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第十章 予兆
10 撮影
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「大事ありませぬか、配殿下。ご無理はなさいませんように」
「少しでもご不安に思われるなら、遠慮なくおっしゃってくださいませ。すぐにとりやめと致しますゆえ」
「ああ、うん。大丈夫だよ」
ユーリは声を掛けてくれた医務官や局員たちにそっと微笑みかけた。そうしてロマンと一度頷きかわすと、そろそろと腰を移動させて水に入った。
医務官のひとりが二人の指に小さな器具を取りつけている。かるく指を挟むような形の医療機器だ。聞けばそれで酸素濃度を測るのだということだった。
そうこうするうち、黒鳶もすぐにするりと水中に入ってきた。ユーリたちのものとは別に、最前から脇に置いてあった黒灰色をした尾鰭をすでに装着している。前に言っていた通り、それは鮫のものにそっくりだ。
彼は上半身に、黒灰でぴたりと肌に添うスーツを装着している。さすがに手慣れているのか、一連の動きは非常に素早くて無駄がなかった。
ユーリとロマンは首のあたりまで水につかって、局員の指導のとおり、ゆっくりと首筋を水に沈めた。それからゆるゆると口、鼻の順に水の中に入れていく。
「では、そこで少しだけ口をお開きください。水が浸入してくるのに逆らわないでくださいませ」
言われたとおりにしてみても、本来であればすぐに苦しくなるはずの呼吸が少しも苦しくならなかった。なんとなくだったが、鼻と口から入り込んでくる水が、気管や食道とは別の通路を通って耳の脇から外へ出て行くのがわかるような気がした。
「良いようですね。お二人とも、血中の酸素濃度は良好です。そのほかのバイタルも安定しております」
そうなんですかと言おうとしたが、よく考えたら口は水の中だ。口元であぶくがぶくぶくと小さな音を立てるだけだった。ユーリは代わりに、医務官にひとつ頷き返した。
「では、ここから少し潜っていただきましょう。局員の指示に従ってくださいませ」
医務官の合図で、水の中にいた局員が先に潜った。次に黒鳶が音もなく沈んでいく。ユーリとロマンもそのあとに続いた。
耳の中に装着している通信装置から、医務官の声が聞こえる。
《局員の進むほうへどうぞ。泳ぎ方は事前にご説明させて頂いたとおりです》
尾鰭には、足の力を何倍にも増幅させる機能があるらしい。足を少しばかりくねくねと動かすだけで、かなりの推進力が得られる。とはいえ、これには少し慣れも必要のようだった。
局員や黒鳶の見よう見真似で足を動かしてみるが、思ったようには進めない。ロマンもしばらく同じところでばたついたり、ぐるぐる回ってみたりの悪戦苦闘をやっているようだった。
そんな風にふたりであれこれやっているうちに、次第にこつがつかめて来た。半刻もたつ頃には、ふたりともかなり上手に水の中を泳ぎ回れるようになった。
が、もちろんその道のプロである黒鳶には到底かなわない。彼は雄々しい鮫の鰭を自在に操って、びゅんびゅんと弾丸のように水の中を飛んでいくように見えた。まさに、海の黒き狼さながらだ。
ロマンは一生懸命そのあとを追おうとしていたが、すぐに諦めてしまうほどだった。しかも、暗い色目ばかりの黒鳶はすぐに視界から消えてしまう。これが本当に海の中であったなら、たとえ隠遁の術などを使わなくとも、彼の姿はほとんど人の目につかないであろう。
黒鳶は自分のスピードが速すぎることにすぐに気づいて、ロマンやユーリのそばに戻って来ると、今度はゆっくりと二人に合わせ、導くように泳いでくれた。
《では、そのぐらいでお上がりください。最初からあまりたくさん泳がれると、思っておられる以上に疲労が蓄積しますので》
医務官のその声で、二人は素直に水から上がった。入った時と同じく、ゆっくりと口と鼻を空気中に出し、体を引き上げてもらう。
(うわ、重いな──)
まず驚いたのはそのことだった。水の中では楽だったのに、空気中に出た途端に自分の体がひどく重く感じたのだ。それに、鰓呼吸から肺呼吸へ転換する瞬間、ぴりりとわずかに鰓がひりつくような痛みがあった。それはまあ、特段異常なことではないらしかったが。
「恐れながら、動画を撮影させて頂きました。すぐさま皇太子殿下へ転送させていただきます。その後はすぐに消去いたしますので」
「えっ? いやそんな、やめてください。恥ずかしいので!」
ぎょっとして手をばたつかせたが、医務官も局員もくすくす笑って取り合ってくれない。なにしろ「あの玻璃殿下たってのご希望」だ。ユーリが何を言ってもやめてくれるわけがなかった。
ちなみに「動画」というのは、写真が動いているようなもののことをいう。こちらではそれが簡単に撮影され、通信回線を通じてあっというまにあちらへ送ることもできるらしいのだ。
ユーリは頭を抱えてしまった。
「ああっ、やだなあ……。あんなに無様に泳いでいるところを、殿下にご覧いただくなんて」
「何をおっしゃいます。殿下がどんなにこの場においでになりたかったことか。配殿下とごいっしょに、ここでお泳ぎになりたかったことか」
「もちろん多くは申されませんでしたが、そうお考えなのは間違いございません」
「その代わりに、せめて動画なりともさしあげましょうと、こちらから申し上げたのですよ」
「そうですとも。殿下はそれはそれはお喜びで、大層楽しみになさっておいででしたから」
「……そ、そうですか」
みんなからあっさりと言いくるめられ、ユーリはもう赤面して黙り込むほかはない。
が、ロマンときたらもっとひどかった。
「何をおっしゃるのです! ユーリ様の尾鰭、とってもお美しくて可愛らしくって、こんなにお似合いですのに。絶対に絶対に、玻璃殿下にご覧いただかなくてはっ!」
「いやあの、ロマン……?」
まったくこの少年は。援護射撃もなにもあったものではない。
いい歳をした大人の男子に向かって、なにが「お美しくて可愛らしい」だ。
それも、兄上たちのような美貌の人ならいざ知らず!
もちろん黒鳶は視線をわずかに余所へずらして、終始だんまりである。
ユーリはとうとう最後には完全に頭を抱えて「はい、もういいです。どうとでもしてください……」と脱力するほかはなかった。
「少しでもご不安に思われるなら、遠慮なくおっしゃってくださいませ。すぐにとりやめと致しますゆえ」
「ああ、うん。大丈夫だよ」
ユーリは声を掛けてくれた医務官や局員たちにそっと微笑みかけた。そうしてロマンと一度頷きかわすと、そろそろと腰を移動させて水に入った。
医務官のひとりが二人の指に小さな器具を取りつけている。かるく指を挟むような形の医療機器だ。聞けばそれで酸素濃度を測るのだということだった。
そうこうするうち、黒鳶もすぐにするりと水中に入ってきた。ユーリたちのものとは別に、最前から脇に置いてあった黒灰色をした尾鰭をすでに装着している。前に言っていた通り、それは鮫のものにそっくりだ。
彼は上半身に、黒灰でぴたりと肌に添うスーツを装着している。さすがに手慣れているのか、一連の動きは非常に素早くて無駄がなかった。
ユーリとロマンは首のあたりまで水につかって、局員の指導のとおり、ゆっくりと首筋を水に沈めた。それからゆるゆると口、鼻の順に水の中に入れていく。
「では、そこで少しだけ口をお開きください。水が浸入してくるのに逆らわないでくださいませ」
言われたとおりにしてみても、本来であればすぐに苦しくなるはずの呼吸が少しも苦しくならなかった。なんとなくだったが、鼻と口から入り込んでくる水が、気管や食道とは別の通路を通って耳の脇から外へ出て行くのがわかるような気がした。
「良いようですね。お二人とも、血中の酸素濃度は良好です。そのほかのバイタルも安定しております」
そうなんですかと言おうとしたが、よく考えたら口は水の中だ。口元であぶくがぶくぶくと小さな音を立てるだけだった。ユーリは代わりに、医務官にひとつ頷き返した。
「では、ここから少し潜っていただきましょう。局員の指示に従ってくださいませ」
医務官の合図で、水の中にいた局員が先に潜った。次に黒鳶が音もなく沈んでいく。ユーリとロマンもそのあとに続いた。
耳の中に装着している通信装置から、医務官の声が聞こえる。
《局員の進むほうへどうぞ。泳ぎ方は事前にご説明させて頂いたとおりです》
尾鰭には、足の力を何倍にも増幅させる機能があるらしい。足を少しばかりくねくねと動かすだけで、かなりの推進力が得られる。とはいえ、これには少し慣れも必要のようだった。
局員や黒鳶の見よう見真似で足を動かしてみるが、思ったようには進めない。ロマンもしばらく同じところでばたついたり、ぐるぐる回ってみたりの悪戦苦闘をやっているようだった。
そんな風にふたりであれこれやっているうちに、次第にこつがつかめて来た。半刻もたつ頃には、ふたりともかなり上手に水の中を泳ぎ回れるようになった。
が、もちろんその道のプロである黒鳶には到底かなわない。彼は雄々しい鮫の鰭を自在に操って、びゅんびゅんと弾丸のように水の中を飛んでいくように見えた。まさに、海の黒き狼さながらだ。
ロマンは一生懸命そのあとを追おうとしていたが、すぐに諦めてしまうほどだった。しかも、暗い色目ばかりの黒鳶はすぐに視界から消えてしまう。これが本当に海の中であったなら、たとえ隠遁の術などを使わなくとも、彼の姿はほとんど人の目につかないであろう。
黒鳶は自分のスピードが速すぎることにすぐに気づいて、ロマンやユーリのそばに戻って来ると、今度はゆっくりと二人に合わせ、導くように泳いでくれた。
《では、そのぐらいでお上がりください。最初からあまりたくさん泳がれると、思っておられる以上に疲労が蓄積しますので》
医務官のその声で、二人は素直に水から上がった。入った時と同じく、ゆっくりと口と鼻を空気中に出し、体を引き上げてもらう。
(うわ、重いな──)
まず驚いたのはそのことだった。水の中では楽だったのに、空気中に出た途端に自分の体がひどく重く感じたのだ。それに、鰓呼吸から肺呼吸へ転換する瞬間、ぴりりとわずかに鰓がひりつくような痛みがあった。それはまあ、特段異常なことではないらしかったが。
「恐れながら、動画を撮影させて頂きました。すぐさま皇太子殿下へ転送させていただきます。その後はすぐに消去いたしますので」
「えっ? いやそんな、やめてください。恥ずかしいので!」
ぎょっとして手をばたつかせたが、医務官も局員もくすくす笑って取り合ってくれない。なにしろ「あの玻璃殿下たってのご希望」だ。ユーリが何を言ってもやめてくれるわけがなかった。
ちなみに「動画」というのは、写真が動いているようなもののことをいう。こちらではそれが簡単に撮影され、通信回線を通じてあっというまにあちらへ送ることもできるらしいのだ。
ユーリは頭を抱えてしまった。
「ああっ、やだなあ……。あんなに無様に泳いでいるところを、殿下にご覧いただくなんて」
「何をおっしゃいます。殿下がどんなにこの場においでになりたかったことか。配殿下とごいっしょに、ここでお泳ぎになりたかったことか」
「もちろん多くは申されませんでしたが、そうお考えなのは間違いございません」
「その代わりに、せめて動画なりともさしあげましょうと、こちらから申し上げたのですよ」
「そうですとも。殿下はそれはそれはお喜びで、大層楽しみになさっておいででしたから」
「……そ、そうですか」
みんなからあっさりと言いくるめられ、ユーリはもう赤面して黙り込むほかはない。
が、ロマンときたらもっとひどかった。
「何をおっしゃるのです! ユーリ様の尾鰭、とってもお美しくて可愛らしくって、こんなにお似合いですのに。絶対に絶対に、玻璃殿下にご覧いただかなくてはっ!」
「いやあの、ロマン……?」
まったくこの少年は。援護射撃もなにもあったものではない。
いい歳をした大人の男子に向かって、なにが「お美しくて可愛らしい」だ。
それも、兄上たちのような美貌の人ならいざ知らず!
もちろん黒鳶は視線をわずかに余所へずらして、終始だんまりである。
ユーリはとうとう最後には完全に頭を抱えて「はい、もういいです。どうとでもしてください……」と脱力するほかはなかった。
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