俺の天使に触れないで  〜隆之と晴の物語〜

波木真帆

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テオドールさんからの誘い

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各階に停まるたびに名残惜しそうに降りていく社員たちの視線から鉄壁の守りで晴を守り抜き、5階に着いた頃には俺たちの他は全員降りて行った。
扉が閉まってようやく一息つくと、橘と桜木部長もまた『ふぅ』と一息ついていた。
それほどまでに必死に晴を守ってくれていたのだと思うと、嬉しくなる。

6階の営業部オフィスに着き、揃って中に入ると一瞬しんと静まり返ったが、我先にと我々の元に駆け寄ってきた。
一番に駆け寄ってきたのは営業事務の千葉さんだ。

「おはようございます。今日はみなさんお揃いでどうされたんですか?」

「いや、おはよう。お揃いってたまたま同じエレベーターだっただけだよ」

「きゃーっ、そうなんですか? てっきり香月くんを守るために結集したのかと……あっ」

「んっ? なんて言った? 香月くんを……なんだって?」

「いや、なんでもない、です……はい。なんでもないんです」

「そうです、なんでもないんです」

千葉さんは周りにいた同じ営業事務の子たちから羽交い締めにされなながら、後方へと連れて行かれた。

結局なんだったんだ? 今のは……。
何か晴のことを言っているようだったが早口で何を言っているのかよくわからなかったし。
まぁ、特に害にはならなさそうだから放っておいてもいいか。

チラリと彼女たちに目を向けると彼女を中心に何やら話をしている。
遠すぎてよく聞こえないが……。

『ダメじゃないっ!』
『あれは内緒なんだからっ!』
『ごめんって! つい、口が滑っちゃって……』
『まぁ、でも朝からあの豪華なメンバー見ちゃったらつい喋りたくなっちゃうよね』
『でしょう?』
『でしょうじゃない! 気をつけてよね』
『わかってるって』 

「おかしな子たちだったな……」

「部長、気にせずフェリーチェに行く準備しましょう」

「ああ、そうだな。香月くんはここでお茶でも飲んで待っていてくれ」

俺たちが準備している時はよくここで待たされることもあって、最初の頃はただ座ってまっているだけだったが、最近では勝手知ったるなんとやらと言った感じで、コーヒーサーバーも使いこなして飲んでいる。
俺もここで一度飲ませてもらったが、いつも飲んでいるコーヒーなのに晴に淹れてもらうと会社のコーヒーもものすごく美味しく感じるんだよな。
晴は紅茶を淹れるのも上手だがコーヒーもとても上手なのだ。
やっぱり淹れ方で美味しさは変わるんだよな。
俺もコーヒーを淹れるのはうまい方だと思っていたが、この頃は断然晴の方が美味しい。
早く準備を終わらせて俺も御相伴に預かるとしようか。

準備を終えて、桜木部長の方を見るとまだ書類を整理している。
うん、これなら飲む時間はありそうだ。
いそいそと晴の待つ休憩スペースへと向かうと、晴はそれを察知したかのように

「隆之さん、どうぞ」

と淹れたてのコーヒーは入ったカップを渡してくれた。

香ばしく苦いコーヒーの香りがふわっと漂って俺の食欲をそそる。

「ありがとう」

お礼を言ってゴクリと飲むと、酸味と苦味のバランスが俺好みの美味しい味が広がった。

「ああ……美味しいな」

俺の心から出てきた言葉に晴は嬉しそうに笑った。

「早瀬、香月くん。お待たせ。おっ、早瀬。良いもの飲んでるな。香月くん、悪い。私にも少し淹れてもらえるか?」

「はい。どうぞ」

晴は手早くカップに残りのコーヒーを淹れ

「残り物ですみません」

と言いながら手渡していた。

「いや、ありがとう」

そう言って口に含んだ瞬間、部長の目が大きく見開いた。

「これはここにあったコーヒーか?」

「はい。そうですけど……」

「そうか。驚くほど美味しいな」

「ふふっ。ありがとうございます」

晴は部長の言葉がお世辞だと思っていそうだが、あの目は本物だ。
きっと晴のコーヒーの虜になりそうな予感がする。

コーヒーブレイクをして、俺と晴、そして桜木部長の3人でフェリーチェへと向かった。
帰りに寄りたい場所があるとのことで、桜木部長の車に乗せてもらうことになった。

部長に運転してもらって後ろに座るのも気が引けるということで、俺は助手席、晴は後ろに座らせてもらった。

フェリーチェまではうちの会社から車で数十分の距離にあり、今日は渋滞もしていなさそうだから早く着きそうだ。

晴は俺以外の車に乗ることが少ないらしくなんとなくウキウキしている気がする。
俺の車と違い、部長の車は意外にもクロスオーバーSUV。
ただ車体の濃いグリーンが部長のイメージによく似合っている。
さすが良いもの選んでるなと惚れ惚れしてしまう。

晴と遠出する時用にこういう車が一台あってもいいかもしれないな。
そういえば、アルもアウトドア用の車を持っているって言ってたっけ。
古い車だと言っていたが、アルがそこまで惚れ込んで買った車ならかなり興味がある。
旅行前に見せてもらおうか。
どうせ、交代で運転するんだ。
試し運転させてもらって慣れておくのもいいかもしれない。
古い車は慣れるまでに手こずる場合もあるらしいからな。
晴を乗せているときにエンストなんて起こすのは絶対に避けたい。

『うん、そうしよう』

「何がそうするんだ?」

「えっ?」

「お前、さっきからボソボソ一人で何か喋ってたぞ。大丈夫か?」

つい、頭で考えていることが口に出てしまっていたみたいだ。
危ない、危ない。

「いえ、部長のこの車格好良いなと思って……私もこういう車が欲しいと思っていたんですよ」

「ああ、なるほど。お前の車とはタイプが違うからな。たまに違うタイプの車に乗ると私もそう思うよ」

「部長もですか?」

「ああ。私も車は大好きだからね」

そんなことを話している間にあっという間にフェリーチェについた。
やはり今日は車で来て正解だったな。

駐車場に車をとめ、正面へと回ると部長はすぐに受付へと声をかけに行った。

「小蘭堂の桜木さま、早瀬さま、香月さまでございますね。ただいま、担当のものに伝えますのでそちらのお席でしばらくお待ちくださいませ」

窓際にある大きなロビーラウンジに案内され、席に座ろうとすると

「見て、早瀬さん。あそこのパンの歴史館……フェリーチェの創業100周年記念の展示に変わっていますよ」

と晴が目を輝かせて言ってきた。

「ああ、本当だ。フェリーチェさん、相当力を入れているみたいだな」

「これ、見に行ってもいいですか?」

「長谷川もまだ来ないからいいんじゃないか? どれ、一緒に見てみるとするか」

桜木部長のその一言で俺たちは早速パンの歴史館にある創業100周年記念の展示を見ることにした。


中に入るとどうやら先客がいるようだ。
ものすごく食い入るように見ている。
よほどフェリーチェのパンのファンなんだろうか?

あんまりジロジロ見てはいけないと思いながら、珍しい外国人の姿につい目がいってしまう。

「あっ、テオさん!」

晴が突然大声を出し、その外国人が振り返った。

テオさんって……テオドールさん?

この前会った時と髪型が変わっていたので全然気がつかなかった。
晴はよく気づいたな。

「おおっ、晴くん! まさかここでもう一度君に会えるとは!!」

そういえば、初めてテオドールさんと晴が出会ったのもこのパンの歴史館だって言ってたっけ。

「テオさんはフェリーチェさんと打ち合わせですか?」

「ああ。そうなんだよ。今日はもうすぐソウスケも来ることになっているよ。晴くんに会えるとは思っていないだろうから、きっと驚くだろう」

ソウスケって……【Cheminée en chocolat】のオーナーショコラティエの折原さんだよな。
彼もここに来るのか。
彼は晴を相当気に入っていたみたいだったから気になる。
テオドールさんも晴を気に入っているが、テオドールさんとはまた違うんだよな。

「打ち合わせの前に100周年記念の展示を見ておくなんてさすがですね」

「ああ。あのとき試食しに行ってここのパンをすっかり気に入ってしまったからな。
ここにうちとのコラボパンも名を連ねるかと思うと楽しみでたまらないよ」

どうやらフェリーチェとテオドールさんの【Gezelligヘゼリヒ】とのコラボは我々が思っていたよりもかなり好感触で進んでいるようだ。

それはテオドールさん自身がフェリーチェのパンに絶大な信頼を持ったからこその功績であるが、そのきっかけを作った晴はフェリーチェにとって救世主と言っても過言ではないだろう。
なんと言っても【Cheminée en chocolat】とのつながりどころか、チョコレートの本場であるベルギーのチョコレートショップのドイツにある【Gezellig】とつながりを持てたのだからな。
しかも、そこのトップショコラティエ自ら打ち合わせに参加してくれるとは……どれだけすごいことか。

フェリーチェは晴に足を向けて寝られないな、本当に。


ひとしきり展示を見てからテオドールさんと共にロビーラウンジへと戻り話をしていると、血相を変えて長谷川さんが駆け寄ってきた。

「テオドールさんっ!! お待たせして申し訳ございません。小蘭堂の皆さまもお待たせして大変失礼致しました」

スライディング土下座でもしそうな勢いで飛び込んできた長谷川さんに俺たちはみんな驚いてしまったが、
桜木部長だけは冷静に

「長谷川さん、お約束の時間は守っていただかないと困りますね」

とピシャリと苦言と呈した。

「はい。誠に申し訳ございません」

平身低頭の長谷川さんに

「次の打ち合わせからはくれぐれも気をつけてくださいね」

と声をかけると、長谷川さんはやっと少し安堵したような表情を浮かべた。

フェリーチェはうちにとっては大切なクライアントだが、言わなければいけないところは伝えておかないとパワーバランスがおかしくなってしまう。
旧知の仲だからと言ってなあなあにするのは良くないんだと新人のことからずっと部長に言われてきたことだが、実際に目の当たりにするのは初めてだった。
今回少し強めに長谷川さんに注意をしたのはテオドールさんにもしっかりと長谷川さんが反省しているのを見せつける意味もあったのだろう。

長谷川さんがもう一度謝罪の言葉を述べると、ようやく部長の顔に柔らかさが戻った。

「では、会議室に参りましょうか」

長谷川さんにそう声をかけると、長谷川さんにもようやく笑顔が戻った。

「はい。こちらへどうぞ」

案内を始めた長谷川さんに

「今日晴くんに会えるとは思っていなかったよ」

とテオドールさんが嬉しそうに声をかけた。

「はい。我々も今日香月くんにお越しいただけるかわからなかったのですが、小蘭堂さんが連れてきてくださってありがたい限りです」

そう。元々今日は晴は来る予定ではなかったのだ。
しかし、先日リュウールのポスターが出来上がった日に大学からここに連れてきたことで、桜木部長と会いそのまま今日打ち合わせに参加することが決まったのだ。

フェリーチェとしてはどうしても波風の立てたくないテオドールさんとの打ち合わせにテオドールさんのお気に入りである晴が参加してくれることは願ったり叶ったりというところだろう。

桜木部長は今日テオドールさんが来ることを知っていたのかはわからないが、そこを計算して晴を今日の打ち合わせに参加させたのならやはりすごい人なのだと思う。

「晴くん、今日は打ち合わせの後一緒に食事でもどう?」

「えっ?」

「ソウスケも来るし、また一緒にあの店に行かないか?」

「あの店ってシュパースですか?」

「ああ。日本料理はどこも美味しいけど、やっぱりドイツ料理も食べたくなってね。以前は近くのドイツ料理やにも言ってたことがあるんだが、あの店の料理は実に美味しい。一度あれを口にすると日本にある他のドイツ料理店には行けなくなってしまったよ」

そこまで手放しでシュパースを褒められれば、あそこで働いていた晴にとって断る理由などないだろう。
晴はチラッと俺の方に視線を向けたが、その目は行きたいと訴えかけていた。

「テオドールさん、いいですね! 私もシュパースの料理を食べたいと思っていたんですよ。私も同行させてもらえませんか?」

テオドールさんにそう声をかけると、一瞬驚いてはいたものの、やはりなという表情で笑顔を受けられ、

「ああ、君も一緒に来るといい」

と認めてくれた。

その答えにホッとしたように晴はテオドールさんからの誘いを受けていた。

「よかったら、君たちも一緒にどうだ?」

桜木部長と長谷川さんにも声をかけたのは、俺がいるなら何人いても同じだろうと思ったのかもしれない。

テオドールさんと一緒に飲める機会などそうそうないだろう。
しかも【Cheminée en chocolat】の折原さんも来るというなら尚更長谷川さんに断る理由などありはしない。
桜木部長もまた喜んで参加すると言い、俺は前もってアルに連絡することにした。
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