ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

文字の大きさ
166 / 195
第四章 宇宙のゆりかご

13 朝議の席で

しおりを挟む

 海底皇国滄海の帝都、青碧せいへき
 海皇、群青陛下のおわす皇居の外殻に、皇太子殿下のお住まいである東宮そのほか、ご親族らがお住まいのスペースがぐるりと取り巻いている。さらにその外側に、表向きの政務を執り行うための施設が周囲を取り囲んでいる。
 その最外殻の中ではもっとも内側にあたる位置に、御前会議の間は存在する。

 左大臣・藍鼠あいねずは、今日も刻限どおりに朝一番に参内していた。参内のための正装である黒い束帯のほうには、左大臣の位を示す雲立涌くもたてわくの文様が入り、八尺(約242センチメートル)もの長いきょをひきずっている。裾も位ごとに長さが違い、最高位の陛下が最も長い。彼の後ろからは側付きの青年が数名ついてきていた。
 しずしずと御前会議の間に至ると、藍鼠は皇太子殿下のお座りになる位置に最も近く、臣下の中ではもっとも上座にあたる場所に静かに座を占め、残りの皆を待った。
 かつていにしえの時代には、自分上に摂政・関白といった官職がおかれていたという話だが、今では廃されて久しいという。

 桟敷から見わたせる中庭と、その外に広がる人工の空は、今日は重い鈍色である。海底皇国では陸上との差をなるべく小さくするべく、昼夜と季節を設定している。晴天の日ばかりでなく、雨の日も嵐の日もあれば、今日のような曇天の日も敢えてつくられているのだ。
 それは主に、この海底に暮らす人々と生き物、とりわけ農作物のためにどうしても必要なシステムだった。
 季節でいえば、いまはちょうど初秋のころだ。曇る日や、秋霖しゅうりんと呼ばれる長雨の降る日も多い。
 藍鼠の心のうちも、どうにもきれいに晴れ上がるというわけにはいかなかった。

(さてさて……本日はいかような茶々が入るものやら)

 藍鼠は袖の下で、手にしたしゃくをもう片方の手のひらにぱたりと当てた。自分では気づいていないが、これはものを考えているときの彼の癖だ。
 そうでなくても日々の政務は多岐にわたり、決めねばならぬことは山積しているというのに、このところのあの宇宙から飛来した化け物の存在があるために、会議は余計に紛糾するのが常だった。
 と、精悍な顔つきをした老年の男が供の者らを引きつれて二番目に顔を出した。

「いつもながらお早うございますな。藍鼠閣下」
「うむ。そなたもな」

 滄海宇宙軍・正三位兵部卿、青鈍あおにびだった。
 左大臣からすればかなり下位にあたるため、少し離れた場所に座を占める。青鈍の側近の中に、滄海きっての才女、波茜なみあかねの美貌も見える。

「やつはあれから、動かぬままか」
 青鈍に訊ねたのは、もちろん例の謎の宇宙船のことだった。
「はい。配殿下を受け取って以降は、あの火星の軌道上につけたきり、ほとんど動きを見せませぬ。いったい何を考えておるものやら」
「やはりあの配殿下では、玻璃殿下を奪還などは夢また夢……なのかのう」
「さて。そればかりは──」
「……ふむ」

 青鈍に控えめに頭を提げられて、思わず小さく吐息をつく。優しいがかなり頼りなげだった、あの若いアルネリオの第三王子の面影を思い出した。
 我が国の皇太子、玻璃殿下があの若者のどこに惹かれたものやら。殿下には申し訳ないことながら、藍鼠には腑に落ちないことも多かった。あのような王子のいったいどこに、あそこまで惚れぬく要素があったものやら。
 玻璃殿下には、どうあっても戻っていただきたい。しかし正直、このままあの恐ろしい生き物がこの太陽系から去ってくれることが最も喜ばしいのも事実だった。
 実際、右大臣派の面々の最近の態度にはあきらかにそれを望む風が窺える。玻璃皇子の生死を問わず、瑠璃皇子を皇太子の位にと声高こわだかに叫ぶ者すらあるのだった。

(まあ、しかし。殿下の態度は意外だったが)

 それは第二皇子、瑠璃殿下のことだった。
 右大臣派の面々は、玻璃皇子がいたころからずっと、彼を担ぎ上げて自分たちの勢力を増すことを考えてきた。玻璃皇子がこうなった今、彼らにとっては大きなチャンスが巡って来たといって過言ではない。そう考えて様々に瑠璃皇子に接触し、説得を試みたことは想像に難くないのである。
 しかし、瑠璃皇子は「うん」とは言わなかった。
 右大臣らに担ぎ上げられることをいとうてのことかどうかは定かでないが、皇子はさっさと自分の住まいである離宮へ取って返し、「天岩戸あまのいわと」よろしく籠城を決め込んでおられるのだとか。
 最愛の兄皇子を奪われたことによる精神的な衝撃が大きかったのだろう。それは間違いない。だが藍鼠には、ただそれだけでもないように感じられるのだ。

(思っていたほど莫迦ばかではなかったのかな。あの皇子)

 と、そんなことを思いながら青鈍と二言、三言かわすうちに、部屋にはぞろぞろと御前会議の面々が雁首を揃えていた。

「やあやあ。お早うござりまするな、藍鼠どの」

 笏の内側でからからと笑ったのは、自らを藍鼠あいねずの好敵手と任じて憚らぬ男、右大臣・濡羽ぬればである。
 藍鼠は微笑んでゆったりといらえを返した。

「いえいえ、さほどのことは。年を取りますとこう、なかなか朝寝もできませぬでな。若い時分のようには参りませぬわ」
「またまた。なにをおっしゃいますやら──」

 男が笑うと、でっぷりと太った腹を包んだ黒い袍と白い頬肉がぷるぷる震えた。もともと細い目がさらに細くなり、それと似たような細く黒い口ひげがぴりぴりしなる。
 まだ中年の域にある者が右大臣職を奉じるというのは、なかなか珍しいことだった。決して愚かなばかりとは思わないが、その若さゆえ、目先の望みにも惑わされやすいのが玉に瑕だ。
 この男がやってくるのは、部屋の中にいてもすぐにわかった。彼なりに努力してひそめているつもりなのだろうけれども、板敷を踏みしめるとき、あまりの体重のためにどすどすと不躾な足音が立つからだ。
 濡羽がどしんと藍鼠の向かい側に腰をおろしてからほどなく、先触れの声がかかって陛下のおでましと相成った。皆が平伏してお迎えする。

 ちかごろの群青陛下は、ほとんど「空気中」にはおいでにはならない。水中におられるほうが、体への負担が軽いとお感じになるようだ。実際、このご長命もそれが理由のひとつであろう、というのが、医務局長官の意見である。
 というわけで、皆が居並ぶ最も上座の雛壇のところは、最近では常に水槽の状態になっている。
 水槽の前が御簾で仕切られていてよく見えるわけではないが、豊かな白髪をゆらゆらと水に遊ばせながら悠然と陛下がお出ましになったところで、今朝の会議が始まった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】抱っこからはじまる恋

  *  ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。 ふたりの動画をつくりました! インスタ @yuruyu0 絵もあがります。 YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。 プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら! 完結しました! おまけのお話を時々更新しています。 BLoveさまのコンテストに応募しているお話を倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

ノリで付き合っただけなのに、別れてくれなくて詰んでる

cheeery
BL
告白23連敗中の高校二年生・浅海凪。失恋のショックと友人たちの悪ノリから、クラス一のモテ男で親友、久遠碧斗に勢いで「付き合うか」と言ってしまう。冗談で済むと思いきや、碧斗は「いいよ」とあっさり承諾し本気で付き合うことになってしまった。 「付き合おうって言ったのは凪だよね」 あの流れで本気だとは思わないだろおおお。 凪はなんとか碧斗に愛想を尽かされようと、嫌われよう大作戦を実行するが……?

男子高校に入学したらハーレムでした!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 ゆっくり書いていきます。 毎日19時更新です。 よろしくお願い致します。 2022.04.28 お気に入り、栞ありがとうございます。 とても励みになります。 引き続き宜しくお願いします。 2022.05.01 近々番外編SSをあげます。 よければ覗いてみてください。 2022.05.10 お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。 精一杯書いていきます。 2022.05.15 閲覧、お気に入り、ありがとうございます。 読んでいただけてとても嬉しいです。 近々番外編をあげます。 良ければ覗いてみてください。 2022.05.28 今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。 次作も頑張って書きます。 よろしくおねがいします。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

イケメン後輩のスマホを拾ったらロック画が俺でした

天埜鳩愛
BL
☆本編番外編 完結済✨ 感想嬉しいです! 元バスケ部の俺が拾ったスマホのロック画は、ユニフォーム姿の“俺”。 持ち主は、顔面国宝の一年生。 なんで俺の写真? なんでロック画? 問い詰める間もなく「この人が最優先なんで」って宣言されて、女子の悲鳴の中、肩を掴まれて連行された。……俺、ただスマホ届けに来ただけなんだけど。 頼られたら嫌とは言えない南澤燈真は高校二年生。クールなイケメン後輩、北門唯が置き忘れたスマホを手に取ってみると、ロック画が何故か中学時代の燈真だった! 北門はモテ男ゆえに女子からしつこくされ、燈真が助けることに。その日から学年を越え急激に仲良くなる二人。燈真は誰にも言えなかった悩みを北門にだけ打ち明けて……。一途なメロ後輩 × 絆され男前先輩の、救いすくわれ・持ちつ持たれつラブ! ☆ノベマ!の青春BLコンテスト最終選考作品に加筆&新エピソードを加えたアルファポリス版です。

ざこてん〜初期雑魚モンスターに転生した俺は、勇者にテイムしてもらう〜

キノア9g
BL
「俺の血を啜るとは……それほど俺を愛しているのか?」 (いえ、ただの生存戦略です!!) 【元社畜の雑魚モンスター(うさぎ)】×【勘違い独占欲勇者】 生き残るために媚びを売ったら、最強の勇者に溺愛されました。 ブラック企業で過労死した俺が転生したのは、RPGの最弱モンスター『ダーク・ラビット(黒うさぎ)』だった。 のんびり草を食んでいたある日、目の前に現れたのはゲーム最強の勇者・アレクセイ。 「経験値」として狩られる!と焦った俺は、生き残るために咄嗟の機転で彼と『従魔契約』を結ぶことに成功する。 「殺さないでくれ!」という一心で、傷口を舐めて契約しただけなのに……。 「魔物の分際で、俺にこれほど情熱的な求愛をするとは」 なぜか勇者様、俺のことを「自分に惚れ込んでいる健気な相棒」だと盛大に勘違い!? 勘違いされたまま、勇者の膝の上で可愛がられる日々。 捨てられないために必死で「有能なペット」を演じていたら、勇者の魔力を受けすぎて、なんと人間の姿に進化してしまい――!? 「もう使い魔の枠には収まらない。俺のすべてはお前のものだ」 ま、待ってください勇者様、愛が重すぎます! 元社畜の生存本能が生んだ、すれ違いと溺愛の異世界BLファンタジー!

魔王の息子を育てることになった俺の話

お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。 「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」 現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません? 魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。 BL大賞エントリー中です。

処理中です...