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可愛いふたり
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アルに電話すると、今日は特に大人数での予約は入っていないということで、個室の予約を快く引き受けてくれた。
逆に今日来るのがテオドールさんだと聞いて、うちの店に来てくれるなんてありがたい!! と喜んでさえいた。
よろしく頼むと電話を切ってから、アルの子どものような反応に思わず笑ってしまった。
「予約取れました。個室が空いていたのでそちらをお願いしました」
「ああ。早瀬くん、ありがとう。晴くん、今日の夜は楽しみだな」
「はい。僕もこの前テオさんたちと行ったきりなので楽しみです!」
晴の無邪気な声に癒されながら、長谷川さんの案内で会議室へと到着した。
それからはフェリーチェと【Gezellig】とのコラボ企画の進捗状況を確認し、CMについての細かなまとめに入った。
今回のコラボパンはかなり順調に行っているようだ。
先日【Gezellig】のチョコレートをドイツから空輸し、試作品を作ったらしい。
その試食会にはフェリーチェの上層部が多数参加し、フェリーチェ史上最高の出来に拍手が巻き起こったそうだぞと桜木部長から聞いていた。
誰もがこのコラボパン成功を確信しているだけあって、フェリーチェサイドも大乗り気だ。
テオドールさんもまたコラボパンを試食し、あまりの美味しさに感動したらしくドイツ【Gezellig】に自ら連絡し、フェリーチェ用のチョコレート量を当初の予定より大幅に増やしたそうだ。
おかげでコラボパン販売の時期は本社工場の製造ラインをコラボパンのみの製造に切り替え、他のパンはそれ以外の工場で割り振る手筈になっていて、その準備が整い次第、コラボパンの製造に入る見込みだ。
それまでにうちのCMは完成させておかなければならない。
当初の予定より急激に話が進んだこともあって圧倒的に時間は足りないが、CMに多少の変更があるとはいえ基本構造は以前のものを使えばいいし、出演するモデルも晴に決定していることを考えれば、かなりの強行スケジュールにはなるが間に合わないことはないだろう。
今日の打ち合わせで訂正箇所も少なく、これならすぐに撮影に入れそうだ。
「桜木さん、CM撮影は来週半ばで行けそうですか?」
「撮影スタジオが押さえられれば可能です。すぐにでも確認します。おい、早瀬っ!」
「はい、すぐに確認とります」
俺は急いでCM撮影用のスタジオに確認を取ると幸運にもその日を合わせて前後3日間、ちょうど空きがあるということで万が一のことを考え3日間スタジオを押さえる事ができた。
話を聞けば、ついさっきその日程でキャンセルが出たばかりだそうでタイミングが良かったらしい。
これを逃せば、CMの仕上がりが遅くなるところだった。
その旨を伝えると、長谷川さんは安心したように笑顔を浮かべていた。
こうやって順調に事が進んでいるのはきっと晴のおかげではないか……。
俺はそう思わずにはいられなかった。
打ち合わせを終え、テオドールさんはにこやかなままだ。
それはきっとコラボパンが順調に進んでいるということもあるだろうが、この後晴と食事に行けるというのも大きな要因だろう。
そろそろ会議室を出ようかという時、受付から連絡が入った。
どうやら【Cheminée en chocolat】の折原さんが到着したようだ。
こんなに早く打ち合わせが終わるとは思っていなかったんだろうな。
しかし、折原さんはテオドールさんの付き添いでくるようなものだから特に問題はないだろう。
「ロビーに折原さんをお迎えに行って参りますので、こちらでしばらくお待ちください」
長谷川さんは急いでロビーへと向かった。
会議室の中で俺と晴、そして桜木部長とテオドールさんが残され、さてどうしようかと思っていると、
テオドールさんが
「ちょっと頼みがあるんだが……」
と桜木部長に声をかけた。
「何か気になることでもございましたか?」
「いや、そうじゃないんだ。来週のCM撮影なんだが、私も見に行きたいのだが許可をいただけるだろうか?」
「えっ? CM撮影でございますか? もちろん、クライアントさまですので、ご見学いただけますよ」
「おおっ、本当か? ああ! それは嬉しいな! 晴くんの撮影を見たいと思っていたんだが邪魔になってはいけないと思っていたんだ」
「テオさんが見に来てくれるなら、僕頑張れそうです!」
晴が笑顔でそういうと、テオドールさんはまるで我が子の発表会でも見にいく父親のように破顔していた。
その時、部屋の扉がトントントンとノックされ、桜木部長のどうぞの声とともに長谷川さんと折原さんが入ってきた。
「遅くなって申し訳ありません。まさかもう打ち合わせが終わっているとは……」
「いえいえ、とんでもございません。こちらとしては打ち合わせがスムーズに行くことは喜ばしいことですから。
それにCM撮影にテオドールさんもお越しいただけるとのことで私どもも嬉しく思っております」
桜木部長がそう話すと、折原さんは驚いた顔でテオドールさんに詰め寄った。
「テオ! CM撮影の話、もうしてしまったのかい? 私も一緒に行きたいから一緒の時に聞こうって言ったじゃないか!」
「いや、ソウスケ悪い。今日は晴くんに会えたんでついはしゃぎすぎて先に聞いてしまったのだよ」
「テオは香月くんがいるとすぐに調子に乗るんだからな。申し訳ないのだが、そのCM撮影の時は私も見学させていただけないでしょうか?」
折原さんの視線が桜木部長ではなく、俺を向いていたのは俺と晴が恋人だと知っているからだろう。
そっと桜木部長に目をやると目でOKの合図が出たのを確認して、
「もちろん構いません。テオドールさんと一緒にぜひご見学ください」
と伝えると、折原さんは嬉しそうに笑った。
テオドールさんと共に折原さんもCM撮影に見学に来ることが決まったところで、
「ソウスケ、今日晴くんを夕食に誘ったんだが、お前も一緒に来るだろう?」
と肯定の返事が来ることを見越したような言葉で問いかけた。
案の定というか当然というのか、折原さんは『もちろん!』となぜか自信満々に言い切った。
今日の打ち合わせに折原さんが参加をしている時点でおそらく夕食を一緒に撮ることは決まっていたんだろう。
そこに晴が参加することでNOになるはずがないということか。
「どこの店を予約したんだ?」
「ああ。前、晴くんに連れて行ってもらったあのドイツ料理店だよ」
「ああ、私の店の近くの『シュパース』か。あの店かなり評判がいいね。
うちの従業員にも聞いたんだが、あそこの料理はどれも美味しいし、それに接客も最高だって。
やっぱりオーナーがいい人だと教育が行き渡っていていいよね」
折原さんが晴の目を見ながらそう答えると、晴は自分のことを誉められたかのように満面の笑みを浮かべた。
「折原さんにそう言っていただけて嬉しいです! 僕、もうあそこのバイトはやめちゃったんですけど、賄いがすっごく美味しいし、お客さんたちもいい人ばっかりで本当に働くのが楽しい職場でした」
「君みたいな子が働いてたらそりゃあいい人が集まるだろうな」
折原さんがぼそりと呟いた言葉は晴には聞こえていなかったようだが、私もそうだと思う。
私と出会った日に事件に巻き込まれた晴はあの日からシュパースでは働いてはいない。
理玖の姿を見るたびに、制服を着た晴に出会ってみたかったなと思ってしまう。
俺以外のところに接客に行く姿は見たくないから、バイトを辞めてもらってよかったとは思っているが、制服姿を見られなかったのだけはほんの少しもったいなかったとは思っている。晴には絶対に言わないが……。
「そういえば、一度だけ嫌なお客さんが来たことがあって……」
シュパースへと向かう道すがら、晴が思い出したようにそんなことを言い出した。
人のことを悪くいうことなどない晴から出てきた言葉に全員が驚いて、
「どんな客だったんだ?」
と問いかけると、とんでもない答えが返ってきた。
そいつが今目の前に現れたらここにいる皆に八つ裂きにされることは間違いない。
それほどまでにクズな奴の話だった。
毎回開店と同時に現れ、従業員を見渡せる席を陣取り、料理を持っていけば尻を触られ、晴を庇った理玖に服を汚した弁償の代わりにホテルに付き合えと言ってきた男がいたらしい。
「くそっ、なんだそいつっ!」
「晴くんの尻を触った上に、他の子にホテルに付き合えだと??」
「そ、それでどうしたんだ?」
怒りと心配でごちゃ混ぜになったが、オーナーがそいつの腕を締め上げ出入り禁止にして追い出したそうだ。
さすがだな、アル。
まぁ、俺なら野放しになどせずすぐに警察を呼んで捕まえてもらうのだが、きっと理玖が騒ぎになるのを嫌がったのだろう。
「そこできちんと助けてくれるオーナーだからこそ、従業員がついてくるんだな。ピンチの時に助けてもらえるオーナーがいれば安心して働けるからな」
ここにいる皆の中でアルの好感度が爆上がり中だな。
晴を助けたのだから当然といえば当然の結果だが。
今日の酒はいつもよりさらに美味しく飲めそうだ。
『シュパース』に着くとすでに店は多くの客で賑わっていた。
カランカランとドアベルが鳴る扉を開けると、忙しそうな店員が駆け寄ってきた。
こちらが名前を言う前に
「ああ、早瀬さま。お待ちしておりました」
と声をかけてくれたのは、相手が理玖だったからだ。
理玖の姿に驚いて晴が駆け寄った。
「あれ? 理玖、今日はバイトの日じゃなかったんじゃない?」
「ああ。本当は休みだったんだけど、鷹斗さんにどうしても代わってくれって頼まれちゃってさ。
でも、香月に会えたからバイト代わって正解だったな」
「そうなんだ。理玖がいると思うと嬉しいな。バイト遅番なの?」
「いや、遅番の子が一人追加で来てくれることになってるから今日は20時で上がる予定」
「じゃあ、バイト終わったら理玖もこっちに参加してよ」
「ええっ? でも……俺、邪魔じゃないか?」
理玖も俺と晴だけならすぐにOKを出してくれただろうが、一緒にいる人たちを見て少し遠慮気味だ。
晴以外はかなり年上のサラリーマン集団だもんな、しかも外国人のテオドールさんも一緒だし。
「戸川くんだったよね。ぜひ君も来てくれ。次の撮影には見学に来てもらうんだし、もう身内同然だよ」
突然の桜木部長からの誘いに驚きながらも断ることもできなかったのだろう。
「はい。では後で参加させていただきますね」
とにこやかな笑顔を浮かべ、俺たちを個室に案内してくれた。
それぞれ飲み物を注文したが、晴は例によってアプフェルショーレ。
まぁ、前回の酔った姿を見ているから誰も晴に酒を勧めようとしないのは有難いな。
一緒に注文した理玖のおすすめのドイツ料理を皆で堪能しながら、話題はやはり晴のことだ。
桜木部長もテオドールさんも折原さんも、ここにいる男たちは全て晴の虜となってしまっているのだからそれは仕方ないことなのだろう。
その中でも俺が一番晴の虜になっているのは分かりきっていることだが……。
晴は自分が褒められてばかりでだいぶ居心地が悪そうだ。
だって、晴は自分ですごいことをやっているという意識が全くないのだ。
自然にやっていることが皆の心を掴んでいくのだからもうこれは天賦の才なのだろう。
晴がいい加減違う話題に……と声をあげかけたところで、扉がトントントンとノックされた。
晴は良いタイミングと言わんばかりに扉へと駆け寄って開けるとそこには私服に着替えた理玖の姿があった。
「わぁ~っ、理玖! 来てくれてありがとう」
「誘われちゃったからつい来ちゃったけど、俺……本当に来て良かったのか?」
「ふふっ。心配しなくて大丈夫だよ。それに来てくれて助かったよ。もう僕の話ばっかりで少し居心地が悪かったんだ」
「なんだ、それ?」
「いいから、いいから! 入って」
俺たち大人は気付けば、扉の前で戯れる晴と理玖の姿にすっかり見入ってしまっていた。
逆に今日来るのがテオドールさんだと聞いて、うちの店に来てくれるなんてありがたい!! と喜んでさえいた。
よろしく頼むと電話を切ってから、アルの子どものような反応に思わず笑ってしまった。
「予約取れました。個室が空いていたのでそちらをお願いしました」
「ああ。早瀬くん、ありがとう。晴くん、今日の夜は楽しみだな」
「はい。僕もこの前テオさんたちと行ったきりなので楽しみです!」
晴の無邪気な声に癒されながら、長谷川さんの案内で会議室へと到着した。
それからはフェリーチェと【Gezellig】とのコラボ企画の進捗状況を確認し、CMについての細かなまとめに入った。
今回のコラボパンはかなり順調に行っているようだ。
先日【Gezellig】のチョコレートをドイツから空輸し、試作品を作ったらしい。
その試食会にはフェリーチェの上層部が多数参加し、フェリーチェ史上最高の出来に拍手が巻き起こったそうだぞと桜木部長から聞いていた。
誰もがこのコラボパン成功を確信しているだけあって、フェリーチェサイドも大乗り気だ。
テオドールさんもまたコラボパンを試食し、あまりの美味しさに感動したらしくドイツ【Gezellig】に自ら連絡し、フェリーチェ用のチョコレート量を当初の予定より大幅に増やしたそうだ。
おかげでコラボパン販売の時期は本社工場の製造ラインをコラボパンのみの製造に切り替え、他のパンはそれ以外の工場で割り振る手筈になっていて、その準備が整い次第、コラボパンの製造に入る見込みだ。
それまでにうちのCMは完成させておかなければならない。
当初の予定より急激に話が進んだこともあって圧倒的に時間は足りないが、CMに多少の変更があるとはいえ基本構造は以前のものを使えばいいし、出演するモデルも晴に決定していることを考えれば、かなりの強行スケジュールにはなるが間に合わないことはないだろう。
今日の打ち合わせで訂正箇所も少なく、これならすぐに撮影に入れそうだ。
「桜木さん、CM撮影は来週半ばで行けそうですか?」
「撮影スタジオが押さえられれば可能です。すぐにでも確認します。おい、早瀬っ!」
「はい、すぐに確認とります」
俺は急いでCM撮影用のスタジオに確認を取ると幸運にもその日を合わせて前後3日間、ちょうど空きがあるということで万が一のことを考え3日間スタジオを押さえる事ができた。
話を聞けば、ついさっきその日程でキャンセルが出たばかりだそうでタイミングが良かったらしい。
これを逃せば、CMの仕上がりが遅くなるところだった。
その旨を伝えると、長谷川さんは安心したように笑顔を浮かべていた。
こうやって順調に事が進んでいるのはきっと晴のおかげではないか……。
俺はそう思わずにはいられなかった。
打ち合わせを終え、テオドールさんはにこやかなままだ。
それはきっとコラボパンが順調に進んでいるということもあるだろうが、この後晴と食事に行けるというのも大きな要因だろう。
そろそろ会議室を出ようかという時、受付から連絡が入った。
どうやら【Cheminée en chocolat】の折原さんが到着したようだ。
こんなに早く打ち合わせが終わるとは思っていなかったんだろうな。
しかし、折原さんはテオドールさんの付き添いでくるようなものだから特に問題はないだろう。
「ロビーに折原さんをお迎えに行って参りますので、こちらでしばらくお待ちください」
長谷川さんは急いでロビーへと向かった。
会議室の中で俺と晴、そして桜木部長とテオドールさんが残され、さてどうしようかと思っていると、
テオドールさんが
「ちょっと頼みがあるんだが……」
と桜木部長に声をかけた。
「何か気になることでもございましたか?」
「いや、そうじゃないんだ。来週のCM撮影なんだが、私も見に行きたいのだが許可をいただけるだろうか?」
「えっ? CM撮影でございますか? もちろん、クライアントさまですので、ご見学いただけますよ」
「おおっ、本当か? ああ! それは嬉しいな! 晴くんの撮影を見たいと思っていたんだが邪魔になってはいけないと思っていたんだ」
「テオさんが見に来てくれるなら、僕頑張れそうです!」
晴が笑顔でそういうと、テオドールさんはまるで我が子の発表会でも見にいく父親のように破顔していた。
その時、部屋の扉がトントントンとノックされ、桜木部長のどうぞの声とともに長谷川さんと折原さんが入ってきた。
「遅くなって申し訳ありません。まさかもう打ち合わせが終わっているとは……」
「いえいえ、とんでもございません。こちらとしては打ち合わせがスムーズに行くことは喜ばしいことですから。
それにCM撮影にテオドールさんもお越しいただけるとのことで私どもも嬉しく思っております」
桜木部長がそう話すと、折原さんは驚いた顔でテオドールさんに詰め寄った。
「テオ! CM撮影の話、もうしてしまったのかい? 私も一緒に行きたいから一緒の時に聞こうって言ったじゃないか!」
「いや、ソウスケ悪い。今日は晴くんに会えたんでついはしゃぎすぎて先に聞いてしまったのだよ」
「テオは香月くんがいるとすぐに調子に乗るんだからな。申し訳ないのだが、そのCM撮影の時は私も見学させていただけないでしょうか?」
折原さんの視線が桜木部長ではなく、俺を向いていたのは俺と晴が恋人だと知っているからだろう。
そっと桜木部長に目をやると目でOKの合図が出たのを確認して、
「もちろん構いません。テオドールさんと一緒にぜひご見学ください」
と伝えると、折原さんは嬉しそうに笑った。
テオドールさんと共に折原さんもCM撮影に見学に来ることが決まったところで、
「ソウスケ、今日晴くんを夕食に誘ったんだが、お前も一緒に来るだろう?」
と肯定の返事が来ることを見越したような言葉で問いかけた。
案の定というか当然というのか、折原さんは『もちろん!』となぜか自信満々に言い切った。
今日の打ち合わせに折原さんが参加をしている時点でおそらく夕食を一緒に撮ることは決まっていたんだろう。
そこに晴が参加することでNOになるはずがないということか。
「どこの店を予約したんだ?」
「ああ。前、晴くんに連れて行ってもらったあのドイツ料理店だよ」
「ああ、私の店の近くの『シュパース』か。あの店かなり評判がいいね。
うちの従業員にも聞いたんだが、あそこの料理はどれも美味しいし、それに接客も最高だって。
やっぱりオーナーがいい人だと教育が行き渡っていていいよね」
折原さんが晴の目を見ながらそう答えると、晴は自分のことを誉められたかのように満面の笑みを浮かべた。
「折原さんにそう言っていただけて嬉しいです! 僕、もうあそこのバイトはやめちゃったんですけど、賄いがすっごく美味しいし、お客さんたちもいい人ばっかりで本当に働くのが楽しい職場でした」
「君みたいな子が働いてたらそりゃあいい人が集まるだろうな」
折原さんがぼそりと呟いた言葉は晴には聞こえていなかったようだが、私もそうだと思う。
私と出会った日に事件に巻き込まれた晴はあの日からシュパースでは働いてはいない。
理玖の姿を見るたびに、制服を着た晴に出会ってみたかったなと思ってしまう。
俺以外のところに接客に行く姿は見たくないから、バイトを辞めてもらってよかったとは思っているが、制服姿を見られなかったのだけはほんの少しもったいなかったとは思っている。晴には絶対に言わないが……。
「そういえば、一度だけ嫌なお客さんが来たことがあって……」
シュパースへと向かう道すがら、晴が思い出したようにそんなことを言い出した。
人のことを悪くいうことなどない晴から出てきた言葉に全員が驚いて、
「どんな客だったんだ?」
と問いかけると、とんでもない答えが返ってきた。
そいつが今目の前に現れたらここにいる皆に八つ裂きにされることは間違いない。
それほどまでにクズな奴の話だった。
毎回開店と同時に現れ、従業員を見渡せる席を陣取り、料理を持っていけば尻を触られ、晴を庇った理玖に服を汚した弁償の代わりにホテルに付き合えと言ってきた男がいたらしい。
「くそっ、なんだそいつっ!」
「晴くんの尻を触った上に、他の子にホテルに付き合えだと??」
「そ、それでどうしたんだ?」
怒りと心配でごちゃ混ぜになったが、オーナーがそいつの腕を締め上げ出入り禁止にして追い出したそうだ。
さすがだな、アル。
まぁ、俺なら野放しになどせずすぐに警察を呼んで捕まえてもらうのだが、きっと理玖が騒ぎになるのを嫌がったのだろう。
「そこできちんと助けてくれるオーナーだからこそ、従業員がついてくるんだな。ピンチの時に助けてもらえるオーナーがいれば安心して働けるからな」
ここにいる皆の中でアルの好感度が爆上がり中だな。
晴を助けたのだから当然といえば当然の結果だが。
今日の酒はいつもよりさらに美味しく飲めそうだ。
『シュパース』に着くとすでに店は多くの客で賑わっていた。
カランカランとドアベルが鳴る扉を開けると、忙しそうな店員が駆け寄ってきた。
こちらが名前を言う前に
「ああ、早瀬さま。お待ちしておりました」
と声をかけてくれたのは、相手が理玖だったからだ。
理玖の姿に驚いて晴が駆け寄った。
「あれ? 理玖、今日はバイトの日じゃなかったんじゃない?」
「ああ。本当は休みだったんだけど、鷹斗さんにどうしても代わってくれって頼まれちゃってさ。
でも、香月に会えたからバイト代わって正解だったな」
「そうなんだ。理玖がいると思うと嬉しいな。バイト遅番なの?」
「いや、遅番の子が一人追加で来てくれることになってるから今日は20時で上がる予定」
「じゃあ、バイト終わったら理玖もこっちに参加してよ」
「ええっ? でも……俺、邪魔じゃないか?」
理玖も俺と晴だけならすぐにOKを出してくれただろうが、一緒にいる人たちを見て少し遠慮気味だ。
晴以外はかなり年上のサラリーマン集団だもんな、しかも外国人のテオドールさんも一緒だし。
「戸川くんだったよね。ぜひ君も来てくれ。次の撮影には見学に来てもらうんだし、もう身内同然だよ」
突然の桜木部長からの誘いに驚きながらも断ることもできなかったのだろう。
「はい。では後で参加させていただきますね」
とにこやかな笑顔を浮かべ、俺たちを個室に案内してくれた。
それぞれ飲み物を注文したが、晴は例によってアプフェルショーレ。
まぁ、前回の酔った姿を見ているから誰も晴に酒を勧めようとしないのは有難いな。
一緒に注文した理玖のおすすめのドイツ料理を皆で堪能しながら、話題はやはり晴のことだ。
桜木部長もテオドールさんも折原さんも、ここにいる男たちは全て晴の虜となってしまっているのだからそれは仕方ないことなのだろう。
その中でも俺が一番晴の虜になっているのは分かりきっていることだが……。
晴は自分が褒められてばかりでだいぶ居心地が悪そうだ。
だって、晴は自分ですごいことをやっているという意識が全くないのだ。
自然にやっていることが皆の心を掴んでいくのだからもうこれは天賦の才なのだろう。
晴がいい加減違う話題に……と声をあげかけたところで、扉がトントントンとノックされた。
晴は良いタイミングと言わんばかりに扉へと駆け寄って開けるとそこには私服に着替えた理玖の姿があった。
「わぁ~っ、理玖! 来てくれてありがとう」
「誘われちゃったからつい来ちゃったけど、俺……本当に来て良かったのか?」
「ふふっ。心配しなくて大丈夫だよ。それに来てくれて助かったよ。もう僕の話ばっかりで少し居心地が悪かったんだ」
「なんだ、それ?」
「いいから、いいから! 入って」
俺たち大人は気付けば、扉の前で戯れる晴と理玖の姿にすっかり見入ってしまっていた。
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