お飾り妻は天井裏から覗いています。

七辻ゆゆ

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便箋が足りません!

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『この家に泥棒猫を入れるなんて、何を考えているの? あなたはこの私の夫なのよ、クリフト。無能なりにちゃんとしなさい』

 恋する二人には敵役が必要です。それが二人を盛り上げ、そして、敵役を倒せばハッピーエンドなのです。
 いくらなんでも私と違いすぎる妻でしたが、このさい構いません。とにかくハッピーエンドが必要なのですから。お二人を改変するよりは、自分を改変したほうが気が咎めません。

 その他のことは見たままです。愛情のない妻のいるクリフト様、そんなクリフト様と長い付き合いの、美しい娼婦ラーミア様。
 私はいつも以上にお二人に張り付き、おそらく出会いは幼少の頃、まだラーミア様が貴族の令嬢だった頃であろうと察しました。なんという悲劇でしょう。家が没落し、お二人は離れ離れになってしまったのです。

 そしてクリフト様が恥ずかしげに「君の青い瞳が……」と囁いたので、ラーミア様の瞳が青色であることがわかりました。もっと教えて欲しいです。澄んだ青色なのか、濃い青色なのか。ラーミア様だけの特徴を愛でてさしあげれば、きっとお喜びになるでしょうに。
 でも真面目で朴訥なのがクリフト様の良いところなのでしょう。ラーミア様は仕事柄、きっと浮ついた男性をよく知っているでしょうから。

 お二人の会話をよく聞き、想像で補い、過去の出会いのシーンなどを絡めながら、現在のお二人がいかに互いを愛しているか、それを邪魔する妻がいかに酷いかを書き連ねました。
「足りない……!」
 便箋が足りません!

 全く足りません。ラーミア様の美しさを語るだけにも足りません。封筒まで使いましたが足りません。お二人が妻をやっつけると決意する段階までもたどり着けていないのです。ハッピーエンドが遠すぎます。
 ただただ、お二人が虐げられているだけです。これはこれで強い愛を表すことができたかもしれませんが、私が求めるのはハッピーエンドです。

「なにか、なにか……書くもの……」
 私は狭い部屋を探し回りました。そして、壁紙の端が剥がれていることに気づきました。どうせボロボロの壁紙です。引き剥がしても気づかれないでしょう。

「やった!」
 慎重に引っ張れば、それなりの大きさの紙が取れました。ボロボロで書きづらいですが、なんとか読めるでしょう。
 しかしすぐにそれも文字でいっぱいになりました。剥げそうな壁紙も見当たりません。無理をすれば掃除のメイドに気づかれてしまうでしょう。

「どうすれば……いえ……これは……」
 困り果ててふと私は、書き散らした文字を見ました。とんでもなく無駄をした気がします。便箋はもうなく、誰かに手紙を書くことも出来ないではありませんか。

 いったい、そこまでするほどのことだったのでしょうか?
 私は自分に呆れ、ひとまず今まで書いたものを読み返すことにしました。これだけの無駄をしたのですから、せめて、自分で楽しめるものであってほしかったのです。

「サヘル様? ……サヘル様!」
「はっ! す、すみません!」
「早く出てくださいって何度言ったらわかるんですか? いい加減にしてくださいよ」
「はい! ありがとうございます、いただきます!」

 アデラと会話をする時間も、食事をする時間も惜しく、とにかく手早く終わらせました。そうして、自分が書いたものをひたすら読むのです。

(ここ意味がわからないわ、ああここも、ここも、変な文章になってる。でも……でも……!)

 でも、悪くない。
 数年ぶりの恋愛小説は、たとえ自分が書いたものでも、胸を踊らせるものでした。お話のなかのラーミア様は美しく、クリフト様は誠実です。妻はいかにも憎らしく、しかしそんな妻でも、本当の意味で二人の愛を邪魔することはできないのです。

「……素敵」
 感動しました。
 自分で書いておいて、泣きそうになりました。

 いえ、素晴らしいことです。自分が書いたものでこれだけ感動できるのです。紙さえあれば私はもう一生、読む恋愛小説に困らないでしょう!
「なんて素敵なの」

 私の日々は、自作の恋愛小説を繰り返し読むことに費やされました。
 もちろんお二人の覗き見もするのですが、見れば見るほど続きが書きたくなり、辛くなってしまうのです。使用人に便箋がほしいと頼みましたが、音沙汰がありません。しつこく頼んでも嫌がられるだけでしょう。

 何度も何度も読むうちに、別の欲が生まれてきました。

「誰かに読んでもらいたいわ……」
 こんなに素敵なのです。
 クリフト様とラーミア様の美しい恋愛を、誰かと共有したい。

 ですが内容が内容です。
 新しく封筒を手に入れたとして、急に分厚い手紙を出そうとしたら、不審に思われてしまうかもしれません。私はこの家のみっともない妻として、人との交流を制限されています。頼んだ使用人からご当主様に話が伝われば、中身を見られる可能性がありました。
 夫を覗き見した内容を小説にしているなんて、知られるわけにはいかないでしょう。

「……そうだ!」
 私は閃きました。

 小説を、自作のストールでくるみました。そして封筒代わりに、刺繍した布で包みます。

 私は手芸くらいしかすることがなく、出来たものは父の誕生日などに送っていました。残念ながら十分なお金がないので、頻繁にはできませんが。

 婚約おめでとう、と刺繍した布も入れました。父からの手紙で知ったことです。親しくしていた友人の祝いにストールを送る、完璧です。
 それから壁紙をなんとか小さく剥いで、事情を記してストールの中に入れておきました。

 送り先の彼女はシーナと言います。昔、恋愛小説にはまっていた頃、同好の士であった女性です。平民ですが、裕福な商人の娘で、私はよく本をお借りしていたものです。

 ああ、彼女はいったいどんな感想をくれるでしょうか?
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