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ちょっとした仕返しのつもりだった
しおりを挟むそれから何度も、エクトル様は「夢みたいだ」と呟いた。第一王子が結婚してからというものの、この国で今一番女性から人気を誇っているのは間違いなくエクトル様だ。
誰もが憧れる才色兼備の王子様。そんな人が、私との婚約を「夢みたい」と言ってくれている。恥ずかしくて、どこかくすぐったくて、「大袈裟ですよ」と笑って返すだけで精一杯だった。
「……あ、そろそろ戻らないと。マリンも心配してるかも」
「そうか。もうそんな時間か。でも、屋敷に戻って大丈夫? もし嫌なら、今日は王宮に泊まってもいいんだよ」
「そんな! これ以上ご迷惑おかけできません。それに、婚約してすぐお泊りなんて、その……」
軽い女と思われるのが嫌でそう言っただけなのに、エクトル様は別の意味で捉えたのか、慌てて両手を前に出しブンブンと横に振った。
「へ、変なことをするつもりで言ったんじゃないよ! 君に嫌われるようなことはしない!」
顔を真っ赤にして言うエクトル様がかわいくて、おもわず笑ってしまう。
――うん。私、きっとこの人のことを好きになれる。否、好きになりたい。
「ふふ、わかってますよ。とりあえず、今日は帰りますね」
「ああ。名残惜しいけど、これからはたくさん会えるだろうし、今日は我慢するよ。門まで送ろう」
ベンチから立ち上がり、エクトル様は私に手を差し伸べる。手を繋いだまま庭園を歩き、マリンが待っている王宮へと向かった。もうすぐお別れの時間だ。
「あの、エクトル様」
「ん? どうかした?」
「……あの、もしよろしければ――」
私はこのときひとつだけ、エクトル様にわがままを聞いてもらうことにした。
◇◇◇
オベールの屋敷に戻ると、そこにもうネリーの姿はなかった。夜までいたらどうしようと内心気が気じゃなかったので、ほっと胸を撫で下ろす。
「思ったよりずいぶん遅かったじゃないか。心配したよ」
私が帰ってきたことに気づいたお兄様が、すぐに私の元に駆け寄って来る。
――私をひとりで外出させる状況を作ったのも、ひとりで行かせたのもお兄様なのに。今更そうやって過保護になるのはやめてほしい。私はもう、お兄様のものじゃなくなったんだから。
心配そうに私を見つめるお兄様。この人のことが、ずっと大好きでたまらなかった。お兄様の腕の中で眠りたかった。独り占めして、愛されたかった。……叶わなかったけど。
お兄様がネリーを選んだのなら、私は私で幸せになろう。きっと、お兄様のことは忘れられる。
「……別に、なんでもない。今日は疲れちゃったから、もう寝るわ」
お兄様にそれだけ行って、そのままその日は自分の部屋に閉じこもった。
明日もネリーは屋敷に来るだろう。でも大丈夫。だって、明日からは――。
次の日、朝早くからネリーはやって来た。お兄様に会う以外にやることはないのだろうか。そろそろ屋敷内がネリーの香水の匂いで充満している気がする。この媚びるような甘ったるい香りが、私は嫌いだ。
しかも、ネリーは私を見て毎回飽きもせず勝ち誇った顔をしてくるし。最初はいちいち苛立っていたが、今はもう相手にするのもアホらしい。
お兄様はお兄様で、やたらと私の近くに来てネリーとの仲を見せつけたがる。意図がわからないし、そういう行動のせいで私が窮屈な思いをするのがわからないのかしら。
こんな感じでこの数日間、ふたりには好き放題されてきたけど――それも、今日で終わりよ。
お兄様とネリーが談笑している近くで本を読んでいると、馬車が止まる音が聞こえた。ネリー以外の人が屋敷に来ることがなかったので、お兄様は突然の来客に眉をひそめている。
私は当然、誰が来たかをわかっている。読んでいた本を閉じ机の上に置くと、ちょうどマリンがやって来た。
「ミレイユ様、エクトル王子がお見えです」
「……エクトルだと?」
反応したのは私じゃなく、お兄様のほうだった。
そう、私が昨日エクトル様に言ったわがままは、私の屋敷に遊びに来てほしいということ。事情を知っているエクトル様は二つ返事で承諾してくれた。むしろ屋敷に来たかったようで、『そんなの全然わがままになってないよ』と笑われてしまったけど。
「ミレイユ、一体どういう――」
「お招きありがとう。ミレイユ」
何が何だかわかっていないお兄様の言葉をすべて聞き終える前に、エクトル様が姿を現わす。
「今日も君に会えることを、うれしく思うよ」
そう言ってエクトル様はその場に跪き、私の手の甲に軽くキスをする。――すごい。こんな王子様みたいなことする人いるんだ。いや、エクトル様は王子様なんだけど。
「あとこれはプレゼント。よかったら屋敷に飾って? 庭師に頼んで、綺麗に咲いてるのを朝から一緒に選んだんだ」
エクトル様は片脇に抱えていた花束を差し出し、私はそれを受け取った。エクトル様の髪の毛と同じ、赤色の花束だ。
「これは、アネモネですか? すごく素敵です」
「喜んでもらえてよかった。……赤いアネモネの花言葉、知ってる?」
「……知ってます。言うの、恥ずかしいですけど」
「じゃあ代わりに僕が言おう。花言葉は、〝君を愛す〟だよ」
どうしてさらりとこんなセリフが出てくるんだ。さすが乙女ゲーム出身の人物だ。こんなことされて、胸キュンしない女性はいない。すぐそばで見ていたマリンなんて、エクトル様が花言葉を言った瞬間「まぁ……!」と小さく声を漏らしていたし。
「ミレイユ、どういうことだ。なぜエクトル王子とこんなことを……!」
この一部始終を黙ったまま呆然と眺めていたお兄様が、私とエクトル様の前までやって来た。私が婚約の申し出を断ったことをお兄様は知っていたから、今の状況にさぞかし混乱していることだろう。お兄様の表情は、どこか焦ったようにも見える。
わかるわ。だって、私も同じ気持ちだったから。
でも自分は恋人を作ったのに、私には作ってほしくないなんて、お兄様は自分勝手ね。
「お兄様、私、エクトル様と婚約したの」
いつの日かと同じような光景、でも、完全に真逆の立場で。
私はお兄様に、とびきりの笑顔でそう言った。
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