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第一章 スメラギ皇国
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しおりを挟む「さてさて。ご準備はよろしいですかな、タカアキラ殿下」
しわくちゃの顔をして、痩せた体躯の<恩寵博士>のひとりが、今日もしかつめらしい顔をして文机をはさみ、タカアキラの前に座っている。
三日に一度ほどの頻度でやってくるこれら<恩寵博士>たちは、その名の通り皇族がたの<恩寵>について研究し、能力のあるなしを見極めてミカドへと言上するために組織された人々だ。大抵は、髪ばかりか髭も眉も真っ白な、非常に高齢の老人が多い。そしてみな、この宮でそうすると決められた通り、光沢のある銀鼠の小直衣を着込んでいる。
無論、臣下が皇族にお目見えする場合、本来であれば黒の衣冠姿が基本ではあるのだったが、それだとあまりにいかめしく、幼い皇子を怖がらせることを憚って、この場合だけはこうした多少砕けた服装でくるのが通例となっているのだ。
これら<恩寵博士>の歴史は古く、この王宮が始まって以来数千年もの間、こうして皇族の<恩寵>について調べ、研究し、新たに生まれた幼い皇子がたの能力を診断することを生業としてきた者らであるという話だった。
「では、目をおつぶりくださいませ。紙のこちらがわに書いてある絵、あるいは図や文字が、なんであるかお分かりですかな?」
「はい、えーっと……」
皇子はしばらく首をかしげて考える。
ちらりと相手の顔を窺うが、長くて真っ白な眉毛に隠れて、老人の目はほとんど見えない。だからそっと相手の表情を読み取ろうと思っても、なかなかうまくいかないのだ。
「ええっと……ごめんなさい。わかりません……」
「承知いたしましてござります」
皇子の返事に特にがっかりする様子もなく、博士は互いの間を遮っていた紙をぱたりと倒す。向こう側に置かれていた紙の上には、梅の木にとまった鶯が流々たる筆遣いで描かれた墨絵があった。
博士は顔色も変えず、「では、お次はこれを」「さらば次はこちらを」と、次々に違う絵や図形、文字などを皇子に当てさせようとする。
一見すると単なる絵あて遊びのようにも思われるが、博士たちはいつもこの時、至って真剣そのものなのだった。
最終的に、皇子が当てられたのは十枚のうちの三枚だった。
「あ、あの……。ごめんなさい……」
相手をがっかりさせたかと思い、タカアキラがしゅんとなってそう言うと、老人は初めて笑ったようだった。「ようだった」と言うのは、あまりの皺と雑草のようなすさまじき茂りかたの眉毛のために、彼の表情など読みようもないからだ。
老人は「ほほほ」と、まるで梟が鳴くかのごとき声をたてた。
「左様にござりますな。殿下のお能力は、こうした方面には大きくは顕現しておらぬご様子。されども――」
それがこの老人の癖なのだったが、今もその長い美髯をゆるゆるとしごいている。
「ご心配召されますな。殿下はすでに、各種の<恩寵>を賜られている身。何もお気に病まれる必要はござりませぬよ」
「は、はい……」
「過日などはあのマサトビが、涙ながさんばかりに喜んで我が書斎へ飛び込んで参りましたものですじゃ」
「ええ……?」
皇子がきょとんと見返すと、老人は莞爾とまた笑った。
このスメラギ皇国の皇族には、その身にある特異な能力が顕現する。
もちろん、一族すべてに顕現するわけではないが、少なくともミカドたらんとする者には、この能力が不可欠であるとされている。その能力は<恩寵>と呼ばれ、その子がやがて国を治める器として相応しいか否かを判定する重要な基準のひとつともなっているのだ。
マサトビというのは、これら<恩寵博士>のなかでは最も年若の博士のひとりだ。まあ「年若」とは言ってもとうに五十の齢は越えた中年男なのだったが。痩せた博士の多いなか、彼だけは小柄なくせにぽちゃぽちゃと腹のあたりに脂肪を溜め込んだ、なんとなく親しみやすい体型である。
そんな彼がやってくると、皇子は大抵「さ、かくれんぼを致しましょうぞ」と楽しい遊びに誘ってもらえた。もちろん皇子は喜び勇んで承諾する。そうして部屋の外へ飛び出して、庭木の陰だの庭石の裏だのへと隠れては、マサトビに大汗をかかせるのだ。
だがつい先日、マサトビはなぜか、世にも不思議な「かくれんぼ」をしましょうと言い出した。
その「かくれんぼ」は部屋の中でおこなわれた。それも、妻戸も遣り戸もすべて締め切られ、その外に衛士を配置した部屋の中でだ。
部屋の中にはタカアキラとマサトビの二人だけ。さらに、隠れようにもその部屋は、まったく何もない、ただのがらんとした空間だった。襖障子のひとつ、几帳のひと垂れもありはしない。
だが、マサトビは平然と言ったのだ。
「さあ、隠れてごらんあそばしませ」と。
皇子はしばらくはぽかんとして、マサトビのふくふくした顔を見上げていた。が、マサトビはまったく動じない。そして相変わらずおだやかな声で「隠れてごらんなされませ」と皇子に促すばかりだった。
「どこへ隠れるの? 隠れる場所なんてどこにもないよ」と皇子が訊けば、「それはどうでござりましょう」と笑うばかり。
仕方がないので、皇子はとりあえずとことこと部屋の隅に歩いていって、両の手のひらで自分の顔を隠し、そこにしゃがみこんでみたのだったが。
――そのときの、マサトビの顔たるや。
彼はさして大きくもない目をひんむくようにし、やがて満面に喜色を浮かべたかと思うと、「やった!」とか「お見事!」とか「すばらしい!」とかとめちゃくちゃに叫びたて始めた。そればかりでなく、その場で童子か阿呆のように小躍りし、手を打ち鳴らして、遂には感極まったかのように涙までもよおした。そうした挙げ句、皇子をほっぽったまま大急ぎで部屋から飛び出ていってしまったのだ。
皇子がその場面を反芻していると、察したようにしばらく黙っていた老人が口を開いた。
「我らのこれまでの詳細なお調べの結果からいたしますと、殿下にはすでに明らかに<隠遁>と<感応>が備わられておりまする」
「<イントン>と、<カンノウ>? 前にほかの爺からも同じようなことを聞いたけれど。それはどういう意味なの?」
少年は気軽な様子で相手を「爺」と呼び、そう尋ねた。相手の老人がまた、わかりにくいがにっこりと笑みを浮かべたようだった。
「<隠遁>とは、すなわち身を隠す能力にござりまするな。殿下が誰かから隠れたい、逃れたいと切に願えば、その者に殿下のお姿は見えなくなります。これはなにも、人の目を欺くばかりではございません。機械の目、すなわち『探知機』のようなものすらかいくぐりまする」
「へえ……?」
「公用語では、『ステルス』などとも言うようにございますな」
幼い皇子には、いまひとつぴんと来なかった。
そもそも、これまで生きてきたわずか六年という歳月ばかりでは、そんな状況に追い込まれたことなどあるはずもない。
「そして<感応>にござりまするが。こちらは、人の心のうちをそっと読み取る力にござりまする。殿下の場合、こちらはさほど大きな顕現ではござりませぬが、いざというときには大いにその身を祐くお力とお見受けいたしまする」
「そ、そうなの……」
「記録によりますれば、これまでの皇族さま方のなかには他に、<念動>、<転移>、<浮遊>、<治癒>といった能力が顕現されたかたもおられるやにござります」
そこで少年は、「あっ」と言って身を乗り出した。
「あの! それならお父上や、兄上様にはどんな<恩寵>が……?」
父はもちろんあの「ミカド」であり、長兄ナガアキラはすでにその第一皇位継承者としての地位を確保している。つまりふたりとも、その<恩寵>を持つ身だということだ。
しかし、途端に老人の顔がさっと厳しいものになったのに、少年は気がついた。
「申し訳ありませぬ。そればかりは、我が<恩寵博士>のいずれの者も、たとい腹を裂かれましょうともお答えすること叶いませぬ」
声音までもが先ほどまでとは打って変わって、冷たく閉ざされた厳然たる響きへと変わっている。
「<恩寵>は、まさに皇家の秘中の秘。それはたとい、親子であられましょうとご兄弟であられましょうと、明かすことは罷りならぬ。それが、この数千年の皇家のさだめなのでござりまする」
「そ、そうなの……。ごめんなさい」
しょんぼりして、皇子がまた膝の上に視線を落とすと、急に老人はまた「ほっほ」と明るい笑声をたてた。
「いやいや。ですからどうぞ、タカアキラ殿下におかれましても、どうかそのお力のことについては他言なさいまするな。ミカドにも、兄上様がたにも、そしてお母上様にも、にござりまする」
「え……母上にも?」
「左様にござりまする。ご存知の通り、皇家に入内される女性にはさような能力はござりませぬ。お母上さまにはどうぞ、『<恩寵>を賜りました』と、それだけお伝えなされませ。さぞやご安心召されましょうほどに」
「わ、……わかった」
「ひとつを顕現させるだけでも大したものであられるところ、殿下はその御年で、早くも二つを身につけておいでです。これは驚くべきことにござりまする。これ以上の<恩寵>など持ってしまえば、むしろ望まぬ危難を身に招くこともござりましょう。十分にござりまするよ。殿下はそれで、十分にすばらしき皇子様にござりまする」
博士は最後に重々しく、しかし温かみのある口調でそう言うと、ふたたび長いあごひげをするりと撫で下ろしたのだった。
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