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32 理解と一発の砲弾

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 フレッチャー中将と交渉を記録していた書記がミン側の立会人のクオという男と共に退席した。

「貴家の立会人は秘密会の間本艦の士官室に待機していただく。申し訳ないが艦内の自由な通行は許可できないし不慮の事故を防ぐため彼の待機する士官室は武装兵に警護させていただく。了承されたい」

「同意する」

 ここまでの対応はレイの予想通りだった。いや、むしろ予想以上の紳士的な対応に驚いてさえいた。決して顔には出さないが、帝国はこの交渉に本気で臨んでいると思うことが出来た。

 卓上には金属製の水差しが置かれ、高価なガラスのカップが置かれていた。

「何か他にお飲み物でも。レモネードか、コーヒー、お茶でもいかがか」

 いや必要ない。そう言おうとして思い留まった。

 この帝国皇帝の名代はこのこと、つまり「一対一のさしの勝負」を予期していたのだ。そこで胸襟を開き、存分にこちらの存念を聞き出そうとしているのに違いない。それならば、望むところだと思った。

「では、レモネードを」

 彼はすぐに声を上げ、それはまるですでに用意されていたかのように水兵の手によって卓の上に供された。

「どうぞ、お召し上がりください」

 帝国の元老院議員が言った。

 レイはそのガラスのカップを取った。温かさが気持ちを解した。一口含んだ。甘酸っぱい味が口腔に広がり、解れた気持ちをさらに温めた。

「とても美味しい」

 レイは素直な感想を述べた。

「レモネードは帝国の家庭の味だと聞いた。その家ごとに味が違うと」

「ミカサ製のレモネードはお気に召されたか」

 ヤンという皇帝の名代は穏やかな微笑を浮かべた。

「気に入った」

 レイは応えた。

「時に、その腕の傷はこのミカサで負われたものだと聞きました。もうよろしいのか」

 彼はレイの右手を指して言った。

「問題はない」

「それは祝着でした」

 甘く美味な飲み物の後のせいか、まったくイヤミには聞こえなかった。素直に彼の配慮だと受け入れられた。彼は世辞を言い、あとは黙って足を組み両腕を緩やかにひじ掛けにもたせ微笑さえ湛えてレイの出方を待っている。

 なんという度量のある、しかも気遣いのできる男だろうか、と思った。チナにはいない種類の男だ。幼いころから武門一辺倒。普通の女のような色恋とは無縁の人生を歩まされてきた。レイはこの、同じ民族の血をひくであろう帝国の男の甘い攻勢に、舌を巻いた。

 この男になら、我が一族の過去と現在と未来を腹蔵なく語れると思った。

 レイはカップを置いた。そして、言った。

「まず、貴官がご懸念されるチナ本国と我が一族との関係を説明したい」

「喜んで承る」

 ヤンはわずかに身を乗り出した。重かったレイの口も滑らかに回り出した。

「貴官ご承知の通り、チナは専制国家である。国王が全ての国民と法の上に君臨する。国王の言葉は絶対であり、何人たりともそれに抗うことは許されない。

 だが、それは表向き、形式上でしかない。

 現実のチナは国王を輔弼する大臣たちの手にある。そして、大臣たちはわがミン一族をはじめとする豪族たちと時に覇を競い、時に抑えつけ、時に手を結びながら国を運営している。貴殿ご指摘の通り、我が一族はチナ本国の命によって動く。だが、時としてその命を自ら圧力をかけて動かすこともできる。そしてそれはその時々に迎える時局の状況で左右される」

「なるほど」

 とヤン議員は言った。

「チナ本国は時に貴家の意志が通り、またある時は貴家の随意にならない。そしてそれはその時点での本国と豪族たちの力のバランスで左右される、ということですな。一貫した理念や意志ではなく、その時点での大臣たちと豪族たちの間の言わば『空気』によって国政が運営されている、と」

「その通りだ」

「これは貴重な話を承った」

 皇帝の名代はさらに身を乗り出し、ひじ掛けの上の手で顎を支えた。

「現在の王はまだ8歳。幼王をいいことに国政を壟断する大臣たちが深慮もなく貴軍の戦艦を拿捕せんと試み、それを我が一族に命じた。我々はそれを阻止せんと試みたが、当時の大臣たちは他の豪族たちを糾合し、我がミンをしてその決定に従わずば終えない仕儀に追い込んだ」

 レイは話の核心に迫る扉を開けた。それは配下の者には絶対に聞かせることのできない秘中の秘だった。

「本国は我が一族の土地を取り上げ勝手に港湾設備を作り、あのような暴挙に及んだ。しかも、我が一族が確かに作戦を遂行するための担保、言わば『人質』代わりに兵2万をチナ本国に残さざるを得ないようにして。この度チナから呼び寄せたのは預けた兵を取り戻したものだ。断じて本国の増援ではない。

 繰り返すが、あの港湾設備と海軍兵力は全てチナ本国のものである。それらを秘匿できる土地がチナの直轄地にはなかったのだ。結果的に貴国の海軍によってそれらはすべて破壊され、この艦に乗り込んでいた女工作員の手によって、作戦そのものも水泡に帰した」

 レイは手首の無い右腕を撫でた。

「この度の戦役についても同じである。

 貴国が我がチナへ進撃を開始した時、大臣どもは貴国の北の攻勢に半ば自動的に主力を増援しようとした。だが、ミカサの時と違い今回は我がミンの生命線である土地がかかっている。我らはそれを諫めねばならなかった。ミカサと同じ過ちは絶対に繰り返したくなかったのだ。確かに我がミン一族はピングーに、王都に兵を率いて乗り込んだ。だがそれは正に君側の奸どもである大臣たちに圧力を掛けんがためだったのだ!

 後に貴国は南から、アルムからゾマに掛けて突然兵を降下させ、装甲部隊を進撃させてきた。結果的にではあるが、我が一族がチナ本国の主力の北上を諫めたのは正しかったことがそれで証明された」

 そして、真摯に呼びかけた。

「ヤン殿。我がチナとは、昔からそういう国なのだ。だから我が一族は、そうしたチナの支配からの脱却を望んでいるのだ!」

「それで、貴家は、貴殿はわが諜報員を通じて交渉を望まれたわけ、ですな」

 帝国の名代は深く頷き、両腕を組んだ。

「そうだ」

 レイは言った。

「確かに。貴家の置かれた状況が今貴殿が仰られた通りなら、仮に私が統領の立場でも同じ行き方をするでしょうな」

「お判りいただけて、幸いである」

 ウム、と皇帝の名代は頷いた。

 これでよい、とレイは思った。

 これまでチナと帝国は何度も干戈を交えてきた。が、仕掛けたのは常にチナの側からだった。その度に帝国はチナを押し返し、チナは領土を割譲してきた。帝国には無暗に他国にいくさを仕掛け攻め滅ぼした歴史はない。

 直感だが、仮にこの交渉が不調に終わったとしても、このことを帝国に納得させてさえいればいくさの結果がどうであれ、ミン一族としての筋道が通る、と思った。今回のいくさでチナが破れ帝国が勝ったとしてもミン一族だけが敗戦の責を負うことはないと。

「そして、もし私がミン家の統領なら、帝国の力を利用してチナの乗っ取りを図る!」

 帝国の名代は、レイの父が画策する野望の本質を突いて来た。

「・・・そうでありましょうな?」

 レイは敢えて応えなかった。応えないのが、この場合は正しい。ヤンというこの元老院議員は、相当なタフ・ネゴシエーターだ。

 レイは、この同じ民族である帝国の男にわずかに畏怖を覚えると共に急速に興味を惹かれる自分を発見した。それは未だかつて経験したことの無い、初めての感情だった。敵国の交渉役であるのにこの男との同席が心地よい。何故か顔が赤らんだ。

「貴殿の所望した秘密会の目的は達成されたであろうか? ならば、我々は会議の形を前に復し、記録を残すものにせねばならないでしょう。この交渉がお互いにとって実りあるものになれば、貴殿は貴家の統領に訓令を仰がねばならぬでしょうし、私もまた元老院で批准を受けねばならない。そのためには記録を残さねば」

「同意する」

「だが、正式な交渉に戻す前に、一つ質問をよろしいか。もしお気に召さねば捨ておいてもよろしいものであるが・・・」

 とヤン議員は言った。

「内容によってはお答えする」

 レイは応えた。

 ヤンは言った。

「帝国語というのは複雑で帝国で生まれ育った者でもこれを完璧に話すものは稀である。貴殿の帝国語は完璧だ。素晴らしい。貴殿はそれを誰から教授されたのか、宜しければ教えていただきたい」

「帝国の顕官からお褒めいただけるとは光栄だ。お答えしよう」

 レイは少し表情を崩した。

「幼いころ、一族がいくさで捕虜にした帝国兵から手ほどきを受けた。当時はそう聞いていた」

「その捕虜は今どうしているか」


 


 


 

 ヴォルフガングは風呂の好きな男だった。皆が一通り風呂を使った後、再び湯を入れ替えて浸かった。そして汗をかき、フンフンとのんびり鼻歌を歌い出した時、それは起こった。

 ドンッ、という遠い砲声を聞いたと思いきや、突然ズガーンッ、と風呂場の天井に穴が開き、屋根のせいで勢いを減殺された砲弾がゴロンと風呂場の床に転がった。

「・・・わ、わ、ウォーーーーーーーーーーッ!」

 驚いた彼は素っ裸で風呂場を出て、皆のいる居間に飛び込んだ。

「てっ、ててててて敵襲だーっ!」

 むしろ飛び込まれた兵たちの方が驚き、女性兵たちの悲鳴の方が大きかった。

「キャーーーーーーーーーッ!」

 女性兵たちは皆手で目を覆ったが、一人ビアンカだけはしっかりと指の隙間から彼の股間を凝視していた。
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