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第二章
出発
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都心ではもう見かけることのない年代物なだけあって、至る所で錆が目立っていた。先頭部に向かって、写真を何枚か撮った。個人的趣味、ということもあるが、一利用者として、本日はよろしくお願いします、という思いを込めた。
「熱心に撮っていますね」
大らかな声をかけられて振り返ると、制服を着た六十前後の男性がにっこりと笑っていた。鞄の脇には、運転手用の時刻表がささっていた。
「どうもすみません。邪魔でしたね」
「せっかくですから、一枚くらい記念にしていたただけると嬉しいですね」
男性は、一転、威厳のある表情を浮かべて、指さし確認を始めた。
「前よし。パンタグラフよし」
一つ一つ、入念に確認していく姿を十枚ほど記録に残した。小柄な体格とは対照的な、歯切れのよい呼称、細やかな指使い。山手線を運転する若手運転手とは違った貫録を感じた。
男性運転手が運転台に乗り込んで、ドアの開閉ボタンにランプが点灯した。発車十分前だった。隆司は、先頭車両の一番前に腰かけた。昔の車両に特有の四人掛けクロスシート。ゆったり座れるほか、車窓をじっくり見ることが出来て、一石二鳥だった。
ガタン、という威勢のいい音が響いた。目を向けると、先ほどの男性運転手が、車内の見回りを始めていた。
「三十年ほど続けている日課なんです」
隆司に向かって呟いた。
「今日みたいに暑い日は、尚更ですね。冷房の効きが悪いといけませんからね」
男性運転手の左手には、古びた雑巾が収まっていた。自ずと視線が向いた。
「たまに窓が汚れているでしょう。少しの時間ですけれど、拭いて綺麗になればと思いましてね」
以前、テレビで、新幹線の清掃担当者のドキュメンタリーを見たことがあり、三十分ほどで綺麗になっていく車内の様子に感嘆したものだった。彼らが独自に開発した清掃道具についても多く語られていた。
それでも......。
隆司は、カメラを取り出し、男性運転手に焦点を合わせた。連写の音が、車内の空調音に掻き消されつつ、微かに響いた。男性運転手は、時折笑顔を浮かべながら引き締まった表情で、一枚一枚、入念に拭いていた。
もう一つの日課、地方の鉄道は、終着駅に於いて長時間停車することがよくある。気晴らしに散歩する人がいれば、食事をとる人、道案内をする人、様々である。今回の運転手の表情を覗くと、本当に陽気である。古びた雑巾に加えて、力強く握っている右手を見てみる。痩せ細った腕、手とは対照的に、血管が浮かび上がっている。ピクッと勢いよく脈打つ瞬間を捉えた。男性運転手にとってこの車両は、そう、子供だ。
男性運転手は、やがて運転台へと戻っていった。シューという低い唸り声が響いた。長年の疲労を感じ取った。隆司は、窓を軽く叩いた。
「頑張れよ」
隆司は、靴を脱いで、向かい合わせの椅子に足をのせた。昔ながらの柔らかい素材で、三時間の旅により強く思いをはせた。
陽気な発車メロディーの後、ドアが閉まります、というアナウンス。いよいよ出発だ。
「待って。待って。待って!」
駆け込み乗車をしてきたのは、小学生くらいの男の子二人と、女の子一人だった。
ガン、という鈍い音が響いた。隆司は、後方のドアを見やった。男の子の水筒が引っかかっていた。すかさず駆けていき、ドアを一度開けて、転がりそうになった水筒を首にかけてやった。男の子は、少しばかし蒼ざめていて、言葉を発することが出来なかった。
「危ないよ......って、次は二時間後か」
きっと自分もこうしていたという想像から、これ以上諭すことは出来なかった。正午を少し過ぎた頃合い。列車は、隆司と、子供たち三人を乗せて、ゆっくりと走り出した。
「熱心に撮っていますね」
大らかな声をかけられて振り返ると、制服を着た六十前後の男性がにっこりと笑っていた。鞄の脇には、運転手用の時刻表がささっていた。
「どうもすみません。邪魔でしたね」
「せっかくですから、一枚くらい記念にしていたただけると嬉しいですね」
男性は、一転、威厳のある表情を浮かべて、指さし確認を始めた。
「前よし。パンタグラフよし」
一つ一つ、入念に確認していく姿を十枚ほど記録に残した。小柄な体格とは対照的な、歯切れのよい呼称、細やかな指使い。山手線を運転する若手運転手とは違った貫録を感じた。
男性運転手が運転台に乗り込んで、ドアの開閉ボタンにランプが点灯した。発車十分前だった。隆司は、先頭車両の一番前に腰かけた。昔の車両に特有の四人掛けクロスシート。ゆったり座れるほか、車窓をじっくり見ることが出来て、一石二鳥だった。
ガタン、という威勢のいい音が響いた。目を向けると、先ほどの男性運転手が、車内の見回りを始めていた。
「三十年ほど続けている日課なんです」
隆司に向かって呟いた。
「今日みたいに暑い日は、尚更ですね。冷房の効きが悪いといけませんからね」
男性運転手の左手には、古びた雑巾が収まっていた。自ずと視線が向いた。
「たまに窓が汚れているでしょう。少しの時間ですけれど、拭いて綺麗になればと思いましてね」
以前、テレビで、新幹線の清掃担当者のドキュメンタリーを見たことがあり、三十分ほどで綺麗になっていく車内の様子に感嘆したものだった。彼らが独自に開発した清掃道具についても多く語られていた。
それでも......。
隆司は、カメラを取り出し、男性運転手に焦点を合わせた。連写の音が、車内の空調音に掻き消されつつ、微かに響いた。男性運転手は、時折笑顔を浮かべながら引き締まった表情で、一枚一枚、入念に拭いていた。
もう一つの日課、地方の鉄道は、終着駅に於いて長時間停車することがよくある。気晴らしに散歩する人がいれば、食事をとる人、道案内をする人、様々である。今回の運転手の表情を覗くと、本当に陽気である。古びた雑巾に加えて、力強く握っている右手を見てみる。痩せ細った腕、手とは対照的に、血管が浮かび上がっている。ピクッと勢いよく脈打つ瞬間を捉えた。男性運転手にとってこの車両は、そう、子供だ。
男性運転手は、やがて運転台へと戻っていった。シューという低い唸り声が響いた。長年の疲労を感じ取った。隆司は、窓を軽く叩いた。
「頑張れよ」
隆司は、靴を脱いで、向かい合わせの椅子に足をのせた。昔ながらの柔らかい素材で、三時間の旅により強く思いをはせた。
陽気な発車メロディーの後、ドアが閉まります、というアナウンス。いよいよ出発だ。
「待って。待って。待って!」
駆け込み乗車をしてきたのは、小学生くらいの男の子二人と、女の子一人だった。
ガン、という鈍い音が響いた。隆司は、後方のドアを見やった。男の子の水筒が引っかかっていた。すかさず駆けていき、ドアを一度開けて、転がりそうになった水筒を首にかけてやった。男の子は、少しばかし蒼ざめていて、言葉を発することが出来なかった。
「危ないよ......って、次は二時間後か」
きっと自分もこうしていたという想像から、これ以上諭すことは出来なかった。正午を少し過ぎた頃合い。列車は、隆司と、子供たち三人を乗せて、ゆっくりと走り出した。
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