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第十章 予兆

2 子の形質

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 玻璃に促され、柏木はすぐに他の者に目配せをして建物のほうへと一同をいざなった。柏木を先頭に四人が続き、他の者たちは後ろからついてくる。

 内部はいかにもこの国の科学技術を窺い知らされるような設えだった。曇りのない透明な仕切りに囲まれた広い部屋で、柏木たちと同じ格好をした大勢の人々が働いている。ユーリにはよく分からないなにかの機械をいじったり、ひどく真剣なまなざしで四角い画面を見つめていたり。
 廊下は温かな薄桃色の壁がずっと続いており、時折り目に優しい緑をそなえた観葉植物が据えられていた。やはり全体に居住性を重視した、とても落ち着いた雰囲気だ。
 と、とある場所で柏木が立ち止まった。
 すぐ先にある壁と同じ色をした入り口を指し示す。

「あちらのお部屋です。どうぞ、配殿下お一人でご入室を」
「いや。俺も共に入る」
 遮ったのは玻璃だ。
「は? ……いえ、しかし」
 柏木が戸惑ったように目を瞬いたが、玻璃はごく鷹揚に笑って片手を上げただけだった。
「別に構うまい? 俺がいた方が、何かと手間が省けよう」
「は……。で、では、そのように。ほかの方々は、どうぞこちらでお待ちください」

 黒鳶は目だけで玻璃の意向を受け取ったらしく、すぐに一礼してロマンを促すと、言われた場所へ移動していく。
 ユーリは玻璃に軽く手を引かれて部屋に入った。
 部屋の中は、やっぱり温かな色目の設えになっていた。淡い橙色や桃色の壁に、やわらかそうなソファと小ぶりのテーブル。壁にはそのテーブルほどの大きさの窓のような枠があるが、向こう側は見えなかった。そのほかにもいくつか、今まで見て来たような小さなパネルや扉があるのがわかる。
 玻璃はユーリをソファに導き、自分もその隣に腰をおろした。

「あの、玻璃どの……?」
「心配するな。何も怖くはないし、痛くもないゆえ」
 宥めるように優しく背中を撫でられる。
「いえ、あのう……」
「あまり緊張していては、思ったようにが運ばぬぞ」
「いえ、ですから。ここでいったい、何をしようというのです?」
「ん? だから子作りのための下準備だろう」
「え? ……こ、こづ……なんですって?」

 いきなり言われた単語がすぐには理解できない。
 泡を食って目を白黒させているユーリを軽く抱きよせながら、玻璃はまた屈託なく笑っている。

「俺の配殿下となったからには、こればかりは避けて通れぬ道だからな。これからそなたの大切な《遺伝物質》を採取させて頂く。それをこの管理局でしっかりと管理、保存しておかねばならぬ。我らの子供が生まれてくるまで、な」
「な……なんと」

 ユーリは絶句し、あらためて部屋の中をきょろきょろと見回した。

「無論、ここはなにも皇族のためだけの施設ではない。ここには今まで長年にわたって、滄海の多くの民の遺伝物質が保管されている。過去何百年かにわたる膨大な遺伝情報が記録・管理もされている、というわけだ」
「は、はあ……」
「以前、『こちらの国では同性でも結婚できる、子供も作れる』と申しただろう? それが可能なのは、ひとえにこの施設のお陰だと言える。結婚した二人の遺伝物質を用いて二人の子供を生まれさせる」
「…………」
 ユーリは再び絶句した。
「ちなみに、与える形質については基本的に『選別』などはおこなわない。それは倫理上重大な人権侵害になるからだ。そのためかなり昔に法制化もなされて、厳しく制限されている。実の親であれここの職員であれ、これに反すれば厳重に処罰されることになる」
「えーと……」

 聞き慣れない単語がいきなり次々にとび出てきて混乱する。
 つまり、まとめるとこういうことだ。
 生まれてくる赤ん坊の様々な形質を親が勝手に選別することは許されない。背が高いか低いか。髪や目の色はどうか。そういった容姿に関することはもちろんのこと、持って生まれてくる才能なども。
 ただ、生まれてきても長くは生きられないことが確実であるような病気や障害に関してだけは、この限りではないそうだ。その子がのちのち自分が生まれて来たことを恨むようになるのでは本末転倒。それは罪作りであるばかりでなく、新たな命を生まれさせる意味がないとの判断らしい。
 ただひとつ救いがあるとすれば、この滄海ではそうした多くの病気や障害についても、進んだ医療技術によって治療や回復やサポートが望めるということだろう。従って、生まれるはずだった子供が実際にこの施設内で命を絶たれる例というのはほとんどないという話だった。

 それとはまた別の話だが、子供に関する情報として、両親には生まれて来たあとで「この子はこちらの方面に才能が花開く可能性のある形質を持っている」といった情報開示は行われるのだという。
 平たく言ってしまえば、何かの芸術的才能や武術などにすぐれた才を発揮する可能性があるとか、ないとか。そういうことだ。遺伝的な形質を精査すれば、生まれた時点でそういったことがある程度わかってしまうらしい。

 とは言え生き方の選択は本人の自由だ。またその情報が子供のあらゆる可能性を網羅したものとも言えないらしい。この情報によって「この子はそちら方面に才は花開かないかもしれぬ」と出たとしても、実際にそちらの分野で成功する人というのが必ずいるものだからだそうだ。
 というのも、すべての形質と才能の有無について、この科学の進んだ滄海にあってもまだすべてが紐づけられているわけではないからだという。ひとの能力は恐ろしく無限にあり、可能性はだれにとってもどこまでも開かれている。
 まさに「下手の横好き」が成功する可能性は無ではないのだ。だからこの「告知」は、飽くまでも人が生きていく上でのちょっとした指針ぐらいの扱いなのだった。
 大体以上のようなことを、玻璃はかなり言葉をかみ砕きながらゆっくりと教えてくれた。

(そうなのか……。よかった)

 ユーリは胸をなでおろした。
 もしも生まれて間もないうちから「この子にはなんの才能もない」「育ったところで、なにをやっても無駄である」なんて言われた日には。その子はもう、最初から生きる希望を失ってしまうことになるだろうから。
 アルネリオの王宮で散々に兄たちとひき比べられてつらい思いをしてきたユーリにとっては、とても他人事とは思えない。
 「希望がある」というのは素敵だ。
 アルネリオの片田舎で出会ったあの小さな兄妹のことを思い出すまでもない。
 生きるためには、人には必ず未来への希望が必要なものだから。

「はあ。ちょっと安心しました……」
「そうか? それは良かった。ということで、早速始めるとしよう」

 玻璃がそう言って、壁の枠のほうへ目配せをすると、枠の内側にさっと光が入って先ほどの柏木の顔が映し出された。
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