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馬車の旅は楽しいです。
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「おばさま! 森が見えます!」
「まあ、リーリエ、ちょっとよけてちょうだい」
「むぎゅっ」
馬車の小さな窓をユーファミアが覗くと、リーリエが潰れてしまった。
「あら、あら!」
「もう、おばさま!」
とはいえユーファミアのむにむにの体はリーリエのお気に入りである。ぎゅうぎゅう抱きついた。
「ふふっ。ごめんなさいね。すごいわねえ、全部緑!」
「ええ、たくさんすぎて……目眩がしそう」
「大丈夫? 速度を緩めましょうか」
「大丈夫です! あの向こう側も早く見てみたい」
「そうねえ」
ユーファミアはにこにことリーリエの頭を撫でた。リーリエは「えへへ」と子供のように笑う。
もともと教会に「聖女らしく」と育てられたとはいえ、それが身につくほども実践していない。牢に入ってそこから開放されたので、どうしても子供らしくなってしまう。
「でも、この速度だと明日かしら」
陽が落ちかけ、夕暮れが近づいている。
馬はのったりのったりと進んでいる。
可能な限り急ぎ、南の果てで民を宥め、祈りを捧げる。それが王に命じられたことだが、いつまでに到着しろなどという期限はない。
この旅の本体は教会だ。そこに王家の護衛がついている。
教会は、聖女が現地に移動する必要などないことを知っている。むしろそのような場所に到着して、リーリエに何かあることを恐れているだろう。急ぐ理由がないのだ。
そもそも司教が乗り、王妃であるユーファミア、多くの護衛がつくとなれば、旅路が早急に進むわけがなかった。
「あ、おばさま! 夕日よ!」
「……ああ、本当」
がたがたと揺れる景色が橙色に変わろうとしている。昨日も見た夕日だが、世界がこれほど色を変えることはない。
ふたりは狭い馬車の中、窓の前にぎゅうぎゅうに詰まってそれを眺めた。
「……教会では、空の色しか見えなくて」
「ええ、そうね」
聖女の安全のためにと、祈りの部屋の窓は小さく、高い位置にあったのだ。牢獄よりもずっと牢獄らしい、使うこともできない高級な家具でできた部屋だった。
「町も橙色になるのですね」
リーリエがつぶやく。
ユーファミアもかつて同じことを思った。
「空と町は、思うよりずっと近いのでしょうね」
表面が橙色になった森は、それでも元の緑をまだ残している。これから闇が迫り、それも失われていくのだろう。
「あら」
ユーファミアは、馬車が速度を緩めていくことに気づいた。
「今日はこのあたりで休憩のようね」
「森に行ってみたいわ」
「どうかしら……」
最後にがたりがたりと大きめの揺れを起こして、馬車が止まった。
「ふう」
ユーファミアは息を吐く。旅は楽しいものであるが、やはりずっと揺らされているのはつらい。
ましてやユーファミアの体は重い。
「おばさま、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫ですわ。リーリエは大丈夫ですの?」
重すぎるユーファミアと逆に、リーリエはとても痩せている。馬車の座面には柔らかなクッションが置かれているが、それでも心配になる体だった。
道の悪い場所など枯れ木のように飛んでいきそうで、ユーファミアはたまらず彼女を膝に乗せた。それはそれで楽しかったが、リーリエの軽さを痛感することになった。
「私は大丈夫です! お尻はちょっと痛いですけど」
「だといいのだけれど。まだ旅路は続くのだし、ひどくなったら言ってちょうだいね」
外が騒がしくなり、護衛が声をかけてきた。
「王妃殿下、本日はこのあたりで野営となります。準備をいたしますので、このままお待ちください」
「ええ、わかりましたわ」
リーリエもそうだが、ユーファミアもろくに外に出たことがない。危険があるのだと言われれば、護衛を押しのけて外に出る気はない。
止まった外の景色を見ながらリーリエが言う。
「あの森には恐ろしい獣がいるのかしら」
「それはいるのじゃないかしら。なんといっても、森ですもの」
「そうですよね、森だもの」
教会で育った二人にとって、町や村でさえよくわからない。森となるともう、全く得体のしれないものだ。
「木が沢山あるのですよね」
「ええ。木が沢山あって、人が入れなくなっているのでしょうね」
「動物たちの世界……」
リーリエはうっとりと、あの小さな客人がたくさんいるところを想像した。かわいい。
「……申し訳ありません、王妃殿下、司教がこちらに見えております」
「まあ。何かしら」
「リーリエ様にお会いしたいと」
予想通りの言葉にユーファミアは苦笑した。
指名されたリーリエは身を固くする。司教と直接会ったことは数度だが、侍女や司祭の上にいる人間だとはわかっている。いい印象であるはずがなかった。
「今は無理ですわ。馬車でくつろいでおりますもの。殿方にお会いできる状態ではありません」
「では、ここからで構いませんので、お話を……」
重みを感じる声は、どうやら司教本人のものだ。ユーファミアは少し驚いたが、穏やかに、軽く言葉を返した。
「まあ。司教様にそんな失礼なことはできません。落ち着きましたら、こちらからお伺いしますわ」
「いいえ、ぜひとも、今」
落ち着いたら、がいつになるのかわからない。実際、司教は昨日も同じ言葉を受け取っていた。
司教は焦っている。
果ての地は混乱を極めている。聖女を向かわせるような場所ではないのだ。なんとしてでも到着前に祈りを捧げ、せめて消失の速度を緩めて事態を落ち着かせたかった。
「お急ぎのお話ですの? 難しい話でしたら、陛下にご連絡なさったほうが良いのではないかしら」
「リーリエ様に申し上げたいのです」
「……その場でよろしいのね? 少しでよければお伺いします」
「感謝します。リーリエ様、南の果ての消失はとどまるところを知らず……」
ユーファミアはリーリエの隣によいせと移動し、リーリエの頭をしっかりと抱き込んだ。むにっとした腕に耳をふさがれた形になったリーリエには、馬車ごしの声など聞こえない。
聞いたところで従いはしなかっただろう。
皆のために祈れと、いつもの言葉だ。
「まあ、リーリエ、ちょっとよけてちょうだい」
「むぎゅっ」
馬車の小さな窓をユーファミアが覗くと、リーリエが潰れてしまった。
「あら、あら!」
「もう、おばさま!」
とはいえユーファミアのむにむにの体はリーリエのお気に入りである。ぎゅうぎゅう抱きついた。
「ふふっ。ごめんなさいね。すごいわねえ、全部緑!」
「ええ、たくさんすぎて……目眩がしそう」
「大丈夫? 速度を緩めましょうか」
「大丈夫です! あの向こう側も早く見てみたい」
「そうねえ」
ユーファミアはにこにことリーリエの頭を撫でた。リーリエは「えへへ」と子供のように笑う。
もともと教会に「聖女らしく」と育てられたとはいえ、それが身につくほども実践していない。牢に入ってそこから開放されたので、どうしても子供らしくなってしまう。
「でも、この速度だと明日かしら」
陽が落ちかけ、夕暮れが近づいている。
馬はのったりのったりと進んでいる。
可能な限り急ぎ、南の果てで民を宥め、祈りを捧げる。それが王に命じられたことだが、いつまでに到着しろなどという期限はない。
この旅の本体は教会だ。そこに王家の護衛がついている。
教会は、聖女が現地に移動する必要などないことを知っている。むしろそのような場所に到着して、リーリエに何かあることを恐れているだろう。急ぐ理由がないのだ。
そもそも司教が乗り、王妃であるユーファミア、多くの護衛がつくとなれば、旅路が早急に進むわけがなかった。
「あ、おばさま! 夕日よ!」
「……ああ、本当」
がたがたと揺れる景色が橙色に変わろうとしている。昨日も見た夕日だが、世界がこれほど色を変えることはない。
ふたりは狭い馬車の中、窓の前にぎゅうぎゅうに詰まってそれを眺めた。
「……教会では、空の色しか見えなくて」
「ええ、そうね」
聖女の安全のためにと、祈りの部屋の窓は小さく、高い位置にあったのだ。牢獄よりもずっと牢獄らしい、使うこともできない高級な家具でできた部屋だった。
「町も橙色になるのですね」
リーリエがつぶやく。
ユーファミアもかつて同じことを思った。
「空と町は、思うよりずっと近いのでしょうね」
表面が橙色になった森は、それでも元の緑をまだ残している。これから闇が迫り、それも失われていくのだろう。
「あら」
ユーファミアは、馬車が速度を緩めていくことに気づいた。
「今日はこのあたりで休憩のようね」
「森に行ってみたいわ」
「どうかしら……」
最後にがたりがたりと大きめの揺れを起こして、馬車が止まった。
「ふう」
ユーファミアは息を吐く。旅は楽しいものであるが、やはりずっと揺らされているのはつらい。
ましてやユーファミアの体は重い。
「おばさま、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫ですわ。リーリエは大丈夫ですの?」
重すぎるユーファミアと逆に、リーリエはとても痩せている。馬車の座面には柔らかなクッションが置かれているが、それでも心配になる体だった。
道の悪い場所など枯れ木のように飛んでいきそうで、ユーファミアはたまらず彼女を膝に乗せた。それはそれで楽しかったが、リーリエの軽さを痛感することになった。
「私は大丈夫です! お尻はちょっと痛いですけど」
「だといいのだけれど。まだ旅路は続くのだし、ひどくなったら言ってちょうだいね」
外が騒がしくなり、護衛が声をかけてきた。
「王妃殿下、本日はこのあたりで野営となります。準備をいたしますので、このままお待ちください」
「ええ、わかりましたわ」
リーリエもそうだが、ユーファミアもろくに外に出たことがない。危険があるのだと言われれば、護衛を押しのけて外に出る気はない。
止まった外の景色を見ながらリーリエが言う。
「あの森には恐ろしい獣がいるのかしら」
「それはいるのじゃないかしら。なんといっても、森ですもの」
「そうですよね、森だもの」
教会で育った二人にとって、町や村でさえよくわからない。森となるともう、全く得体のしれないものだ。
「木が沢山あるのですよね」
「ええ。木が沢山あって、人が入れなくなっているのでしょうね」
「動物たちの世界……」
リーリエはうっとりと、あの小さな客人がたくさんいるところを想像した。かわいい。
「……申し訳ありません、王妃殿下、司教がこちらに見えております」
「まあ。何かしら」
「リーリエ様にお会いしたいと」
予想通りの言葉にユーファミアは苦笑した。
指名されたリーリエは身を固くする。司教と直接会ったことは数度だが、侍女や司祭の上にいる人間だとはわかっている。いい印象であるはずがなかった。
「今は無理ですわ。馬車でくつろいでおりますもの。殿方にお会いできる状態ではありません」
「では、ここからで構いませんので、お話を……」
重みを感じる声は、どうやら司教本人のものだ。ユーファミアは少し驚いたが、穏やかに、軽く言葉を返した。
「まあ。司教様にそんな失礼なことはできません。落ち着きましたら、こちらからお伺いしますわ」
「いいえ、ぜひとも、今」
落ち着いたら、がいつになるのかわからない。実際、司教は昨日も同じ言葉を受け取っていた。
司教は焦っている。
果ての地は混乱を極めている。聖女を向かわせるような場所ではないのだ。なんとしてでも到着前に祈りを捧げ、せめて消失の速度を緩めて事態を落ち着かせたかった。
「お急ぎのお話ですの? 難しい話でしたら、陛下にご連絡なさったほうが良いのではないかしら」
「リーリエ様に申し上げたいのです」
「……その場でよろしいのね? 少しでよければお伺いします」
「感謝します。リーリエ様、南の果ての消失はとどまるところを知らず……」
ユーファミアはリーリエの隣によいせと移動し、リーリエの頭をしっかりと抱き込んだ。むにっとした腕に耳をふさがれた形になったリーリエには、馬車ごしの声など聞こえない。
聞いたところで従いはしなかっただろう。
皆のために祈れと、いつもの言葉だ。
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