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第四章 宇宙のゆりかご
15 かすていら
しおりを挟む《賢く、美しき海皇となれ。……瑠璃。どうか、俺の後をよろしく頼むぞ》
御前会議の間に、玻璃の声が朗々と響いている。
瑠璃は父への挨拶を終えると、許しを得てからあのデータ映像を再生したのだ。
場にいる皆は声もなく映像を凝視している。水槽の中におられる父、群青も、じっと息子の姿をご覧であるようだった。
映像が終わったところで、改めて瑠璃は父に向かって一礼をした。
「こちらが、わたくしに託されました兄上のご遺言です。……もちろん、兄上は生きておいでだとは思います。そのことを、私も心から信じてはおりますが──」
そこで思わず声がつまったが、瑠璃は一度目を閉じ、また開いて顔を上げた。
優しく悲しげな父の瞳がこちらを見ていた。
兄の映像を見ただけで、父は恐らく多くのことを理解したのだろうと思われた。
「これまでの数々の愚行のゆえに、皆がわたくしを信じられぬと申すは当然のことにございます。なれど、これは兄上のご意向です。わたくしも、兄上のお言葉に添えるよう、これから誠心誠意、国のため、民のために尽くす所存にございます」
「でっ、では……!」
ぱっと嬉しげな顔になって太い腰を浮かしかかったのは、右大臣、濡羽だった。
だが瑠璃はそちらは一顧だにせず、さっと尻をむけ、左大臣側へ向き直った。
「藍鼠どの、青鈍どの。どうかこの兄の遺言に免じて、私が皇太子代理となること、なんとかご許諾願えまいか。兄上の申したとおりだ。私などでは到底このお役目は務まらぬ。ゆえに、そなたたちに存分に師事させてもらいたいと存ずるのだが」
「で、殿下──」
ぴたりと両手をついて頭を下げた瑠璃を見て、いつもはどっしりと落ち着いたさすがの左大臣、藍鼠ですら驚きを隠せぬ様子だった。青鈍も難しい顔をしながら、目の端で藍鼠の様子を窺っている。
「いえ、いけませぬ。左様なことはどうか」
「左様ですとも。どうか殿下、お手をお上げくださりませ」
「ならぬ」
藍鼠と青鈍が口々に言うのを、瑠璃はすぐに遮った。
「私はやめぬぞ。やめるわけにはいかぬのだ。そちらが『応』と言ってくれるまでは」
「殿下……」
完全に困った顔をして、二人の忠臣が目を見合わせた。
「斯様な凡夫、非才にして不勉強、しかも青二才の身で兄上の代わりなど、到底務まるはずはない。だが、皇太子の座をいつまでも空席にしておくわけにもいくまい。政を滞らせるなどはもってのほか」
「…………」
「だからこれは、兄上がお戻りになるまでの措置である。この場にいる全員が証人になればよいのだ」
一同の者が、かすかにざわりと声をたて、互いの顔を見かわした。
「どうか、私に教えてくれ。藍鼠どの、青鈍どの。そしてこの場にいる皆々もだ。兄上のお考え。これから何をなさろうとしていたか。そなたらと共に、どんな国づくりをしようとお考えであったのか」
次第しだいに、瑠璃の声は高くなってやや掠れた。
ずっと下座の部屋の隅から、藍鉄と黒鳶、そしてロマンが彼の姿をじっと見ている。
「私がまた、再び愚かな真似をしそうになったら、どうか存分に、遠慮のう叱ってくれ。そして、教えてくれ。正しい道とは、民を思う政とはどのようなものなのか。……わたしは、兄上にはなれぬ。なれぬがそなたらに学び、それにちかい皇子にはきっとなる。一生をかけても近づき続ける。だから……頼む。この通りだ」
そして、さらに低く頭を下げた。
「それが……兄上のお望みなのだ」
◆
「ご立派にございました。殿下」
長椅子に体を放り出して寝転がっている瑠璃に茶を運んできながら、藍鉄が太く低い声で言った。
宮の中に準備された自室に戻った途端、どっと疲れが襲って来たのだ。
本来であれば茶菓の準備などは宮中にいる女官らが行うのだが、今の藍鉄はほかのだれも瑠璃に近づけようとしなかった。もちろん、瑠璃がそう命じたからでもある。あるが、そうでなくともこの男、いつも平気で主人の食事や着替えの手伝いさえしそうな勢いなのだった。
「……そうだろうか。ひどくみっともなかっただろう? 幻滅させたのではないか、今まで以上に」
「左様なことは。滅相もなきことにございます」
卓の上に滄海式の緑茶とかすていらを載せ終えると、男は瑠璃と目も合わせずに床に片膝をついて、その場に控えるいつもの姿勢に戻った。
結局、藍鼠と青鈍は瑠璃の希望を容れてくれた。父、群青は「それが玻璃と瑠璃の望みであるなら是非もなし」と微笑んで、すぐに肯ってくださった。
瑠璃は明日、簡易の式典を行ったあと、正式に「皇太子代理」の身分を得る。
(やった……。やりましたよ、兄上)
いや、まだ本当にただの一歩目には過ぎないが。それでも、とにかく前へは進めたのだ。
「まこと、ご立派にございました。さすがはあの玻璃殿下の御弟君にございます」
「……うん」
言った途端、ぽろりと何かが頬に零れた。
ぽろり、ぽろりと次々に零れていくそれを見られまいと、瑠璃は慌てて袖で目元を覆った。
「ほら。みっともないだろう。まだまだ子供みたいなもんさ。気を抜くと、すぐこれだ──」
「いいえ」
いつも通りの低くて簡素な藍鉄の応え。
「皇太子代理殿下として、どうかご存分になさいませ。この藍鉄、この身に替えましても殿下をお守りいたしますゆえ」
「うん……。ありがとう」
ぴりっ、と一瞬、藍鉄のまとう気に変化が生じた。
……いや。
それは気のせいだったようだ。
指の間からちらりと見たら、藍鉄はいつもの武骨な顔をしたまま、床の一点を見つめていた。毛ほども動じたようには見えない。
(……そう言えば)
自分はこの男に、まともに礼すら言ったことがなかったかもしれぬ。こういう所からして、生きる上での大切な事柄を一から学びなおさねばならないということだろう。
やれやれである。まったく、あの兄の足元にも及ばない。
(生きていて……兄上)
覚悟は決めた。
決めたが、この自分があなたの命を諦めたはずがない。
自分がこの位置を守るのは、飽くまでもあなたが戻るまでのこと。
(だから……必ず、戻ってください)
そして、できれば。
できればあなたが心から愛される、あの青年を伴って。
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