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第四章 宇宙のゆりかご
13 朝議の席で
しおりを挟む海底皇国滄海の帝都、青碧。
海皇、群青陛下のおわす皇居の外殻に、皇太子殿下のお住まいである東宮そのほか、ご親族らがお住まいのスペースがぐるりと取り巻いている。さらにその外側に、表向きの政務を執り行うための施設が周囲を取り囲んでいる。
その最外殻の中ではもっとも内側にあたる位置に、御前会議の間は存在する。
左大臣・藍鼠は、今日も刻限どおりに朝一番に参内していた。参内のための正装である黒い束帯の袍には、左大臣の位を示す雲立涌の文様が入り、八尺(約242センチメートル)もの長い裾をひきずっている。裾も位ごとに長さが違い、最高位の陛下が最も長い。彼の後ろからは側付きの青年が数名ついてきていた。
しずしずと御前会議の間に至ると、藍鼠は皇太子殿下のお座りになる位置に最も近く、臣下の中ではもっとも上座にあたる場所に静かに座を占め、残りの皆を待った。
かつて古の時代には、自分上に摂政・関白といった官職がおかれていたという話だが、今では廃されて久しいという。
桟敷から見わたせる中庭と、その外に広がる人工の空は、今日は重い鈍色である。海底皇国では陸上との差をなるべく小さくするべく、昼夜と季節を設定している。晴天の日ばかりでなく、雨の日も嵐の日もあれば、今日のような曇天の日も敢えてつくられているのだ。
それは主に、この海底に暮らす人々と生き物、とりわけ農作物のためにどうしても必要なシステムだった。
季節でいえば、いまはちょうど初秋のころだ。曇る日や、秋霖と呼ばれる長雨の降る日も多い。
藍鼠の心の裡も、どうにもきれいに晴れ上がるというわけにはいかなかった。
(さてさて……本日はいかような茶々が入るものやら)
藍鼠は袖の下で、手にした笏をもう片方の手のひらにぱたりと当てた。自分では気づいていないが、これはものを考えているときの彼の癖だ。
そうでなくても日々の政務は多岐にわたり、決めねばならぬことは山積しているというのに、このところのあの宇宙から飛来した化け物の存在があるために、会議は余計に紛糾するのが常だった。
と、精悍な顔つきをした老年の男が供の者らを引きつれて二番目に顔を出した。
「いつもながらお早うございますな。藍鼠閣下」
「うむ。そなたもな」
滄海宇宙軍・正三位兵部卿、青鈍だった。
左大臣からすればかなり下位にあたるため、少し離れた場所に座を占める。青鈍の側近の中に、滄海きっての才女、波茜の美貌も見える。
「やつはあれから、動かぬままか」
青鈍に訊ねたのは、もちろん例の謎の宇宙船のことだった。
「はい。配殿下を受け取って以降は、あの火星の軌道上につけたきり、ほとんど動きを見せませぬ。いったい何を考えておるものやら」
「やはりあの配殿下では、玻璃殿下を奪還などは夢また夢……なのかのう」
「さて。そればかりは──」
「……ふむ」
青鈍に控えめに頭を提げられて、思わず小さく吐息をつく。優しいがかなり頼りなげだった、あの若いアルネリオの第三王子の面影を思い出した。
我が国の皇太子、玻璃殿下があの若者のどこに惹かれたものやら。殿下には申し訳ないことながら、藍鼠には腑に落ちないことも多かった。あのような王子のいったいどこに、あそこまで惚れぬく要素があったものやら。
玻璃殿下には、どうあっても戻っていただきたい。しかし正直、このままあの恐ろしい生き物がこの太陽系から去ってくれることが最も喜ばしいのも事実だった。
実際、右大臣派の面々の最近の態度にはあきらかにそれを望む風が窺える。玻璃皇子の生死を問わず、瑠璃皇子を皇太子の位にと声高に叫ぶ者すらあるのだった。
(まあ、しかし。殿下の態度は意外だったが)
それは第二皇子、瑠璃殿下のことだった。
右大臣派の面々は、玻璃皇子がいたころからずっと、彼を担ぎ上げて自分たちの勢力を増すことを考えてきた。玻璃皇子がこうなった今、彼らにとっては大きなチャンスが巡って来たといって過言ではない。そう考えて様々に瑠璃皇子に接触し、説得を試みたことは想像に難くないのである。
しかし、瑠璃皇子は「応」とは言わなかった。
右大臣らに担ぎ上げられることを厭うてのことかどうかは定かでないが、皇子はさっさと自分の住まいである離宮へ取って返し、「天岩戸」よろしく籠城を決め込んでおられるのだとか。
最愛の兄皇子を奪われたことによる精神的な衝撃が大きかったのだろう。それは間違いない。だが藍鼠には、ただそれだけでもないように感じられるのだ。
(思っていたほど莫迦ではなかったのかな。あの皇子)
と、そんなことを思いながら青鈍と二言、三言かわすうちに、部屋にはぞろぞろと御前会議の面々が雁首を揃えていた。
「やあやあ。お早うござりまするな、藍鼠どの」
笏の内側でからからと笑ったのは、自らを藍鼠の好敵手と任じて憚らぬ男、右大臣・濡羽である。
藍鼠は微笑んでゆったりと応えを返した。
「いえいえ、さほどのことは。年を取りますとこう、なかなか朝寝もできませぬでな。若い時分のようには参りませぬわ」
「またまた。なにをおっしゃいますやら──」
男が笑うと、でっぷりと太った腹を包んだ黒い袍と白い頬肉がぷるぷる震えた。もともと細い目がさらに細くなり、それと似たような細く黒い口ひげがぴりぴりしなる。
まだ中年の域にある者が右大臣職を奉じるというのは、なかなか珍しいことだった。決して愚かなばかりとは思わないが、その若さゆえ、目先の望みにも惑わされやすいのが玉に瑕だ。
この男がやってくるのは、部屋の中にいてもすぐにわかった。彼なりに努力してひそめているつもりなのだろうけれども、板敷を踏みしめるとき、あまりの体重のためにどすどすと不躾な足音が立つからだ。
濡羽がどしんと藍鼠の向かい側に腰をおろしてからほどなく、先触れの声がかかって陛下のおでましと相成った。皆が平伏してお迎えする。
ちかごろの群青陛下は、ほとんど「空気中」にはおいでにはならない。水中におられるほうが、体への負担が軽いとお感じになるようだ。実際、このご長命もそれが理由のひとつであろう、というのが、医務局長官の意見である。
というわけで、皆が居並ぶ最も上座の雛壇のところは、最近では常に水槽の状態になっている。
水槽の前が御簾で仕切られていてよく見えるわけではないが、豊かな白髪をゆらゆらと水に遊ばせながら悠然と陛下がお出ましになったところで、今朝の会議が始まった。
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