星のオーファン

るなかふぇ

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第六章 叢雲

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「アルファ。アルファ……!」

 遠くで男の声がする。
 だが今、アルファはそれに反応することはできなかった。

「あ、……あ、ああああッ……!」

 怒涛のように流れ込んできた紅い瞳の少年の記憶。
 それに翻弄されて、アルファはいま床の上を転げまわっている。
 目の前で惨殺された母。その後売られて、自分の体の何倍もあるような男に連日犯され、むごい仕打ちをうけ──
 その残酷で孤独な救いのない過去にはまだまだ続きがあるようだったが、アルファにはそれ以上は耐えられなかった。

(うそだ。そんな──)

 それでは、ベータは。
 ここにいるこの男は。
 自分が愛し、金を介してだとは言え、たった今自分を抱いてくれたこの男は──

 厳密にはあの<燕の巣>から生まれ出た子らではないが、ほぼそれに近い存在ではないか。

(しかも──)

 しかも、彼の皇家に対する恨みのほどは、かれら以上に深いかもしれぬ。
 彼がそこまでスメラギとかかわりの深い存在だとは思わなかった……というのは、正直いえば嘘だけれど。本当はわかっていた。これまでに何度も何度も、「おや?」と疑問に思ったことは幾度もあるのだ。それをいちいち、アルファが「そんなはずはない」と打ち消し、あるいは敢えて見ないようにしていたばかりのことで。
 もともと白銀の色をしていた髪や紅かった瞳は、それからのどこかの時点で変えたのだろう。あの容姿のままでは確かに、人の目を引きすぎるから。

 ようやく酷い吐き気がおさまってきて、アルファの目に周囲の景色が色をもって戻ってきた。それでもぜいぜいと呼吸は荒いままだったが。

「どうしたんだ。大丈夫か」
 と、男の声が耳元でして、びくりと体を竦ませる。ベータだ。
「あ、う……」
 まだ一糸まとわぬ自分の体に彼の手が掛かっていることに気づいて、さらに体を硬くする。気づいたときにはもう、アルファはその手を振り払っていた。
「……あ。す、すまない……」
 ベータがはじかれた自分の手とアルファとを奇妙な目で見くらべている。
「ちょっと……変な夢を見た。取り乱してしまって、申し訳ない」
 あれこれと言い訳をひねりだし、まだおさまってくれない動悸をどうにか抑えつつ、アルファは床に落とされていた自分の衣服を拾い集めた。それらを手早く身につけ、やがて上着の内ポケットから財布を取り出してベッドサイドのテーブルに置く。
 ベータの視線が、ちらりとその上に投げられた。何故かは分からないが、なんとなく微妙な目をしているようだ。
 その理由に思い至って、慌ててアルファは言った。
「これで、恐らく足りると思うが。足りなければまた言ってくれ」
 出陣までにはまだ少し間があるし、と言いながらそそくさと上着を着る。
 しかしやっぱり、男の微妙な顔はそのままだった。

「その……ありがとう」

 「いい思い出になった」と小さな声で言うと、ベータのほうでもスウェットのパンツをひょいと身につけ、無造作にこちらに近づいてきた。その手に、さっきから探していたアルファのネクタイが握られている。
 アルファが断る暇もなく、しゅるっとそれを首に巻かれて手早く整えられてしまう。さらに首を抱き寄せられ、耳に口を寄せられて「まあ、これも仕事のうちだ。遠慮するな」と囁かれた。その声には明らかな笑みが乗っている。
 この男、こういうことには変に手馴れているのだ。どうせこれまで、さんざん色んな男や女に似たようなことを囁いてきたのだろう。そうだと分かっていながらも、とくりと弾んでしまう自分の胸がアルファは忌々しくてならなかった。

「俺も、けっこうかったしな」
「…………」

 たまらない。
 自分は彼に、こんな風に言ってもらえるような人間ではない。
 アルファは必死で奥歯をかみしめ、動揺する気持ちを笑顔の下におしこめた。

「……そうか。それなら良かった」

 なるべく不自然には見えないように、まだ上半身裸のままのベータの胸をそっと押しやり、体を離す。

「世話になった。出陣前にもう一度、連絡する。……ではな」
「ああ」



 

 彼の隠れ家を出たとたん、アルファはあらん限りの速さで駆け出した。いつもの隠し場所まで行って自分の小型艇に飛び込み、中央制御機構メインコントロールシステムに離陸を指示する。
 小型艇がその惑星を離れ、やがて異空間航行に切り替わってから、アルファはよろよろとシートから立ち上がった。整備室前まで行き、その扉に手をついてしゃがみこむ。

「……っく」

 そこでとうとう、堪えていたものがどっと溢れた。自分の顎を握り締めるようにして覆ってみたが、漏れ出す嗚咽はこらえきれるものではなかった。

 そんなことがあるか。
 そんなことが。

 たった一人、初めてこんな気持ちになった相手が。
 抱いて欲しいとすら思った男が。
 お前がまさか、そんな男であったなんて。

 お前が心底しんていから憎み、恨んでいるのはほかならぬこの自分だ。
 自分に代表される、あのスメラギの皇家と貴族連中だ。

 傲慢にも「愛してくれ」なんて、思ったわけではないけれど。
 しかし、それでもどこかに一縷の希望を持たなかったと言ったら嘘になるのに。

「ひっ……ひぐ」

 ぼろぼろと溢れるものが、指の間からとどまりきれずに落ちかかって、先ほど男が締めてくれたネクタイに染みをつくる。

「ベータ。……ベータ」

 愛してる。
 愛してる。

 結局なにも、伝えられなかったけれど。
 そして今や、自分が決して、それを伝えてはいけない人だということが分かってしまったのだけれど。

「ベータ……!」

 熱い雫がぱたぱたとスラックスにも染みを作りつづける。
 今やもう、アルファは子供みたいに泣いていた。

 最後に、抱いてもらえてよかった。
 そのことだけは、ただ嬉しい。
 遂にこのまま、自分は戦地に赴くことになるのだろう。
 あちらで何があるにせよ、万が一儚くなるようなことになっても。
 最後にこうしてもらえたのだ、悔いなく逝くこともできるだろう。

(ただ……)

 あふれすぎた涙にけむって周囲の様子はよく見えなかったが、アルファはふと顔をあげ、宇宙艇の窓を見た。

 ただ。

──最後にたったひとつだけ、お前に託しておかねばならないものがある。


 窓の外では最初の異空間航行が終了し、無機質な異空間がぎらつくような星々の海に姿をもどしている。
 かの男の瞳のような青白い星が静かに、アルファを見つめて笑っていた。

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