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暖かい毛布までもらいました。

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「私はもう祈りたくないのです……!」
「リーリエ様……ど、どうか、頭をお上げください。お気持ちはよくわかります」
「わかってくださいますか!」
 がばりとリーリエは顔をあげた。
 兵士たちが申し訳なさそうな顔をしている。リーリエは警戒した。申し訳ないけれど祈ってほしい、そういう顔に見えたのだ。

「ぜ、ぜったいに祈りません!」
 リーリエはぎゅっと自分を抱くようにして言った。この奇跡のように得られた日々を捨てるわけにはいかない。
「わかっております。悪いのはひとえにあのバカでん……いえ、その、あの、無知なる人々です」
「無知……?」
「そうです。無知が罪なのです。リーリエ様、どうかお許しください。いずれ真実は明らかになるでしょう」
「真実……?」
「はい。真実は聖女リーリエ様とともに」
 リーリエは首を傾げた。

 ずっと教会で祈るばかりで暮らしてきたので、とにかく世俗のことには疎いのだ。政治の場など実のない大義名分ばかりなので、リーリエはにこにこ聞いていればいいと言われていた。
 何が悪いのだろう。マイラが聖女になってくれて、自分は聖女でなくなると思っていたのだが、違うのだろうか。
「私は、祈らなくてもいいのですね?」
 リーリエにとって最重要なのはそれだ。

「もちろんです。誰が聖女様に強制などできましょうか」
「そ、そうですか……よかった。本当に、よかったです」
 安堵したら力が抜け、リーリエはくたりと牢の床に倒れた。彼らは慌てたように立ち上がり、しかし互いの間には鉄格子がある。
 くっ、と兵がうめき、拳を握った。

「あの……では、できれば、聖女と呼ぶのをやめていただけないでしょうか」
「な……」
「私は祈らないのですから」
 聖女とは祈るのが仕事であるので、祈らなければリーリエは聖女ではない。ずっとそう呼ばれて、祈りを押し付けられるのが苦痛だった。

 兵士たちは目を合わせあっている。
(だ、だめなの……?)
 やはりまだ自分は聖女なのだろうか。
「王子からは、リーリエ様を聖女として扱わないようにと言われています。あるいはその方が、あなた様の処遇のためにはいいのかもしれません……」
「まあ」
 なんていい王子なのだろう。そこまで気を使ってくれるとは。
「…………では、失礼ながら、これよりはリーリエ様とだけ」
「はい! よろしくお願いします」

「我らは無力ですが、皆に働きかけ、必ずリーリエ様をお救いします」
「ありがとうございます」
 なんて良い人たちなのだろう。リーリエが祈らなくていいように助けてくれるらしい。
 彼らのためにであれば、少しくらいは祈ってもいい気がしてきた。なにしろリーリエには、祈りしか返すものがないのだ。

「では今だけ。今だけ、あなたがたのために祈りましょう。……どうぞご内密に、お願いいたします」
「はっ!」
「ありがたき幸せ!」
 こんなことがバレたら、もっと祈れと言われるかもしれない。
 だが恩は返したい。リーリエは泣きたいほどに嬉しかった。祈らなくてもいいと言ってくれる人なんて、今まで誰もいなかったからだ。




 そして翌日、牢番の兵士のひとりが暖かそうな毛布を持ってきてくれた。
「リーリエ様、床は冷たいでしょう。こちらを」
「まあ、ありがとうございます」
 とても嬉しい。
 牢には自由がある。けれど寝具がないのだ。
 教会では毎日倒れ込むように寝ていたが、寝具は柔らかく、体を包み込むようだった。その違いのせいか、目覚めから体が痛かったのだ。

 たとえ再びあの寝具で寝られるとしても、リーリエは牢の方がいい。
 けれど暖かく柔らかい布一枚が、とてもありがたかった。

「はあ。天国……」
 とっくに上がった元気な陽が、小さな牢獄の窓から見えた。こんな時間だというのにリーリエは祈りを始めず、もらった布にくるまり転がっている。
「……眠くなってしまうわね。いけない……いえ、いいのかしら……でも……)
 この生活がいつまで続くかわからないのに、眠ってしまうなんてもったいない。

 リーリエは眠気に逆らい、うとうとした。
「っ……っ!」
 かくりと落ちた瞬間、いけない、と思い出して床にひざまずく。違った。
「もう祈らなくていいんだ……」
 何度思っても素晴らしい言葉だ。もう祈らなくていい。

「ああ、神よ。私はもう祈らなくていいのです」
 息をするように喜びを祈りに乗せてしまい、慌てて首を振った。だめだ。神の目を惹かないようにしなければ。
 祈りというのは何でもいい。
 神がこちらに目を留めれば、それで祈りは成功となる。リーリエは、そしてこの果ての国の者たちは、神の視界の中に入る。
(祈らない祈らない。……だいたい、祈らないことを祈るって……)
 リーリエは小さく笑い、再び転がった。

「……」
 ゆっくりと時間が過ぎていく。
(なんて嬉しい)
 息をするだけで幸せを感じる。
 のんびりと力が抜けていく。リーリエはくったりと全身の力を抜き、次の何にも備えていない。

「偽聖女!」
「はわっ?」
 あまりにも無防備なところに、大きな声をかけられて驚いた。
 リーリエは飛び起きてそちらを見た。

「まあ、王子」
「貴様、早々に兵士どもをたらしこんだらしいな」
 王子は大股に歩き、苛立ちを隠そうともしない。リーリエはそのように乱暴な動きに慣れていないので、つい、じっと見つめてしまった。

「そのようなことにしか脳のない聖女とは、呆れ果てる。少しは反省する気があると思ったのが間違いだった。……貴様らだもだ!」
「……はっ」
 王子に指された兵士たちは、ぴしりと背を伸ばした。
「これは聖女などではない! そのような扱いは二度と許さん。……いや、貴様らはこの牢番の任を解く。悪しきものに騙される兵など、王国には必要ない」

 リーリエがただ見つめるだけで何も答えないうちに、王子は再び大股で牢を出ていった。
 残された兵士は肩をすくめる。
(牢番の任を解く……?)
 ということは。
「いなくなってしまうのですか……?」

 この牢は自由だが、いい人達がいなくなってしまうのは寂しい。
「いえ、ご心配なく」
「殿下は我々の顔など覚えておりませんから」
「兵士長が上手くはからってくださるでしょう」

「まあ、よかった」
「しかし、また様子を見に来られるかもしれません。リーリエ様にご不自由のない暮らしをと思ったのですが……多くを差し入れるのは難しそうです」

「いいのよ。私は聖女ではないのでしょう?」
「そんな……」
「この牢と毛布があれば、私はそれで充分です」
「リーリエ様……なんと……!」
 なぜか嘆かれてしまったのだが、本音なので仕方がない。リーリエは何もいらないのだ。

 祈りたくないと言うと、司祭は本当に様々なことで宥めてきた。時にはたくさんの贈り物を見せ「貧しい者たちがこれだけの贈り物を、あなたのために用意したのです」と言った。
 リーリエには使うことができないのに、それが何だというのだろう。
 お返しに祈らなければならないなら、そんなものはいらない。
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