剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ

文字の大きさ
61 / 104
第九章 南龍のドライゼ

闇に伏す尾根道

しおりを挟む
「よいか、草介。もし会敵したならば躊躇なく撃て。刀を抜け。自分の身を守ることを最優先しろ」

隼人があえて「敵」という言葉を強調したことの意味は、否が応でも理解できる。
なぜなら向こう側からすれば御留郵便御用であろうが何だろうが、遭遇すれば敵としか認識しないであろうことは自明であるから。
それがどうしようもないことを、草介もまたよく分かっているつもりだ。
それでも薩摩の人たちを敵と断じることを、草介の心は頑なに拒もうとしている。

薩軍は藤田五郎が予測した通り、政府軍の意表をついて8月18日未明に可愛岳えなだけを突破。山岳の尾根筋を伝って南への強行軍を続けている。
政府軍の小部隊は彼らに歯が立たず、その決死の進撃を阻むことはできていない。

隼人と草介が延岡のやや北方、標高約730mの可愛岳山上に辿り着いた時には既に薩軍はこれを突破した後だった。
ここに展開していた政府軍の小部隊は予想外の奇襲になす術もなく駆逐されたのだ。
南へと薩軍が踏み分けていった尾根道の途中、隼人は丁寧に揉み消された紙巻煙草の吸殻を見つけた。

「……東堂がいる」

見紛うはずもない、東堂靫衛が愛用している煙草。
彼もまたこの強行軍に加わっているのだ。

「はーさん、このまま追うのかい」
「いや、決死の薩軍を追いかけるのは得策ではなかろう。藤田殿の予測通り、往ける尾根道は限られている。なれば進路上で待ち構えよう。兵員が困憊していれば、大久保卿の書状を西郷大将にお渡しする機もあるやもしれぬ」

こうした経緯から隼人と草介は8月27日夜、日向の小林という街の北東にある須木の集落から尾根道を目指していた。
地形の制約から薩軍の進行ルートはほぼ正確に予測できるが、政府軍は山岳戦で決定的な打撃を与えるには至っていない。
この途上で西郷に手紙を渡すことができれば――。

大久保卿はこの手紙を「届かなくともよい」と言った。戦が終わって、もし西郷が生きていたら、彼が手紙を寄越した事実を伝えるだけでも構わないと。
それは真実、個人の願いによるものであろうことは想像できるが、隼人も草介も万が一の可能性に命を懸けて配達する気構えでここまで来た。
あるか無きかの一縷の望みながら、もしかするとそれがきっかけで兵を退くことがあるかもしれない。
それを今さらとは、誰にもなじることなどできはしないのではないか。

隼人はやはり、ここまで草介を伴うことに難色を示していた。
既に戦場になっている地域に赴くのは、これまでの任務とは自ずと意味合いが異なる。
が、草介にとって僅かな時間でも心を通わせた薩摩の人々――あの諸留忠太のような男に言い知れぬ哀惜の念があった。
それに、日本の国に生まれた者同士がいまだここまで殺し合わねばならないことが、どうしても納得できない。

「おいらぁ根無し草の草介さまだぜ。はーさんがなんつっても付いてくかんな!」

隼人は溜息をつきながらも、頑として譲らない草介の思いを無下にはできない。
なればこその「自分の身を守ることを最優先しろ」という言葉だ。
東京鎮台で寝起きしていた際、隼人は草介に国内にあるあらゆる軍用小銃の扱いを教え込んでいた。
シャスポー、ゲヴェール、エンフィールド、そしてドライゼ。
万が一戦場でそれらを扱わねばならぬ時のためを思っての訓練だったが、隼人も草介も武装は六連発の郵便護身銃、そして晒帯に手挟んだ日本刀一振りのみ。
二人とも、剣客逓信としての姿に殉じるつもりだった。

薩軍の予想進路近くの藪に身を潜めた隼人と草介は、その向こうに点々と続く松明の光を捉えた。
隼人の予測では、道の確認と敵襲に備えて偵察の小部隊が先行しているはずということだ。
彼らに見つからぬよう、可能な限り本隊のどこかにいる西郷に直接接触しなくては――。

と、隼人が草介に動きを止めるよう無言の合図を送った。
かさっ……かさっ……かさっ……。
耳を澄ませるとかそけき音が、二人を包む藪に近付いている。

刀の柄に手を掛けながら、隼人が身を低くして藪の隙間から闇の先を凝視した。
するとやにわに、ごく小さくピュイッと口笛を鳴らす音が暗がりに立った。
隼人は草介を見やり、それに応えるように同じ音を鳴らす。

今度は足音を忍ばせることなく、幾人かが藪に目掛けて登ってくる気配をはっきり感じる。
刀に手をやった草介を制しつつ、隼人は囁いた。

「大丈夫、味方だ」

次々に藪に入ってきた男たちは暗がりに目が慣れているのだろう。
真っすぐに隼人の元へと近付き、鎮台兵の制服が続々と整列した。

「なんてよ……! こないなとこでよ」

隊長と思しき男が、感極まったような声を振り絞った。

「生きてはったんやな……。“分隊長殿”」

男たちの肩には、紀伊兵の代名詞ともいえるドライゼ銃が担がれていた。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

改造空母機動艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。  そして、昭和一六年一二月。  日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。  「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

幻の十一代将軍・徳川家基、死せず。長谷川平蔵、田沼意知、蝦夷へ往く。

克全
歴史・時代
 西欧列強に不平等条約を強要され、内乱を誘発させられ、多くの富を収奪されたのが悔しい。  幕末の仮想戦記も考えましたが、徳川家基が健在で、田沼親子が権力を維持していれば、もっと余裕を持って、開国準備ができたと思う。  北海道・樺太・千島も日本の領地のままだっただろうし、多くの金銀が国外に流出することもなかったと思う。  清国と手を組むことも出来たかもしれないし、清国がロシアに強奪された、シベリアと沿海州を日本が手に入れる事が出来たかもしれない。  色々真剣に検討して、仮想の日本史を書いてみたい。 一橋治済の陰謀で毒を盛られた徳川家基であったが、奇跡的に一命をとりとめた。だが家基も父親の十代将軍:徳川家治も誰が毒を盛ったのかは分からなかった。家基は田沼意次を疑い、家治は疑心暗鬼に陥り田沼意次以外の家臣が信じられなくなった。そして歴史は大きく動くことになる。 印旛沼開拓は成功するのか? 蝦夷開拓は成功するのか? オロシャとは戦争になるのか? 蝦夷・千島・樺太の領有は徳川家になるのか? それともオロシャになるのか? 西洋帆船は導入されるのか? 幕府は開国に踏み切れるのか? アイヌとの関係はどうなるのか? 幕府を裏切り異国と手を結ぶ藩は現れるのか?

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...