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運命だな、これは。
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玄関を開けると、部屋自体はワンルームのシンプルな部屋だったが、キッチンスペースが普通より広くとられていて、このアパートの拘りがよく出ていた。
さすが、元料理人がオーナーなだけあるな。
広めのキッチンには所狭しと調理家電がたくさん置かれていたので、晴はきっと料理が好きなんだろう。
晴が作ってくれる料理が楽しみで仕方ない。
「狭いところですけど、どうぞ。」
お邪魔しますといって晴の部屋に足を踏み入れると、部屋は綺麗に片付けられていて晴の几帳面さが垣間見れた。
晴の匂いと柔軟剤の匂いだろうか?
ふんわりと花の香りが鼻腔をくすぐる柔らかで甘い良い匂いが部屋中に広がっていた。
晴が買い物してきたものを冷蔵庫に片付けし終わったのを確認して、ソファーへ座るように促した。
俺は伊藤さんから予備に貰っておいた湿布を取り出し、裸足にした晴の湿布を取り替えた。
少しビクッと敏感に反応するのも艶っぽくて可愛い。
「ありがとうございます。隆之さん、ゆっくりしていてくださいね。よかったらテレビでも見ててください。
本棚の本も大したものはないですけど、なんでも読んでもらって大丈夫ですから。僕、すぐに食事用意しますね」
「ありがとう。足も怪我してるし慌てなくていいよ。何か手伝うことない?」
「ご飯炊いてる間に肉じゃが煮込んじゃえばすぐできるので、大丈夫ですよ」
「じゃあお言葉に甘えてゆっくりさせてもらうよ。ありがとう」
晴はいそいそとキッチンに向かった。
手際良くトントンと食材を切る音が部屋に響く。
ああ、この幸せな空間に俺がいるのが不思議だ。
晴の匂いが充満している心地よい部屋で、晴の作ってくれている料理の音を聴きながら俺のために作ってくれる姿を見つめる。
今朝、晴を電車で見かけた時には数時間後にこんな未来が訪れるなんて想像もできなかった。
これは絶対に運命だよなぁ……と独り言ちる。
晴がどんな本を読んでいるのか興味もあったが楽しそうに食事を作る晴を眺めている間にご飯の炊ける音が鳴った。
もう肉じゃがも完成したようだ。
晴はお盆に出来上がった料理をのせ、俺のいるテーブルに運んできた。
テーブルいっぱいに次々と美味しそうな料理が並べられる。
ほかほかの炊き立てご飯に長ネギと豆腐の味噌汁、肉じゃがにきんぴら蓮根と白菜の漬物もある。
こんな短時間にこんなに何品も作ったのかと驚いた。
さすが、手際が良いんだな。
「すごいな、いい匂いがする。ほんとに美味しそうだ。こんな短時間にたくさんの品数、大変だったろ?」
「いえ、きんぴらとお漬物は作り置きの常備菜なのでお皿に盛っただけなんです。今作ったのはお味噌汁と肉じゃがだけですよ」
「作り置きか、余計すごいな。ああ、早く食べたい。待ちきれないな」
「ふふっ。どうぞ召し上がれ」
「いただきます」
「いただきます」
まずは味噌汁だ。
出汁のいい香りが広がる。
ああ、こんな美味しい味噌汁、いつぶりだろう。
あまりの美味しさに感想も言えないまま、箸が勝手に肉じゃがに向かう。
じゃがいもに煮汁がしっかり染み込んでほろほろと溶けていくようだ。
慌てて炊き立てのご飯を頬張る。
ほぅ。ご飯の炊き加減も俺の好きな硬さだ。
夢中になって食べていると、ふと晴の視線を感じる。
あっ、無言で食べ続けてしまった。
晴を怒らせてしまっただろうか。
「すまない……。あまりの美味しさについ夢中になってしまって……」
「どうして謝るんですか? 僕は隆之さんが美味しそうに食べている姿を見られて嬉しいですよ。お口にあってよかったです! お代わりもたくさんあるので食べてくださいね」
ああ、天使だ。天使がここにいる。
可愛くて優しくて料理上手で成績も優秀なこんな完璧な子が俺の目の前に。
幸せすぎてどうにかなってしまいそうだ。
俺は感動に身悶えながら、晴の用意してくれたご飯を残らず食べた。
「ふぅーっ、美味しかった。美味しすぎて食べすぎたな。ごちそうさま」
腹をさすりながら晴にお礼を言うと、晴は満足気に『いっぱい食べてくれて嬉しかったです。』と微笑んでくれた。
「食事のお礼に洗い物は任せてくれ!」
「じゃあ一緒にしましょう。その方が早く終わりますよ」
二人でキッチンに並んで片付けをしながら、ああ新婚家庭みたいだなと妄想が膨らんだ。
隣に立つ晴に笑顔を向けると、晴は意を決したような面持ちで話し出した。
「あの、リュウールさんのモデルの件なんですけど、小蘭堂をでてからずっと考えてたんです。それで……」
「まだ時間はあるからゆっくり考えてくれていいんだよ」
「はい。まだどちらかは決められないんですけど、その商品がどんな商品か聞いてもいいですか?」
ああ、なるほど。
商品を知らなければそれを伝えることなんてできないよな。
やるかやらないかを決めるより、まずそれがどういうものなのかを知りたいということか。
晴はちゃんとリュウールのことを考えてるんだな。
片付けを終え、テーブルに戻った俺は晴に今回の商品について説明した。
「リュウールがどんな会社かは知っているかな?」
「はい。確か化粧品メーカーですよね」
「そうだ。スキンケアに特化した商品を多く開発していて、女性の支持も厚い。ただファンデーションや口紅などのメイクアップ化粧品は今ひとつ伸び悩んでいる。それで、リュウールは日常的ではなく女性が一番光り輝く特別な晴れの日、例えば成人式や卒業式の振袖や袴、結婚式のドレスや和装などを着た時に一番美しく、一番映えさせるものとして、女性に選んで貰える、特別感を得られるメイクアップ化粧品をリュウールの全勢力を注いで開発したんだ。それで今回満を辞して発表するそのポスターモデルを見つけて欲しいというのがリュウールの要望だったんだ」
「そんな一大プロジェクトのモデルに僕は推薦されたんですか?」
「ああ。正直言ってリュウールから要望があった時に難しい案件だと思った。これはただ単純に美人を探せばいいという問題ではない。その人の持つ内面の美しさをリュウールの化粧品で引き出し、尚且つポスターを見る人の心を捕らえられるようなモデルでなければいけないのだから。田村さんに話を持って行った時も珍しく厳しそうな顔をしていたよ。今回田村さんが君を見つけるまでに、俺はリヴィエラに何度か足を運んでイメージに合いそうなモデルがいるっていうことで何人かテストしてみたんだけどね、最終的に田村さんも俺もこの人だと思える人には巡り会えなかった」
晴は俺の話をじっと聞いていた。
言葉はなかったけれど、真剣に聞いてくれている様子は目を見れば分かった。
だから、俺はもう全て話してしまおうと思った。
「実はね、晴に言ってなかったことがある」
隆之は『ふぅ』と深呼吸をして話を続けた。
「晴は今日が初対面と思っているかもしれないけれど、俺は10日前にあの駅で偶然晴を見かけてから、毎日晴に会うためにあの電車に乗っていたんだ」
「えっ?」
「引くだろ。引かれても仕方ないよ。俺ももし晴の立場で急にこんなことを言われたら引くと思う。でも、初めて晴を見た日から頭から離れなかったんだ。最初は晴の綺麗な顔に惹かれた。一目惚れだ。でも、それから、ずっと晴を見ているうちに内面の美しさに気がついた。それは人助けだったり、ゴミ捨てだったり。何の見返りも考えずに無意識で良い事をやっている晴が心から美しいなって、愛おしいなって思ったんだ」
「知らなかった。隆之さんがずっと見てくれてたなんて」
晴は驚きながらも嫌そうな顔はしなかったので、俺は内心ホッとした。
「今日、田村さんからリュウールのモデルに晴をと言われた時、確かに内面があんなに美しい晴ならリュウールの望む以上の広告ができるかもしれない、みんなに晴の美しさを見せつけたいなって思った。でもね、そう思いながら、俺は本当は晴に断ってほしいとも思ってたよ」
「えっ?なぜですか?」
「君を、晴を誰にも見せたくない。触れさせたくない。晴の美しさは俺だけが知ってればいい、そう思ったんだ。矛盾してるだろ」
「隆之さん……」
「わかってるんだ。自分でもおかしなこと言ってるって。軽蔑しただろ。でも、これが本当の気持ちだ」
晴の形の良い大きな目がさらに大きくなり、呆気に取られた表情をしている。
ああ、もう終わったな。晴に嫌われた。
当然だよな。
数十秒の沈黙の後、晴は口を開いた。
「隆之さん、今もそう思ってますか?」
正直な気持ちをちゃんと伝えなきゃダメだよな。
俺は晴の目をじっと見つめて答えた。
「いや、今はモデルをやって欲しいと思ってる」
「それはなぜですか?」
「晴を誰にも見せたくない、触れさせたくないという気持ちは変わらない。だけど晴の美しさでリュウールの商品をよりよく見せることができたら、それが世界中の女性の幸せに貢献できるなら、この業界にいる人間としてそれは発信させるべきだと思うから」
今度は晴が俺の目をじっと見つめて、そしてにっこりと笑った。
「よくわかりました。隆之さん、僕、モデル引き受けます!」
「えっ? ほんとに? いいの?」
「はい。今回リュウールさんの広告商品に求められる意義もよくわかりました。リュウールさんの求めるモデル像と僕が合致するかはわかりませんが、隆之さんがそんなに僕のことを推薦してくださるなら信じてやってみたいです。今まで生きてきて、こんなに人から熱望されたことないんです。平凡な僕でほんとに大丈夫なのかはまだ不安なところはありますけど、
隆之さんがついていてくれるなら頑張れそうです」
「あんな話をしたのに俺を軽蔑したり、気持ち悪いとか思わないのか?」
「軽蔑? 気持ち悪い? そんなこと思うはずありません!!」
もう諦めるつもりで本心を伝えたから、晴が力強く否定してくれたことが俺は嬉しかった。
「実を言うと、僕も隆之さんのこと気になってたんです」
「えっ?」
嬉しくて泣きそうになったが、晴の言葉に驚いて涙が引っ込んでしまった。
そんな俺の様子を見て、いたずらっ子みたいな表情でふふっと微笑む晴は、実に妖艶で天使の中に垣間見える小悪魔のようだった。
「通学の車内って大体いつも同じ顔触れで見慣れてきますよね。そこに突然隆之さんのような素敵な男の人が乗ってたらそれは目を惹きますよ。鈍い僕でも気付きます。オーラが凄くて見ることも近づくことも出来ませんでしたけど、同じ空間に少しの時間でも一緒に乗っていたくて、毎日同じところから乗りました。一度、電車が遅れて乗客が多かった時、隆之さん立ってましたよね。あの時、手足が長くてスタイル良い人だなってドキドキしました。だから今朝、隆之さんが階段で僕を抱きしめて助けてくれた時、あの腕が目の前にあって僕を抱きしめてくれてると思ったらめちゃくちゃドキドキして嬉しくて動けなかったんです」
そういえば、あの時じっと腕の中にいてくれてたな。
ほんとに俺のことを気にしてくれてたんだ。
「今こうやって僕の部屋に隆之さんがいることも信じられないくらいなんです。昨日の夜、明日も電車で会えるといいなと思ってた人が、僕の作った料理を美味しいって食べてくれて、今、目の前にいるんですよ。これって運命ですよね」
「あぁ、俺もさっき晴が料理作ってくれてる時、これは運命だなって思ってた。晴も同じことを思ってくれてたなんて嬉しすぎるな」
ふふっとどちらからともなく笑いが溢れる。
「あんなこと言ったらドン引きされると思った。でも、本当のことを伝えたかったんだ。良かった、晴もおんなじ想いでいてくれて」
「僕も嬉しいです」
晴は両腕で俺の右腕にきゅっとしがみついて、上目遣いで少し涙ぐみながらもにっこりと笑って
「あの、朝助けてくれてありがとうございました。お陰で僕…隆之さんのこんな近くに来れて嬉しいです」
と言ってくれた。
ああ、もう堪らないな。
俺はもう片方の手で晴の背中を覆って自分の胸に抱き寄せた。
「もう、離れたいって言っても離してあげられないよ」
「ふふっ。僕もおんなじ気持ちなので大丈夫です」
ほんとに可愛いなあ。
ずっと抱きしめていたい。
ああ、許されるなら晴の形の良い可愛い唇にキスしたい。
でも今、キスしたら止まれる自信がない。
今日は怪我もしてるし、いろいろあって疲れているだろうから無理はさせられないな。
あぁ、それにしても晴とこうしていられるのが、あの女が晴にちょっかいを出してきたおかげだと思うと複雑だが、あいつのせいで晴が怪我をしたんだから感謝はしなくてもいいな。
うん。そうだな。
そう頭の中で納得させて、名残惜しいが晴を腕から解いた。
晴が少し寂しそうに腕を見ていたのが何だか嬉しかった。
もしかしたら、晴もキスを望んでたか?
そうだったら、天にも昇る気持ちだが。
「なぁ、晴。今朝のあすかとかいう女性だけど、また近づいてくるかもしれないから充分気をつけろよ。俺が一緒にいるときは守るけど、出来るだけ一人で行動しないように!」
「え? あぁ、あの人。すっかり忘れてました。はい。気をつけます」
「勝手に晴を恋人だとか言ってたから、今度そんなこと言ってきたら恋人はいるって言ってくれ」
「えっ、恋人?」
「俺は晴の恋人になれないか?」
「い、いえ、突然のことでびっくりしちゃって。嬉しいです!」
晴は先程解いたばかりの腕にぎゅっとしがみついてくれたから、俺はぽんぽんと頭を撫でて俺も嬉しいと言ったら、恥ずかしそうに顔を俺の胸に埋めた。
どれくらいそのまま幸せを噛み締めていただろうか。
急に携帯の着信音が響いた。
俺のだ。あぁ、誰だ?
ごめんねと晴に断ってポケットから取り出すと、画面には【アル】の文字。
もしやと思って、慌てて電話をとった。
さすが、元料理人がオーナーなだけあるな。
広めのキッチンには所狭しと調理家電がたくさん置かれていたので、晴はきっと料理が好きなんだろう。
晴が作ってくれる料理が楽しみで仕方ない。
「狭いところですけど、どうぞ。」
お邪魔しますといって晴の部屋に足を踏み入れると、部屋は綺麗に片付けられていて晴の几帳面さが垣間見れた。
晴の匂いと柔軟剤の匂いだろうか?
ふんわりと花の香りが鼻腔をくすぐる柔らかで甘い良い匂いが部屋中に広がっていた。
晴が買い物してきたものを冷蔵庫に片付けし終わったのを確認して、ソファーへ座るように促した。
俺は伊藤さんから予備に貰っておいた湿布を取り出し、裸足にした晴の湿布を取り替えた。
少しビクッと敏感に反応するのも艶っぽくて可愛い。
「ありがとうございます。隆之さん、ゆっくりしていてくださいね。よかったらテレビでも見ててください。
本棚の本も大したものはないですけど、なんでも読んでもらって大丈夫ですから。僕、すぐに食事用意しますね」
「ありがとう。足も怪我してるし慌てなくていいよ。何か手伝うことない?」
「ご飯炊いてる間に肉じゃが煮込んじゃえばすぐできるので、大丈夫ですよ」
「じゃあお言葉に甘えてゆっくりさせてもらうよ。ありがとう」
晴はいそいそとキッチンに向かった。
手際良くトントンと食材を切る音が部屋に響く。
ああ、この幸せな空間に俺がいるのが不思議だ。
晴の匂いが充満している心地よい部屋で、晴の作ってくれている料理の音を聴きながら俺のために作ってくれる姿を見つめる。
今朝、晴を電車で見かけた時には数時間後にこんな未来が訪れるなんて想像もできなかった。
これは絶対に運命だよなぁ……と独り言ちる。
晴がどんな本を読んでいるのか興味もあったが楽しそうに食事を作る晴を眺めている間にご飯の炊ける音が鳴った。
もう肉じゃがも完成したようだ。
晴はお盆に出来上がった料理をのせ、俺のいるテーブルに運んできた。
テーブルいっぱいに次々と美味しそうな料理が並べられる。
ほかほかの炊き立てご飯に長ネギと豆腐の味噌汁、肉じゃがにきんぴら蓮根と白菜の漬物もある。
こんな短時間にこんなに何品も作ったのかと驚いた。
さすが、手際が良いんだな。
「すごいな、いい匂いがする。ほんとに美味しそうだ。こんな短時間にたくさんの品数、大変だったろ?」
「いえ、きんぴらとお漬物は作り置きの常備菜なのでお皿に盛っただけなんです。今作ったのはお味噌汁と肉じゃがだけですよ」
「作り置きか、余計すごいな。ああ、早く食べたい。待ちきれないな」
「ふふっ。どうぞ召し上がれ」
「いただきます」
「いただきます」
まずは味噌汁だ。
出汁のいい香りが広がる。
ああ、こんな美味しい味噌汁、いつぶりだろう。
あまりの美味しさに感想も言えないまま、箸が勝手に肉じゃがに向かう。
じゃがいもに煮汁がしっかり染み込んでほろほろと溶けていくようだ。
慌てて炊き立てのご飯を頬張る。
ほぅ。ご飯の炊き加減も俺の好きな硬さだ。
夢中になって食べていると、ふと晴の視線を感じる。
あっ、無言で食べ続けてしまった。
晴を怒らせてしまっただろうか。
「すまない……。あまりの美味しさについ夢中になってしまって……」
「どうして謝るんですか? 僕は隆之さんが美味しそうに食べている姿を見られて嬉しいですよ。お口にあってよかったです! お代わりもたくさんあるので食べてくださいね」
ああ、天使だ。天使がここにいる。
可愛くて優しくて料理上手で成績も優秀なこんな完璧な子が俺の目の前に。
幸せすぎてどうにかなってしまいそうだ。
俺は感動に身悶えながら、晴の用意してくれたご飯を残らず食べた。
「ふぅーっ、美味しかった。美味しすぎて食べすぎたな。ごちそうさま」
腹をさすりながら晴にお礼を言うと、晴は満足気に『いっぱい食べてくれて嬉しかったです。』と微笑んでくれた。
「食事のお礼に洗い物は任せてくれ!」
「じゃあ一緒にしましょう。その方が早く終わりますよ」
二人でキッチンに並んで片付けをしながら、ああ新婚家庭みたいだなと妄想が膨らんだ。
隣に立つ晴に笑顔を向けると、晴は意を決したような面持ちで話し出した。
「あの、リュウールさんのモデルの件なんですけど、小蘭堂をでてからずっと考えてたんです。それで……」
「まだ時間はあるからゆっくり考えてくれていいんだよ」
「はい。まだどちらかは決められないんですけど、その商品がどんな商品か聞いてもいいですか?」
ああ、なるほど。
商品を知らなければそれを伝えることなんてできないよな。
やるかやらないかを決めるより、まずそれがどういうものなのかを知りたいということか。
晴はちゃんとリュウールのことを考えてるんだな。
片付けを終え、テーブルに戻った俺は晴に今回の商品について説明した。
「リュウールがどんな会社かは知っているかな?」
「はい。確か化粧品メーカーですよね」
「そうだ。スキンケアに特化した商品を多く開発していて、女性の支持も厚い。ただファンデーションや口紅などのメイクアップ化粧品は今ひとつ伸び悩んでいる。それで、リュウールは日常的ではなく女性が一番光り輝く特別な晴れの日、例えば成人式や卒業式の振袖や袴、結婚式のドレスや和装などを着た時に一番美しく、一番映えさせるものとして、女性に選んで貰える、特別感を得られるメイクアップ化粧品をリュウールの全勢力を注いで開発したんだ。それで今回満を辞して発表するそのポスターモデルを見つけて欲しいというのがリュウールの要望だったんだ」
「そんな一大プロジェクトのモデルに僕は推薦されたんですか?」
「ああ。正直言ってリュウールから要望があった時に難しい案件だと思った。これはただ単純に美人を探せばいいという問題ではない。その人の持つ内面の美しさをリュウールの化粧品で引き出し、尚且つポスターを見る人の心を捕らえられるようなモデルでなければいけないのだから。田村さんに話を持って行った時も珍しく厳しそうな顔をしていたよ。今回田村さんが君を見つけるまでに、俺はリヴィエラに何度か足を運んでイメージに合いそうなモデルがいるっていうことで何人かテストしてみたんだけどね、最終的に田村さんも俺もこの人だと思える人には巡り会えなかった」
晴は俺の話をじっと聞いていた。
言葉はなかったけれど、真剣に聞いてくれている様子は目を見れば分かった。
だから、俺はもう全て話してしまおうと思った。
「実はね、晴に言ってなかったことがある」
隆之は『ふぅ』と深呼吸をして話を続けた。
「晴は今日が初対面と思っているかもしれないけれど、俺は10日前にあの駅で偶然晴を見かけてから、毎日晴に会うためにあの電車に乗っていたんだ」
「えっ?」
「引くだろ。引かれても仕方ないよ。俺ももし晴の立場で急にこんなことを言われたら引くと思う。でも、初めて晴を見た日から頭から離れなかったんだ。最初は晴の綺麗な顔に惹かれた。一目惚れだ。でも、それから、ずっと晴を見ているうちに内面の美しさに気がついた。それは人助けだったり、ゴミ捨てだったり。何の見返りも考えずに無意識で良い事をやっている晴が心から美しいなって、愛おしいなって思ったんだ」
「知らなかった。隆之さんがずっと見てくれてたなんて」
晴は驚きながらも嫌そうな顔はしなかったので、俺は内心ホッとした。
「今日、田村さんからリュウールのモデルに晴をと言われた時、確かに内面があんなに美しい晴ならリュウールの望む以上の広告ができるかもしれない、みんなに晴の美しさを見せつけたいなって思った。でもね、そう思いながら、俺は本当は晴に断ってほしいとも思ってたよ」
「えっ?なぜですか?」
「君を、晴を誰にも見せたくない。触れさせたくない。晴の美しさは俺だけが知ってればいい、そう思ったんだ。矛盾してるだろ」
「隆之さん……」
「わかってるんだ。自分でもおかしなこと言ってるって。軽蔑しただろ。でも、これが本当の気持ちだ」
晴の形の良い大きな目がさらに大きくなり、呆気に取られた表情をしている。
ああ、もう終わったな。晴に嫌われた。
当然だよな。
数十秒の沈黙の後、晴は口を開いた。
「隆之さん、今もそう思ってますか?」
正直な気持ちをちゃんと伝えなきゃダメだよな。
俺は晴の目をじっと見つめて答えた。
「いや、今はモデルをやって欲しいと思ってる」
「それはなぜですか?」
「晴を誰にも見せたくない、触れさせたくないという気持ちは変わらない。だけど晴の美しさでリュウールの商品をよりよく見せることができたら、それが世界中の女性の幸せに貢献できるなら、この業界にいる人間としてそれは発信させるべきだと思うから」
今度は晴が俺の目をじっと見つめて、そしてにっこりと笑った。
「よくわかりました。隆之さん、僕、モデル引き受けます!」
「えっ? ほんとに? いいの?」
「はい。今回リュウールさんの広告商品に求められる意義もよくわかりました。リュウールさんの求めるモデル像と僕が合致するかはわかりませんが、隆之さんがそんなに僕のことを推薦してくださるなら信じてやってみたいです。今まで生きてきて、こんなに人から熱望されたことないんです。平凡な僕でほんとに大丈夫なのかはまだ不安なところはありますけど、
隆之さんがついていてくれるなら頑張れそうです」
「あんな話をしたのに俺を軽蔑したり、気持ち悪いとか思わないのか?」
「軽蔑? 気持ち悪い? そんなこと思うはずありません!!」
もう諦めるつもりで本心を伝えたから、晴が力強く否定してくれたことが俺は嬉しかった。
「実を言うと、僕も隆之さんのこと気になってたんです」
「えっ?」
嬉しくて泣きそうになったが、晴の言葉に驚いて涙が引っ込んでしまった。
そんな俺の様子を見て、いたずらっ子みたいな表情でふふっと微笑む晴は、実に妖艶で天使の中に垣間見える小悪魔のようだった。
「通学の車内って大体いつも同じ顔触れで見慣れてきますよね。そこに突然隆之さんのような素敵な男の人が乗ってたらそれは目を惹きますよ。鈍い僕でも気付きます。オーラが凄くて見ることも近づくことも出来ませんでしたけど、同じ空間に少しの時間でも一緒に乗っていたくて、毎日同じところから乗りました。一度、電車が遅れて乗客が多かった時、隆之さん立ってましたよね。あの時、手足が長くてスタイル良い人だなってドキドキしました。だから今朝、隆之さんが階段で僕を抱きしめて助けてくれた時、あの腕が目の前にあって僕を抱きしめてくれてると思ったらめちゃくちゃドキドキして嬉しくて動けなかったんです」
そういえば、あの時じっと腕の中にいてくれてたな。
ほんとに俺のことを気にしてくれてたんだ。
「今こうやって僕の部屋に隆之さんがいることも信じられないくらいなんです。昨日の夜、明日も電車で会えるといいなと思ってた人が、僕の作った料理を美味しいって食べてくれて、今、目の前にいるんですよ。これって運命ですよね」
「あぁ、俺もさっき晴が料理作ってくれてる時、これは運命だなって思ってた。晴も同じことを思ってくれてたなんて嬉しすぎるな」
ふふっとどちらからともなく笑いが溢れる。
「あんなこと言ったらドン引きされると思った。でも、本当のことを伝えたかったんだ。良かった、晴もおんなじ想いでいてくれて」
「僕も嬉しいです」
晴は両腕で俺の右腕にきゅっとしがみついて、上目遣いで少し涙ぐみながらもにっこりと笑って
「あの、朝助けてくれてありがとうございました。お陰で僕…隆之さんのこんな近くに来れて嬉しいです」
と言ってくれた。
ああ、もう堪らないな。
俺はもう片方の手で晴の背中を覆って自分の胸に抱き寄せた。
「もう、離れたいって言っても離してあげられないよ」
「ふふっ。僕もおんなじ気持ちなので大丈夫です」
ほんとに可愛いなあ。
ずっと抱きしめていたい。
ああ、許されるなら晴の形の良い可愛い唇にキスしたい。
でも今、キスしたら止まれる自信がない。
今日は怪我もしてるし、いろいろあって疲れているだろうから無理はさせられないな。
あぁ、それにしても晴とこうしていられるのが、あの女が晴にちょっかいを出してきたおかげだと思うと複雑だが、あいつのせいで晴が怪我をしたんだから感謝はしなくてもいいな。
うん。そうだな。
そう頭の中で納得させて、名残惜しいが晴を腕から解いた。
晴が少し寂しそうに腕を見ていたのが何だか嬉しかった。
もしかしたら、晴もキスを望んでたか?
そうだったら、天にも昇る気持ちだが。
「なぁ、晴。今朝のあすかとかいう女性だけど、また近づいてくるかもしれないから充分気をつけろよ。俺が一緒にいるときは守るけど、出来るだけ一人で行動しないように!」
「え? あぁ、あの人。すっかり忘れてました。はい。気をつけます」
「勝手に晴を恋人だとか言ってたから、今度そんなこと言ってきたら恋人はいるって言ってくれ」
「えっ、恋人?」
「俺は晴の恋人になれないか?」
「い、いえ、突然のことでびっくりしちゃって。嬉しいです!」
晴は先程解いたばかりの腕にぎゅっとしがみついてくれたから、俺はぽんぽんと頭を撫でて俺も嬉しいと言ったら、恥ずかしそうに顔を俺の胸に埋めた。
どれくらいそのまま幸せを噛み締めていただろうか。
急に携帯の着信音が響いた。
俺のだ。あぁ、誰だ?
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