星のオーファン

るなかふぇ

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第四章 相棒(バディ)

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 その瞬間、何が起こったのかはわからなかった。
 今しもアルファを犯そうとしていたヒグマの男は、急に全身の力が抜けて目が泳ぎ、そのまま目の前にどうっと倒れた。情けない下半身をあらわにしたまま、芝生の上にのびている。
 気がつけば、アルファはなぜか自由になった手で小型の麻酔銃をにぎっていた。拘束されていたはずの腕が自由になり、いつのまにか懐にあったはずの銃を手にしていたのだ。

(なんだ……?)

 全身ががくがく震えている。何が起こったのかはわからないが、ともかくここには居られない。アルファは痺れたようになって言うことをきかない我が手を叱咤しつつ、どうにか衣服を整えると、よろめきながら歩き出した。
 がなりたてる鼓動をおさえ、なんとか<隠遁>を発動する。今の自分は、髪や衣服が乱れ、顔も真っ青にちがいない。こんな風体で歩いているところを、誰にも見られるわけにはいかなかった。
 自室前の廊下までやっとのことでたどり着いたとき、そこにいつもの二人が普段どおりに立っている姿を見て、アルファは心底、安堵した。と同時に思わず<隠遁>を解いてしまい、その場に崩れ落ちるようにして膝をついた。
 ぎょっとしたのは、彼ら二人だ。

「な、殿下……!?」
「どうなさいましたッ!」

 二人が大股に駆け寄ってくる。床に倒れかかったアルファの体を、すんでのところでミミスリが抱きとめてくれた。それと同時に、彼の優れた嗅覚はアルファの身に起こったことを正確に知らしめてしまったようだった。

「なんと……いうことをッ……!」

 ミミスリに人間の髪に相当するものはないけれど、「怒髪天を衝く」とはまさにこれだった。彼は今まで見たこともない形相になり、耳まで裂けるかと思うほどに鋭い牙をむき出していた。うす鳶色の瞳を燃え上がらせ、全身の毛を怒りに逆立てている。喉奥からぐるるる、と狼としての唸り声がした。
 まさしく、激怒する狼そのものだった。

「殿下、奴はどこです。風体は」

 言葉すくなにアルファから必要なことを聞き出すと、ミミスリはアルファの体をザンギにあずけ、脱兎のごとく駆け出した。無論、あのヒグマ男を探しにいくためだろう。

「ミミスリ。殺すなよ」

 その背に向かって、不思議なほどに落ち着いた声を掛けたのはザンギである。いつも表情のわかりにくい鷲の顔をした男だけあって、今回も何を思っているかは分からなかった。だが、その声には相当に苦いものが含まれているようにも思われた。
 アルファはザンギに支えられながらどうにか立ち上がると、私室に入った。すぐにもシャワーを浴びたかった。あの不埒な男の臭いも、体液も、触れられた指の感触もなにもかも、肌をそぎ落とすようにして即座に捨て去りたかった。
 が、ザンギがそれを押しとどめた。

「申し訳ありませんが、殿下。少々お待ちを」

 そうして、アルファに簡潔に理由を説明すると、肩を貸して医務室へと連れていった。本当は、有無を言わさずアルファを抱き上げようとしてくれたのだったが、それはこちらで必死に固辞した。それこそ、兵舎にいる誰かれから奇異の視線を浴びるに決まっているからだ。

「ミミスリは……大丈夫だろうか」

 少し喘ぐようにしながら、アルファはザンギに尋ねた。いまは気を失っているだろうが、麻酔の効果がどのぐらい続くかは分からない。なにしろ夢中で、麻酔の設定をどうしたのかも曖昧だった。意識が戻れば、あのヒグマ男はミミスリよりも遥かに巨体で腕力もある。いかなミミスリにとっても、強敵であるに違いなかった。
 が、ザンギは珍しくも苦笑したようだった。

「お忘れにございますか、殿下。殿下ほどではないとは言え、我らはこれでも一応<恩寵>もちにございますれば」
「あ……」
「単に体格や膂力りょりょくで上回っているだけの<恩寵>もない一般兵など、あのミミスリの敵ではございませぬ。ご心配召されますな」
「そうか……。よかった」

 アルファは納得し、安堵した。そうして、あとは素直にザンギの肩につかまって、医務室に連れてゆかれた。


◆◆◆



 基地内の医務室で、アルファはそこの山羊顔をした医務官から付着した体液などを採取され、診察や消毒そのほかの処置を施された。そうしてそれら羞恥きわまる一連のことを耐え忍び、ザンギとともにようやく私室に戻ってから、やっとシャワールームに飛び込むことができた。
 あの男に塗りたくられたあらゆる体液や臭いをこすり落とす。肌がひりひりするほどになってようやく、アルファはスポンジを手放した。そうしてしばらく、シャワールームの壁に背をつけて、降り落ちてくる湯の雫にあたりながらぼんやりしていた。

「大変なことにございましたね。ともかくも、最悪の事態にだけはならなくて良うございました」

 気の毒そうな目をして山羊の医務官が言った言葉が、耳の奥で再生される。アルファは唇を噛んだ。

(最悪の事態……か)

 それは無論、あの行為の最終局面を言うのだろう。しかし、これまであのスメラギのため、その身を売られてきた子らはそれより遥かに厳しい苦界くがいに身を置いてきたのに違いなかった。
 彼らは犯されるにとどまらない。この世には、体を端から切り刻まれて泣き叫ぶ子供の声を聞きながら酒を飲むのが大層好きだという嗜虐まみれの人非人にんぴにんも多いと聞く。さらにその飼い主に飽きられれば、子らはほかの飼い主に売り渡される。
 そういうことが繰り返され、そこでも散々に弄ばれて飽きられた後は、そこまでせっかく長らえた命であっても、その身を切り刻まれて闇の臓器売買ルートに乗せられる。
 地獄だ。
 まさに、地獄と言うべきだろう。

(……情けない)

 だというのに、この自分がこれしきのことで、こんなに傷ついてどうするのか。
 まして、あの場面でついに彼に助けを求めてしまうなど。
 そしてまた、今の自分は罪深くも、とある安堵を覚えてもいる。
 もちろん、あの男に最後まで犯されなかったことにだ。

 あの時、自分は自覚した。
 「こんな男に犯されるぐらいなら、いっそ」と思った自分のことを。
 同じ男に犯されるなら、せめてと叫んだ自分の心を。

(……ベータ)

 そうだ。
 そんな資格もないくせに、自分はいつの間にかあの男に、そんなことを望んでしまっていた。
 いや、とっくに気づいていたのだ。
 彼の声を聞くとき、その素顔を、星のような光を放つあの瞳を目にするとき。
 何かの拍子に手が触れたり、肩が触れたりするときに。
 どうして自分の胸が妙にうきたち、今まで感じたこともないような高揚感に包まれるのか。

(ベータ……)

 降りつづける雫の下で、アルファは口元を手で覆った。
 こんな気持ち、気づいてどうしようというのか。無駄なだけではないか。少なくとも彼に対して、打ち明けるわけには行かないというのに。
 自分は今や、彼の相棒バディだ。そうして彼はバディとそういう親密な関係になることを好まないかもしれない。いや、ここまでの言動からして、それは間違いないように思われる。彼は本来、愛だの恋だのといった甘っちょろい関係など見下している男なのだから。
 もしも告白などしてしまったら、彼は自分と単なるバディでいることすら解消しようと言い出すかもしれない。一度ぐらい、寝るぐらいのことは了承してくれるかもしれないが、バディとしての関係はそこで途切れるのに違いなかった。

 だから、言えない。
 彼と会えなくなるのは嫌だった。
 金が必要だからというのは勿論あるが、それ以上に、ただ彼と離れたくなかった。
 ただの相棒で構わないから、彼のそばにいたかった。

「……ベータ」

 アルファの唇から零れ出た、その後につづく小さな小さな告白は、温かな雨音がすべて攫って、シャワールームの排水溝へとあとかたもなく流し去っただけだった。


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