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第五章
覚醒
しおりを挟むその時、アイリスには分かっていることが一つだけあった。
まぎれもない真実。
それは簡単で、人間の力ではどうしようもないもの。
この熊の魔獣に勝つことはできない。
ただそれだけだった。
「あーあ、ノロイんだから。まるで本物の熊みたいだわ。鈍重で、使えない。そんな攻撃で本当に私に敵う気でいるの、貴方?」
風の魔法でわざと言葉を熊の耳元へと運んでやる。
あの巨体ならサービス要らずで何もかも聞いているかもしれない。
でもなんとなく、意地悪をしてみたかった。
「ねえ、熊さん? 数いた水晶族の英雄をほふってきたっていう割には、つまらない攻撃しかしてこないじゃない。その足元の結界すら破れないでどうするのよー??」
アイリスは彼が爪で打ち出してくる真空の刃を避けることを自動で行えるように、精霊たちに任せていた。
回避し、時には防御し、時にはそれ以上の力で刃を粉々に打ち砕いてやる。
しかしそれは止むところを知らず、足度めされてやっているかのように、熊は一歩進み、半歩後退しては円形の結界の中をジリジリと進もうともせずに後ろ足だけで人間のように立ち、まさしく戦闘ポーズを取っていた。
そのアイリス程度なら軽くかみ砕けるような牙もやってこないし、ましては鼻先すら突き付けてこない。
「ふーん……やっぱり、魔獣は魔獣で魔法攻撃に特化するのかー」
あの背中。
赤色の気が逆立ち、奇妙な紫色の黒い何かをもやもやと浮きだたせている。
最初は熊の身体から発する熱気かとも思ったが、どうやら違うらしい。
それは尾を伝い、後足を伝って地上へと降りて来ては、そこからうごかないまるで黒い霞のようになって沈殿しているのだ。
「爆風でも飛ばない。燃える気配すらもない。あんな威力の火焔でも天空にすら吹きあがらない……。どうやら、広範囲に爆風なんかを飛ばすような結界の編み方だし……」
どうしようから?
その思いが先に立った。
さすがにサティナ様に助けてとは言いたくないけど、こっちはたったの一人だ。
人間の軍勢なら、数百人は犠牲にできているあの魔力ですらも、彼は――クマは無風と来ている。
「やっぱり、人間の器では無理があるのかしら? 聖女様や勇者様なら、無尽蔵のお力だから軽くあしらえたのかな?」
ふと、サティナの姪に当たる炎の女神カーラの聖女タチアナが、北の魔王に撲殺された話を思い出してアイリスは身震いした。
魔王とはそれほどまでに恐ろしい相手らしい。
そんな相手が、あの山を――北の山岳地帯を越えた向こうにいるとは……想像だにしたくなかった。
「まあ、ここは女神様に一任しようかしらね……」
あとやることは一つだけ。
バルッサム――熊の仕掛けた魔法陣がそろそろ発動するのを見届けると、アイリスは館のどこかで見えないようにしているのか、それとも見ているけどこちらには見えないだけなのか。
バルッサムの足元に一つだけまだ残っていた、ケイトを転移させた結界を利用して――あろうことか、 頼りない主たる炎の女神サティナを魔獣の足元に転送したのだった。
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