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流されそうになった
しおりを挟む「だ、だめ……!」
「どうして? 俺たち、今は恋人同士なのに?」
「ごっこだもの。それにお互い婚約者がいるのに」
婚約者――自分でその言葉を口にして、先に思い浮かんだのはエクトル様でなくネリーの姿だった。
そして私の中にひとつの疑念が浮かぶ。
恋愛がわからないからなにもしてない風を装って、お兄様はネリーともうキスくらい済ませてるのかもしれない。
「……ネリーには、したの?」
「え……」
「こうやって迫って、キスしたの?」
ネリーなら喜んでお兄様の唇を受け入れるだろう。だから、私とも簡単にできると思ったんじゃ……。
なんの根拠もないただの憶測に過ぎないのに、私はこの状況をネガティブにしか捉えられなかった。
お兄様になにかされるたび、ネリーを引き合いに出してしまう自分にいい加減嫌気が差す。
「……してないよ」
そう言って顔の横にあった手が、片方だけ私の頬に添えられた。
「じゃあこれからするの? 私は遊びの練習台?」
「違う。これからもすることはない」
することはないって……婚約者なのに? 結婚式をすれば、誓いのキスだってあるのに?
でもお兄様がその場限りの適当な嘘をついているようには思わなかった。お兄様、まさか最初からネリーと結婚する気なんてなかったのか。
「……ほっとした?」
ネリーとキスはしない、と言われて、私は目に見えてわかるくらい安堵していたのだろう。お兄様は意地悪な笑みを浮かべて、私に問う。
雰囲気に流されるままこくん、と小さく頷けば、お兄様は軽く息を漏らして私のおでこに自分のおでこをくっつけた。
「ふっ……ミレイユ、かわいい」
近い。近すぎる。視界がお兄様に埋め尽くされている。
「ねえ、キスしたい――いいだろ?」
妹相手に、なんて色っぽい声でおねだりをしてくるのか。前世の私がこんなお兄様の姿を見たら、失神していたことだろう。
「だからだめ……! それにこんなとこ他の人に見られたら……!」
このままお兄様に見つめられていたら、それこそ流されてしまう気がして、私は顔を横に向けて目を瞑った。忘れていたけど、ここは屋敷の居間だ。自室のようにプライベートが守られている場所じゃない。誰がいつ入って来てもおかしくないのだ。
「大丈夫。俺は見られても気にしないし」
「だ、だめよ!なに言ってるの!」
「さっきから〝だめ〟しか言わないな」
「当たり前じゃない!」
いくら私たちが仲の良い兄妹だとしても、こんなことをしているところを見られたら使用人たちだってどう思うか。私たちはもう大人だ。男女でこんな体勢でいて、ちょっとしたじゃれ合いじゃ済まない。
「……いいから、俺のこと見てよ」
「おにい、さま……」
「このまま目を閉じてるなら、しちゃうよ?」
お兄様の吐息がかかる。今目を開けたって、お兄様が止まると思えない。
どうしよう。どうしたらいいの。私、このままだと――!
「お嬢様!」
「はっ!? はいっ!」
「い゛っ!」
玄関の方からマリンの声が聞こえ、私は勢いよくお兄様を突き飛ばした。私の腕が顎に当たったようで、お兄様は痛そうに顔を歪める。あ、ああ……お兄様の綺麗な顔に私はなんてことを……。
「エクトル王子がいらっしゃいました!」
軽快な口調で、マリンは扉をバーン! と勢いよく開ける。
私は凄まじい速さでお兄様から離れると、ワンピースについたシワを叩いて伸ばし、すぐさま居間を出た。……お兄様を残して。
玄関を出ると、門に止まっている馬車の前にエクトル様の姿があった。
すぐに駆けよれば、私を見つけたエクトル様は、ふわりと髪をなびかせながら笑顔を見せる。
「エクトル様、今日は用事があったのでは……」
「思ったより早く終わったんだ。一目でも会いたくて寄らせてもらったんだけど……迷惑だった?」
「いえそんな! うれしいです」
「……僕も。君の顔が見れてうれしい。もっとよく見せて?」
さっきお兄様にされたみたいに、エクトル様の手が私の頬に添えられる。
「あれ? 顔が少し熱いね。大丈夫? 熱でもあるんじゃ……」
「へっ!? 全然、ピンピンしてますわ!」
「そう? ならいいんだけど」
……お兄様にキスされそうになった余韻が残っているのか、体は熱を持ったままだ。エクトル様にバレないよう、私は平然を装い続ける。
「王子、そろそろ王宮に戻らなくては……」
付き人がエクトル様に、申し訳なさそうに声をかけた。
「……そうか。本当に一瞬だったな。でも会えてよかった。またすぐ会おう。ミレイユ」
「はい。楽しみにしてます」
頭を下げて、エクトル様が乗っている馬車を見送る。
――私、もう少しでエクトル様を裏切るところだった。
居間に戻ると、もうお兄様の姿はどこにもない。書庫にも姿はなく、あの謎の本も返されていないままだった。
部屋に戻ったのだろうか。エクトル様が現れたあのときに、私たちの恋人ごっこは終わりを告げたのだろう。
……お兄様って、本当に自分勝手。
そして次の日も、その次の日も、アネモネの花が廊下に飾られることはなかった。
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