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第二章 焦燥
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しおりを挟むゴブサムとの対面は、それまでに十分に心の準備をしていたにも関わらず、ベータにとっても相当に忍耐を試される場面となった。
その巨大な宇宙船の客間であるらしい大広間の中央にある豪奢な椅子に、でっぷりと肥え太った蜥蜴の形質をもつ男が座っている。男はグラスを手に、きろきろと光る眼でこちらを値踏みする様子だった。
その脇に、ダークスーツ姿の美しい青年が布で包んだワインのボトルを捧げ持つようにして立っている。
ベータはごくひそかに自分の拳を握りしめていた。
(アルファ……!)
そうだった。
それは紛れもない、あの夢にまで見た青年の姿だった。
自分は何度、彼を夢に見ただろう。真っ黒な水底に沈んでゆく、死んだ目の色をした青年。彼はこちらに助けを求めようとさえしていない。そんな彼を追いかけて黒い水の中でもがき続け、夜中にはっと目が覚める。そんな夜を、いったい自分は何度過ごしてきたことか。そのたびにびっしょりと汗をかいて、自分は何度吠えたことか。
「なんで俺が、こんな夢を見なきゃならないんだ」と。「知ったことか。あいつが勝手に、自分でそうなっただけじゃないか」と。
自業自得じゃないか、俺だってずっとそれを望んできたはずじゃないかと、何度自分を叱咤したか。
だが、そんなものは全部無駄だった。
結局こうして、自分はこの蜥蜴野郎の船にまで彼を救いに来たのだから。
そうしてベータは改めて、十メートルばかり先にいる懐かしい青年の顔へと視線を戻した。
(アルファ……)
黒い瞳、黒い髪。すらりと品の良い立ち姿。
相変わらずの、目を吸い寄せられるように清げな美しさだ。いやむしろ、以前にも彼から放たれていたそのかぐわしい色香のようなものは、前よりも格段にいや増しているようにさえ思われた。
(しかし──)
ベータはマスクの下で唇を噛んだ。
今の青年の瞳には、以前のような生気はまるでなかった。頬も透けるように青白く、何かこの世の人とも思えない。以前と比べるとかなり痩せてしまったようにも見える。
しかしそうでありながら、彼はぞっとするほど美しかった。一方でその美しさは、どこかで生きることを放棄した、この世ならぬものにしか見えなかった。
さもありなん。
この三年の歳月のなかで、そこの薄汚い蜥蜴野郎から彼がどんな目に遭わされてきたかを思えば、それは無理からぬことだった。
蜥蜴の男が軽くグラスを傾けると、アルファはすぐにそれと察してそこに酒を注いでいる。そうするようにと、すっかり「調教」されているのだろう。いや、彼が行われた「調教」は、恐らくそんな程度ではありえないはずだった。
人としての尊厳のすべてを奪い尽くされ、その地獄から逃れるためのあらゆる希望を潰されて、ただ唯々諾々と主人に従うことを仕込まれた犬。今の彼は、まさにそんなものになり果てているように見えた。
今の彼にはその「犬」だとか「奴隷」だとかといった呼び名こそが相応しいのであろう。そういう風に、この三年をかけてじっくりとこの蜥蜴野郎が彼をすっかり自分好みに作り変えてしまったのだ。
そうでなければ、青年のあの虚ろな瞳の色の説明はつかないのだから。
すべてを諦めたあの瞳。
あれは自分の命も体も、すべてを他人に握られて身動きもできなくなった生きものの目だ。己が生殺与奪を他人の手に握られて、あらゆる生きるよすがを失った生きものの目だ。
ベータはぎりぎりと奥歯を噛みしめた。
(落ち着け。冷静になれ。冷静になれ……!)
うるさいほどに自分に言い聞かせ続けながら、ベータはどうにか普段の客に対するのと同じ声音と態度を崩さないまま、ゴブサムと偽の取引事項について話を進めた。要するに、ベータはゴブサムが何らかの裏の仕事を任せたいと考えている内容について、それを受けるためにここへやってきたという体なのだった。
ごく普通に仕事の話をしている風を装いながら、ベータは慎重にアルファをはじめ周囲の状況を観察していた。そうして、すでにこの船に以前から潜伏している自分の協力者──あの鷲の顔をしたザンギという名の男──とひそかにマスクの中で連絡を取り合っていた。
つまりベータは彼や「ミーナ」とうまくタイミングを合わせて、この宇宙船内部の警備システムや人間につけられたナノマシンに干渉しようとしていたのだ。
やがて。
ごくつまらないことでアルファがミスをし、ゴブサムの目がぎらっと怒りに燃えたのをベータは見た。
そこから展開されたことはすべて、「主とその所有物」とのこれまでの関係を如実に表わしていた。
蜥蜴の男は彼に無造作に服を脱ぐことを命令した。奴隷の青年は何の感慨も抱かないように無表情のまま、主に言われるままにその場で着ているものをすべて脱ぎ捨てた。
本来であれば他人に対して隠すべき場所すら隠そうともせず、そのことに対する羞恥など微塵も見せない。その場にいる客人たるベータや護衛の者らの目さえ、いっさい憚る様子もなかった。
さらに、蜥蜴の男は彼に向かって自分が落として割れたグラスの上を歩けと命じた。アルファはほんのわずかに躊躇したようではあったが、やはり命ぜられるまま、そこを素直に歩いて行った。
尖ったガラスの破片が、ずぶずぶと柔らかい彼の足の裏に突き刺ささる音がした。
しかしそれを見ている蜥蜴の男は、大した感慨も覚えぬように冷たい視線でそれを観察しているのみだった。その目はただただ、自分の持ち物が自分の命令にちゃんと従うかどうかを見定めようとしているだけに見えた。
ぱりぱりと、アルファの足の下でガラスが鳴った。
(……この、野郎ッ……!)
そこがもう、限界だった。
ベータはそこから、自分が何をやったかをあまりよく覚えていない。
ともかくも気が付けば、改造された左腕を変形させ、それを使って蜥蜴男の頭部を修復不可能なまでに切り刻んでいた。
事前の作戦通り、その瞬間に周囲の護衛たちのナノマシンには愛機「ミーナ」とザンギが干渉した。誰もその時のベータを止める者はなかった。
斯くして遂に、ベータはアルファ奪還を果たした。
事後の確認をしたうえでその宇宙船を離れる予定になっていたザンギを残し、ベータはアルファを腕に抱いて、「ミーナ」を目指して一散に宇宙船の通路を走った。
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