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第九章 暗転
8 裁判
しおりを挟む「いえ。オレは大丈夫です。それより、帝都でなにかあったんですか?」
「おお、それよ」
ぶふーっと鼻息を吹き出して、レオはどすんと来客用の椅子に座った。
あの後、レオは罪人としてしょっぴいていった神官三人を帝都で皇帝の前に引きだしたのだという。
ことの顛末を説明すると、皇帝は明らかに不快そうになった。
残念ながらこの男は、決してインテス様に我が子としての愛情を覚えている人物ではない。だが、この世界を滅ぼそうとする《黒き皿》は頭の痛い存在には違いない。あれを放置していれば、確実に帝国の屋台骨が揺らぐのだから。
それを一掃できる手札だった皇子を失って、自分の権益を脅かすものを嫌悪するこの皇帝が不快にならないはずがないのだ。
「あともうちょっとであの三人に死罪でも賜らせてやれるところだったんだがよ。そこへ神殿からの横槍が入りやがった」
「神殿から? っていうと、あの……サクラ、なんとかいう人ですか」
「おお。最高位神官、サクライエな」
実際にやってきたのは使者の神官だったが、それがサクライエとの交信の介在となる魔石を持ってきたのだという。
高級な魔石なので、言葉だけでなく映像もその場で映し出すことができる。
円い台の上に据え付けられた魔石の前で神官が小声で呪文を唱えると、魔石から放たれた淡い光のなかに、でっぷりとした腹を豪奢な神官服に包み込んだ神官の姿が現れた。
見た目は純粋な人間の初老の男だ。ぶよついた肉に埋もれて顔の造作のほとんどが中央に寄って見える。かなり白くなった髪はほとんど残っておらず、頭頂部はてらてらと光っていた。
最高位神官、サクライエだ。
《帝国の太陽、皇帝陛下にご挨拶を申し上げまする。陛下にあらせられましてはまことにご健勝のご様子。恐悦にござりまする》
もちろん儀礼的な挨拶に過ぎないが、皇帝は「ふん」とひとつうなずくことでそれを受けた。だがその目にはいささかの親近感も流れていない。むしろ眼光は用心深く鋭いものになっている。
さもあろう、かれらの間には雨粒一滴ほどの「親近の情」も存在はしない。むしろあるのは限られた権益の奪い合いと瑕疵の叩きあい、足のひっぱりあいといった具合だ。別にこの二人に限ったことではなく、それ以前の皇帝と神官たちの確執の歴史は長い。
「いかがしたのだ、サクライエ。このような場所までわざわざの連絡を寄越すとは」
《わが配下の神官らが、どうやらそちらの裁判に掛かるという話を聞き及びまして。申し訳もござりませぬが、神官の裁きはこちらの領分。どうかその者のことはこちらにお任せいただき、速やかにお返し願いとう存じまして》
「なにを申すか」
皇帝はさすがに少し鼻白んだようだった。サクライエ同様に脂をいっぱいに溜め込んだ醜い顔に、さっと朱がさす。
「こやつらが罪を犯したは帝国領内でのこと。領内で起こった事件は領内で裁かれる」
これは事実だ。神殿とその領地に定められている場所以外での事件については、基本的に帝国法に基づき、帝国での裁判にゆだねられるのが筋である。
「ましてその時、こやつらはそこなレオ千騎長の配下にあった。それがいみじくも《救国の半身》たる我が皇子インテグリータスを危険に晒し、剰え《闇》に奪われる契機をつくったと聞いておる。斯様な大罪があろうか。どうあっても厳罰は避けられまいよ」
《無論のこと。それらに罪がないとは申しておりませぬ》
不快げな皇帝に対して、サクライエは「どこ吹く風」の様子だ。いや内心がどうであるかはまったく読めないが、少なくともそのような顔を崩さない。
《ただその裁きについては、神官については特に我ら神官で判断させていただかねば困りまする》
「左様な話は聞き届けられぬ」
そんな調子で、しばしこの二人の巨漢の間に押し問答があったようだ。
その間、レオはひたすら映像の中のサクライエを睨みつけていた。引き据えられている神官三名はといえば、神妙な顔をしているふりこそしていたが「これで助かった」とばかりに緊張を解いているのがありありとわかった。
「えっ。でも……それじゃあ」
「そうだ。結局皇帝は条件つきでやつらを放免した。あの三人を神殿へ返しちまいやがったのさ」
「そんな……!」
思わず立ち上がったシディの声を最後に、執務室にはしばしの沈黙がおりた。
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