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欲しいのは惚れ薬、私が飲むんです

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 出入り口のドアに付けた鈴がチリンチリンと鳴る。
 お客だね。

「こんにちは」
「はい、いらっしゃい」

 可愛らしいお嬢さんだが、随分と強張った顔だね。
 うちは王都裏町の、表向きは珍しいスパイスを扱う店だ。
 でも魔法薬屋だと知る人は知っている。
 そんな店にいいとこのお嬢様が供も連れずに来るなんざ、怪しい薬を御所望に決まっているのさ。

「奥へどうぞ」
「恐れ入ります」

 込み入った話になりそうだ。
 目立たないところの方がよかろ?

「おばばの店へようこそ。何が御入用でしたかねえ」
「あの、私このお店の評判を聞きまして……」
「そうだったかい。いい評判かえ? それとも悪い評判かえ?」
「えっ? ……悪い評判かしら?」

 思わず笑ってしまう。
 一〇代後半、おそらくは貴族の令嬢。
 性格は素直で正直、ん?

「……これは驚いた。あんた聖女の資格があるじゃないか」
「わ、わかってしまいますか?」
「これでもあたしゃ見る目があるんだよ」

 聖女とは聖属性の魔力を扱うことのできる女性の総称だよ。
 聖属性魔力を使える者はごく稀で、必ず女性と決まっている。
 瘴気を祓うことができるため、国に一人聖女がいれば他国にいい顔ができるものなのだが?

 新しい聖女が出現したなんて聞いてないね。
 大体聖女みたいな貴重な人材が一人で出歩いていいわけがない。
 どうやら羽織っているショールが、聖女の特性を覆い隠す魔道具のようだ。
 この娘が聖女であることがバレてないのはそのせいだろう。
 あたしほどの力を持っていてさえ、ここまで近付かなきゃ聖女とわからなかったんだから。

「惚れ薬が欲しいんだね?」
「はい」
「何故だい?」

 おばばの店はよく効く惚れ薬を売っているとの噂がある。
 もちろんウソっぱちさ。
 あたしにゃ予見の力はあるが、魔法薬の才能は並みだ。
 魔法薬を作れないことはないが、惚れ薬を作るほどの技量はない。

 予見の力は権力者に利用されやすいんでね。
 隠してスパイス屋魔法薬屋なんぞをやってる。
 早い話がおばばの惚れ薬はよく効く、そう信じさせるだけの力があたしにはあるってことさ。

「あんたは器量よしでしかも聖女だ。あんたに惚れない男はいないよ。惚れ薬の出番なんてないじゃないか」
「いえ、あの、私が飲むので」
「は?」

 目が点になる。
 どういうことだい?
 長いこと店やってるけど、こんなのは初めてだよ。
 水晶玉を引っ張り出してくる。

「事情を話しな。ああ、言いたくないことは構わない。言えるところだけでいい」
「は、はい。実は私は貴族でして」

 水晶玉に映るイメージを読み取る。
 この子はカリスタ・ヌートバー。
 ほう、子爵令嬢かい。

「私に縁談が持ち上がっておりまして」

 お相手がゴドリック・コールドウェル。
 何と何と、貴公子として有名な公爵令息かい。
 家格に差があるところを見ると、公爵家ではこの子が聖女だと知っているとみえるね。
 いや、王家が把握していて、年周りのいい王子がいないから昵懇のコールドウェル公爵家に振ったと考える方が正しいか。

「いいお話のようだけど?」
「お相手の親は私の両親の仇なのです」
「……」

 両親の仇?
 水晶玉で見る限り……ふうん、なるほど。

「お相手の方には元々婚約者がいらっしゃいまして。また私にも生前両親が進めていてくれました別の縁談があったんです」

 コールドウェル公爵家の貴公子の元婚約者が?
 ふむふむ、そしてこの子の別の縁談とは?
 ははあ。

「不自然で陰謀じみています。私が大人しく現在の縁談に従うのが波風を起こさないとはわかっています。が、両親の仇とあってはお相手を憎んでしまいそうで。私が惚れ薬を飲んでお相手を愛するのが一番丸く収まるのかと思います」
「ふうん、そういうことかい」

 ややこしい話だね。
 どう考えてもこの子が貴公子の連れ合いになるのがベストだよ。
 でもあたしの惚れ薬なんか効きゃしないんだよ。
 困ったね。

「……あんた、両親の仇とかお相手の元婚約者とか、そんな事情を全部取っ払った時、ゴドリック公爵令息をどう思うんだい?」
「えっ、ご、ゴドリック様がお相手とわかってしまうので?」
「おばばにはわかるんだよ。で、どうなんだい?」
「そ、それは素敵な方だと思います。本当に」

 おやおや、親の仇と言いながら、貴公子に揺らいでるんじゃないか。
 惚れ薬は必要あったのかい?

「何だい、問題ないじゃないか」
「……おばば様も私がゴドリック様に嫁ぐのがいいとお考えですか?」
「そうだね」
「……やはりそれが現実的ですか」
「現実的というか、あんたが勘違いしているところと知らないところがあるんだ。それを教えてあげよう」

 予見の力で見える部分を少し披露しよう。
 信じるか否かは別物なんだけどねえ。

「まずあんたの御両親ヌートバー子爵御夫妻が亡くなったのは事故だ。現場がコールドウェル公爵家領ではあるけど、事件性はない」
「えっ、で、でも……」
「御両親が亡くなったのは公爵のせいだと、あんたに悪意を持って伝えたやつがいる。と言われれば心当たりがあるだろう?」
「……デーモン様?」
「そう、ゴクラク商会のね」

 水晶玉から目を離さずに言う。
 デーモン・ゴクラクは、元々この子との縁談が進んでいた者だ。
 大体デーモンとこの子なんか、歳が二〇は違うだろうに。

「あんたの両親は、あんたが聖女の素質を持っていることを知って悩んだ。聖女は悲劇的な運命を歩んだ者も多いから」
「それで私が聖女であることを隠した?」
「ああ」

 貴族の子女は自宅で洗礼を行うことが多い。
 自宅で聖女と判明したのも隠せた理由の一つだね。
 洗礼を行った司祭一人を買収すればよかった。

「悩んだ結果、あんたを羽振りのいいゴクラク商会に嫁に出すことにした。貴族よりは勢力争いに巻き込まれることはないだろうと踏んだから」
「……私も両親からそのように聞いておりました」

 支度金が多く出ることも理由の一つだがね。

「ところがあんたが聖女であることが王家にバレた。学院でショールを風に飛ばされて、学院長が拾ったことがあったろう?」
「あっ! あの時に学院長先生が気付いた?」
「そうそう。あんたの争奪戦が水面下で始まった。あんたの御両親は当然王家にも公爵家にも逆らえない」
「で、では私の両親はゴドリック様からの縁談があったことを知っていた?」
「もちろん知ってたが、あんたに伝える前に亡くなった」

 コールドウェル公爵家にとっても突然聖女が現れるなんて、寝耳に水の話さ。
 詳細を聞くために子爵夫妻を呼び寄せた。

「そうだったのですか。だから公爵領に……」
「しかしそれをデーモンに逆用された。公爵があんたの御両親を亡き者にし、あんたを奪おうとしたと吹き込んだ」
「……」

 あんたの両親は支度金に目がくらんであんたをデーモンに売ろうとしたが、王家の要請じゃさすがに断われないから乗り換えたのさ。
 収まらないのがデーモンだ。
 せっかく聖女が手に入ると思ってたのがパーだからね。
 公爵の悪評を吹いて意趣返ししようとした。
 あわよくばこの子を取り戻そうと考えていた。

「あとはあんたが考えている通りさね。あんたが貴公子の婚約者になれば、王家やコールドウェル公爵家は聖女を確保できて嬉しい。代替わりで動揺しているヌートバー子爵家にも、しっかりとした後見が付くという寸法さ」

 実家のことも心配だろうからね。
 貴公子の婚約者になっちまえば憂いは消えるよ。

「ま、デーモンの羽振りがいいのは、汚い商売もしてるからさ。あんたが嫁ぐことがなくてよかったよ」
「そうなのですね」

 ゴクラク商会は禁止されてる人身売買と麻薬売買を行っているのさ。
 遠からず手が後ろに回る。
 それだけじゃない。
 もし聖女を手に入れてたら、宗教団体設立から宗教国家を建国して、王国から独立することまで考えていたよ。
 まったくデーモン・ゴクラクはとんでもないやつだ。

「王家は聖女とヌートバー子爵家がゴクラク商会の手に落ちることを嫌ったのさ。それで公爵家を動かしてあんたの婚約を急がせているという事情があった。国の安定のためには必要だったが、あんたから見るとそれが強引に思えたかもしれないねえ」
「ど、どうしても気になるのが、ゴドリック様の元婚約者様のことなんです」
「ああ、ドローレス・フラムスティード侯爵令嬢のことかい」
「はい」
「そっちも問題はないねえ。フラムスティード侯爵家はコールドウェル公爵家に感謝しているから」
「感謝? どういうことなのです?」
「ドローレス嬢の真実の愛というやつでね。護衛騎士にぞっこんなのさ」
「まあ!」

 侯爵令嬢が恋に落ちて婚約を反故にしようなんて、貴族としての性根がなってない。
 惚れ薬を飲んでまで嫁ごうとしたこの子を見習うべきだね。

「本来ならドローレス嬢の有責で婚約が破棄されるはずだった。が、あんたが割り込んだおかげで円満に婚約解消の運びになったのさ。違約金も慰謝料も払わなくてよくなったフラムスティード侯爵家が万々歳なのはわかるだろう?」
「はい! 目の前の霧がすっかり晴れたようです。ありがとうございました!」

 あらあら、あたしのいうことをそのまま信じているんだねえ。
 まあウソは言ってないけれども。
 公爵令息妃としてはちと心配だが、聖女としてはこれくらい純粋でいいかもねえ。

「私は後ろ暗いことなく、ゴドリック様の婚約者となってよろしいのですね?」
「遠慮なくイチャイチャするといいよ」

 赤くなった。
 可愛いねえ。
 親のない子爵令嬢が公爵令息の婚約者になることに関してはやっかみもあるだろう。
 頃合いを見計らってこの子が聖女であることを公表するんだろうねえ。
 ヌートバー子爵家の跡取りをどうするかも含めて、王家と公爵家の采配の見せどころだよ。

「あの、一つ困ったことが」
「何だい?」
「惚れ薬が必要なくなってしまいました」
「そんなことかい」
「おばば様にどう謝礼をしたらいいでしょうか?」
「今日はサービスでいいよ。これをあげよう」

 ビンを一つ渡す。

「これは……お薬ですか?」
「毛生え薬のサンプルだよ」

 惚れ薬みたいな感情を左右する薬は苦手だが、これは自信作だよ。
 おやおや、そんなに目を丸くしなくてもいいのに。

「公爵と、それからあんたの旦那になる人もいずれ欲しがるはずさ。末長くいいお客になってくれるんだから、あたしだってありがたいんだ。それから一つ、あんたに頼みがあるよ」
「私にですか? 何でしょう?」
「このおばばが結構物事を見通せるということは、伏せておいて欲しいんだ。互いの幸せのためにね」

 黙って頷き、そして微笑む。
 本当にいい子だねえ。
 幸せにおなりよ。
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