蘭癖高家

八島唯

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第1章 蘭癖高家、闊歩す

品川宿からの旅路

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 秀統は陽の昇るのと同じくして、品川の宿を出る。主人はあえて見送りをせずに、旅の支度を整えてくれた。乗っている馬はいつもの白馬ではなく、鹿毛の馬である。秀統の身なりもすげ笠をかぶり、紺色の羽織と袴それと手甲脚絆と目立たないものである。腰に差しているものも当然、黒鞘の大小であった。
 保土ケ谷の宿についたのはちょうど正午の頃である。
 少しの休息の後に、再び馬をかける秀統。途中、東海道より外れ南下する。
 山がちの道を慎重に馬を進める。
 ここは三浦半島――三浦按針がかつて所領を有していた地であった。
 当然、秀統がここに足を運ぶのはその所以であった。
 新春の風を受けつつ、馬は駆ける。
 ここに来るの初めてではない。毎月、決まった日に彼はこの地を訪れていた。
 伴のものはいない。平左は町役人なので江戸を離れることはできない。あくまでも主従の関係は秘密の誓いである。
 そもそも秀統は二千石の大身旗本でありながら、江戸の屋敷にはほとんど使用人が存在しない。普段は離れの小さな屋敷に身を寄せている秀統は、身の回りのことも自分でもっぱらこなしていた。それは『秘密』が漏れることを慮ってのことである。
 通常、武家の主家に存在する家臣団――それは江戸ではなくこの地に配置されていた。ある目的のために、その身分すら隠して――
 馬の歩みを緩め手綱を引く。陽はすでに傾きあと数刻で夜が近づいていた。
 馬を降り、路傍の石に腰を掛ける秀統。さらしの手ぬぐいで軽く首筋の汗を拭う。
 馬が小さくいななく。秀統はそっと、その腹を手で撫でる。
 竹の水筒を取り出し、軽くあおる。
 問題ない。この旅程であれば日が沈む前には目的とする場所に到達できる――はずである。
 しかし、秀統は遠い目で何かを考えていた。
(一人......)
 声にもならない小さなつぶやきを何度も反芻する。
(......江戸より、われの後を追うてきたものが一人)
 あたりを見回すことなく、そのまま秀統は目を閉じうつむく。はたから見れば小休止する侍としか見えないであろう。その時間がそれほど長くも、そして短くもない瞬間続く。
 突然に鳴り響く、雷のような音。
 石の上には秀統の姿はない。
 道の上で抜刀してそれを構える秀統。その数尺前には同じく旅支度の背の低い武士が同じく刀を上段に掲げていた。
 一瞬のことである。
 不意をついたはずの背後から忍び寄った一撃は、まるで神速の如き秀統の抜き身によって跳ね返されたのであった。
 はあはあと息が荒い、背の低い武士。一方秀統は微動だにもせず、切っ先をただその武士に向けている。
 明らかに技量に差のある二人――最初に意を決したのは背の低い方の武士であった。身をかがめると一心に秀統へと突っ込もうとする。
 しかし――彼の目に最後に映ったのは、宙に舞う秀統の姿であった
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