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28 木綿のハンカチーフ
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深夜、他の部屋の子たちが寝静まったのを見計らい、部屋を出ました。
すでに廊下や食堂は非常灯しか点いていませんでした。電話のところにも誰もいません。調理場に忍び込んでビニールの黒いゴミ袋を探しました。食器の並べてある棚の横にそれはありました。非常灯の灯りでハサミを探し、ビニール袋の底の真ん中と両サイドの上を切り落としました。被ってみました。即席の貫頭衣というやつができました。
ビニールの切りカスを掃除して玄関からスニーカーを取り、また食堂に行きました。
あのカギの壊れていた掃き出しのサッシ窓は、まだありがたくも壊れていました。
「しめしめ・・・」
そこをスーッと開けました。
スニーカーを地面に落とすと意外に大きな音が周囲に響き、焦りました。
意を決して食堂のフロアから降り、実際に地面に立ってみると想像以上に狭いスキマでした。でも、隣家のブロック塀にズスズス擦れるほどではありませんでした。食堂のサッシを閉めました。ここまできたら、前進あるのみです。
要はそこから三メートルほどの隣家とそのまた向こうの隣家との境まで行くだけです。多少ズリましたが、なんとか抜けることができました。生まれて初めて、巨乳でなくてよかったと思えました。
そこからは肩幅ぐらいにスキマが開いていて、寮の裏の通りに出られるのです。そこにさえ出れば、そのブロックをぐるりと回って寮の正門に出られました。でも今日はそんな危ないことはしません。裏から直接歩いていくつもりでした。どこへ?
決まっています。マスターの部屋です。
即席貫頭衣を脱ぎ、畳んでジーンズの後ろのポケットに捻じ込み、パーカーのポケットに両手を突っ込んで深夜の道を急ぎました。お巡りさんに出会わぬように祈りながら。
十分ほどでマンションに着きました。
三階の右から二つ目。見上げると、ほのぐらい灯りが見えました。帰ってる。エントランスを入りました。そして階段を登りました。
ピンポンを押すのに勇気がいりました。でも、ここまで来て帰るなんて、できません。全身の気を指先に集めて、ボタンに触れ、それを、押し、込みました。
ドアの向こうでぴんぽーん、が聞こえます。
シーン・・・。
何の反応もありませんでした。都会の喧騒が遠く聞こえました。急に心細くなりました。
もう一度押してやろうか。
そう思い、もう一度指先に気を集めていると、がちゃ、とドアが開きました。
ランニングシャツにバミューダショーツ。突き出たお腹をボリボリ掻いて眼をショボショボしているマスターが出てきました。
「・・・何時だと思ってるんだ」
「・・・ごめんなさい」
こういうときは上目遣いで見るといいと何かの雑誌に書いてあったのを思い出しました。
「もう遅いから寝ろ。じゃあな」
一瞬何が起こったのかわかりませんでした。再びバタンと閉められたドアをしばらくボーっと眺めていました。
ボー、は、長かったです。そのうちにもう一度ドアが開きました。
わたしは何故かマスターの部屋に入ることができました。
マスターは本当に寝ていたみたいでした。でも、リビングから見えるベッドは寝乱れてはおらず、そのかわりダイニングのテーブルの上にロックグラスが置かれていて氷が大豆ほどに溶けていました。それまで泊ったときには必ず使った食器やグラスは流しに片付けられていました。察するにテーブルで飲みながらうたた寝でもしていたのでしょう。マスターにしては珍しいことでした。
「・・・ったく。非常識にもほどがある」
ステレオからは低く音楽が流れていました。FMラジオの番組みたいでした。それはその年の春に発売になったばかりの歌謡曲でした。
・・・ではお聞きください。オオタヒロミで、『木綿のハンカチーフ』・・・。
「都会の絵の具に 染まらないで帰って、か。・・・いい歌だな」
マスターはグラスを取り冷蔵庫から新しい氷を掴み入れ、キッチンの椅子に腰かけました。
「突っ立てないで座れよ。・・・なんか、飲むか」
「角瓶」の愛称で知られるウィスキーのキャップを取り、グラスに注ぎました。それを横取りして、グイッと一気にあおり、ゲホゲホ、むせました。
マスターはわたしの背中をトントン叩き、擦ってくれました。
「バカ野郎。・・・んとにめんどくせえ女だな、お前は・・・」
恋人よ 君を忘れて 変わってく ぼくを許して
毎日 愉快に過ごす街角・・・ ぼくは ぼくは帰れない・・・
歌詞を聞いていると何故か涙が出てきて困りました。どうして込み上げてきたのか、理由がわかりませんでした。たぶんこの歌詞の中の「ぼく」に自分を重ねてしまったのかもしれません。
「ヤマダシンパ」などといって浮かれていたわたしは、まるで買ってもらったばかりの自転車を調子に乗って漕ぎ続けているうちに、あまりにも家から遠く離れた場所にまで来ていることに気づき、急に怖くなってしまった子供のような心境だったのでしょう。
「ウッ、・・・、ウッ・・・」
口を抑えていないと、号泣してしまいそうでした。
急にマスターの腕が伸び、わたしを引っぱって膝の上に載せました。
「重いな、65キロ」
「64!」
「・・・ちっ、たいして変わらねえだろうがよ・・・」
そのまましばらく、彼の肩にすがっていました。その間、マスターはずっと髪を撫でていてくれました。
どのくらいそうしていたでしょうか。わたしが落ち着くと、
「なんだか知らんが、今日はもう寝ろ」
と、マスターは言いました。
「・・・ヤダ!」
「ヤダ、ってお前。もう二時だぞ」
「ヤダ!」
「・・・しょうがねえヤツだな。じゃあ、脱げよ」
わたしは即座に着ていたパーカーを脱ぎました。
「・・・あ、それ。クミコからもらったろう」
あの「お下品」なTシャツのことです。
「・・・どうしてわかるの。貰ったんじゃなくて、借りたんだけどね」
その日の朝に洗濯をして、乾いたのをまた着てきたのです。マスターに抱かれるつもりで来たので、少しでも話のネタになるかと思ったのです。多少インポ気味だから刺激が必要かと、これでもいろいろ気を遣ったのでした。
「だってこれ、オレがクミコに買ってやったヤツだから・・・」
ああ。なるほど。そういうことか。
「・・・なんだ」
ふと、可笑しさが込み上げてきました。
「アイツ、きっとお前にくれるよ、それ。お前、男も着るものも、みんなお下がりかよ。わっはっははは」
「・・・そうか。・・・ホントに、そうだね」
何故かその一言で、それまで心のそこにわだかまっていた、気に病んでいたシコリのような何かが全て吹っ切れ、すごく楽になりました。楽になったと同時に、それまでいた場所にはもう引き返せないのだなと悟り、どこか物悲しい気持ちにもなりました。
「そうだよ。わっはっははは」
マスターとお付き合いしていてタイヘンだったのは、とにかく彼を元気にすることでした。一度元気になれば死ぬほど滅茶苦茶にしてくれるのですが、そうなってくれるまでが一苦労でした。ワシオ君と付き合っていた頃はお互いのを口でするのはよほど盛り上がっていないと恥ずかしくて出来ませんでしたが、マスターとの間ではそれはごく当たり前のことになっていました。それほどまでしても彼のはなかなか元気にならず、たいていはわたしのほうが逆に口でサレて何度もそれだけでイカされてしまうのです。
「んあああっ! あ、も、ダメ、ムリやああんっ・・・んんんんんん・・・、ああっ、ちょっ、もうダメ、ゆるし、ああっ、そこ、そこああん・・・ああっ!・・・んんんんん」
「もう、いいだろ。これで満足して寝てくれよ」
わたしが絶頂の余韻でカクカクピクピクしているのに余裕綽々なのです。憎たらし過ぎて困りました。
「・・・やだ、ああん、これ、挿、入れた、いい、いんん」
「ったくよォ・・・。じゃ、自分でしてみろ。それ、見せてくれ。オレの舐めながら。そうすりゃ、勃つかもしれん」
「そん、恥ず、ああん」
「シタいんだろ? なら、努力しろよ」
「ああん・・・」
マスターはわたしのお尻を下ろしヘッドレストに背を持たせました。自分でしながら彼のをしゃぶるわたしの顔を見たいのだ、と思いました。
「しゃぶるんじゃなくて、舌だけでペロペロしてみな。そのほうが顔、エロイんだ、お前。自分でしてるか?」
「・・・してる・・・」
「は?」
「してるうんっ! ああん」
「じゃ、そこはもっと悶えて見せないと・・・」
おかしいのですが、そんなやり取りを続けていくうちに、ナガノさんのをブーツで踏んで何度もイカせた異常さが次第に薄れてきて、マスターのヘンタイさ、異常さに上塗りされていったのです。それでますます気が楽になりました。あのまま独りで悶々としていたら自己嫌悪に陥っていたかもしれません。やっぱり来てよかったと思いました。
「お、いい顔になって来たじゃないか。そうでないとな。ほら、見てみろ。カタくなってきたろ? どうしたい?」
「挿入れたいにきまってるでしょ!」
ヘッドレストのゴムのありかはもう知っていました。それを彼のに被せて向かい合わせに跨りました。
「お前、後ろからの方が感じるんじゃなかったっけ」
「いいの。これがいいの。・・・んん、ああ、・・・動くよ。おっぱい吸ってェ・・・」
「小娘のくせに、オレに命令すんのかよ・・・」
「もう、いいから黙ってて! ああん、奥ぅ・・・んん。当たるぅ・・・当たるのォ・・・ああっ! そこああん、キスして。いっぱいちゅーしてあん、きもちああん、ああ、あいく、いきそ、ああんっ! あ、いくっ!・・・んんんんんんんんんんん・・・」
彼がイクころにはもう、カーテンが明るくなっていました。
「この、クソ娘が。オレの睡眠時間奪いやがって。どうしてくれるんだ、まったく・・・」
寮の開錠前に一度戻らねばなりません。来た道を戻って秘密の抜け道を通り、まだみんなが寝静まっている寮に入りました。そうしておいて着替えをし、教科書とジャージをスポーツバッグに詰めているとおばちゃんズが玄関を開錠する音が聞こえました。
「おはようございます!」
札を外出にして堂々と玄関から出ました。
「ハヤカワさん、早いねえ。朝ごはんは?」
「パンでも買って食べます。じゃ、行って来ます」
再び自転車でマスターの部屋に戻り、冷蔵庫を開けフライパンを温めました。少しでも頑張ってくれた彼に報いてあげたかったのです。
トーストとスクランブルエッグとオニオンスープの朝食を作り、一人で食べ、まだ寝ている彼の分にナプキンをかけてベッドに行き、チュッとキスしました。だんだんにマリオのマスターがかわいいと思えるようになっていました。
「じゃ、学校行くね。ありがとね、マスター。カギ閉めてよ」
「・・・おお。気をつけてな」
授業を受け、昼にお店に行きました。タダのランチを食べるためです。それもありますが、マスターが気になったからでもあります。
「いらっしゃ・・・、いませ」
彼はカウンターの中で生あくびを噛み殺していました。
わたしは胸を張って、言いました。
「マスター、ランチちょうだい!」
彼は深いため息をついていました。
それからナガノさんとは月に二度くらいの割合で定期的に会いました。
普通のセックスもしましたが、彼はどうしてもアレをして欲しがりました。
「彼女はいないんですか」
「いるよ」
「だったら彼女にしてもらえばいいじゃないですか」
「無理だよ。こんなこと頼めないよ。絶対に嫌われる」
「そういうことをわたしにはさせるんだ・・・」
「他に誰に頼めるんだよ。ミオちゃんしかいないじゃないか」
「それってスッゴイ、失礼だと思いませんか」
「・・・わかってるよ。悪いと思ってる。でも、して欲しいんだ。その代わり何でも言うこと聞くからさ。頼むよ・・・」
ヤマダさんにはTシャツとブーツを返すついでに報告しました。
「へえ・・・。ナガノ君てそういう趣味があったんだね。オドロキ・・・」
「何でも言うこと聞くって言うんで、しばらく利用しようと思ってます」
「そう。よかったね、ファンクラブができて・・・。でもそれ、タクヤには言わない方がいいよ」
「やっぱ、そうですかね」
「・・・そうか。あんたもいろいろ『剥けた』んだね」
「・・・そうかもしれません」
「それから、そのTシャツとブーツ、あんたにあげる。よかったら、貰って」
申し上げた通り、その年の春のリーグ戦は例年通りの散々な結果に終わりました。原因は明らかでした。最後の花道を飾る四年生が積極的でなかったからです。
「ヤマダシンパ」を中心としたメンバーはそれまでの間に表参道や帝国のチームの協力を得てかなりの自信を持っていました。わたしたちに任せてくれれば優勝できるのに。上のEリーグに上がれるのに・・・。四年生以外のほとんど全員がそう思っていました。ですが、自発的にどうこうアピールするのは控えていました。ヤマダさんが黙っていたからです。いくぶんヤキモキしながらも、ヤマダさんが黙っている以上、一年生の分際で四の五の言うわけにはいきませんでした。
自分たちは何もしない。何かを変えようと模索していた下級生を無視する。練習も見ていたくせに下級生のポテンシャルの向上を認めない。試合にも出そうとはしませんでした。
「せっかくだからさ、三年生中心で一戦してみる?」
もしその一言があれば何かが変わったはずなのです。わたしたちも彼女たちを尊敬できたでしょう。何故かその年の四年生たちは意固地でした。
ですが、大人げないので追い出しコンパはちゃんとしてあげました。ただし、男子抜きで。居酒屋続きでしたが二次会もしてあげました。
そのようにして、なにか後味の悪さを感じさせながらその年の四年生たちは去っていきました。
「これで後顧の憂いなく秋に集中できるね」
その二次会の最中、三々五々にグダグダの駄弁りに入っていた席でヤマダさんはこそっとわたしに耳打ちしました。
「あのね、まだみんなには言わないで欲しいんだけど、わたし、秋が終わったら引退するから」
「ええっ!」
「シーッ! 役所の試験受けるから集中したいの。だから秋がわたしの最後の舞台になる。あとに残る三年生たちに協力してやってね。あんたが動けばほかの一年生はみんなついてくるから・・・」
そんなふうにしてまた日常が戻ってきました。
すでに廊下や食堂は非常灯しか点いていませんでした。電話のところにも誰もいません。調理場に忍び込んでビニールの黒いゴミ袋を探しました。食器の並べてある棚の横にそれはありました。非常灯の灯りでハサミを探し、ビニール袋の底の真ん中と両サイドの上を切り落としました。被ってみました。即席の貫頭衣というやつができました。
ビニールの切りカスを掃除して玄関からスニーカーを取り、また食堂に行きました。
あのカギの壊れていた掃き出しのサッシ窓は、まだありがたくも壊れていました。
「しめしめ・・・」
そこをスーッと開けました。
スニーカーを地面に落とすと意外に大きな音が周囲に響き、焦りました。
意を決して食堂のフロアから降り、実際に地面に立ってみると想像以上に狭いスキマでした。でも、隣家のブロック塀にズスズス擦れるほどではありませんでした。食堂のサッシを閉めました。ここまできたら、前進あるのみです。
要はそこから三メートルほどの隣家とそのまた向こうの隣家との境まで行くだけです。多少ズリましたが、なんとか抜けることができました。生まれて初めて、巨乳でなくてよかったと思えました。
そこからは肩幅ぐらいにスキマが開いていて、寮の裏の通りに出られるのです。そこにさえ出れば、そのブロックをぐるりと回って寮の正門に出られました。でも今日はそんな危ないことはしません。裏から直接歩いていくつもりでした。どこへ?
決まっています。マスターの部屋です。
即席貫頭衣を脱ぎ、畳んでジーンズの後ろのポケットに捻じ込み、パーカーのポケットに両手を突っ込んで深夜の道を急ぎました。お巡りさんに出会わぬように祈りながら。
十分ほどでマンションに着きました。
三階の右から二つ目。見上げると、ほのぐらい灯りが見えました。帰ってる。エントランスを入りました。そして階段を登りました。
ピンポンを押すのに勇気がいりました。でも、ここまで来て帰るなんて、できません。全身の気を指先に集めて、ボタンに触れ、それを、押し、込みました。
ドアの向こうでぴんぽーん、が聞こえます。
シーン・・・。
何の反応もありませんでした。都会の喧騒が遠く聞こえました。急に心細くなりました。
もう一度押してやろうか。
そう思い、もう一度指先に気を集めていると、がちゃ、とドアが開きました。
ランニングシャツにバミューダショーツ。突き出たお腹をボリボリ掻いて眼をショボショボしているマスターが出てきました。
「・・・何時だと思ってるんだ」
「・・・ごめんなさい」
こういうときは上目遣いで見るといいと何かの雑誌に書いてあったのを思い出しました。
「もう遅いから寝ろ。じゃあな」
一瞬何が起こったのかわかりませんでした。再びバタンと閉められたドアをしばらくボーっと眺めていました。
ボー、は、長かったです。そのうちにもう一度ドアが開きました。
わたしは何故かマスターの部屋に入ることができました。
マスターは本当に寝ていたみたいでした。でも、リビングから見えるベッドは寝乱れてはおらず、そのかわりダイニングのテーブルの上にロックグラスが置かれていて氷が大豆ほどに溶けていました。それまで泊ったときには必ず使った食器やグラスは流しに片付けられていました。察するにテーブルで飲みながらうたた寝でもしていたのでしょう。マスターにしては珍しいことでした。
「・・・ったく。非常識にもほどがある」
ステレオからは低く音楽が流れていました。FMラジオの番組みたいでした。それはその年の春に発売になったばかりの歌謡曲でした。
・・・ではお聞きください。オオタヒロミで、『木綿のハンカチーフ』・・・。
「都会の絵の具に 染まらないで帰って、か。・・・いい歌だな」
マスターはグラスを取り冷蔵庫から新しい氷を掴み入れ、キッチンの椅子に腰かけました。
「突っ立てないで座れよ。・・・なんか、飲むか」
「角瓶」の愛称で知られるウィスキーのキャップを取り、グラスに注ぎました。それを横取りして、グイッと一気にあおり、ゲホゲホ、むせました。
マスターはわたしの背中をトントン叩き、擦ってくれました。
「バカ野郎。・・・んとにめんどくせえ女だな、お前は・・・」
恋人よ 君を忘れて 変わってく ぼくを許して
毎日 愉快に過ごす街角・・・ ぼくは ぼくは帰れない・・・
歌詞を聞いていると何故か涙が出てきて困りました。どうして込み上げてきたのか、理由がわかりませんでした。たぶんこの歌詞の中の「ぼく」に自分を重ねてしまったのかもしれません。
「ヤマダシンパ」などといって浮かれていたわたしは、まるで買ってもらったばかりの自転車を調子に乗って漕ぎ続けているうちに、あまりにも家から遠く離れた場所にまで来ていることに気づき、急に怖くなってしまった子供のような心境だったのでしょう。
「ウッ、・・・、ウッ・・・」
口を抑えていないと、号泣してしまいそうでした。
急にマスターの腕が伸び、わたしを引っぱって膝の上に載せました。
「重いな、65キロ」
「64!」
「・・・ちっ、たいして変わらねえだろうがよ・・・」
そのまましばらく、彼の肩にすがっていました。その間、マスターはずっと髪を撫でていてくれました。
どのくらいそうしていたでしょうか。わたしが落ち着くと、
「なんだか知らんが、今日はもう寝ろ」
と、マスターは言いました。
「・・・ヤダ!」
「ヤダ、ってお前。もう二時だぞ」
「ヤダ!」
「・・・しょうがねえヤツだな。じゃあ、脱げよ」
わたしは即座に着ていたパーカーを脱ぎました。
「・・・あ、それ。クミコからもらったろう」
あの「お下品」なTシャツのことです。
「・・・どうしてわかるの。貰ったんじゃなくて、借りたんだけどね」
その日の朝に洗濯をして、乾いたのをまた着てきたのです。マスターに抱かれるつもりで来たので、少しでも話のネタになるかと思ったのです。多少インポ気味だから刺激が必要かと、これでもいろいろ気を遣ったのでした。
「だってこれ、オレがクミコに買ってやったヤツだから・・・」
ああ。なるほど。そういうことか。
「・・・なんだ」
ふと、可笑しさが込み上げてきました。
「アイツ、きっとお前にくれるよ、それ。お前、男も着るものも、みんなお下がりかよ。わっはっははは」
「・・・そうか。・・・ホントに、そうだね」
何故かその一言で、それまで心のそこにわだかまっていた、気に病んでいたシコリのような何かが全て吹っ切れ、すごく楽になりました。楽になったと同時に、それまでいた場所にはもう引き返せないのだなと悟り、どこか物悲しい気持ちにもなりました。
「そうだよ。わっはっははは」
マスターとお付き合いしていてタイヘンだったのは、とにかく彼を元気にすることでした。一度元気になれば死ぬほど滅茶苦茶にしてくれるのですが、そうなってくれるまでが一苦労でした。ワシオ君と付き合っていた頃はお互いのを口でするのはよほど盛り上がっていないと恥ずかしくて出来ませんでしたが、マスターとの間ではそれはごく当たり前のことになっていました。それほどまでしても彼のはなかなか元気にならず、たいていはわたしのほうが逆に口でサレて何度もそれだけでイカされてしまうのです。
「んあああっ! あ、も、ダメ、ムリやああんっ・・・んんんんんん・・・、ああっ、ちょっ、もうダメ、ゆるし、ああっ、そこ、そこああん・・・ああっ!・・・んんんんん」
「もう、いいだろ。これで満足して寝てくれよ」
わたしが絶頂の余韻でカクカクピクピクしているのに余裕綽々なのです。憎たらし過ぎて困りました。
「・・・やだ、ああん、これ、挿、入れた、いい、いんん」
「ったくよォ・・・。じゃ、自分でしてみろ。それ、見せてくれ。オレの舐めながら。そうすりゃ、勃つかもしれん」
「そん、恥ず、ああん」
「シタいんだろ? なら、努力しろよ」
「ああん・・・」
マスターはわたしのお尻を下ろしヘッドレストに背を持たせました。自分でしながら彼のをしゃぶるわたしの顔を見たいのだ、と思いました。
「しゃぶるんじゃなくて、舌だけでペロペロしてみな。そのほうが顔、エロイんだ、お前。自分でしてるか?」
「・・・してる・・・」
「は?」
「してるうんっ! ああん」
「じゃ、そこはもっと悶えて見せないと・・・」
おかしいのですが、そんなやり取りを続けていくうちに、ナガノさんのをブーツで踏んで何度もイカせた異常さが次第に薄れてきて、マスターのヘンタイさ、異常さに上塗りされていったのです。それでますます気が楽になりました。あのまま独りで悶々としていたら自己嫌悪に陥っていたかもしれません。やっぱり来てよかったと思いました。
「お、いい顔になって来たじゃないか。そうでないとな。ほら、見てみろ。カタくなってきたろ? どうしたい?」
「挿入れたいにきまってるでしょ!」
ヘッドレストのゴムのありかはもう知っていました。それを彼のに被せて向かい合わせに跨りました。
「お前、後ろからの方が感じるんじゃなかったっけ」
「いいの。これがいいの。・・・んん、ああ、・・・動くよ。おっぱい吸ってェ・・・」
「小娘のくせに、オレに命令すんのかよ・・・」
「もう、いいから黙ってて! ああん、奥ぅ・・・んん。当たるぅ・・・当たるのォ・・・ああっ! そこああん、キスして。いっぱいちゅーしてあん、きもちああん、ああ、あいく、いきそ、ああんっ! あ、いくっ!・・・んんんんんんんんんんん・・・」
彼がイクころにはもう、カーテンが明るくなっていました。
「この、クソ娘が。オレの睡眠時間奪いやがって。どうしてくれるんだ、まったく・・・」
寮の開錠前に一度戻らねばなりません。来た道を戻って秘密の抜け道を通り、まだみんなが寝静まっている寮に入りました。そうしておいて着替えをし、教科書とジャージをスポーツバッグに詰めているとおばちゃんズが玄関を開錠する音が聞こえました。
「おはようございます!」
札を外出にして堂々と玄関から出ました。
「ハヤカワさん、早いねえ。朝ごはんは?」
「パンでも買って食べます。じゃ、行って来ます」
再び自転車でマスターの部屋に戻り、冷蔵庫を開けフライパンを温めました。少しでも頑張ってくれた彼に報いてあげたかったのです。
トーストとスクランブルエッグとオニオンスープの朝食を作り、一人で食べ、まだ寝ている彼の分にナプキンをかけてベッドに行き、チュッとキスしました。だんだんにマリオのマスターがかわいいと思えるようになっていました。
「じゃ、学校行くね。ありがとね、マスター。カギ閉めてよ」
「・・・おお。気をつけてな」
授業を受け、昼にお店に行きました。タダのランチを食べるためです。それもありますが、マスターが気になったからでもあります。
「いらっしゃ・・・、いませ」
彼はカウンターの中で生あくびを噛み殺していました。
わたしは胸を張って、言いました。
「マスター、ランチちょうだい!」
彼は深いため息をついていました。
それからナガノさんとは月に二度くらいの割合で定期的に会いました。
普通のセックスもしましたが、彼はどうしてもアレをして欲しがりました。
「彼女はいないんですか」
「いるよ」
「だったら彼女にしてもらえばいいじゃないですか」
「無理だよ。こんなこと頼めないよ。絶対に嫌われる」
「そういうことをわたしにはさせるんだ・・・」
「他に誰に頼めるんだよ。ミオちゃんしかいないじゃないか」
「それってスッゴイ、失礼だと思いませんか」
「・・・わかってるよ。悪いと思ってる。でも、して欲しいんだ。その代わり何でも言うこと聞くからさ。頼むよ・・・」
ヤマダさんにはTシャツとブーツを返すついでに報告しました。
「へえ・・・。ナガノ君てそういう趣味があったんだね。オドロキ・・・」
「何でも言うこと聞くって言うんで、しばらく利用しようと思ってます」
「そう。よかったね、ファンクラブができて・・・。でもそれ、タクヤには言わない方がいいよ」
「やっぱ、そうですかね」
「・・・そうか。あんたもいろいろ『剥けた』んだね」
「・・・そうかもしれません」
「それから、そのTシャツとブーツ、あんたにあげる。よかったら、貰って」
申し上げた通り、その年の春のリーグ戦は例年通りの散々な結果に終わりました。原因は明らかでした。最後の花道を飾る四年生が積極的でなかったからです。
「ヤマダシンパ」を中心としたメンバーはそれまでの間に表参道や帝国のチームの協力を得てかなりの自信を持っていました。わたしたちに任せてくれれば優勝できるのに。上のEリーグに上がれるのに・・・。四年生以外のほとんど全員がそう思っていました。ですが、自発的にどうこうアピールするのは控えていました。ヤマダさんが黙っていたからです。いくぶんヤキモキしながらも、ヤマダさんが黙っている以上、一年生の分際で四の五の言うわけにはいきませんでした。
自分たちは何もしない。何かを変えようと模索していた下級生を無視する。練習も見ていたくせに下級生のポテンシャルの向上を認めない。試合にも出そうとはしませんでした。
「せっかくだからさ、三年生中心で一戦してみる?」
もしその一言があれば何かが変わったはずなのです。わたしたちも彼女たちを尊敬できたでしょう。何故かその年の四年生たちは意固地でした。
ですが、大人げないので追い出しコンパはちゃんとしてあげました。ただし、男子抜きで。居酒屋続きでしたが二次会もしてあげました。
そのようにして、なにか後味の悪さを感じさせながらその年の四年生たちは去っていきました。
「これで後顧の憂いなく秋に集中できるね」
その二次会の最中、三々五々にグダグダの駄弁りに入っていた席でヤマダさんはこそっとわたしに耳打ちしました。
「あのね、まだみんなには言わないで欲しいんだけど、わたし、秋が終わったら引退するから」
「ええっ!」
「シーッ! 役所の試験受けるから集中したいの。だから秋がわたしの最後の舞台になる。あとに残る三年生たちに協力してやってね。あんたが動けばほかの一年生はみんなついてくるから・・・」
そんなふうにしてまた日常が戻ってきました。
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