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第八章
殿下と婚約……
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「新しい侍女の当てがあるなんて話自体、信じられないわ。昨日まではそんな素振りすら見せなかったじゃない」
「……うっ、それは……」
「わたしとヴィクターの結婚を応援するとか言いながら、その裏ではどんな奇行を思いついたのか」
是非、聞かせて欲しいわ。
そう続けるとケイトは黒い瞳でアイリスをじっと咎めるように見つめる。
夜が始まるにはまだ早い時刻。
夕暮れのオレンジ色の光と、学院の時計塔の鳴らす夕刻の鐘と、ケイトが不機嫌なときに刻む足の裏のタップが同時にアイリスの耳に入って来た。
「奇行なんてそんな言い方ないでしょ。まるで私が頭の足りない女みたいじゃない」
「見たいじゃなくて、その通りよ。バカな主を持つと本当に苦労するわ」
ほぼ同じ目線、亜麻色の髪が窓から差し込んだ夕陽に染められて金色のように輝き、ふわりと秋の小麦を収穫したときのような少し甘い香りが鼻孔をくすぐる。ケイトは本気で怒っていて返事次第では自分から侍女を辞めそうな勢いだ。
しかし、ここで多くを語ればあの時と同じことになる。
サティナの御前。
聖騎士と女神と自分とケイトと――あの場所でケイトはサティナすらも思いつかなかった解決法を提案した。
あの水屋ではこちらから帝国側へと転送しなければ、彼女はアイリスを死なせるよりも自分が死を選んで消えて行っただろう。
「私は貴女のことを思って――」
「はあ? 思って何? 不名誉なことでもそれが主の為なら何でもするけど。抱かれてこいと言われたら、あなたの恋人にだって抱かれてもいいわよ? いまそれが必要なら! でも……そうは思えない」
「そんなバカなこと命じるはずがないじゃない」
「……同じくらい愚かな命令を下そうとしてるって自覚あるの、お嬢様?」
最後は大事な主人のために散る。
それが従者の生き様であり、それを成すことを本人は何一つ疑わないのだ。
多分、今ここで私のために死になさい、それが侯爵家の為になるから。そう言い、短剣でも渡せばそれがアイリスの本気だと分かれば――ケイトはためらうことなく短剣を取り、自分で心臓を突くだろう。
それがケイト・シスという女。
「あるのは、ある……けど、愚かなこととは思わない」
「ねえ、アイリス!」
「何よ」
「生まれてから今まで、私の存在意義はあなたの忠実な部下であり、親友であるために存在しているの。それを聞いても、まだ侍女を辞めろ、と。そう言うの?」
足元の距離を詰め、いい加減我慢の限界も近かったケイトはアイリスを壁際まで追いこんで返事を急かした。自分よりも赤く、髪を凛々しく夕陽に染めた侍女は片手をバンッと壁に叩きつけた。
「こ、怖いから……ね?」
「返事、下さいな。御主人様」
「真顔で迫らないで……」
「いい加減、面倒くさいのよ! 理由は!?」
限界だ。アイリスの心がそう告げ、警鐘を鳴らしていた。
これ以上のらりくらりと誤魔化したら、侍女の限界は近い。そして、自分も無事ではいられない。
侍女は父親にクビだと言われましたと申し出るだろう。それはいろいろな意味でまずかった。
「で……」
「で?」
「殿下に……婚約破棄をしたい、のよ……」
「……は?」
数舜の沈黙が流れる。
それはアイリスが知る限り、人生で二番目くらいには気まずい沈黙だった。
「……うっ、それは……」
「わたしとヴィクターの結婚を応援するとか言いながら、その裏ではどんな奇行を思いついたのか」
是非、聞かせて欲しいわ。
そう続けるとケイトは黒い瞳でアイリスをじっと咎めるように見つめる。
夜が始まるにはまだ早い時刻。
夕暮れのオレンジ色の光と、学院の時計塔の鳴らす夕刻の鐘と、ケイトが不機嫌なときに刻む足の裏のタップが同時にアイリスの耳に入って来た。
「奇行なんてそんな言い方ないでしょ。まるで私が頭の足りない女みたいじゃない」
「見たいじゃなくて、その通りよ。バカな主を持つと本当に苦労するわ」
ほぼ同じ目線、亜麻色の髪が窓から差し込んだ夕陽に染められて金色のように輝き、ふわりと秋の小麦を収穫したときのような少し甘い香りが鼻孔をくすぐる。ケイトは本気で怒っていて返事次第では自分から侍女を辞めそうな勢いだ。
しかし、ここで多くを語ればあの時と同じことになる。
サティナの御前。
聖騎士と女神と自分とケイトと――あの場所でケイトはサティナすらも思いつかなかった解決法を提案した。
あの水屋ではこちらから帝国側へと転送しなければ、彼女はアイリスを死なせるよりも自分が死を選んで消えて行っただろう。
「私は貴女のことを思って――」
「はあ? 思って何? 不名誉なことでもそれが主の為なら何でもするけど。抱かれてこいと言われたら、あなたの恋人にだって抱かれてもいいわよ? いまそれが必要なら! でも……そうは思えない」
「そんなバカなこと命じるはずがないじゃない」
「……同じくらい愚かな命令を下そうとしてるって自覚あるの、お嬢様?」
最後は大事な主人のために散る。
それが従者の生き様であり、それを成すことを本人は何一つ疑わないのだ。
多分、今ここで私のために死になさい、それが侯爵家の為になるから。そう言い、短剣でも渡せばそれがアイリスの本気だと分かれば――ケイトはためらうことなく短剣を取り、自分で心臓を突くだろう。
それがケイト・シスという女。
「あるのは、ある……けど、愚かなこととは思わない」
「ねえ、アイリス!」
「何よ」
「生まれてから今まで、私の存在意義はあなたの忠実な部下であり、親友であるために存在しているの。それを聞いても、まだ侍女を辞めろ、と。そう言うの?」
足元の距離を詰め、いい加減我慢の限界も近かったケイトはアイリスを壁際まで追いこんで返事を急かした。自分よりも赤く、髪を凛々しく夕陽に染めた侍女は片手をバンッと壁に叩きつけた。
「こ、怖いから……ね?」
「返事、下さいな。御主人様」
「真顔で迫らないで……」
「いい加減、面倒くさいのよ! 理由は!?」
限界だ。アイリスの心がそう告げ、警鐘を鳴らしていた。
これ以上のらりくらりと誤魔化したら、侍女の限界は近い。そして、自分も無事ではいられない。
侍女は父親にクビだと言われましたと申し出るだろう。それはいろいろな意味でまずかった。
「で……」
「で?」
「殿下に……婚約破棄をしたい、のよ……」
「……は?」
数舜の沈黙が流れる。
それはアイリスが知る限り、人生で二番目くらいには気まずい沈黙だった。
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