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第一部 トロイヤード編 第七章 ふたつの月
9 影(2)
しおりを挟むエデルと医師は一旦自室に引き取り、ヴォダリウスが供の兵士も下がらせた。その後は老宰相に連れられて、二人で廊下を歩いていった。
そうして何度目かの角を曲がったとき。
目の前に、紅いマントの人物の背中が見えた。
黒い髪に、碧い瞳。横顔の印象も背格好もまるで──
しかし。
(……?)
シュウは奇妙な違和感を覚えて足を止めた。
もう少しで「陛下」と呼びかけそうになったのだが。
(いや……違う??)
「…………」
ヴォダリウスは沈黙してしまったシュウをしばらく隣で見上げていたが、やがてはったと膝を叩くと、楽しげな笑声をあげ始めた。
「お見事。さすがでござりまする、シュウ殿!」
「え?」
老人が何を喜んでいるのか分からず、シュウはただ戸惑った。
ヴォダリウスがさりげなく手を振ると、目の前にいた何者かは軽く礼をしてその場から姿を消した。ちらりと見えたその顔は確かにレドによく似ていたが、本物よりは少し年上のように見え、更には本人のあの独特の明るさも、王としての覚悟のようなものも纏ってはいなかった。
「……陛下の《影》にござりまするよ、シュウ殿」
ヴォダリウスがすらりと種明かしをしてくれた。
「か……げ?」
そう言われても、シュウには意味が分からなかった。老人はにこにこと微笑んでいる。
「左様、《影》。《影武者》などという呼び方もあるようでござりまするな。昨今、どうやら陛下のお命をあれやこれやと脅かす謀どもが増えておるようでござりますので──」
「……!」
(まさか──)
急に胸騒ぎがした。そして勢い込んで老人に尋ねた。
「陛下……陛下の身に、また何か──!?」
「おお、いえいえ。ご心配召されまするな。陛下はご健勝であられまする。飽くまでも、『備えあれば』なんとやら……で、ござりますれば」
シュウを安心させるように、穏やかにヴォダリウスは微笑んだ。
(あ、なんだ……)
ひとまず胸をなでおろした。が、ただ安心してばかりも居られないような、なにか不穏なものを感じて、すうっと背筋が寒くなった。
確かに、レドは狙われている。
老人の口振りからすると、先日の毒矢による暗殺ばかりではないのだろう。シュウに知らされていないだけで、今までレドの身辺には他にも様々な事が起こってきたのかも知れなかった。
もしかすると、自分が初めてレドに会った時、彼が瀕死の状態だったのも──。
あの日、レナ川の畔で初めて彼を見た、あの時。
あの時のレドの冷たく青白かった頬の色を思い出して、シュウはあの時には覚えなかった冷たい恐怖を改めて実感した。この先、またあんなレドを見ることがあるなど、想像するのも恐ろしかった。
「……これは、申し訳もなきことを」すっかり不安げな顔になってしまったシュウを見て、ヴォダリウスが言った。「そのようなことは起こりませぬ。我々が、なんとしても起こさせは致しませぬゆえ。……さあさあ、そろそろ陛下のお部屋でござりまするぞ」
励ますように言って、老人はレドの執務室の前で足を止めた。
「実を申さば、」と老人は急に声を落とし、なにか悪戯小僧のように瞳を輝かせて言った。「陛下には、シュウ殿ご帰還のことは伏せてござりまする」
(……え?)
なるほど、それで今回レドが入り口まで飛んできたりはしなかったわけである。
「ご存分に、驚かせ、喜ばせて差し上げなされませ。……では」
そう言うと、老人は扉を叩き、中の人物に自分の名を告げてから静かにその場を去っていった。
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