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第二部 エスペローサ編 第五章 呪詛
1 御前会議(1)
しおりを挟む話は一旦、その日の朝へと戻る。
クリスは朝一番で直属の上官に呼び出され、その通達を受けて驚いた。それは、突然の昇進の知らせだった。
『下級一等士官クリスを、本日付けで情報部付き上級三等士官に任ず』──。
中級士官の三階級を丸ごと跳び越しての、いきなりの四階級もの特進であった。あまりと言えばあまりに異例の昇進に、通達している上官自身が半ば唖然としている。無理もない。エスペローサ軍という長年固定化した組織の中では、ほとんど天変地異に等しい仕儀なのだ。が、男はとりもなおさず手順通りに通達書をクリスに手渡してきた。
この上官自身、長年中級士官の身分に甘んじてきている男だ。今まで何かと部下に対して横柄でぶっきらぼうな態度で接することの多い人間だったが、まさにこの瞬間からクリスの方が上官という立場になったわけである。
昨日まで上官だった男は突然態度をあらためたかと思うと、クリスに対して急に媚び諂う目つきになり、慇懃に敬礼をした。
「以後、どうぞよろしくお願い申し上げます! クリス上級三等士官殿!」
いきなりびしっと直立不動の姿勢になった元上官に正直面食らったが、クリスも顔には出さなかった。そのまましばし瞳に気の毒げな色を浮かべて相手を見つめたが、やがてひと言「いえ。長らくお世話になりました」と告げ、静かに一礼して部屋を辞した。
そのまま部屋に戻ると簡単に私物をまとめ、クリスは上級士官のための官舎へ移る準備をした。とはいえ私物らしい私物などほとんどない。あっという間に支度は済んで、長年住み慣れた兵舎を後にした。
兵舎の入り口には、日中でも氷点下の寒さを堪えながら一人の青年士官が待っていた。クリスを見ると折り目正しく敬礼をしてくる。初対面の士官だった。
「お待ち申し上げておりました、クリス上級三等殿! 自分が、官舎へのご案内を言いつかっております!」
青年士官に案内されて王宮内の官舎の区画に入り、今後使用することになる新たな自室に入ると、すでに執務机の上に上級士官のための軍服や襟章、鎧兜と紺地のマント、それに長剣などが一式揃えられていた。黙ってそれらを見やりながら、クリスは密かに溜め息をついた。
(陛下は一体、何を考えておられるのやら──)
階級など、どうでもいいことだ。自分はただ、この王国とフローラ妃殿下の忘れ形見であるナリウス陛下とアイリス殿下、そしてあの自分の敬愛するシュウ殿をお守りできればそれでいい。自分の命はそのためにこそ使いたかった。
もしもこの昇進が自分の目的に適わぬ時には、クリスは迷わずこの身分をナリウスに返上するつもりであった。
◇
あまり気乗りはしなかったが、クリスは仕方なく与えられた軍服を身につけて長剣を手挟み、紺地のマントを羽織ってナリウスの執務室に向かった。王は上機嫌でクリスを迎えた。
「来たか。なかなか似合っているぞ」
「恐れ入ります」
憮然としてそう答えると、ナリウスが堪えきれなくなったように吹き出した。
「そう怒るな。そなたが昇進になど興味がないことは知っているが、そこまで不機嫌な顔をされると少々傷つく」
「…………」
どこが傷つくのだ、その厚顔の。
ナリウスはようやく笑いを引っ込めると、咳払いをして言った。
「まあ、冗談はともかく。御前会議に伴うには、以前の身分では無理があるのでな。堪えてくれよ」
(……なるほど。そういうことか)
ナリウスは、これから午前中に開かれる御前会議の席ですべての証拠を突きつけて、あのサリヨルを弾劾するつもりなのだ。そのための証人また警護兵の一人として、クリスを随伴する腹なのだろう。
「承りました。そういうことでしたら」
納得して一礼すると、またナリウスが苦笑した。
「敵わないな、そなたには。こういう場合の私は普通、涙を流して平身低頭、感謝感激される立場にあるはずなのだがね?」
「…………」
クリスは半眼で、ナリウスの冗談を黙殺した。
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