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おけいこは続く

75 イラつかせる娘

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 離陸後、転寝(うたたね)する間もなく、ポンと電子音が鳴り機内放送が入った。キャプテンだ。

(会長、お嬢様が出られました。ヘッドセットをお付けください)

 ホンダ女史がセットを用意してくれた。ありがとう、と頭に着ける。

「・・・もしもし、ばあば?」

 お嬢様と言われたのに電話口に出たのはカオルだった。サキの子供のころにそっくりなコロコロ転がるような明るい声が響いてくる。

「あけましておめでとう。カオルもそっちのばあばも、みんな、元気?」

 そっちのばあば。言うまでもなく、レナのことだ。

「うん! みんな元気だよ。昨日トオルさんにねえ餅つきしてもらったー! 美味しかった。お餅って、いろんな食べ方があるんだね。カオル、五つも食べたー。ばあばも元気ィ?」

 カオルは今年15になる。知能も学校の成績も申し分ないと聞いている。でもその割にはどこか幼さを感じる。きっと自分に甘えているのだろう。親なら厳しく躾けるところだが、カオルの親はサキだ。「マゴにトコトン甘いばあば」で居られることは幸せというものだ。

「元気よォ。みんな楽しそうだこと。ばあばも仲間に入れて欲しかったなあ」

「そっちはどう、 楽しめた?」

「たくさん泳いだからまた真っ黒になっちゃった。ばあばは今日からお仕事なのよ。カオルはどう? 勉強進んでる?」

「んー、まあまあかなあ・・・」

 タチバナは世界企業である。365日、24時間眠らない。いつも世界のどこかで動いている。すでにサガワの社長時代から、本社は欧米に合わせて毎年一月一日を仕事始めとしていた。ただし世界中にある出先はその地域の国情に合わせ柔軟な対応をしている。


 


 

 グレートブリテンの大学を卒業後、サキはタチバナへ入社した。

 スミレと違い、サキは文系ではなく理系人間だった。

 幼いころに都心のビルの屋上庭園で虫取りをして遊び、レナの木工所のある山奥でウサギやヘビやトンボやミツバチに親しんで育った娘は、そのまんま大きくなって生き物の研究を志すようになっていた。

 生物物理学? だかなんだかよくわからないが、卒業後も大学に残り、その、スミレには何が何だかサッパリな学問を、研究を続けたいと言っていた娘を、半ば無理やりのように連れ戻したのは認める。

 でも、首に縄を付けて引っ張ってきたわけではないし、命令したって素直に聞く娘でもない。

「タチバナの日本のブランチならカオルと一緒に暮らせる。カオルも、お母さんに会いたがっている。一緒に暮らしたがっている」と吹き込んだ。

 いささかズルかったかもしれないが、スミレのその一言で腰砕けになり、日本に帰って来たのはサキの意思だ。本当にやる気があれば何を言われようが全てを投げうって初志貫徹したはず。要するに、どっちつかずの中途半端な娘なのだ。

 すぐに秘書室に配属され、一年間の研修後にスミレではない、親衛隊でもない、どちらかというとスミレたちと一線を隔す日本人の役員の下に就けた。しかし、いわゆる「スパイ」としてではない。あくまでもその役員をアシストしその仕事ぶりを学ばせるためである。

「他人の家の釜の飯を食う」

 そんな言葉がある。

 父の後を襲い、名実ともにタチバナの総帥となったスミレのそばに最初から置くよりも、一度はスミレと違う、むしろスミレとは一線を隔す人物の許に置く方がいいと思った。

 スミレ自身、親の七光りでストレートにこの地位に就いたわけではない。同じ経験を娘にもさせたかった。人の上に立つ者は、様々な人の思考や思惑や内面に触れるべきだと思ったのだ。

 それからもう数年が経つ。

 サキの今のボスはアンザイという日本人の役員だった。彼は日本を含む東アジアを担当しているので今はナゴヤの本社にいる。そこでは四日が仕事始め。だからサキは今カオルと一緒にレナの家にいるのだ。

 ただし来年からはそうもいかなくなる。

 カオルは母の母校がある大英帝国のプレップに入学することが決まっているのだが、サキが、この度のカオルの渡英を機会に再び古巣の大学に帰り研究者の道に戻ることを陰でコソコソ画策しているらしいのを知った。

 なんと諦めの悪い娘だろうか、と思う。

 研究者としての旬も過ぎている。いい加減現実を見ろ、と言いたかったし、それよりも何よりも、スミレが声を大にして言いたいのは、

「いい加減子離れしなさい!」

 という一事だった。 

 どうしても研究者に戻りたいならそれもいい。好きなようにしろと。だけど、カオルには一切干渉するな! 

 そう言いたいのである。もう三十路を迎える娘に今更説教など垂れても仕方がないのはわかっているけれど。

 超の付く大金持ちであっても、悩みは市井の普通の親と全く変わらない。


 


 

 娘にイライラさせられるのは、これが初めてではない。

 常にアクティブでアグレッシブなスミレと正反対に、サキは万事受け身で慎重すぎるところがある。

 そのくせ、何故か男にモテるのだ。

 180近い大柄。日本の平均的な女性の基準からすれば大女だが、淡い褐色のグラマラスな肢体を持つサキは、セックスアピールのすこぶる旺盛なカラダをしている。中学生のころすでにスミレ以上の背丈があり、GBに行く前にはもう、今の体形になっていた。

 それでいて日本女性特有の控え目さ、奥ゆかしさやハニカミも併せ持っている。その特異なコラボレーション、ミスマッチ? がハイティーンの白人の男の子だけでなく不思議に日本人の男をも惹きつけるらしいのだ。

 いつも、いつの間にかシレっとボーイフレンドを作っていて何食わぬ顔をしている。といって真面目に結婚を考えている風はなく、スミレが知らないうちにまたいつの間にかカレシを乗り換えていたりする。

 そのくせいつもいい子ぶって密かに母親の過去の非行をネットで調べてはキビシイ目を向けてきたりするからアタマに来るのだ。まったくもって鼻持ちならない、時として無茶苦茶ムカつく娘。それが、サキだった。

 


 

「ところでカオル、お母さんは?」

「サキはねえ、なんかさっき出ていったー。もう帰って来ると思うけどね」

 カオルは母親や祖母を「サキ!」とか「レナ!」と名前で呼んだりすることがある。フツーの日本人の感覚からすれば、ちょっと変わっている。だが、サキもレナもそれを咎めたりはしていないようだった。

「じゃあねえ、戻ってきたら『ばあばが電話ちょうだいって言ってた』って、伝えてくれる?」

「うん、わかったー。レナはねえ、いま台所でお雑煮作ってるー。代わる?」

「あらいいわねー。ばあばもお雑煮食べたくなっちゃったなあ! でも、邪魔しちゃ悪いからいいわ。じゃあ、お正月を愉しんでね。あなたがUKに行く前に一度会いたいな。近いうちにそっちに行くから、レナによろしく伝えて。じゃあね」




「あんのクソ娘・・・。逃げたな」

「は?」

「ううん、なんでもないわ」


 ホンダ女史にヘッドセットを返しつつ、スミレは心の中で毒づいた。


「ホンダさん。わたしの今週の予定って、どうなってました?」

 手帳や端末を見ることもなく、ホンダ女史はスラスラと答えた。

 特に目立った用事はなさそうだ。

「サキに伝えて下さい。3時間後に電話するから必ず出るように、って」

「はい、かしこまりました」

 彼女は、ただちに機内備え付けの端末を操作した。

「今、送りました」

「ありがとう」

 スミレは窓の下に広がる青い海に目を落とした。
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