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第十章 予兆
9 潜水
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「なんだか不思議な感じですね」
「うーん……。そうだね」
三日後。
鰓手術カプセルからやっと出てきたユーリとロマンは、微妙な顔で互いを見合っていた。今は二人とも、ここの患者たちと同じ薄い桃色の手術着を着ている。
そうっと指先で触れてみると、それはたしかにそこにあった。耳のすぐ斜め下あたりに、うっすらと切れ込みが入っている。これが人工鰓だ。あの玻璃にも、そばにいる黒鳶にもこれがある。これがあるゆえに、彼らは自由に水中でも呼吸ができるのだ。
空気中にいるとき、それはぴたりと閉ざされていて、ちらっと見ただけでは分からない。それに、ユーリのように髪を少し長めにのばしているだけでも、すっかり隠れて見えなくなってしまう。
ロマンと一緒にそばにあった鏡に鰓を映して矯めつ眇めつしていたら、担当の医務官たちが部屋に入ってきた。
みなは一様にユーリに向かって頭を下げると、きびきびと今後の説明を始めた。
「配殿下、お待たせをいたしました。水槽の準備が整いました。さっそく『試運転』をいたしましょう。何か不具合がありましたら、すぐに微調整をいたします」
「すでに注文されていた殿下の尾鰭も届いているようですので、併せてお試しくださいませ」
「えっ。尾鰭が? もうですか……?」
思わず言ったら、かれらはまた口々に言い添えた。
「玻璃殿下が『とにかく急いでやってくれ』との仰せだそうで」
「それはもう、ほかならぬあの皇太子殿下のお望みですし」
「玻璃殿下はご自身の勝手なわがままごとなど、これまでただの一度も申されたことのない方です。だからこそ、みな張り切って誠心誠意、作業をさせていただいたと聞いております」
「もちろん急いだとは申しても、安全面などの調整は細心の注意を払ってのことにございますが」
「そ、そうなのですか……」
「さ、どうぞこちらへ。配殿下」
みなが恭しく頭を垂れる中を、ユーリはやや頬を染め、うつむき加減で通り抜けた。後ろから、ロマンが妙に嬉しそうな顔をしてついてくる。黒鳶はもちろん、いつもの静かな無表情。
鰓の試運転のための水槽設備は、医務局の地下に造られていた。円形の広々とした空間に、巨大な円柱形の水槽が設置されている。ユーリとロマンは水槽の端につけられた螺旋階段をのぼり、上底部へ案内された。
そこには低めの白いテーブルが据えられており、上にふたり分の尾鰭と付属品がすでに準備されていた。
置かれた自分の尾鰭を見て、ユーリは思わず赤面した。
(うわあ。あらためて見るとこれ、やっぱり私には派手だよなあ……)
自分用の尾鰭は、玻璃がみずから望んでくれていたいくつかの候補の中から、最初に「似合いそうだな」と言ってくれた通りのものにしたのだ。
全体に柔らかくて甘い色目。鰭はひらひらと白っぽく透き通り、優美な金魚や鯉のものによく似ている。鱗は光の当たり方によって、桃色に見えたり橙色に見えたり、また銀色に見えたりもする、とてもきらびやかなものだ。
電子カタログで見ていた時には比較的地味なものを選んだつもりだったけれど、実際目にするとなかなか派手なものに見える。ユーリはなんだかまごまごしてしまった。とてもではないがこんな品、地味な自分なんかに似合うはずがないと思うのに。
「さあさあ、装着なさってみてください。手順は簡単なものですが、最初は我らがお手伝いいたしますほどに」
医務官とともにそばにいる尾鰭開発局の局員たちが、装着の方法や使い方を改めて説明してくれる。
基本的に、男子が尾鰭をつける場合には衣服はつけない。下半身の下着だけは、特別なものであればつけても構わないが、ごく小さな面積のものに限られる。ほかはほとんど裸身である。
ロマンが自分のことは後回しにして先に着替えを手伝ってくれた。その後、皆がユーリを水面そばの細長い腰かけに座らせて、足先から尾鰭をつけてくれる。
腰のあたりで肌と接触する部分には、上から特殊な薄い透明のシートをはりつけられた。少し時間を置くと、それが肌となじんで一体化する。そうすると、尾鰭と人間の肌との境目がほとんど見えなくなり、水も侵入しなくなる。まるで本物の人魚にでもなったみたいだ。
「いかがですか。お肌に痛みや痒み、違和感などはございませぬか」
「膝や足先など、窮屈な部分はございませぬか」
尾鰭開発局の局員があれこれと濃やかにたずねてくる。その隣では、小さな薄緑色の画面を空中に出した局員がこまかなデータを次々に書き加えているようだ。
「ええ。特に問題ないです」
そこで、今度はロマンが自分の尾鰭をつけた。やっぱり局員が手伝っている。
少年が選んだのは、ユーリのものよりはずっと大人しいデザインの尾鰭だ。薄い水色と萌黄色が混ざったような色合いで、鰭の形状もごくごく実用的なものである。自分で選んだだけあって、少年の雰囲気によく似合っていた。
「さあ。では、まずは水槽の縁に腰かけてみましょう。尾鰭と鰓を少しずつ水に慣らして参ります」
「では、自分が。殿下、失礼いたします」
さっと黒鳶が前に出て、まずユーリを抱き上げた。そのままそろそろと水槽の縁へ降ろしてくれる。その後ロマンを抱き上げて、同じように隣に座らせた。その際、少年の頬がさっと赤らんだのは、ユーリの気のせいだったかもしれない。
上から覗くと、水槽はずいぶん深く見えた。大人の背丈の優に十倍はあるだろう。手前に少しばかりの段差がつけられていて、そこだけ浅くなっている。そこならロマンでも十分に顔が出せるぐらいだ。
そこに、すでに尾鰭開発局の局員の男性が二人、尾鰭をつけた状態で待機してくれている。水中での手助けのためだろう。
「まずはこちらへお入りください。静かに鰓を水につけるところから始めましょう」
「は、はい」
ユーリは少し緊張しながら頷いた。
正直いって、少し怖い。なんといっても、自分は本当に水に溺れて命をなくしかけたことのある人間だ。あの玻璃が救ってくれていなければ、自分は今ごろとっくにこの世の人ではなかっただろう。
この場にいる一同も、そのことは知っている。事前に玻璃から聞かされているうえ、個別のカウンセリングでユーリ自身からも話をしてあるからだ。だからこそ、みんな慎重になっているのだろう。
「大事ありませぬか、配殿下。ご無理はなさいませんように」
「少しでもご不安に思われるなら、遠慮なくおっしゃってくださいませ。すぐにとりやめと致しますゆえ」
「ああ、うん。大丈夫だよ」
ユーリは声を掛けてくれた医務官や局員たちにそっと微笑みかけた。そうしてロマンと一度頷きかわすと、そろそろと腰を移動させて水に入った。
「うーん……。そうだね」
三日後。
鰓手術カプセルからやっと出てきたユーリとロマンは、微妙な顔で互いを見合っていた。今は二人とも、ここの患者たちと同じ薄い桃色の手術着を着ている。
そうっと指先で触れてみると、それはたしかにそこにあった。耳のすぐ斜め下あたりに、うっすらと切れ込みが入っている。これが人工鰓だ。あの玻璃にも、そばにいる黒鳶にもこれがある。これがあるゆえに、彼らは自由に水中でも呼吸ができるのだ。
空気中にいるとき、それはぴたりと閉ざされていて、ちらっと見ただけでは分からない。それに、ユーリのように髪を少し長めにのばしているだけでも、すっかり隠れて見えなくなってしまう。
ロマンと一緒にそばにあった鏡に鰓を映して矯めつ眇めつしていたら、担当の医務官たちが部屋に入ってきた。
みなは一様にユーリに向かって頭を下げると、きびきびと今後の説明を始めた。
「配殿下、お待たせをいたしました。水槽の準備が整いました。さっそく『試運転』をいたしましょう。何か不具合がありましたら、すぐに微調整をいたします」
「すでに注文されていた殿下の尾鰭も届いているようですので、併せてお試しくださいませ」
「えっ。尾鰭が? もうですか……?」
思わず言ったら、かれらはまた口々に言い添えた。
「玻璃殿下が『とにかく急いでやってくれ』との仰せだそうで」
「それはもう、ほかならぬあの皇太子殿下のお望みですし」
「玻璃殿下はご自身の勝手なわがままごとなど、これまでただの一度も申されたことのない方です。だからこそ、みな張り切って誠心誠意、作業をさせていただいたと聞いております」
「もちろん急いだとは申しても、安全面などの調整は細心の注意を払ってのことにございますが」
「そ、そうなのですか……」
「さ、どうぞこちらへ。配殿下」
みなが恭しく頭を垂れる中を、ユーリはやや頬を染め、うつむき加減で通り抜けた。後ろから、ロマンが妙に嬉しそうな顔をしてついてくる。黒鳶はもちろん、いつもの静かな無表情。
鰓の試運転のための水槽設備は、医務局の地下に造られていた。円形の広々とした空間に、巨大な円柱形の水槽が設置されている。ユーリとロマンは水槽の端につけられた螺旋階段をのぼり、上底部へ案内された。
そこには低めの白いテーブルが据えられており、上にふたり分の尾鰭と付属品がすでに準備されていた。
置かれた自分の尾鰭を見て、ユーリは思わず赤面した。
(うわあ。あらためて見るとこれ、やっぱり私には派手だよなあ……)
自分用の尾鰭は、玻璃がみずから望んでくれていたいくつかの候補の中から、最初に「似合いそうだな」と言ってくれた通りのものにしたのだ。
全体に柔らかくて甘い色目。鰭はひらひらと白っぽく透き通り、優美な金魚や鯉のものによく似ている。鱗は光の当たり方によって、桃色に見えたり橙色に見えたり、また銀色に見えたりもする、とてもきらびやかなものだ。
電子カタログで見ていた時には比較的地味なものを選んだつもりだったけれど、実際目にするとなかなか派手なものに見える。ユーリはなんだかまごまごしてしまった。とてもではないがこんな品、地味な自分なんかに似合うはずがないと思うのに。
「さあさあ、装着なさってみてください。手順は簡単なものですが、最初は我らがお手伝いいたしますほどに」
医務官とともにそばにいる尾鰭開発局の局員たちが、装着の方法や使い方を改めて説明してくれる。
基本的に、男子が尾鰭をつける場合には衣服はつけない。下半身の下着だけは、特別なものであればつけても構わないが、ごく小さな面積のものに限られる。ほかはほとんど裸身である。
ロマンが自分のことは後回しにして先に着替えを手伝ってくれた。その後、皆がユーリを水面そばの細長い腰かけに座らせて、足先から尾鰭をつけてくれる。
腰のあたりで肌と接触する部分には、上から特殊な薄い透明のシートをはりつけられた。少し時間を置くと、それが肌となじんで一体化する。そうすると、尾鰭と人間の肌との境目がほとんど見えなくなり、水も侵入しなくなる。まるで本物の人魚にでもなったみたいだ。
「いかがですか。お肌に痛みや痒み、違和感などはございませぬか」
「膝や足先など、窮屈な部分はございませぬか」
尾鰭開発局の局員があれこれと濃やかにたずねてくる。その隣では、小さな薄緑色の画面を空中に出した局員がこまかなデータを次々に書き加えているようだ。
「ええ。特に問題ないです」
そこで、今度はロマンが自分の尾鰭をつけた。やっぱり局員が手伝っている。
少年が選んだのは、ユーリのものよりはずっと大人しいデザインの尾鰭だ。薄い水色と萌黄色が混ざったような色合いで、鰭の形状もごくごく実用的なものである。自分で選んだだけあって、少年の雰囲気によく似合っていた。
「さあ。では、まずは水槽の縁に腰かけてみましょう。尾鰭と鰓を少しずつ水に慣らして参ります」
「では、自分が。殿下、失礼いたします」
さっと黒鳶が前に出て、まずユーリを抱き上げた。そのままそろそろと水槽の縁へ降ろしてくれる。その後ロマンを抱き上げて、同じように隣に座らせた。その際、少年の頬がさっと赤らんだのは、ユーリの気のせいだったかもしれない。
上から覗くと、水槽はずいぶん深く見えた。大人の背丈の優に十倍はあるだろう。手前に少しばかりの段差がつけられていて、そこだけ浅くなっている。そこならロマンでも十分に顔が出せるぐらいだ。
そこに、すでに尾鰭開発局の局員の男性が二人、尾鰭をつけた状態で待機してくれている。水中での手助けのためだろう。
「まずはこちらへお入りください。静かに鰓を水につけるところから始めましょう」
「は、はい」
ユーリは少し緊張しながら頷いた。
正直いって、少し怖い。なんといっても、自分は本当に水に溺れて命をなくしかけたことのある人間だ。あの玻璃が救ってくれていなければ、自分は今ごろとっくにこの世の人ではなかっただろう。
この場にいる一同も、そのことは知っている。事前に玻璃から聞かされているうえ、個別のカウンセリングでユーリ自身からも話をしてあるからだ。だからこそ、みんな慎重になっているのだろう。
「大事ありませぬか、配殿下。ご無理はなさいませんように」
「少しでもご不安に思われるなら、遠慮なくおっしゃってくださいませ。すぐにとりやめと致しますゆえ」
「ああ、うん。大丈夫だよ」
ユーリは声を掛けてくれた医務官や局員たちにそっと微笑みかけた。そうしてロマンと一度頷きかわすと、そろそろと腰を移動させて水に入った。
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