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49 夫の実家とゴッド・マザー

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 スミレさんからのLINEは、「また遊ぼう」というお誘いだった。「遊び」は、「プレイ」であるわけだが。

 だが、このお腹のトオルの子を無事出産するまでは、お預けだ。その辺り、レナはハッキリしていた。あたしも会いたいけど、ガマンするね。そう打って送った。

 娘は、車に乗せるとすぐ眠る。夏の暑い日差しがかからないように、窓の日除けをずらしてやる。そして、車をスタートさせた。


 

 蝉の声がうるさいぐらいだ。

 十五分ほどで工場に着く。「コウジョウ」ではなく「コウバ」だ。丸鋸や自動カンナの音が山々にこだましている。敷地は、広い。事務所前の駐車場には十数台ほどの車が並ぶ。みんな、従業員のだ。

 平屋の事務所前に車を停め、娘をカートに移し替える。

 事務所の隣が工場。その奥が工場より大きい屋根と壁だけの乾燥所。製材した木は四五年雨ざらしにして脂を抜き、さらにここでニ三年水分を抜く。材料の木は工場の周りに無限にあるが、そこから製品になるまでは、十年くらい時間がかかる。

 最初にそれを聞いた時、サキさんが囚われていた時間と同じだ、と思った。

 バッグとランチボックスを肩に下げて、冷房の良く効いた事務所に入る。

「レナ。どしたの?」

 ミチコさんがパソコンから顔を上げる。眼鏡をかけているとそれなりだが、外すと童顔の愛らしい顔になる。背丈も低く、去年初めて会ったときは年下かと思ったくらいだ。しかし、実際にはレナより一回りも年上で、工場の制服を着ているとあまり目立たないが、胸もお尻も大きい、いわゆる、グラマー体型の人だ。

 レナは黙ってランチボックスを示し、ミチコさんの隣のトオルの机に置く。

「今、街に行ってる。納品で。・・・よく忘れるねえ、あいつ」

「ホントに。そのたんびに、だもん。あたしが気をつければいいんだけど・・・」

「子供面倒見ながら、そのお腹だもん。しょうがないよ。トオルがもっとしっかりするべきだよ。ま、アニキよりは弟のほうが全然マシだけどね」

 義母は去年の暮れから市内の病院に入院している。持病の糖尿病が悪化していろいろ併発してしまったのだ。

「元気?」

 レナではなく、娘とお腹の子供の事だ。

 ミチコさんは席を立ってカートを覗き込んだ。

「どっちも、順調です」とレナは答える。

「賢そうな、いい目してるよね」

 娘は両方のもみじをにぎにぎしながら、じっと伯母を見上げている。

 ミチコさんは身重のレナを気遣い、椅子を勧めてくれる。レナがお腹を抱えて大儀そうに腰掛けると、いつものように、こう言った。

「頼むね、レナ。しっかり育てるんだよ。この子は、この家の大事な未来だから」


 

 去年門松が取れてすぐ、初めてここへあいさつに来たときのことを思い出す。

 温暖化とやらで例年より少ないとはいいつつ、慣れない雪道を何度もスリップしながら、やっとこの工場に辿り着いた。トオルの運転も怖かったが、何よりも、義父母に会うのが憂鬱だった。それにしつこく、

「いいか。くれぐれもオヤジとアニキには気をつけろ」と言われていたのもあった。

 どんな嫌味を言われるのか。レナは警戒心の塊になっていた。

 恐々と跨いだ敷居の奥は、実は、望外に温かいものだった。先に工場を訪ねたら、母屋に案内された。

 典型的な、昔の田舎の日本家屋。大きな庭。南に面した玄関と濡縁。軒の下には、干し柿が吊るされ、気の強そうな柴犬が雪の中ノーリードで駆け回りながら吼えていた。

「やあ。来たね」

 白い息を吐き、長靴を履いてほっぺを真っ赤にしながら、わざわざ庭まで出て出迎えてくれたのがミチコさんだった。

「義姉さん、御無沙汰」

「あんた、またデカくなったねえ」

 柴犬はレナの周りをぐるぐる回りながら吼えていたが、レナが腰をかがめて彼を見据えると吠えるのをやめ、にらめっこを始めた。

「こんにちは。おいで」

 レナが手を広げた。

 彼はうーっと唸りながらもクンクン匂いを嗅ぎだし、レナの尻の匂いのチェックを終わるとはっはっと言いながらしっぽを振りはじめ、やがて、レナの腕の中に納まった。

「合格」

 と、ミチコさんは言った。

 トオルの両親は、豪勢な御馳走で埋まったコタツでレナ達を出迎えてくれた。

 終始好々爺然に陽気に場を盛り上げようと気遣ってくれる義父と対照的に、義母には温度差を感じた。覚悟はしていたが、やはりちょっと、キツかった。ミチコさんはその間、ひっきりなしに台所とコタツの間を往復し、席の温まるところがなかった。レナも何か手伝いでもと腰を浮かしかけたところ、

「あんたは大事な体だから」

 と、義母に制された。

 それを機に、ちょっと工場を見て来るからと義父が座を外した。

「トオル。あんたもお父さんとコウバ行きな。ミチコ。ちょっとおいで」

「はい」

 じゃな。すぐ戻る。そう言い置いて、トオルは席を外した。ちょっと、心細くなった。

「この家のことを、あんたに話しておくわね」

 ミチコさんがコタツに膝を入れると義母は静かに語り始めた。

「工場の社長は旦那。専務はトオルの兄。いずれ、あの子が社長になるけど、それは表向き」

 ゴッドマザー。そんな感じがして、少々、ビビった。

「でも、実際にこの家を仕切って来たのは、わたし。あんたと同じ、外から嫁いできた女なのよ。そして今、本当にこの家を仕切っているのは、ここにいる、ミチコなの。この子も同じ。外から嫁いできてこの家の嫁になった」

 ミチコさんは不敵な笑みを浮かべてレナを見つめた。

 

 トオルと義兄と義父が工場から帰って来て賑やかな宴会になった。

「大丈夫か」

 トオルは心配そうにレナを気遣ってくれたが、正直、先刻の話が重すぎて気疲れしていた。宴が熟し、男衆が腹を寛げ始めるとミチコさんが空いた食器をトレーに重ねはじめた。彼女が席を立ったのを追いかけ、台所へ行った。義母は早々に自分の部屋に引き上げていた。

「平気?」とミチコさんは言った。

 レナはトレーの食器をシンクに沈めるのを手伝った。

「はい」

「ビックリしたでしょ」

 ミチコさんは義母の話を聞いて硬直していたレナを気にしてくれていた。

 当初、義父も義兄も、トオルが、両親を無くしたも同然の、しかも誰とも知れぬ男の子を孕んだ娘を娶ることに難色を示した。しかし、それを諫めて承服させたのが他ならぬ義母であったというのが意外過ぎて、まだドキドキが治まっていなかった。

「トオルが選んだ娘なら間違いない。お腹の子が誰の子であっても、この家で育てばこの家の子」

 義母はそう言って話を終わらせてしまったという。

「昔からなんだって。この家の家訓っていうか、シキタリ? 外向きは男。その実は嫁っていうのがね。あたしも最初は半信半疑だったけど、ずっとお義母さん見て来て、去年、これからこの家はあんたが仕切りなさいって、そう言われてからやっと理解できたぐらいだもんね」

 義父が酔いつぶれて部屋に引き上げると、宴はお開きになった。

「トオル。母屋は寒いから離れで寝ろよ」

 だいぶ出来上がり、顔を真っ赤にした義兄がそう言うと、ミチコさんは、

「あたし、今夜はレナと一緒に母屋で寝るから。あんたはトオルだけ連れてって」

 床を並べて、ミチコさんはさらにいろいろなことを教えてくれた。

 この家の嫁は確実に孕めると証明された女だけがなると。

「実はね、あたし、バツイチなの。子供も二人いた。どっちも取られちゃったんだけどね・・・。今年小学生になる女の子と、年中の男の子」

「ミチコさん・・・」

「どうしてかは、聞かないでね。なんとなく、わかるでしょ。。会いたいなあって、思わない日はないんだけど、自分から会う資格、捨てちゃったんだ。

 お義母さんに拾ってもらったようなものなんだ、あたし。だから、お義母さんには感謝してる。今はこの家を守るのがあたしの務めなの。だから、あんたも気にしなくていいんだよ。元気な子を産んでくれれば、それでいいからね」

 要するに、この家の男は女を作って連れて来るのが仕事。連れてこられた女はこの家を守り盛り立ててゆくのが仕事。そういうことなのだとレナは理解した。

 しかも、二人の嫁はどちらもワケあり。

 大変な家に来てしまったとは思った。しかし、見方を変えれば、これほどレナの居心地がよさそうなところは他にないのではないだろうか、とも感じた。

 義兄の生殖機能に問題があると発覚して以降、義母の関心はトオルに集中していた。だから頻繁にトオルに連絡を寄こしていたのだ。トオルが単なるマザコンでないことを知り、レナは幾分、ホッとした。


 

 結婚し、ここへ移り住み、娘を産み、育てるなかで、ずいぶんミチコさんの世話になった。母親がおらず、義母も病気がちになった中、経産婦のミチコさんの存在は、まだ十代のレナにとって大きかった。少しでも恩返しができればと、娘の首が座り、離乳食が始まった頃から少しずつ事務所や工場の手伝いをするようになった。

 取締役の肩書は合っても、工場の中では新卒のトオルは見習いだ。夫が古株やベテランたちにこっぴどく怒鳴られているのを横目で見ながら、レナも一つひとつ現場の仕事を覚えていった。

「レナちゃん。カンナがけ、教えてあげよう」

 初めて工場に入った時、真っ先に声を掛けてきたのは義兄だった。

「あっちのほうはいいんだけど、こことここがねえ」

 ミチコさんが冗談交じりに頭と胸を指して卑下する義兄だが、やはり蛙の子は蛙で、いかにも女にモテそうな優男が、台に据えた材にピシャーっとカンナを滑らせると、透けるように薄い鉋屑が流れるように出て来る。小さいころから機械いじりが好きだったレナは、純粋にこうした「技術」に魅入った。

「すごいですね」

「やってみな」

 渡されたカンナを引く。全然あの美しい屑が流れない。

「右手で胴をしっかり持って左手はこう。少し押し付けるような感じで最後まで同じスピードで・・・」

 義兄の手が触れる。レナが何も反応しないのを見ると調子に乗って作業ズボンの上から腰や尻を触り始めた。その指が尻の間を這おうとした時、

「アニキ!」

 トオルの怒鳴り声が響いた。

「なんだよ。お前の嫁に仕事教えてやってるだけじゃねえか」

 見かねた古株の職長がレナを引っ張り、研ぎ場に連れて行った。

 従業員たちは「センム」がこのように何人もの事務員や見習いの女の子たちを辞めさせていったのを見ていた。腕はいいが軟派な兄に比べ真面目な次男の嫁が毒牙にかけられるのを絶対に阻止するという、従業員たちの意気込みが伝わって来て、ちょっと嬉しかった。

 でも、レナにしてみればこの程度のことは何ともない。むしろそんなに味見したいならさせてやるぐらいに思っていた。その代り、満足させなければ許さない、とも。しかし、せっかくいい人間関係を築こうとしている最中にそれを壊すようなことはしたくはない。従業員たちの気遣いに感謝した。

 職長は、手近のカンナを玄能でコンコン叩き、刃を抜くと薄い紙に滑らせた。紙はスーッと切れて切れ端が落ちた。

「どうだ。切れ味抜群だろ」

 職長は深く刻まれた皺を綻ばせて笑うと、そのせっかくの鋭い刃を何度か砥石にかけて潰した。もう一度紙に滑らせたが、今度は全く切れず、刃の角に引っ掛けて破れた。その刃を裏返して目の粗い砥石で研ぎだした。

「片刃だからこのツラだけを角度を変えずにひたすら研ぐ。角度が変わると刃が丸くなっていつまでたっても切れる刃にはならないぞ。ある程度研げたら裏返して刃先の捲れたのを目の細かいこの砥石で研ぐ。やってみろ」

 見よう見まね。でも、根気強く、レナは刃を研いだ。

「どのくらい研げばいいですかね」

「そうだなあ。お前の手が、こうなるまでかな」

 職長は爪の中が真っ黒になった、ごつごつしたグローブのような手を翳した。そして笑いながら持ち場に戻って行った。

 その様子をミチコさんは事務所の戸口からじっと見ていた。

「レナ。それ終わったら事務所に来て。事務仕事も覚えてもらわなきゃね」

 ミチコさんは事務所の一角にサークルを作ってくれていた。娘は積み木やプラスシックの食器で機嫌よく遊んでいた。レナはパンパンに凝ってしまった腕をさすりながら娘の様子を伺った。

「あんたの娘、手の掛からない子だね」

「ありがとうございます」

「どお? 少しは研げた?」

「どうしても丸くなっちゃって・・・」

「あはは。ちゃんと研げるようになるまでには二年ぐらいはかかるかな」

 昼食をはさんで、今度はパソコンで経理や総務的な仕事を学んだ。

 その間、ミチコさんの仕事ぶりを垣間見た。義母の言葉通り、彼女はこの工場を見事に仕切っていた。社長である義父や義兄がいても、出入りの業者やバイヤーたちは彼らへのあいさつもそこそこにミチコさんと長い時間話し込んで帰って行く。エンドユーザーや世間一般にはどうであれ、従業員はもちろん、関係する全ての人々が、この工場の実質的なオーナーがミチコさんであることを認めていた。

 すごい人だ。

 レナは圧倒された。

「あんたが午前中体験したことは大事なことだよ。ウチの商品は大量生産の品に飽き足らない、本物志向の層をターゲットにしてるから。伝統は大事に守り抜いてゆく。

 でもね、それだけじゃ、このまんまじゃ、ダメなのよ。もっと何か、別な角度のチャレンジをして行かないとね。生き残っていけないかも知れない・・・」

 ミチコさんは静かな危機感をあらわにし、時にそう、呟いた。

 これはチャンスかも知れない。

 レナはスミレさんとの再会をミチコさんに話した。多少恥ずかしかったが、そこは我慢して。話すうちにスミレさんの目の色が変わって行くのを感じた。まずかったかな。レナが焦りを感じはじめていると、

「一度会ってみたいな。その、スミレさんと」とミチコさんは言った。

「専務にもお話しますか」

「絶対ダメ。あんなのの耳に入ったらうまくいくものもいかなくなる。内緒にしておいて」


 

 数日後。トオルに一日事務所の電話番と娘の子守を言いつけ、レナとミチコさんはスミレさんの店を訪ねた。

 
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