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第二部 エスペローサ編 第三章 過去
15 密室(3)※※
しおりを挟む……そうこうするうち。
ついに、あの事件が起こった。
国王の病室で、国王と王妃、そして当時の宮宰の三人が一度に死んだ。国王と王妃は毒殺され、宮宰はナリウスによって斬殺された。
事件当時、部屋にはその四名しかおらず、体じゅうに返り血を浴びて血刀を下げた凄まじい姿のナリウスが、一人だけ部屋から出てきたのだという。
部屋の中では、国王が寝台の上で喉をかきむしるようにして死んでおり、床には太った体を両断された宮宰が血まみれの骸を晒していた。
ただ一人、王妃だけは腕を組んだ美しい姿で、床に仰向けに寝かされていた。その青白い頬以外は、まるで眠っているようにしか見えなったという。傍には小さな杯が転がっていた。
唯一の生き証人であるナリウスによれば、宮宰が王と王妃を毒殺したため、その場で手打ちにしたとのことだった。だがもちろん、それを本気で信じる者はいなかった。しかし、あまりのナリウスの殺気立った形相に、誰も異を唱えるものはいなかった。
ナリウスは即日、己が即位を宣言してこの国の王になった。
氷の魔王の誕生だった。
怜悧で清廉なだけだったはずの少年が、そのたった一日で豹変した。
御前会議を構成していた宮中伯や諸貴族たちが、それまでの汚職や国費の着服などの廉で次々と地下牢送りとなり、死刑台へと送り込まれ、毎日のように処刑されていった。その後の数ヶ月というもの、宮廷内には血も凍るような氷の嵐が吹き荒れた。
これが、後に「血の粛清」と呼ばれたエスペローサ王宮における一連の不幸な事件の顛末であった。
◇
「実際にその日、王の病室で何があったかは、今では陛下しかご存知ではありません。そのことだけは、シュウ様がご自分で陛下にお尋ねになる以外にはありますまい」
クリスは静かな声で、最後にそう締めくくった。
「…………」
シュウはただ、呆然としていた。
何も言えなかった。
それでも、当時十四歳だったナリウスが事件の渦中にあってどんな気持ちでいたかを思うと、どうしても涙をこらえることができなかった。
目から溢れたそれが、ぽろぽろと夜着や寝具に滴った。
「……シュウ様」クリスの声は相変わらず静かだった。「それでも、自分は今、希望を抱いているのです」
「……え?」
涙も拭かずに目を上げると、クリスはいまや、誠実な黒い瞳に静かな微笑を浮かべていた。
「あのお方をあんな風に笑わせたのは、それ以来、あなた様が初めてだったからです」
「…………」
シュウは黙ってクリスの顔を見つめていた。クリスもまっすぐに見返していた。
「あなたは希望だ。この城の。この国の──」クリスは寝台の脇に近づいて床に膝をついた。「どうか、できうることならいつまでも、この国と陛下のお傍にいて差し上げてくださいませ──」
文字通り誠心誠意という風情で、クリスが深々と頭を下げた。
「どうか、心よりお願い申し上げます──」
「…………」
しかし。
シュウは黙ったまま、ただ涙を零すしかできなかった。
その約束だけはできない。
何を、どう言われても。
たとえ、どんな理由があっても。
ナリウスにも、クリスにも、本当に申し訳ないとは思うけれども。
「クリスさん……」
言いかけた時、いきなり扉が開いて、ホッパーが慌てて駆け込んできた。
「ひゃあっ! ごめんよお! すっげー遅れちまったよう!!」
髪は乱れ、頬は上気し、盛大に息を切らしている。兜は一体どこへ落としてきたものだろう。
「あの先生、ほんっと鬼だぜ!『お返しの今日の分の宿題です』とかって、またこんなどっさり出したんだぜ!? なにが『お返し』だっつーのよ、冗談じゃねーよ。俺が『シュウ様は体調が悪いから』ってどんなに言っても聞きゃしなくってよ……! しかも、なんか宿題のやり方がどうのこうのって伝言とかがまためちゃくちゃややこしくって! 俺、わかんなくって何度も聞きなおして、それでもわかんねえから手にメモとか書いてたらよお──って、あれ?」
一人で散々まくし立てた挙げ句、突然ホッパーがきょとんとなって口を噤んだ。両手いっぱいにわんさか抱えていた羊皮紙の上からやっと目を覗かせて、初めて室内の妙な空気に気づいたらしい。
「どしたの? 二人とも」
ぷっ、とシュウが噴き出した。
「は、あはは……」
思わずお腹を抱えて笑い出してしまう。たまらず涙までにじませてしまった。
クリスはその横で立ち上がると、「やれやれ」とでも言いたげに少しばかり肩を竦めた。
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