殿下、婚約者の私より幼馴染の侯爵令嬢が大事だと言うなら、それはもはや浮気です。

和泉鷹央

文字の大きさ
31 / 105
第二章 帝国編(海上編)

皇帝の意思

しおりを挟む
 そんなに必死になって何かを頼み込む様って……しばらく見てなかったな。
 六歳からお互いに同じ屋敷で住んできた。
 帝国から王国にやってきたアルナルドの面倒を見たのは母親だッた。同じ年の兄妹というよりは、姉弟だったような気がして彼はまだ、誰かの手助けが必要なのね。
 そう思ってしまう。
 幼い時分はもう卒業したはずなのだから、もっとしっかりしてくださいな。
 サラはアルナルドにそう心で激励する。

「殿下」
「……何?」
「もう、留学していた半人前ではなく、御国に戻られれば殿下なのですから。こんな女ひとりに頭を下げないでください。貴方のそれは、そんなに安い物ではないわ。違いませんか?」
「違わない、かもしれないね。外には衛兵が二人、君の侍女も二人待っている。そう考えると、あまり長居するのは良くないかもしれない」

 こんどは心配?
 それともまた保身?
 どちらを選んでも、皇帝陛下の御意思はそこの壁にあるがままになるだろうし。
 あちらに行けば悪くない扱いどころか、皇族の一人か、それに準じた扱いを受けるだろう。
 そしてサラはああ、そうか。と腑に落ちた。
 これで、帝国は新しい駒を……それも自在に操れる帝室の一員ではない皇族の血を引く、若い婦女子を手に入れたのだ、と。

「噂が怖い?」
「こんな狭い船内ではねー。これは客船も兼ねているから、他国の賓客も乗船しているんだよ。あまり会わせたくない連中も……いたりする」
「会わせたくない方々? そのためにあの護衛を付けてくれたの?」
「そうかもしれないね。皇族にはこの規模の船なら護衛だって普通につくんだよ。王国の近衛騎士ほどではないけど、彼女たちは有能な軍人だよ」

 有能はいいことだけれど……誤解は困るわね。サラは侍女たちにも誤解されてはいないだろうか、つい心配になってしまった。
 あの二人はアルナルドと出会うよりも前からずっと育った姉妹のようなものだ。
 変な勘繰りや噂に心を惑わされないと嬉しい。
 その憂慮は、こんな見知らぬ海上の場所では心に不安を抱かせる。
 根深く、薄暗く、光のうっすらとしか差し込まないそんな場所。
 まるでレイニーを閉じ込めたあの牢屋を、更にひどくしたような空間が自分の中にあることにサラは驚いていた。

「……もう埋まったって思ってたのに……まだあったんだ」
「埋まった?」

 アルナルドが首をかしげる。 
 何が埋まったんだろう? 順列? それはあれだろうか?
 いや、違うな。
 僕はまた彼女に余計な重荷を背負わせそうで怖い。
 
「何でも、ないの。ちょっと気になっただけ」
「そう」

 物憂げな瞳で眠たそうにするサラは、さっきまでと違いじっと考え込んでいる。
 船内の壁を見つめ、天井に視線を移し、床に堅牢に張られた年季を刻んでいる材木の歴史をさかのぼり知るような目つきで、それを見据えていた。
 単なるこげ茶色の床板なのに。
 この船はそれなりに手入れされた新しい存在だ。
 船倉に住みつくというネズミなんかがここまで上がって来るとは考えにくい。
 やがてサラの視線がたどり着いた先は、壁の国旗や家の紋章旗から――アルナルドに移っていた。

「ねえ、アルナルド。皇帝陛下はどう思われているの? 私は助けていただいて、こんな逃げる場まで用意していただいてる。帝国に行けば新たな場所もあるでしょうね。そうなると……陛下は、そのお考えを汲もうと考える私はおろか者かしら?」
「そういうことを考えていたんだね。埋まったというのは……何? 誰かの座るべき場所?」
「いいえ、それは私の心にもうないと思っていた、深い場所。誰にも見せたくないそんな場所がね、まだあったんだって。そう思っただけ」
「なるほど」
「貴方の側室とか正室の数が決められていて、その数がもう埋まったのかしら。なんて、そんな考えはしてないわよ?」
「……残念だ。そんなに興味を持ってもらえなくて……」
「だってアルナルド。それは、陛下が。皇帝陛下がお決めになられることじゃないかしら?」
「君には隠しごとができないね、サラ。どうしてその知性がロイズには失ってはいけないものだと理解できなかったのか。僕にはいまだに信じられないよ」

 ロイズの名前で連想するのは暴力と、その記憶に塗りつけられた屈辱の記憶と、レイニーの子供を利用したという自席の念だ。
 サラは、他人にその名前を簡単に口にしないでほしかった。

「暴力を奮われた女性に、その加害者の名前を告げることは得策じゃないわよ、アルナルド。心がわしづかみにされたみたいになるから。王太子殿下には見る目がなかったの。でも、貴方にはあるんでしょう? だからこそ、陛下にも進言してくれた。私の価値はどこにあるの?」
「今はまだ……なんとも言えない、かな。君は嫌がるだろうけど、僕の妻にしたいと陛下には奏上してある。それがどう変わるかは……まだ何とも言えない」
「そう。なら仕方ないわね」

 仮面夫婦かな。
 ロイズがそう言ったのを思い出しながら、サラはアルナルドが贈ってくれた指輪を片手に嵌めた。

「いいのかい?」
「形だけ。でも、皇女殿下をお先に。それは貴方の義務だわ」
「そうだね。陛下の決めるところではあるけどね」

 アルナルドはサラの指先を見て、それがそのまま現実になればいいのにと、婚約者が聞いたら怒りそうなことを口にしながら、今日はもう帰るよと言い、船室を後にしたのだった。

しおりを挟む
感想 99

あなたにおすすめの小説

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

完結 殿下、婚姻前から愛人ですか? 

ヴァンドール
恋愛
婚姻前から愛人のいる王子に嫁げと王命が降る、執務は全て私達皆んなに押し付け、王子は今日も愛人と観劇ですか? どうぞお好きに。

王妃さまは断罪劇に異議を唱える

土岐ゆうば(金湯叶)
恋愛
パーティー会場の中心で王太子クロードが婚約者のセリーヌに婚約破棄を突きつける。彼の側には愛らしい娘のアンナがいた。 そんな茶番劇のような場面を見て、王妃クラウディアは待ったをかける。 彼女が反対するのは、セリーヌとの婚約破棄ではなく、アンナとの再婚約だったーー。 王族の結婚とは。 王妃と国王の思いや、国王の愛妾や婚外子など。 王宮をとりまく複雑な関係が繰り広げられる。 ある者にとってはゲームの世界、ある者にとっては現実のお話。

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

恩知らずの婚約破棄とその顛末

みっちぇる。
恋愛
シェリスは婚約者であったジェスに婚約解消を告げられる。 それも、婚約披露宴の前日に。 さらに婚約披露宴はパートナーを変えてそのまま開催予定だという! 家族の支えもあり、婚約披露宴に招待客として参加するシェリスだが…… 好奇にさらされる彼女を助けた人は。 前後編+おまけ、執筆済みです。 【続編開始しました】 執筆しながらの更新ですので、のんびりお待ちいただけると嬉しいです。 矛盾が出たら修正するので、その時はお知らせいたします。

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

【完】婚約者に、気になる子ができたと言い渡されましたがお好きにどうぞ

さこの
恋愛
 私の婚約者ユリシーズ様は、お互いの事を知らないと愛は芽生えないと言った。  そもそもあなたは私のことを何にも知らないでしょうに……。  二十話ほどのお話です。  ゆる設定の完結保証(執筆済)です( .ˬ.)" ホットランキング入りありがとうございます 2021/08/08

【完結】望んだのは、私ではなくあなたです

灰銀猫
恋愛
婚約者が中々決まらなかったジゼルは父親らに地味な者同士ちょうどいいと言われ、同じ境遇のフィルマンと学園入学前に婚約した。 それから3年。成長期を経たフィルマンは背が伸びて好青年に育ち人気者になり、順調だと思えた二人の関係が変わってしまった。フィルマンに思う相手が出来たのだ。 その令嬢は三年前に伯爵家に引き取られた庶子で、物怖じしない可憐な姿は多くの令息を虜にした。その後令嬢は第二王子と恋仲になり、王子は婚約者に解消を願い出て、二人は真実の愛と持て囃される。 この二人の騒動は政略で婚約を結んだ者たちに大きな動揺を与えた。多感な時期もあって婚約を考え直したいと思う者が続出したのだ。 フィルマンもまた一人になって考えたいと言い出し、婚約の解消を望んでいるのだと思ったジゼルは白紙を提案。フィルマンはそれに二もなく同意して二人の関係は呆気なく終わりを告げた。 それから2年。ジゼルは結婚を諦め、第三王子妃付きの文官となっていた。そんな中、仕事で隣国に行っていたフィルマンが帰って来て、復縁を申し出るが…… ご都合主義の創作物ですので、広いお心でお読みください。 他サイトでも掲載しています。

処理中です...