ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

文字の大きさ
13 / 195
第二章 陸の国と海の国

5 変貌

しおりを挟む
 ユーリは走った。
 それはもう、生まれてこの方はじめてではないのかというぐらい、必死に足を回転させた。
 大広間の脇にある回廊を風のように駆け抜ける第三王子を、文官、武官、下働きの者や女官などが不思議そうに目で追った。
 後ろからは「ま、まってくださいまし」と死にそうな声で叫びながらロマンが追いすがってくる。

 王子自身がまさか城門のところまで行くわけにもいかず、ユーリはひとまず王宮の最前部、前の宮の、衛兵らの詰め所の置かれている区画を目指した。そこには役人が訪問者と面談するための応接室が置かれている。
 警備兵らに訊ね回って、ユーリはとうとうその部屋へたどり着いた。だが、すっかり息が上がってしまい、はやる気持ちとは裏腹に、部屋の前で膝に手を乗せてしばらく呼吸を整えねばならなかった。
 ロマン少年はその頃になってようやく追いつき、同じように激しく肩を揺らして、必死に酸素を取り込んでいるようだった。

 二人がどうにかこうにか息と乱れた衣服を整えてから、ようやく扉は開かれた。
 皇帝のための応接の間に比べれば、ごく小ぶりな部屋である。内部に大した調度はなく、面接のための簡素な机と椅子が二脚あるばかり。隅には衛兵らがそれぞれ一人ずつ立って、部屋の中央に居る面妖な人物に胡乱な視線を当てていた。

(ああ……!)

 見間違いようがなかった。
 長く緩やかにウェーブした銀の髪。紫水晶を思わせる、力強い瞳の色。日焼けした肌に、不敵な微笑み。
 だが何故か、今回この男の下半身は前回とはまったく違った。
 いや、おかしいかと言われれば別におかしくはない。
 普通の人間としてのそれは、まったくおかしくなどはなかった。

──つまり。

 あるのだ。
 人間としての両足が!
 驚くべきか、前は立派な魚類としての尾鰭だったはずのそこに、普通の人間の男としてのたくましい両足が存在していた。
 前回はほぼ全裸に近かったのだったが、今のこの男はこのあたりの一般の民が普通に着るような上着と下穿きを身に着けている。

(ど、どういうことだ……?)

 半ば開いた口をいつまでもぱくぱくさせていたら、男はにかりと笑みを深くして立ち上がった。

「おい! 貴様、許可なく立つな」

 と、すぐに衛兵らがその行く手を遮る形で前へ出てくる。まさかそのまま、ユーリに接近させるわけには行かないからだ。
 兵らが確認するようにユーリの表情を窺ってくる。

「殿下。こちらの男なのですが……いかがでしょうか」
「お知り合いだというのは、まことのことで?」
「本人が申しますには、何やら以前、殿下のお命を救ったとか、なんとか」
「まさか本当のこととも思いませんでしたが、あまりにこやつが堂々としておるもので」
「殿下に取り次がねば、後々大変なことになるぞとまで申しまして──」

 あまり長いことユーリが絶句していたものだから、兵らの目が次第に険しくなってきている。それと共に、言葉が相当言い訳がましくなってきた。

「いや! いやいや! 違うのだ」
 やっとそれに気づいて、ユーリは慌てて手を振った。
「その男が申しているのは、本当のことだ」
「まことでございまするか、殿下」
 衛兵らの長であるらしき男が、慎重な声で問うてくる。ユーリはさらに慌てて、うんうんうん、と何度も頷き返した。
「先般、私が旅先で大変世話になった男なのだよ。命を助けてもらった。本当だ」

 それら珍奇なやりとりの全体を、男はなにやら面白そうに、腕組みをしてにやにやと見つめている。
 あの時は互いに岩に腰かけている状態だったが、こうして見ると、男はかなり上背があった。ユーリなど、男の肩口ぐらいまでしかない。相当な巨躯といってよい体格だった。
 男は槍を手にした衛兵らに囲まれていてもごく泰然としたもので、もはや鼻歌でも歌いそうなほどに落ち着いている。

「ほらな。殿下はこうおっしゃっている。誤解は解けたか? おのおのがた」
「えっ……」

 ユーリは思わず目を剥いた。
 少し古風な言い回しにも聞こえるが、今の男は間違いなく、この帝国アルネリオの共通語を話していた。あの時はろくに言葉も通じなかったはずなのに。あれはほんの、数日前のことだったというのに。
 なにやら魔物か何かに馬鹿されたような気になって、またぽかんと口をあけ、ユーリは言葉を失ってしまった。

「あ、……あし。あ、し……」
「ん?」
 面白そうに、男がちょっと首をかしげる。
「それに……こ、言葉──」
 あわあわと男の足やら口やらを指さしておろおろしていたら、男がぶはっと吹き出した。
「ははは! 相変わらず、可愛らしい御仁だな」
「こら、貴様! 言うに事欠いて何をいう。殿下の御前であるぞっ!」

 兵の一人が即座に槍を構え直すのを意にも介さず、男はごつい片手でその穂首をひょいと握って自分の顔から遠ざけただけだった。ほとんど赤子の手を捻るに近かった。

「危ないだろう。怪我でもしたらどうするのだ」
「むむっ……?」

 そこから槍がぴくりとも動かなくなり、兵は慌てたようだった。両腕と体重の力で必死に動かそうとするのだが、どうにもこうにも動かない。

「俺は殿下の恩人だと言ったはずだ。わずかな傷でも為そうものなら重罪を食らうは必至。気をつけよ。ん?」

 いいながらその兵士の顔をずいと覗き込み、無造作に槍を放す。
 と、バランスを失って兵はふらふらとよろめいた。他の兵らは顔を見合わせ、少し男から距離を取る。
 確かに男の言う通りなのだ。もしも本当に王族の恩人ならば、かすり傷のひとつも負わせては大ごとになる。下手をすれば死罪を頂戴することになる。

「……殿下。いかがなさいますか」
 護衛兵長がそう訊ねてきて、やっとユーリは言葉を取り戻した。
「あ、ああ……うん。ええっと」
 ばくばくと、さっきから心の臓が鳴りっぱなしだ。
「わ、私の賓客としてもてなしたい。……どうぞ、こちらへ」
 震える声でそう言ったら、男は即座ににかっと笑った。
「ああ。ありがたい。世話になる」

 なんと、堂々としたものか。
 これでは一体、どちらが王族なのやらさっぱりわからぬ。

(……そうだ。そうなのだ)

 この男には、どうやら王者の風格がある。

(いったい、何者なのだ……?)

 様々な疑問を脳内でごちゃまぜにさせつつ、ユーリはその後、ロマンと共に男を宮殿奥へと案内したのだった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

その首輪は、弟の牙でしか外せない。

ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。 第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。 初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。 「今すぐ部屋から出ろ!」 独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。 翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。 「俺以外に触らせるな」 そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。 弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。 本当にこのままでもいいのか。 ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。 その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。 どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。 リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24) ※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。 三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった

ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン モデル事務所で メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才 中学時代の初恋相手 高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が 突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。 昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき… 夏にピッタリな青春ラブストーリー💕

処理中です...