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しおりを挟むしばらくすると、ドアがノックされた。
ソファーからはよく見えなかったが、サキさんはすたすた入り口に向かい、ドアの下にしゃがみこみ、何かを拾ってライティングデスクに戻った。
たぶん、SDカードだ。
レナはそう、理解した。パソコンのスロットに、それが差し込まれたからだ。短い操作があり、サキさんは、再びそれを抜いた。パソコンが、閉じられた。
「さあ、そろそろ、行くぞ。なんだ、お前は。そんな恰好でまったく・・・。素っ裸でどうするつもりなんだ。恥ずかしいと思わんのか。早く服着ろ!」
「ええっ?」
なにそれ。もう帰るの?
じゃあ、さっきのチューは? このシチュエーションで? このスイートルームはあ?・・・。
これからこの豪奢な、素晴らしい部屋で存分に抱いて、かわいがってもらえるとばかり思い込んでいたレナは、また、開いた口が塞がらないまま、その甘美な妄想を心の中に仕舞い込むしかなかった。
どう考えても、免許の偽造の方がハンザイでしょう。ただ単にSDカードをドアの下から受け取っただけ。その行為のどこが・・・。
誰でもそう思う。
何なんだ、この人は。
ホテルをチェックアウトする時、サキさんは新聞を一部買った。
無言でペイヴメントを歩くサキさんの後ろをトボトボ歩きながら、レナは困惑を抑えきれずにいた。
だって・・・。
いたいけな女子高生が、好きな人に高級ホテルのスイートルームに連れ込まれたんだよ。甘いキスまでしてくれたんだよ。素敵な、ゴージャスな夜を期待して、何が悪いの?
買い物というには、あまりにも重く、デートというには、あまりにもスリリング過ぎ、プレイというには、あまりにも呆気なく、即物的で、つまらな過ぎる・・・。
近くのカスケードのある公園に向かった。梅雨の晴れ間。周りはアベックや親子連れやサラリーマンの二人連れが、薄着で陽光を楽しんでいた。
空いたベンチを見つけて二人で座った。
「なあ、レナ」
それまで黙っていたサキさんが、口を開いた。
「なんですか」
「来るときの新幹線でお前が食ってたお菓子の残り、全部捨てちゃった? なんか、残ってないか」
「お腹空いたんですか」
「うん」
なんか、カワイイ・・・。
「・・・グミなら、少し」
レナはポーチを開き、中から二つ三つの小さなパッケージを取り出して掌に載せた。
「これだけ? あと、みんな捨てちゃったの?」
「だって・・・。サキさん、食べなかったじゃないですか!」
「あんだけあったのに? ・・・勿体ないことしやがって。人のカネだと思ってバカすか買い込みやがって、まったく・・・。あのな、今に、お菓子のお化けが出るぞ」
そう言って一つを摘まみ上げ、包装を破き、口に入れた。
「仕方ないから、半分こしよう」
サキさんはグミをくわえたまま、レナの口元に持ってきてくれた。口に入れられたグミをサキさんの舌ごと唇で摘み、グミを戻したり受け取ったりしながら、グミとサキさんの舌と唇とを堪能した。
いじわる・・・。
頬をつねってしまいたくなる。
最後に前歯で切って、半分に分け、飲み込んだ。サキさんは、ニコニコ笑っている。
なんだか、楽しかった。やっと、デートみたいになってきた。
「サキさん」
レナは、モジモジしながら、呼びかけた。
「ん?」
「わたしって、サキさんの一番の女?」
彼はそれには答えなかった。
「さあ、そろそろ、行くか」
「え?、もう?」
なにそれ。
誰だって、そう思う。
「いいから。行くぞ、ほら」
促されて立ち上がった。数歩歩いてから、
「あ、新聞・・・」
「見るな!」
サキさんは低い声でレナを制し、腕をギュッと掴んだ。
「そのまま歩け。絶対に後ろ、見るな」
園路を左に折れて公園を出る時、さっきすれ違ったサラリーマンの二人連れがレナ達が座っていたベンチから立ち上がって去ってゆくのが見えた。二人のうちの紺のスーツの男のジャケット、そのポケットに新聞が入っていたのが遠目でもわかった。
サキさんは車道に向かって手を挙げた。すぐにタクシーが寄って来た。
「もう一か所寄って、それから帰ろう」
最後に寄ったのは建設会社の資材置き場だった。
誰もいないその資材置き場で、彼はケースからパソコンを取り出し、二つに折り、地面の上に置いた。それから、勝手知ったように片隅に停めてあったロードローラーのエンジンをかけ、パソコンの上に乗り上げ、何度も往復して粉々に粉砕した。そしてその残骸をある程度搔き集めると、重機から取ったガソリンを撒いて火をつけた。
黒々とした黒煙が、風のない梅雨空に立ち昇って行った。
それから新幹線のプラットフォームに上がるまでの間、ずっと黙っていた彼は、ふいに、やっと、口を開いた。
「もしかすると僕は、お前を破滅させてしまうかもしれないな」
こだまのグリーン車に乗った。
のぞみのは、混んでいるから。彼がそう言ったからだ。
レナも喜んだ。
のぞみなら、たった一時間と少しで着いてしまうから。
今日はほぼ丸一日、サキさんと一緒だった。こんなに長い時間一緒に居れたのは初めてだ。少しでも長く、その記録を伸ばしたかった。その余韻を、少しでも長く、楽しみたかった。
少しでも長く、彼と過ごしたかった。
レナは、サキさんから、もういらないからやる、と言われて貰った、空のパソコンのケースに一杯詰まったお菓子を食べながら、幸せを満喫していた。
サキさんは、無言で窓外の夕暮れに流れ去る景色を見ていた。
話しかけ辛かった。三十分ぐらいは、我慢した。でも、限界は、きた。
「・・・話しかけても、いいですか」
レナは、一分ぐらいは待った。諦めて、独白しようかと思って口を開きかけた時、
「あの連中は、ヤクザじゃないよ」
ぼそぼそ。呟くように彼は言った。
やっぱり・・・。
サキさんには、何もかもお見通しだったんだっけ。
あのSMショップに来ていた中年の男たち。それから、ホテルのドアの向こうからSDカードを挿し入れた人物。そして、公園でサキさんの新聞を持って行った二人連れのスーツの男・・・。
レナは、今日遭遇した見知らぬ男たちの事を、知りたくてモジモジしていた。そんなことは、お見通しだったのだ、ということだ。
「レナ。ヤクザが、何故人から恐れられるか。わかるか」
グリーン車にはレナ達の他は五六列離れた席におじいさんが一人だけだった。
「昔のヤクザは、情報を握っていた。だから、恐れられた。誰でも、知らないという恐怖には耐えがたい。
だけど、今は誰でも情報を持っている。持つことが出来る。今のヤクザはもう、人を恐れさせるストーリーを描けなくなってしまったんだ。たから、彼らは、力を失った。
あの店にいた奴らは、ある意味、ヤクザより怖い連中だ。もし、僕やお前が彼らの障害になると判断されたら、ある程度時間はかかるかもしれないけど、彼らは僕たちを消すだろう。社会的に、医学的に、もしかすると、物理的に、しかも、合法的に、ね。彼らには、それが出来るんだ」
レナはまた、ごくりと唾をのんだ。ジュースに手を伸ばした。
「でも、恐れる必要はない。彼らには弱点があるからだ」
「弱点?」
「彼らは、人々から嫌われると、力を失う。だから、スキャンダルに弱い。情報を無限に操ることが出来るけど、情報によって滅ぼされる弱点を抱えてる。だから、あんな秘密クラブみたいなところでしか、自分の欲望を満足できないんだ」
サキさんは穏やかに微笑んだ。
「その点、僕の方が彼らより強い。何故か、わかるかい」
列車が駅に停まる度に、何人かが降り、また何人かが乗り込む。フォームで待つ人、歩いて階段に消えて行く人々をまた見送り、彼は話し続けた。
「僕の仕事はね、ある意味、さっきのあの連中よりもはるかに強大な存在の下僕なんだ。あの連中には弱点がある。だけど、僕が仕えている存在には、それがない。誰も彼を攻撃できないし、貶められない。この世の中のほとんどすべてが、彼の手中にある。
信じられるか。そんな存在が現実に、あるんだ。テレビやゲームの中で探さなくとも、それは存在するんだ。人は、彼に操られ、手の平の上で生まれ、生き、死んでゆく。あたかも、神のような存在。僕やお前を簡単に抹殺することも出来るし、今日の僕みたいに湯水のように金を使って王様のように振舞わせることも、彼の力をもってすれば、小指の先のちりを吹いて飛ばすより易しいことなんだ。
僕はその彼の下僕として働いてる。ホテルのドアをノックしたのも、公園のベンチから新聞を持って行ったのも、僕と同じ、彼の下僕なのさ。彼らも僕と同じで、ヤクザじゃない。むしろ、ヤクザより、怖いよ。
彼らは命令次第で、簡単に僕やお前をこの世から消す。今のヤクザの下っ端は、そこまでのことは出来ない。だから、あのSMショップの中のこと以外、今日見たことは、全て忘れた方がいい。
だけど、その代償として僕は、普通のサラリーマンが十人束になって一生働いても稼げないような、莫大な報酬を得ている。そのせいで、不自由な思いをすることもあるけどね」
「例えば?」とレナは訊いた。
「僕は日本の外に出られない。」
「どうしてですか」
「そういう契約だから。物理的にも、法的にも。それに、家族を持つことも出来ない」
それはとても気になる言葉だ。
「どうしてですか」
「僕の仕事はある角度から見れば、とても危険だ。いつどこでどうなるか、わからない。それに・・・」
レナは彼を見つめ、物語の続きを促した。
「それに、あの店でお前が何度もイカされて恍惚させられたり、お前の苦しむ様子を見て興奮するような男が、まともな家庭を持てるわけがないし、持っちゃいけない。
僕の一番の強みは、愛するものを所有せず、自分が消されることを、何とも思ってないってことだ。だから、僕には、怖いものがない。
今日、お前は僕の仕事の役に立ってくれた」
「え?」
ただ、イヤらしいお店に連れて行かれて、死ぬほどイカされただけなのに・・・。
「詳しくは説明できないが、僕と恋人のように行動して変態的な行為を共にした。隠れSMクラブで遊んだり、公衆の面前でディープキスしたりね。それが僕にはとても、役に立ったのさ。でも、それは同時に、とても危険なことだったんだ。
そして僕は、もうこれ以上、お前を危険な目に遭わせたくない。そして何よりも僕は、いつか自分の快楽のために、お前を破滅させてしまうかもしれない。殺してしまうかもしれない」
頭が言葉を受け入れるのを拒否していた。
頭というよりも、身体が、股間が、性器が。どうしようもなく、彼を、サキさんを、欲している。
別れるなんて、不可能だ。
「もう、これ以上、僕と関係しない方が、お前のためだ。僕は、お前を、愛してしまったんだ。だから・・・、もう、一緒に居ない方が、いい」
じゃあなんで・・・。
あんな、専用のプレイルームまでくれたのに。自分のために、あんな高額な買い物までして。だったら、そもそも、なんで、ここまでのことを・・・。
彼の言っていることも、やっていることも、支離滅裂で、訳が分からない。
でも、確かなことが、一つだけある。
「サキさん」
と、レナは、その端正な横顔に呼びかけた。
「触って、いいですか」
レナの手が、パンツの上から、サキさんの股間に触れた。
「はしたなくて、ゴメンなさい。でも・・・。ちょっと前までは、わたしも、普通の女子高生だったんですよね。それを・・・、ここまでされて。こんな、女にされちゃって・・・。それは、今さら、無理ですよ。酷いですよ、サキさん・・・」
サキさんは、ジャケットを脱いで、腹の上に被せた。レナの手がジャケットの下で蠢き、パンツのジッパーを下げ、彼のペニスを取り出し、撫で擦り始めた。
「いいですよ、ハメツしても」
レナとサキさんは、二人で前を、進行方向を向いていた。
だがもう、目を合わさなくとも、視線を交わさなくとも。お互いに、相手の心の底がわかるような気がした。
「わたし、サキさんと一緒なら、ハメツしてもいいです。ハメツ、させられてもいいです。
サキさんのお話は聞きました。 今度は、わたしの番です」
応援ありがとうございます!
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