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「君を愛することはない」からの「只今の発言は録音させていただきました」

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「君を愛することはない」
「只今の発言は録音させていただきました」
「えっ?」

 私はサイズモア伯爵家の嫡男オスカーという者だ。
 今は所謂妻との初めての夜、というやつなのだが。
 ……何か妻から不穏な言葉を聞かされたような気がする。
 美しき妻に問う。

「録音、とは何だろうか?」
「はい、オスカー様の『君を愛することはない』という発言を証拠として残してあるということです。最近発明された、音を記録する魔道具で」
「……そんなことをしてどうするつもりだ?」
「裁判になった時の証拠として残しておくのです」
「さ、裁判?」

 さらに不穏な言葉が!
 どういうこと?

「オスカー様、よろしいですか?」
「あ、ああ」

 私に向き直る妻ドーラ。
 美しい女だとは思う。
 切れ長の目が知性と妖艶さを感じさせる。
 ネグリジェに隠蔽されていても、しなやかなで女性らしい身体つきであることは容易に想像できる。

「オスカー様とわたくしとの間には子が必要なのでございます」
「……」

 問題はそこの解釈だ。
 私はサイズモア伯爵家の嫡男ではあるが、借金の返済に汲々としている我が家の将来に見切りを付けている。
 お家大事ならばもちろん子が必要。
 しかし伯爵位を返上して年金で暮らすつもりならば、むしろ子が邪魔になる。

「サイズモア伯爵家だけでなく、わたくしの実家にも跡継ぎが必要なのです」

 ドーラの実家はアンダーソンという商家だ。
 要はサイズモア伯爵家の借金に目を付け、援助という名の下に骨までしゃぶろうということだ。
 ドーラが一人娘であることもよく理解している。

「子が二人以上生まれた場合、アンダーソン家に一人もらえるという契約ではありませんか」
「うむ、わかっている。両親はサイズモア伯爵家の未来を信じているようだが、私は悲観的なのだ。ドーラほどの美女ならば、私と白い結婚のまま別れた方が価値が高かろう?」

 白い結婚のまま二年を経過すれば円満に別れることができる。
 もちろん私自身が白い結婚を証明し、必要書類に署名することもやぶさかでない。
 サイズモア伯爵家などという泥舟に拘るより、円満離婚の方がドーラにとってよい人生になると私は考えた。

 しかしドーラは言う。

「二年が丸々ムダになるでしょう?」
「ではあるが……」
「ならば私はこの録音を証拠としてオスカー様の非を鳴らし、二年を経過することなく自由と違約金を手にした方が得ではありませんか」
「そ、そういう考え方になるのか」
「当然でございますよ」

 商人怖い。
 ただでさえようやく息ができている有様なのに、違約金などを取られては破産してしまう。
 爵位の返上もままならない。

「したが困った。では私はどうすればいいのだろうか?」
「オスカー様はお優しいですね」

 何が?
 艶かしい笑顔を見せるドーラ。

「わたくしを抱いてくださればよろしいのです」
「それは……」
「オスカー様は爵位を返上した後、子供が苦労するとお思いなのかもしれませんが」

 図星だ。
 没落貴族の子など誰が重んじてくれるものか。
 私が爵位の返上を考えていることも見抜かれている。

「男であろうと女であろうと、最初の子供をアンダーソン家にくださればいいではありませんか。そうすれば契約違反ではなくなるのですし」
「なるほど?」
「サイズモア伯爵家の嫡子であるにしろアンダーソン家にもらうにしろ、養育はわたくしの手の下で行います。後のことはその時の状況に任せればよいかと」

 ふむ、子ができればとりあえず違約金の話はなくなる。
 男児がアンダーソン家に取られることになると両親が怒りそうだが、今以上に我が家の財政が落ち込んでいればガタガタ言う元気もなくなるだろう。

「名案だ」
「で、ございましょう? ならば……」

 嫣然とした笑顔が近付いてくる。
 やはりいい女だな。
 首を両の腕で抱かれ、口を塞がれる。

          ◇

「我が子とは可愛いものだなあ」
「で、ございましょう?」
「うむ、ドーラには大変感謝している」

 じーっと私の顔を見つめてくる娘が愛しい。
 ドーラ似の美人に育てよ。

「旦那様、そろそろケイト様をお預かりいたしましょう」
「ああ、頼む」

 抱えていた娘ケイトを乳母に渡す。
 乳母もドーラの実家アンダーソン家の手配だ。
 世話になりっぱなしなのは情けない。
 これもサイズモア伯爵家に金がないのがいけない。

「オスカー様」
「何だ?」
「ケイトは女児です」
「そうだな」

 ドーラはスタイルがいい。
 子供を一人産んだとは思えないほどだ。
 しかしドーラは何を言いたいのだろう?

「伯爵家からもわたくしの実家からも男児を待ち望まれております」
「うむ、確かに」
「もちろんケイトの罪ではありませんし、女児でも悪くはありません。しかし両家を満足させるためにもやはり男児が欲しいところではあります」
「その通りだ。しかし……」

 サイズモア伯爵家から金を出せぬのは、ドーラもよくわかっているだろう?
 何だかんだで一人前の貴族の子を育てるのは大変な金がかかる。
 ケイトをアンダーソン家の跡継ぎとして婿をもらい、サイズモア家は伯爵位を返上するのがベストではないか?
 金にうるさい商家はそういう判断を下すのでは?

「ムダ金は使えない、という意味ではオスカー様の仰るとおりですが、世の中スペアも必要なのでございます」
「ふむ、なるほど」

 確かに替えの利かない子というのは、商人としても怖いのか。

「両家が望んでいるという事実が重要なのでございます。援助を引き出せますから」
「しかしサイズモア家からは援助など出せぬぞ?」
「今後は教育が重要になりますよ。名のある家庭教師を雇うには伯爵家の人脈がどうしても必要なのです」
「ははあ」

 サイズモア伯爵家の名で雇うが、実際の金の出所はアンダーソン家という関係か。
 古いばかりのサイズモア家でもそうした役には立つかもな。

「よくわかった」
「では、オスカー様……」

 ドーラの妖艶な笑顔が迫ってくる。
 夜にはまだ早いが、逆らえないなあ。

          ◇

「賑やかなのは幸せなことだなあ」
「で、ございましょう?」
「うむ、ドーラには大変感謝している」

 いつの間にか私は六人の子を持つ親になっていた。
 ドーラに丸め込まれた気もするが……

「アンダーソン家は大変ではないのか? その、金銭的に」
「ムダではありませんので問題ありませんよ」
「しかし六人だろう?」
「六人の子ですけれども、養育費が単純に六倍になるわけではありませんので」
「どういうことだ?」

 成長すれば弟妹の面倒をみるから、人件費が六倍かかるわけではない。
 着回しもリサイクルもシェアも利く、ということのようだ。

「何より長女ケイトが貴族学院で優等メダルをもらったでしょう?」
「うむ」

 今年度から貴族学院に入学したケイトが、一年次首席だったのだ。
 我が家が子だくさんなのは知られているから、優秀なケイトにはあちこちから婚約の申し込みが舞い込んできた。
 同時に他の我が子達にも注目が集まっているらしい。

「ケイトができる子なのは大変ありがたかった」
「サイズモア伯爵家の名でよい家庭教師を手配できたからですよ」
「そうか?」
「はい。それにオスカー様は子煩悩でよく褒めますから、子供達もやる気になるんですよ」
「ふむ?」

 普通の高位貴族に比べて、私は子供との距離が近いかもしれないな。
 私が騎士でも文官でもなく、商売に精を出してもおらず、子供達と過ごす時間が長いからだろうが。 

「サイズモア伯爵家も最悪期を脱したと言っていいしな」

 まだまだ再建途上ではあるが、もう爵位返上を考えねばならんほどではないのだ。
 ケイトが成績優秀なことで、サイズモア伯爵家は子女を教育する余裕があるから大丈夫だと思われたこともある。
 信用は大事だな。

「全てアンダーソン家のおかげだ」
「いえいえ、アンダーソンでは子供を貴族学院に入れることはできませんし」

 貴族学院は言うまでもなく貴族のための学校だ。
 直系三親等以内に爵位持ち当主もしくは元当主がいないと入学すら許されないという、厳格なルールが存在する。
 だからこそ貴族学院には伝統があり、その卒業者には信用がある。

 跡継ぎが貴族学院出身になると思われていることで、アンダーソン家の格が上がっているそうだ。
 そのため商売にもプラスに働き、サイズモア伯爵家にも余慶があるということらしい。
 いいこと尽くめだ。

「ふうむ、そういうものか」
「人脈も大事ですよ」

 貴族の人脈は貴族でなければ培うことは難しい。

「パーマー子爵家が今のところ女の子三人でしょう? 婿を探すのではという話です。うちの子を一人送り込みたいところです」
「送り込むって……パーマー子爵家領は場所がいいな」
「サイズモア伯爵家領から王都への通り道ですからね。共同で街道を整備できれば、王都との交易も盛んになりますよ」
「子は財産なのだな」
「そうですとも。輸送と販売を実家の商会に任せていただければ、三家ともども利があります」

 ドーラは先を見て子を欲しがったのか。
 目先しか見えていなかった私が愚かだった。

「……アンダーソン家はどうしてここまでサイズモア家に肩入れしてくれる?」
「肩入れ、ですか」
「うむ。貴族の嫡子にドーラを送り込んで子が欲しかった。その子をアンダーソン家の跡継ぎにする思惑があった、というところまではわかる。しかし返上寸前の我がサイズモア伯爵家よりマシな家はあったろう?」

 ドーラの美貌ならどこでも入り込めたのではないか?
 特有の色っぽい笑顔を見せるドーラ。

「ありませんよ」
「そうか?」
「アンダーソン家が貴族の取り引きに優位性を持とうと考えれば、わたくしには伯爵家以上との婚姻が必要でした」

 わかる。
 一般的に伯爵以上が高位貴族とされているから。

「伯爵家以上で平民であるわたくしを愛人ではなく正室に迎えてくれるのは、誠意あるサイズモア伯爵家だけですよ」
「ええ? かも知れぬが、何故それがわかった?」
「アンダーソン家はかつて先代サイズモア伯爵に助けてもらったことがあるのです。その真摯で公平な姿勢は我が家に伝えられています」

 知らなかった。
 そんなことが?

「もっとも当時はアンダーソンを名乗っていませんでしたから、たとえ先代様が生きておられたとしてもわからないとは思います。その後商売で成功した我が家は、サイズモア伯爵家が危機ならば救えと口癖のように伝えてきたものです」
「……」

 ドーラが私の元に嫁いできたのは、運命のようなものだったのか。

「とは言うものの、サイズモア伯爵家を救うためにアンダーソン家の経営を傾けるわけにはいきませんが」
「おっとっと、そこは商売人だな」

 しっかりしている、うんうん。
 もっともしっかりしてない者など頼りにならないが。

「サイズモア伯爵領と王都との距離、伯爵領の産物、伯爵家の抱える借金の金額と質あるいは資産、縁戚関係と人脈、そして王家からの信頼等々。全て考え合わせた上でアンダーソン家は勝算ありと見込んだのです」
「そうだったのか」
「調査内容の中にはオスカー様のお人柄もありましたよ。わたくしとの間を白い結婚とし、他家との間を取り持とうとすることは十分可能性がありました」
「ハハッ、それでいきなり録音の魔道具なんてものが出てきたのか。あれには驚いたぞ」
「オスカー様は怒り出さずに冷静に話を聞いてくださいました。やはりお優しい。わたくしの夫はオスカー様以外にないと思い定めたのは、あの夜でありました」

 あでやかな中にも凛とした思いが伝わる。
 ドーラも迷い悩んだことがあったのかもしれないな。
 いや、それが当然か。

「わたくしはオスカー様の妻となれて幸せでございます」
「そう言われると私も嬉しいぞ」
「オスカー様、まだ子供は増えてもようございますよ?」
「む? うむ」

 ドーラの艶かしくもしなやかな身体は衰えを見せない。
 勝てぬなあ。
 ドーラを抱き寄せ、キスをする。

          ◇

 一〇ヶ月後に生まれたのは男女の双子だった。
 賑やかな分だけ笑いが増す。
 結婚した時には思いもしなかったが、私も幸せだ。
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