179 / 195
第五章 駆け引き
11 最後の夜に
しおりを挟む
そうして。
遂に、出航の前夜になった。
ユーリはこの日、フランにあることを頼んでいた。
もちろん、あの男との話し合いを持つためである。
その夜、ユーリは敢えてフランに席をはずしてもらい、《水槽》の部屋へアジュールに来てもらった。
フランにどのようにお願いされたのかは知らないが、男は相当渋々といった顔で、それでもきちんとやってきた。
「なんだ? いまさら俺になんの話があると言うんだ」
第一声もかなりぶっきらぼうなものである。
「うん。わざわざ呼び立ててごめんね? すぐに済むから、こっちへ来てよ」
《水槽》の脇に佇んでそう答えたら、男は意外と素直にこちらへやって来た。摺り足をする風でもないのに、足音らしい足音も立てない。《水槽》の中では玻璃が、皇族らしい品格に満ちた堂々たる会釈をしている。対する男は目を細め、軽く鼻を鳴らしただけだった。
男の視線がこちらへ戻って来たところで、ユーリは姿勢をあらため、威儀を正すと、滄海式に深々と頭をさげた。
男は沈黙し、変な顔をして片眉をぴくっとあげた。
「……なんだ? 気色の悪い」
「まずは、お礼を言わせて欲しいんだ。この度は、僕らを地球へ戻す決断をしてくれて本当にありがとう。心から感謝しているよ。これは玻璃殿も同じだよ」
ユーリの言葉どおり、玻璃も深く頷いてから、改めて男に向かって礼をしている。
が、男はかえって余計に面倒臭そうな顔になった。
「そういう堅苦しい話なら、戻らせてもらう。俺にはどうでもいいことだ」
「あ、待ってよ」
「まだ何かあるのか」
「あ……えっと」
というか、ここからが本題だ。
玻璃と目を見合わせると、彼が力強く頷いてくれた。それで再び勇気を奮い起こす。
「その、ふたつぐらい訊いておきたいことがあって──」
すでに大股に扉に向かいかけていた男の足がはたと止まった。素早く振り向く。
「なんだ?」
「訊いておきたいことっていうか、約束して欲しいことでもあるんだけど……」
「さっさと言え。そうやってぐだぐだと勿体ぶっている時間こそがもったいない。貴様らのところにも金言があるだろうが。『時は金なり』、『光陰惜しむべし』。あれらはまさに真理だぞ」
「う、うん。ごめん。えっと、まず気になっていることがあって。ひとつめはもちろん、フランのこと」
そこで男は完全にユーリに向き直った。
「言ってみろ」
「えっと……。君、あの子を愛してるんだよね?」
「…………」
率直に切り込んだ途端、男は虚を衝かれたように黙り込んだ。沈黙がつづいた分だけ、ユーリの不安はいや増してしまう。
が、男はようやく「だったら何だ」と返してきた。ごく低い声だった。
「あの、あのさ。それって、どういう意味の『愛』なんだろう? 僕ももちろんあの子を愛してる。でも、それはたぶん家族として、親としてのそれなんだと思ってる。でも君は──」
と、男がさっと片手を上げて、続く言葉を制した。
「いい。分かった」
「え──」
「わかった、と言ったんだ。もう言うな」
「だって──」
「お察しの通りだ。俺のこれは、お前の感じているそれとは違う」
「やっぱり……」
そこで男は、ふっと肩の力を抜いたように見えた。
「無論、『父親のような感情』も確かにあった。嘘じゃないぞ。特にフランが小さいうちはな。だが今は、恐らく違う」
「……そうだろうね」
ユーリは少し間を置いた。
「でも、あのね……? フランももちろん、君のことを愛してるけど。それはまだ、子供が親を愛するのと同じような気持ちだと思うんだよね」
「……そうだな」
男は、意外にも素直に頷いた。
「あの年齢だ。無理もない」
「というか。これから先もずっと、そのままの気持ちでしかないっていう可能性もあるよね? そういうことは考えてるの?」
男が完全な渋面になった。
「……どういう意味だ」
「だからさ!」
ユーリはその時、自分がかなりぞんざいな態度や言葉遣いになっていることに気づいていなかった。今はただただ、しっかりと男に釘を刺すことしか考えていなかったのだ。
「もし、もしもだよ? あの子が君の望むような形の『愛』を君に返さなかったら……? それでも絶対に、あの子を責めないで欲しいんだ。そう約束して欲しいんだよ。ましてや、心や体を傷つけるなんて絶対にして欲しくない」
「…………」
「あの子は、君が大好きなんだ。それは間違いない。あの子はね。君をたったひとりにしたくないから、この宇宙船に残ると言った。君と一緒に行くって言った。『アジュールパパをひとりぼっちになんて、絶対にしたくない』って言ってね」
男は大きく目を瞠って、穴が開くほどユーリの顔を見つめた。
ユーリは確かに見てとった。その目の奥に、なにかに縋るような、またなにかを希うようなせつない光が揺蕩うのを。
遂に、出航の前夜になった。
ユーリはこの日、フランにあることを頼んでいた。
もちろん、あの男との話し合いを持つためである。
その夜、ユーリは敢えてフランに席をはずしてもらい、《水槽》の部屋へアジュールに来てもらった。
フランにどのようにお願いされたのかは知らないが、男は相当渋々といった顔で、それでもきちんとやってきた。
「なんだ? いまさら俺になんの話があると言うんだ」
第一声もかなりぶっきらぼうなものである。
「うん。わざわざ呼び立ててごめんね? すぐに済むから、こっちへ来てよ」
《水槽》の脇に佇んでそう答えたら、男は意外と素直にこちらへやって来た。摺り足をする風でもないのに、足音らしい足音も立てない。《水槽》の中では玻璃が、皇族らしい品格に満ちた堂々たる会釈をしている。対する男は目を細め、軽く鼻を鳴らしただけだった。
男の視線がこちらへ戻って来たところで、ユーリは姿勢をあらため、威儀を正すと、滄海式に深々と頭をさげた。
男は沈黙し、変な顔をして片眉をぴくっとあげた。
「……なんだ? 気色の悪い」
「まずは、お礼を言わせて欲しいんだ。この度は、僕らを地球へ戻す決断をしてくれて本当にありがとう。心から感謝しているよ。これは玻璃殿も同じだよ」
ユーリの言葉どおり、玻璃も深く頷いてから、改めて男に向かって礼をしている。
が、男はかえって余計に面倒臭そうな顔になった。
「そういう堅苦しい話なら、戻らせてもらう。俺にはどうでもいいことだ」
「あ、待ってよ」
「まだ何かあるのか」
「あ……えっと」
というか、ここからが本題だ。
玻璃と目を見合わせると、彼が力強く頷いてくれた。それで再び勇気を奮い起こす。
「その、ふたつぐらい訊いておきたいことがあって──」
すでに大股に扉に向かいかけていた男の足がはたと止まった。素早く振り向く。
「なんだ?」
「訊いておきたいことっていうか、約束して欲しいことでもあるんだけど……」
「さっさと言え。そうやってぐだぐだと勿体ぶっている時間こそがもったいない。貴様らのところにも金言があるだろうが。『時は金なり』、『光陰惜しむべし』。あれらはまさに真理だぞ」
「う、うん。ごめん。えっと、まず気になっていることがあって。ひとつめはもちろん、フランのこと」
そこで男は完全にユーリに向き直った。
「言ってみろ」
「えっと……。君、あの子を愛してるんだよね?」
「…………」
率直に切り込んだ途端、男は虚を衝かれたように黙り込んだ。沈黙がつづいた分だけ、ユーリの不安はいや増してしまう。
が、男はようやく「だったら何だ」と返してきた。ごく低い声だった。
「あの、あのさ。それって、どういう意味の『愛』なんだろう? 僕ももちろんあの子を愛してる。でも、それはたぶん家族として、親としてのそれなんだと思ってる。でも君は──」
と、男がさっと片手を上げて、続く言葉を制した。
「いい。分かった」
「え──」
「わかった、と言ったんだ。もう言うな」
「だって──」
「お察しの通りだ。俺のこれは、お前の感じているそれとは違う」
「やっぱり……」
そこで男は、ふっと肩の力を抜いたように見えた。
「無論、『父親のような感情』も確かにあった。嘘じゃないぞ。特にフランが小さいうちはな。だが今は、恐らく違う」
「……そうだろうね」
ユーリは少し間を置いた。
「でも、あのね……? フランももちろん、君のことを愛してるけど。それはまだ、子供が親を愛するのと同じような気持ちだと思うんだよね」
「……そうだな」
男は、意外にも素直に頷いた。
「あの年齢だ。無理もない」
「というか。これから先もずっと、そのままの気持ちでしかないっていう可能性もあるよね? そういうことは考えてるの?」
男が完全な渋面になった。
「……どういう意味だ」
「だからさ!」
ユーリはその時、自分がかなりぞんざいな態度や言葉遣いになっていることに気づいていなかった。今はただただ、しっかりと男に釘を刺すことしか考えていなかったのだ。
「もし、もしもだよ? あの子が君の望むような形の『愛』を君に返さなかったら……? それでも絶対に、あの子を責めないで欲しいんだ。そう約束して欲しいんだよ。ましてや、心や体を傷つけるなんて絶対にして欲しくない」
「…………」
「あの子は、君が大好きなんだ。それは間違いない。あの子はね。君をたったひとりにしたくないから、この宇宙船に残ると言った。君と一緒に行くって言った。『アジュールパパをひとりぼっちになんて、絶対にしたくない』って言ってね」
男は大きく目を瞠って、穴が開くほどユーリの顔を見つめた。
ユーリは確かに見てとった。その目の奥に、なにかに縋るような、またなにかを希うようなせつない光が揺蕩うのを。
0
あなたにおすすめの小説
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
その首輪は、弟の牙でしか外せない。
ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。
第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。
初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。
「今すぐ部屋から出ろ!」
独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。
翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。
「俺以外に触らせるな」
そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。
弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。
本当にこのままでもいいのか。
ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。
その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。
どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。
リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24)
※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。
三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった
ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン
モデル事務所で
メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才
中学時代の初恋相手
高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が
突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。
昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき…
夏にピッタリな青春ラブストーリー💕
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる