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第七章 変わりゆく帝国
11 イルカ
しおりを挟む「よく戻ったな、ユーリ。内外のそなたの評判はもう聞いたか? 素晴らしい成果ではないか。私も嬉しいぞ」
ようやく拝謁できた父、エラストは上機嫌でユーリを迎えた。
「拝謁」とは言ったけれども、父はユーリを執務室の方ではなく、自分の私室で迎えてくれている。
そこにはすでに、兄セルゲイとイラリオンも待ち構えていた。
「我らも聞いていたぞ。王宮でのそなたの声望は、まさに鰻のぼり。なにはともあれ、良かったな」
セルゲイ兄は、微塵の嫉妬もにじませる風はなく、爽やかに笑っている。こういうところが、この兄の良さなのだろう。うじうじと粘着質で陰湿な気持ちを抱かないのは、本当の育ちの良さによるものだと思われる。
あの玻璃ほどではないかもしれないが、この兄にも人を受け入れる広やかな心があるのだ。
「まことに、まことに。ユーリがよい奴だということが皆に分かって、俺も嬉しい! 兄としてまことに鼻が高いぞ!」
イラリオンも例によって豪快に笑ってユーリを抱きしめ、背中をばしばしと痛いほどに叩いてくる。こちらの兄はまあ、相変わらずだ。
ひと通りの挨拶を終え、ユーリは早速父にお伺いを立ててみた。
つまり、先ほど嘆願された、治療を求める他の人々の件をである。
「うむ。その程度の人数ならば、まずは問題あるまい」
「ほんとうですか。ありがとうございます!」
父が快諾してくれて、まずはほっとする。
「正直申して、いきなり何千、何万もの民がワダツミへ移住というような話であれば、私も警戒もしたのだがな。ハリ殿下はどうやら、別に治療した民を必ずしも強制的にあちらへ住まわそうというのではないようだし」
「はい。左様にございます」
そうなのだった。
すでに先ほどの出迎えのとおり、子供たちを中心に、あの滄海へ住み替えを希望する人々がたくさん出てきている。アルネリオとしては、あまり大量の民衆が移住するのは好ましくない。それは、重要な働き手を失うということにもなるからだ。そのため、父はある程度、移住する人数に上限を設けるつもりでいるようだ。
そのあたりは、今後まだまだ両国の踏み込んだ話し合いが待たれるところである。
ただ、玻璃は当初から「本人が望むなら、子らや病人たちはそのままアルネリオに戻るもよし、滄海にとどまるもよし」と言っている。
あちらの国の事情を思えば、できればそのまま滄海にとどまって、だれかと添うてくれるのが望ましいのだろうに。しかしあの皇子は、決してそういうごり押しをしない。
むしろ「人の意思というものは、虐げれば虐げるほど、禁ずれば禁ずるほどに歪んでゆくもの、依怙地になってゆくものだからな」と、ひろやかに笑っておられる。
国の行く末を思えば、そんなに楽観的でいられようはずはないのに。
挨拶と報告を済ませて自室に戻ったところで、それまで黙っていたロマンがぽつりと言った。
「玻璃殿下は本当に、あれでよいのでございましょうか」
「……まあな。あの御方のことだ、きっと深いお考えあってのことだと思うが」
「左様でしょうね」
「お国の行く末は、他のだれよりも案じておられよう。しかし、それでも他国の人々に利己的な理由によって悲哀を押し付けるお方ではない。……私はそう信じているよ」
「はい。もちろんですとも」
ロマンがしっかりと頷いてくれて、ユーリもほっと微笑みを返した。
黒鳶がその隣で、やや満足げな瞳の色をしていたような気がする。だが、やっぱりユーリにはよく判別できなかったけれども。
◆
数日後。
今まで見たことのない形をした飛行艇が、アルネリオ宮の前庭に降り立った。
全体が真っ白で、柔らかな曲線でできた機体だ。以前の飛行艇が《エイ》なのだとすれば、これはちょうど、《イルカ》といってもよい姿をしている。
玻璃からの連絡によれば、それは滄海の「救命艇」なのだという話だった。病人や怪我人を迅速に医療機関に運ぶだけでなく、医務官や看護師たちを乗せていて、機内でもある程度の医療行為ができるしくみになっているのだそうだ。
その朝、ロマンや黒鳶と共に救命艇を迎えに出たユーリは、そこで久しぶりの顔を見た。
「お久しぶりです、波茜どの」
「お久しゅうございます、ユーリ殿下。以前も申し上げたかと存じますが、どうかわたくしのことは『波茜』とお呼び捨てを」
「ですから。そういう訳には行きませんよ」
この度の輸送チーム──あちらではそう呼ぶらしい──を率いているのは、なんと向こうでユーリたちの世話役をした、あの波茜女史だった。
今日は前回のようなワダツミ式の衣装ではなく、体にぴたりと添うような簡素で動きやすい衣服を身に着け、明るい朱の髪をきゅっと結い上げている。
チームのほかの面々もそうだった。薄い桃色の布地でできた、腕や足の部分が細めに作られた衣装である。袖や裾が広めにつくられたワダツミ式の衣装に比べると、どちらかといえばユーリたちの服装に近いいでたちだ。
チームには、男もいれば女もいた。みな動きや言葉がきびきびとした、いかにも聡明そうな雰囲気の人々である。
すでにその場に集められていたアルネリオ側の病人たちや障害を持つ者たちが、波茜からひとりずつ名前などを確認される。そうしてある者は立って歩き、またある者は空中に浮かぶ寝台に乗せられて、救命艇の中へ移動していく。
と、人々の中から甲高い子供の声がした。
「あっ! お、王子様!」
「おーじ、たまあ!」
「ああ、君たち。ひさしぶり」
それはあの、目の見えない幼い妹の手を引いた少年だった。
ユーリはぱっと頬に笑みを刷くと、走ってきた兄妹の前に片膝をついた。
「やっと滄海へ連れて行ってあげられることになったよ。ずいぶん待たせてしまって申し訳なかったね。妹さん……アーニャさんは変わりないかな」
「はい! ……あの」
あの、あの、と少年は真っ赤になってもごもご言った。
「ありがとうございました、王子さまっ……!」
「まちたあ!」
ぴょこんと頭を下げた兄の隣で、妹もにこにこと後に続く。本当に可愛らしい。
「オレ、すっごくすっごくがんばります。王子様に言われた、『ベンキョウ』もがんばります! それで、それで……とにかく、本当にありがとう、でした!」
ユーリは思わずくすくす笑った。
「いいんだよ。それはこの間も、いっぱいいっぱい聞いたからね。それより、どうか気をつけて行くんだよ。何か困ったことがあれば、あそこの……ほら、赤い髪をした綺麗なお姉さんに、何でも相談するといい。そうしたらあちらの皇子様に、すぐに助けてもらえるからね」
「は、はいっ!」
「あい!」
輝くような笑顔のふたりがあんまり可愛らしいものだから、ユーリはつい、幼子たちを両手でいっぺんに、ぎゅうっと抱きしめた。小さな頭をそっと撫でる。
「どうかどうか、よい報告が聞けますように。アーニャさんの目がよくなりますように。……私も、本当に楽しみに待っているからね。君たちにもどうか、よい日がやってきますように」
「はい……王子さま」
「たまあ!」
少年の声は一瞬だけ涙の色になったようだったが、そのぶん、妹の声は元気いっぱいだった。
背後でロマンがにこにこしている。その後ろで、黒鳶も不思議な目の色をして自分を見ているのが分かった。
さらに《イルカ》の近くでは、あの波茜女史までがくすくすと笑みを噛み殺している様子である。
「さあ、殿下。そろそろ、その子たちも乗せねばなりませんので」
「はい。どうか、皆をよろしくお願いします、波茜殿」
「もちろんでございますとも」
そう言って、女史は最後のふたりを《イルカ》に乗せると、あっというまに救命艇を発進させた。
素晴らしい速度で高度をあげ、機体が遠ざかっていく。
朝の空は真っ青で、深くて遠くまで見通せた。
ユーリは胸を膨らませながら、明るい東の空へ消えていく《イルカ》の姿に向かって、いつまでも大きく手をふり続けた。
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