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第六章 陸の王子たち

7 兄たち

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「ほう? これはまた……」

 ひと通り文書に目を走らせてから、エラストは驚きを隠せぬ風で自分の息子を見返した。

「ハリ殿は、どうやらそなたの能力を大いに買ってくださっているらしいな。斯様かように重大な仕事をお任せくださるとは……。うむ。まあ、何よりだ」
「い、いえ」
 ユーリはまた赤面した。
「自分の身に余ることは、私も百も承知なのです。でも、これは大切な仕事かと思います。婚儀の前に、自分でもできるだけ着手しておきたいのです。父上には、どうか国内外への通達と、私と共に働いてくれる者らの人選、その者たちの組織だてをお願いしたいのですが」
「うむ、了解した。そちらは任せよ」
 エラストは二つ返事で応じた。
「存分にするとよかろう。ただし、十分に警護の者をつけて参れよ。なにしろ結婚前の大切な体なのだからな」
「はい、父上。ありがとうございます」

 ユーリはにっこりと笑って頭を下げた。
 と、扉の外からまた衛士の声が掛かった。

「セルゲイ殿下、イラリオン殿下のお成りです」
「え、兄上たちが……?」
「おお。そうだな。私ばかりがそなたを独り占めしてはまずかろう」

 ユーリが腰を浮かすと、さっと父も立ち上がった。

「ではまたな、ユーリ。また後日、ゆるりと話す時間をもうけようぞ」
「はい、父上……」

 最後にまたごつい手のひらでぎゅっとユーリの体を抱きしめて、エラストが部屋を出て行く。それと入れ替わりるようにして、今度は兄たちが入室してきた。
 王宮へ帰る道々も一緒だったというのに、一体どうしたというのだろう。

「お揃いでいかがなさいましたか、セルゲイ兄上、イラリオン兄上」
 言ってユーリは兄たちに丁寧に一礼をした。
「なにか、私にお話でも?」
「あ、いや。そのな……」

 兄たちはやや困ったように苦笑して、そばにいるロマンと黒鳶をちらりと見やる。即座にその意味を悟って、ユーリは彼らに退室を促した。
 二人はすぐに、あっさりと頭を下げて退がっていく。とはいえ、恐らく黒鳶は姿を隠して部屋の中に戻って来るに違いなかったけれども。
 さきほど父が座っていたところに腰を据えると、兄たちは互いに目配せをしてそれぞれにしわぶきをした。

「いや。高原から帰る道中では、そなたとあまり込み入った話ができなかったのでな。なあ? イラリオン」
「そ、そうそう。それで改めてこうして訪ねてきたというわけだ。うんうん」
「そうなのですか……?」

 ユーリはいまひとつ納得できないまま、ちょっと首を傾げた。
 兄たちはまた意味ありげに互いの目を見かわしたが、しばらく目だけで言葉を交わし合うようにしてから、まずはセルゲイが口を開いた。

「わざわざそなたを訪ねたのは、ほかのことではない。あの海底皇国の皇子、ルリ殿下のことなのだ」
「はあ。瑠璃殿……ですか?」

 この世のものとも思われない美貌の皇子を目裏まなうらに思い出しつつ、ユーリはきょとんと兄を見返した。やっぱり真意がよくわからない。あの瑠璃殿が、一体どうしたというのだろうか。

「我ら二人とも、最初にひと目お会いしたその時から、どうにもあのお方が忘れられぬ」
「どうやらあの美貌に、二人してやられてしまったようなのだ。ほとんど魔性だろう、あの妖艶さは」
「え、ええっと……?」
「まあ……つまりは、惚れたのだ」
「えええっ?」

 ユーリはぽかんと口をあけた。絶句するとはこのことだった。
 兄ふたりは、まるで示し合わせたようにごほんごほんと咳き込む様子だ。

「それで、だな。このたびはユーリとて、男子おのこの身であちらの皇太子にすことになったわけであろう? つまりあちらのお国では、同性の結婚も罪にはならぬ、嫌悪の対象にもならぬという話だな」
「え? ええ……まあ」
 と、イラリオンがずいと膝を進めてきた。
「それなら、ルリ殿とてそうなのであろう? あの方も男が男と添うことに、特に嫌悪などはない、と思うて構わぬのよな?」
「い、いや……。それはそうでしょうけれども」

 なんとなく、話が変な方向に向かっている。完全に嫌な予感しかしなかった。
 そしてその嫌な予感は、まことにきれいに的中した。

「つまりだな。我らはルリ殿に惚れてしまった。このところ、寝ても覚めてもあの方のことが忘れられぬ」
「ええ……?」
「まあ、我ら二人ともというわけには参らぬだろうが。なんとかあの御方に、こちらの国にきて頂くわけには参らぬだろうかと思ってな」
「それも、どちらかの妃──まあ、男子なのだからそう呼ぶのは妙なのだろうが──ともかく、その一人として」
「さすれば、両国の絆もさらに強まろうというものだし──」
「いっ、いえ! それは!」

 とうとうユーリは大きな声を出してしまった。

「ちょっとお待ちください、兄上さまがた。まずは少し、落ち着いて。この場合、なによりも重大なことがありまする」
「む」
「というと?」

 ユーリはひとつ、深呼吸をした。しっかりと腹を据え、兄ふたりの顔をひたと見て、あとは一気に言ってしまう。

「あちら海底皇国では、基本的に『一夫一婦制』なのです。ひとりはひとりとしかつがいませぬ。国全土がそういう決まり。それは庶民でも、王族でも同じなのです。医療技術の発達もあり、赤子が早々に亡くなるといったことが回避できるからだそうです」
「えっ!?」
「なんと……。そんなことが?」

 普通に驚いた顔になった兄たちを見て、ユーリは心底溜め息をつきたくなった。

(『えっ!?』じゃないだろう、『えっ!?』じゃ!)

 思わず心の中だけでつっこみを入れる。

「い、いや、待て。それならそなたも、このたびはハリ殿のたった一人の相手として選ばれた……と、そういうことなのか?」
 あけすけにイラリオンに言われてしまって、ユーリはついぽっと頬を染める。
「は……はい。そういうことになりましょうね」
「そうすると、ハリ殿には現在、側妃やら愛妾などがひとりもおられぬということか?」
「あの偉丈夫のお方が、信じられん……!」
「いえ、そうではありましょうが。これは事実なのです。私だって、いまだに『まさか自分なんかが』と、信じられない気持ちですが……」
「ん? いやいや。そうでもないと思うぞ、ユーリ」

 セルゲイにあっさりとそう言われて、ユーリは「え?」と目を上げた。

「不思議なのだが、あちらから戻ったそなたは、妙に華やいで見えるようになったものな。一瞬、別人が戻ったかと思ったぐらいだ。さぞやあちらの皇太子殿下に大切にされてきたのであろう?」
「え……」
「おお、そうそう。私もそう思っておりました、セルゲイ兄」
 イラリオンもにこにこして言う。
「なにかこう、素朴な若木にぱっと甘やかな花が咲いたような……。ユーリ、妙に色気が出てきておらぬか? さぞやあの御仁に可愛がられておるのだろうな。こう、その腰のあたりなどが特に色っぽくなって──」
「ええっ? そ、そんなはずは……!」

 かあっと全身が熱くなり、思わず自分の体を抱きしめるようにしてしまう。
 そしてまた、一気にあの玻璃との熱い夜を思い出した。

「か、からかうのはやめてください、兄上様がた。私は、別に……!」
「ふふふ。なかなか、よき思い出ができたようだな?」
 セルゲイ兄が意味ありげににこにこ笑う。イラリオン兄もまた、明るく派手な笑顔でユーリを見ていた。
「とっ、ともかく!」

 必死で話の矛先をそらそうと、いつもなら兄たちに決して使わないような強い口調でユーリは叫んだ。恐らく顔は完全に真っ赤だろう。

「ですから瑠璃殿は、多分無理だと思います。すでに正妃も側妃もおられ、愛妾たちも多数お持ちで、お子様たちまで何人もおられる兄上たちとは、決して添われることはないと思われますよ」
「ううむ……」
「うわ、そうなのか……」
 兄たちは、それぞれ額や口元に手を当てて唸りまくった。残念でたまらないらしい。
「ご存知なかったこととは申せ、もしも兄上様たちが瑠璃殿に好意をお寄せになっていたのだとしたら、逆に非常に嫌悪のお気持ちを強められただけかと推察します。あの方は、かなり潔癖なご性格ではないかと思いますし……」
「むう。そうなのか」
「まして今後、すでにある妻子を捨ててまで瑠璃殿をお求めになったりすれば、もはや絶望的に嫌われてしまうだけではないかと──」
「う、むむう……」

 兄たちが青ざめて黙り込む。
 ユーリは思わず肩を落とした。

(はあ。同じ兄でも、こんなにも違うものなのだな……)

 いや、別に兄たちに大きな非はない。ましてや悪意など欠片もない。ないが、あの瑠璃には決してその価値観は受け入れられまい。
 価値観の差というものは一朝一夕には埋めがたい。生まれながらに置かれ、育てられて来た環境が人をつくるものだからだ。
 そんなことを改めて実感させられて、ユーリはさりげなく天を仰ぎ、また溜め息をつくのだった。
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