ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

文字の大きさ
76 / 195
第八章 過去と未来と

2 子らの未来を

しおりを挟む
 兄が去った扉の方をじっと見ていた瑠璃は、ついと足もとに視線を戻した。
 藍鉄は相変わらず、深々とこうべを垂れているばかりである。

「藍鉄。貴様、私に黙っていることがあるのか?」

 瑠璃の声は氷のやいばさながらだった。藍鉄は無言である。武骨な顔を、いつも以上にいわおのように固めているばかりだ。
 瑠璃は双眸を鋭くひらめかせると、いきなり男の肩を蹴りつけた。が、さすがに男は微動だにしなかった。硬い筋肉の盛り上がった広い肩は、瑠璃ごときに蹴られたところでびくともしない。

「言えッ! あの王子のことで、黒鳶は一体なにを言ってきた。全部包み隠さずに私に教えろ!」
「ですから。殿下にお話しするほどのことは何も」
「いい加減にしろっ! 言え、言えというのにッ! ……こいつ、こいつめっ!」
 我を忘れて、さらにドカドカと藍鉄を蹴りつける。
「馬鹿にしおって。どうせ貴様も、私を馬鹿にしておるのだろう。姿だけの下らぬ皇子と、見下しておるのだろうがッ!」
「左様なことは」
「黙れえッ!」

 藍鉄が微動だにしない分、とうとう瑠璃のほうがバランスを失って、ぐらりと後ろへ倒れかけた。と、男の腕が即座に瑠璃の背中を支えた。どうにか床に足はついているが、なかば横抱きのような形になる。

「どうか、お気をつけを」
「う、うるさいっ! どこを触ってるんだ、放せっ! この無礼者が!」

 瑠璃は一発、男の頬を思いきり張り飛ばした。そのまま、めちゃくちゃに両腕を振り回してもがく。肘だの拳だのが容赦なく藍鉄の頬やこめかみに激突した。だが、男は顔色も変えなかった。そのままいとも簡単に元通りに立たされる。余計に格好がつかない。
 瑠璃は急激に自分の頬が熱くなるのを覚え、さらに逆上した。

「いいから言わぬか! これ以上、無礼の段は許さぬぞっ!」
「……は」
「何もかも、包み隠さずに申せ。私に、まことの忠誠心があると言うなら。よいな!?」
「はは」

 一度深々と頭を下げてから、藍鉄は話し始めた。
 アルネリオでの、ユーリ王子の働きぶり。
 ごく貧しい少年少女の前で、衣服が汚れるのも厭わずにその前に膝をつき、食べ物を与え、かれらを胸に抱きしめて、心からの優しい言葉を掛けられたこと。同様にして、ほかの地域の民たちの所にも回り、まさに粉骨砕身、この活動に身をささげていることをだ。
 瑠璃は長椅子に座ったまま、その話をじっと聞いていた。腕を組み、眉間にはひたすらに不快げな皺が刻まれたままである。
 だが、じわじわと胸に広がってくるものはどうしようもなかった。

(……そうか。兄上は)

 兄は、あの王子の見てくれやら、身分にはほとんど興味がないのだ。
 大切なのは、きっとそんなことではない。
 思えばあの亡き深縹こきはなだも、美貌をもって世に知られたひとではなかった。温厚で慈悲深く、ごく控えめな女性にょしょうだったと思う。皇家の女たちにはよくあるような、権力を奪いあったり美貌を競い合ったり、力を振りかざすような心根はいっさい見せない人だった。
 瑠璃の態度は対照的なものだった。玻璃を愛しているゆえに、決して温かく迎えたわけではない。むしろ氷のような眼差しと鋭い舌鋒と態度を持って、あの人に接していたと思う。今よりずっと若く幼かったこともあり、余計に露骨だったことであろう。しかし彼女は夫の大切な弟として、瑠璃にひたすら深い敬意をもって接してくれていたようだった。
 瑠璃がそうと気づいたのは、彼女が遠いニライカナイへ去ってからのことだったけれども。

(玻璃兄は──)

 ぎりりと唇を噛んでなにかをこらえる。衣の膝がしらあたりを力いっぱいに握りしめ、瑠璃は視線を床に落とした。
 兄はその心根こそを、深く愛していたものだ。
 だから、だからこそ。
 みんなから「美貌の皇子よ」と褒めたたえられているだけの自分のことなど、ほかには大した取り柄もない弟のことなど、見向きもしてくれないのだ──。

 急に黙り込み、肩を小刻みに震わせている瑠璃の足元で、藍鉄はやっぱり黙って頭を垂れているのみだ。
 だが、瑠璃が気づくことは遂になかった。
 床に落とされていたその視線がほんの一瞬、先ほど瑠璃の体に触れた自分の手に、ちらりと向けられていたことに。
 




「そういえばあの少女。アーニャでしたか? よかったですね」
「ああ。本当に」

 例によって移動中の飛行艇の中である。
 ロマン自慢の紅茶をひとくち含んで、ユーリは嬉しげに目を細めた。
 あれからさらに、数週間が過ぎていた。

 あの少年が連れていた小さな少女、アーニャについては、その後すぐに滄海の医療機関に収容されて、精密検査が行われた。
 玻璃からの連絡によれば、彼女の目は幸いにも治療が可能なものだった。少年はそれを知ってその場にぺたりとへたりこみ、人目もはばからずに大声でおんおん泣いていたのだという。
 それを聞いて、思わずユーリの胸も熱くなった。うっかり涙まで滲んでしまいそうになったものだ。
 あの少年は、きっとこれから一生懸命に勉強してくれるだろう。
 あれだけの気骨のある少年だ、きっと優秀な人材に育ってくれるに違いない。
 そうしてきっと、自分の道を自分で切り拓いていくことだろう。

 実際、経済的に楽になった兄妹の両親は、今のところ二人が今後も冬場に滄海へ出かけ、さまざまな勉強をすることを快諾してくれている。
 特に男の子は大切な働き手でもあるので、家を空けることにいい顔をしない親も多い。だが、ユーリたちのお陰で借金問題が解決した多くの家では、子供たちの教育に協力的になってくれたのだ。
 ロマンがその素晴らしい能力を見せつけて、教育の大切さを実地で教えたことが大きいのかも知れなかった。

 玻璃は、別に海底皇国にこれらの子供たちがとどまって、地元の民と結婚してくれるようにと強制などはしないという。
 だが、ユーリはこうも思っている。
 もしもあのアーニャという少女が大きくなったあかつきには。
 そして兄と同様に、きちんと教育を受け、ふさわしい教養を身につけた暁には、と。

 男尊女卑の気分がまだまだ強く、どんなに能力があったとしても女性にょしょうが要職につくことを好まないアルネリオ。いや、そもそもアルネリオでは、女の子は比較的裕福な家庭の娘でも、系統だった勉強をする機会そのものが与えられないのが普通なのだ。
 対して、あの波茜なみあかねに代表されるように、そうした障害がほとんどなく、将来の職業への道が能力に応じて大きく開かれた国、滄海わだつみ

 かの少女は、いずれどちらを選ぶものだろうか──と。

 窓外を飛び去って行く雲の流れを目で追いながら、やわらかな茶葉の香りを楽しみつつ、ユーリはゆったりと微笑んだ。


 海底皇国、滄海から正式の文書がきたのは、それから間もなくのことだった。
 アルネリオの皇帝ツァーリエラストは、これを御前会議にはかり、十分に吟味した上、了承することを決定した。
 滄海の皇太子、玻璃と、アルネリオの第三王子ユーリの婚姻が正式に認められた瞬間だった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

その首輪は、弟の牙でしか外せない。

ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。 第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。 初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。 「今すぐ部屋から出ろ!」 独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。 翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。 「俺以外に触らせるな」 そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。 弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。 本当にこのままでもいいのか。 ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。 その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。 どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。 リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24) ※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。 三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった

ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン モデル事務所で メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才 中学時代の初恋相手 高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が 突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。 昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき… 夏にピッタリな青春ラブストーリー💕

処理中です...