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第十三章 雌伏
13 高跳び
しおりを挟む皇太子の最側近ヴルペスが今宵皇太子宮にいることは調査済みだった。
皇帝の寝所に忍び入ったときもそうだったが、セネクス翁はふつう以上に慎重派であられる。ゆえに下調べはいつも完璧だ。いつ衛兵の交代があり、皇太子の身のまわりの世話をする者たちが下がり、自分の寝所に戻るのか。翁のかわいらしいイタチ頭の中では、あらゆることがまるで目の前に見えているかのように整理整頓されているらしい。
五人が皇太子宮の中庭に音もなく出現し、《隠遁》を使いながら回廊を進んでいる間も、セネクス翁の歩みは一瞬たりとも不用意に滞るということがなかった。
「ここへ来たらあの者らが交代する」「そうしたらこう歩く」「この廊下をこう通ってこちら側から歩けば、目指す男の寝所に至る」──。
あらゆることが、さらさらと流れる川の水のごとくに滑らかだった。そんなことがあるはずもないのに、シディはこの宮殿が「さあいらっしゃい」とばかりに自分たちをさし招いているという錯覚に陥るほどだった。
ときおり足を止めると、頭のなかにいつもの《念話》の声が響いた。
《ヴルペスは魔法を使うが、なに、大したことはできぬ。そもそも我らの《隠遁》すら見破る能力もない》
《とはいえ油断は禁物ぞ》
《よし。衛兵が交代する刻限じゃ。こちらへ》
あっけないほど簡単に、五名は目指す老人の寝所に入り込むことに成功した。
黙ってはいるようだが、シディはここまで精霊様たちもしれっとついてきていることを感じていた。いざという時にはいつでも、かれらはシディを助けてくれるつもりなのだ。これ以上に心強いことはない。
ひそひそと申し送りをして交代している衛兵らを目の端で確認しつつ、セネクス翁が足もとに、とても小さな《跳躍》の魔法陣を描き出す。暗闇でむやみに光らぬよう調整されているので、衛兵らに悟られる心配はなかった。
次に目を開けると、もうシディたちは部屋の中にいた。
皺だらけのキツネの顔をした小柄な老人が、せかせかと部屋のあちこちを歩き回りながらなにかやっている。灯火の光を受けてキラキラ光る金糸の刺繍のほどこされた長衣。老人は背が低いため、その裾でぞろぞろと部屋じゅうの塵をかき集めている。
見れば部屋じゅう、なんやかやと宝石だの金銀だので埋め尽くされているのだった。この部屋だけで、いったいどれほどの価値があるものやら。
袖からつきだしている老人の手首は妙に細くて長く見えた。その手がせわしなく寝床を整えたり書類や食器をいじったり、自分の衣をごしごしこすったりをくり返している。なんだか落ち着きがない。
それもそのはずだった。
「くそうっ……痴れ者めが! どじを踏みおって──」
ここにはいない誰かに向かってときおり舌打ちしながら、そんなことをずっとぶつぶつ言っている。
(なるほど……)
この老人、すでに大いに身の危険を感じ取っているのだろう。寝床の下につっこんであった豪奢な飾りのついた大きな箱から何かをしきりにつかみ出しては、手荷物にするらしい大袋につめこんでいる。灯火の明かりで、それがときどきキラッと光る。どうやら宝玉やら金貨といった金目のものらしい。
(まさか──高跳びするつもりか?)
まずまちがいなくそうだろう。
が、もちろんキツネ男の望みは叶わなかった。
セネクス翁の無言の合図をきっかけに、いきなりそれは始まったからだ。
まずラシェルタが《沈黙》の魔法で彼の声を奪う。と同時にセネクス翁が《麻痺》をかけた。
男は「ぐうっ?」と変な声をたてたあとはガクリと脱力し、その場に倒れかかったところをひょいとティガリエにに抱き上げられていた。ここまでほんの三つほど瞬く間のできごとだった。
手際がよい。いや、よすぎる。
この面子なら当然といえば当然だけれど。
それにしてもやることがない。わざわざついてきたというのに、まったく自分は無力だ。
そう思って少し溜め息をついたら、肩をそっと抱かれた。インテス様だ。
その瞳はいつもどおりに優しくて「気にするな。私はもっと役立たずだぞ」と笑っていた。
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