆気にとられてしまう。そして状況を把握しきれない内に男性は透巳の元へ走って行ってしまい、勢いそのまま透巳に抱きついた。
目の前で起きている光景についていけず目を回している明日歌たちとは対照的に、男性に抱きつかれた透巳は嬉しそうに微笑んでいる。
久しぶりの再会に嬉々とした相好を見せる男性の名前は神坂純。透巳の実の父親である。
「え……透巳くんの、お父さん?」
「はい」
当惑しつつも尋ねた明日歌に、透巳はあっけらかんと即答する。まさかこの二人が親子だとは露程にも想定していなかった明日歌たちは目を見開いたまま固まってしまう。
「透巳くん、見ないうちにまた大きくなった?ご飯食べてるか?体調崩してないか?小麦ちゃんとも仲良くしてるか?」
「うん、大丈夫だよ。あと父さん、毎回言ってるけど、俺もうそんな成長しないから」
透巳に会った途端、彼を心配する言葉を湯水の如く沸き上がらせた純に、透巳は慣れたような対応をする。それだけでこういった会話が昔から定期的に行われているのだということは一目瞭然だ。純の過保護っぷりは父親というよりも最早祖父母の域である。
「……どうかしましたか?」
「こう言っちゃ悪いんだけど欠片も似てないね」
「あぁ、俺母親似なので」
どう考えても父親と息子のものでは無い雰囲気を醸し出す神坂親子を凝視している明日歌は、包み隠さず本音を零した。隣では兼も激しく頷いて同調している。だが当人たちにも当然そう指摘されるだけの自覚はあるのだ。
「そっか。透巳くん少し中性的な顔だもんね」
「俺、父さんには欠片も似てないですけど、母さんにはめちゃくちゃ似てますよ。顔も性格も」
透巳の顔を改めてじっと見つめた明日歌は納得したように呟く。透巳たちの周りには性格や顔が似ている家族が少ないが、透巳の場合は父親に似ていないというよりも母親に似すぎてしまっただけなのだ。
透巳と顔も性格も似ている母親というのが一体どんな人物なのか。明日歌は未知の存在に好奇心を膨らませる。
「じゃあ今日はそのお母さんも来るの?」
「いえ、俺の母さん小六の時に亡くなってるので来れませんよ」
「あ……そう、なんだ。……ごめんね」
「いえ」
何気なく質問した明日歌だったが、透巳の家庭のデリケートな部分に触れてしまったと感じて即座に陳謝した。だが当の透巳は大して気にしていないようで、あっさりと返す。
透巳の実の母親は透巳が小学校六年生の頃、がんで亡くなってしまった。それは透巳の人生において、大切な存在を亡くした唯一の経験であり、どうやっても忘れることの出来ない辛く温かい記憶である。
「どうせかおりさんも来ないんでしょ?」
「あー……うん、ごめんね。一応誘ってはみたんだけど」
「いいよいいよ。無理して来てもらうものでもないし」
透巳が〝かおり〟なる人物の話題を出すと、純は困ったように言い淀んでしまう。明日歌は透巳たちが誰のことを話しているのか察することが出来なかったが、先刻純が話していた悩みと透巳の母親が亡くなっていることを踏まえて考えれば、自ずと答えは出てきた。
「かおりさんって、もしかして……」
「父さんの再婚相手です」
明日歌は自身の推測が当たっていることを確認すると、同時に純が悩んでいた事情も何となく察した。恐らく透巳と純の再婚相手であるかおりはあまり仲が良くないのだろう。そしてそれが原因で純はこれから産まれてくるだろう、かおりとの子供を透巳が喜んでくれるか不安がっている。明日歌は透巳たちの会話からそれを推測した。
「父さん、場所取りしなくていいの?」
「あぁ!そうだったそうだった。じゃあ父さん行ってくるから、透巳くん体育祭頑張りなよ」
「うん」
学園の入り口で時間を潰してしまったので、純は慌てた様子でその場を立ち去った。純が透巳たちの視界から消えると、彼は心底優し気に微笑み明日歌たちの方を振り返る。
「可愛いでしょ?俺の父さん」
「うん……お父さんっていうよりも、お母さんみたいな感じだね」
「あの人以上のお人好しを俺は知りません」
心底嬉しそうに父親自慢を始めた透巳に、明日歌は呆れと感心の入り混じった笑みを向ける。初対面の明日歌たちでさえも純の人の良さをこの短時間で察した。家族である透巳がそう思うのは尚のことだろう。
「ねぇ、かおりさんって……どんな人?」
幸せそうに父のことを語る透巳に水を差して悪いとは思いつつ、明日歌は好奇心でそんな問いかけをした。だが透巳は特に動揺もせず、ほんの少し考え込むと口を開いた。
「……父さんのこと、すごく好きでいてくれる人ですよ。あとちょっと可愛い人です」
「ふーん……」
思い出し笑いか、かおりのことを語る透巳は僅かに微笑んでいて明日歌たちは呆気にとられてしまう。想定していた答えとは真逆で、寧ろ透巳はかおりのことを大事にしているように見受けられたからだ。
透巳の本心を知る術は明日歌たちには無いので詳しいことは分からないが、明日歌が想定していたほど険悪な関係ではないのかもしれないと彼女は朧気に思考するのだった。
********
そして太陽が一向に隠れる気配のないまま、体育祭の火蓋は切られた。じりじりと熱い日差しの下、眠くなる様な開会式を終えると早速競技が開催される。
透巳は部活対抗リレーだけではなく、キチンと学年別の種目にも出るのでそこそこすることがあるのだが、今回の体育祭の出番が限られている明日歌たちは鷹雪が忙しなく働いている救護所で暇を潰すばかりだ。
明日歌たちがぼぉっと競技を観覧していると、救護所に怪我をした百弥と彼に肩を貸している透巳がやって来た。百弥は膝から血を流していて、身体中あちこちが砂で汚れている状態だ。
「え、百弥どうしたの?転んだの?」
「おう。さっき透巳と短距離走で一緒になったんだけど、気合入り過ぎてゴールした途端転んだ」
透巳が百弥を椅子に座らせると、明日歌は痛々しいその傷について尋ねた。普通なら走っている途中で転ぶものだが、そこは流石としか言いようがない。負けず嫌いの百弥はゴールまで踏ん張り、張っていた気がゴールした途端緩んだのだろう。
「あ、そう。で、どうだったの?」
「透巳が一位で俺が二位だよ」
「そっか。百弥残念だったね」
鷹雪に傷の手当てをされながら百弥はあっけらかんと答えた。そんな百弥に明日歌は励ましの言葉を送ったが、当の本人は大して悔しがっていないように見える。
負けず嫌いの百弥の反応としては不自然で明日歌は思わず首を傾げてしまう。
「いや。俺は透巳が汗垂れ流しながら、必死こいて走ってくれただけで嬉しかったからいいんだ」
「なにそれ?」
「なんつーか……透巳でも汗かくんだなぁと」
「かくに決まってるじゃん」
百弥は満足気な相好で競技の感想を語った。当人の透巳からすれば百弥の気持ちは共感できるものでは無いが、明日歌たちは何となく百弥の言わんとすることが理解できるような気がした。
透巳は普段から冷静沈着で器用に何でもこなしてしまうので、彼が何かに本気で打ち込む姿を明日歌たちはなかなか想像できない。だからこそ、そんな透巳が人間らしく何かに必死になっているところを目の当たりにすると、言いようのない安心感に襲われるのである。
だが透巳にそんな百弥の気持ちは読めないので、彼の傷を心配げに見つめつつ不思議そうに呟いた。
「要は本気出してくれて嬉しかったんでしょ?」
「おう」
「百弥くん相手に手は抜けないよ」
そんな百弥の気持ちを代弁した明日歌に彼はニヤリと口角を上げて見せる。百弥の発言の意味を理解した透巳は「買い被り過ぎだ」と言わんばかりの発言を零す。
透巳は自身の身体能力にそこまでの自信を持っていない。確かに透巳は基本的に何でも人並み以上にでき、小学生の頃は空手も習っていた。だがそれは一般の人と比べればの話だ。本気でスポーツに打ち込んでいる者。世界を相手に格闘技に励んでいる者相手ではどうやっても透巳は負けてしまう。
透巳は自身の能力値をきちんと理解しているからこその、純然たる事実を述べたのだ。
「そういえば百弥。今日薔弥見てないんだけど、なんか知ってる?」
「あ?なんか今朝早くどっかに出かけてたぞ」
「完全サボりね。まぁアイツが真面目に体育祭に出場してもそれはそれでキモいんだけど」
ふと本日一向に姿を見せない薔弥のことを思い出した明日歌は、弟である百弥に尋ねた。最近の薔弥は一人でコソコソと何かを探っているようで不気味な上、彼の知られざる一面を色々と知ったりして明日歌は彼との距離感が測れずにいる。
明日歌は薔弥のことが心底嫌いなので大した問題ではないのだが、薔弥が何をしているのか不明という状況はあまり宜しくない。薔弥は目を離すとすぐに悪巧みし、他人を簡単に傷つけてしまうので監視は必要なのだ。
百弥も明日歌同様……いや、それ以上に薔弥のことを嫌っているが彼の場合、明日歌の様な危機感はない。なので薔弥が何をしようと基本的に興味が無いのだ。それが悪事でさえなければ。
そんな百弥は当然薔弥が今何をしているのか知らず、適当にそう答えた。
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昼食休憩が終わるとすぐに部活対抗リレーは始まる。参加する部活は全部で十、走者は六人で明日歌たち文芸部はちょうどいい具合なのだ。
明日歌たちと違い部員が六人より少ない部活は顧問の教師に頼んだりして人数を補い、逆に部員が多すぎる部活は運動神経が優れている者を人選するのである。
今回文芸部の最大の敵なりうる部活は当然陸上部である。透巳、遥音、兼という運動神経抜群メンバーを揃えている文芸部は確実に上位に食い込むだろう。だが走ることを専門とする陸上部相手に一等を奪えるかどうかは話が別である。
とは言っても一等に固執しているのは明日歌だけなので、他の面々は気軽に構えている。
部活対抗リレーは一周二百メートルのトラックを一人半周走るので、明日歌たちは三人ずつに分かれて待機している。
第一走者の兼、第三走者の宅真、第五走者の透巳の三人がスタート地点に。第二走者の明日歌、第四走者の巧実、第六走者の遥音が反対側で順番を待つ形である。
予定の時間になり、それを知らせる放送が校庭中に鳴り響くと第一走者たちと第二走者たちが指定の位置につく。
担当の生徒が拡声器を左手で口元に、スターターピストルを右手に掲げ準備は万全。その生徒の「位置について」という声を皮切りに第一走者たちが両手を地面につけて足を伸ばす。
それを確認した生徒の「よーい」という掛け声のすぐ後に号砲一発、部活対抗リレーの火蓋が切られた。
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