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前編
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「なんだって? プリメーラだと?」
「え? はい、そうでございます。ルビー様のお客様はプリメーラ・リビア様です」
「……どこにいる!」
「ルビー様とご自室でお茶を……お待ちください! 誰も通さぬようにと言われております!」
「プリメーラは私の元婚約者だ! ルビーに嫉妬して、さんざん嫌がらせをしていた女だぞ!」
「そ、そんな……いえ、でも、今まで何度もいらっしゃって……」
「馬鹿な……退け!」
「ですがっ……」
いったいあの悪虐の女が、何をしに訪れているのだ。
(ルビー! 無事か!?)
もし頭を下げて謝るためであっても、あの女を妻に近づける気はない。王太子ライアスは、ルビーを必ず守ると誓ったのだ。
「で、殿下、ではせめて、声をおかけしてから……!」
侍女はよほどルビーにきつく言われているようだった。青い顔をしながらも、王太子であるライアスを止めようとする。
「退けといっている!」
責める時間さえも惜しく、ライアスは妻の部屋に向かった。
「殿下!」
しかし侍女がすばやく扉の前を塞いで邪魔をする。
「どうかお許しを。お忙しいルビー様が、ようやく余暇を持てたのです」
「余暇に呼ぶような相手ではない。ルビーは脅されているのかもしれない」
「ルビー様ご自身がお招きになったお方です」
「そんなはずはない!」
この扉の向こう、今まさにルビーが何をされていることか。
かつての姿が目に浮かぶ。男爵家の庶子として引き取られた元平民のルビーは、公爵家のプリメーラにひどい扱いを受けていた。成績が悪ければ「さすが平民」と言われ、良ければ「平民のくせに」と言われるのだ。
そしてルビーの所持品はよく破損させられていた。プリメーラは「まあ可哀想に。平民にはこれでいいでしょ?」とどうでもよさそうに新しい品を投げ捨て与えていた。
そのたびにルビーがどれほど悲しそうな顔をしたことか!
守ってやらなければ。ましてやあの悪女とは婚約を破棄し、今はルビーこそがライアスの妻なのだ。
「退け!」
「退きません。お待ちください、後ほどお茶をお持ちしますので、殿下が来られたとお伝えします」
「それでは遅いのだ、ええい……!」
自分に逆らう侍女とはいえ、か弱く若い女性だ。ライアスは押しのけることをためらった。
その時、扉から声が聞こえてきた。
『全く、すっかり変わったわねえ! あのみすぼらしい平民の子が』
「……!」
ライアスはぐっと拳を握った。やはりだ。いったいどう入り込んだのかわからないが、プリメーラはルビーをまだ虐げようとしているのだ。
『まあ、プリメーラ様こそ! 気高い公爵家のご令嬢とは思えませんわ』
ルビーの明るい声が聞こえた。
それがあまりに楽しげで、親しげであったので、ライアスは困惑した。ルビーも強くなったということなのだろうか?
しかし、けれど、根本はあの傷つきやすい少女に違いないのだ。
『ふふっ、そうね、ほら見て、筋肉がついたの』
『まあ本当! 辺境じゃ、ご夫人自ら働いてらっしゃるのね』
『そうなの、こないだなんて葡萄を絞ったのよ。このわたくしが! まったく、屈辱この上ないですわ。ふふっ!』
リビア家はプリメーラが嫁いだ家だ。確かに辺境貴族であり、その行く先を聞いた時、ライアスは思わず嗤ったのだ。
あのお高く止まった女がどれだけ屈辱を感じているかと。想像するだけで愉快であり、それをさかなに酒を飲んだものだ。
しかしその愉悦も、リビア家次代当主の優秀さを聞くまでだ。特産品のトマト、ワイン、オリーブ。そして風光明媚さが有名となり、今では貴族の保養地として人気が高いのだ。
『ふふ、ねえよく見せて。……ああ本当にいい筋肉。これは羨ましいわ、こっちはこうよ、もう書類仕事ばかりで』
『なんて細腕! もう、ルビーったらまるで生まれながらのお妃様よ。すっかり立場が入れ替わったわねえ』
『なればそうなるものなのね。高貴な女性がこんなに何もさせてもらえないなんて思ってもいなかったわ!』
『ふふっ、運動はあれよ、ダンスよ』
『あなたと踊るのは楽しかったけれど、私ったら王子妃なのよねえ。そこらの男と踊るわけにいかないし』
この空気は何なのだろう。笑いあい、遠慮のない言葉からは、まるで長い友かのような親しさしか伝わってこない。
そんなはずはない。
ライアスは混乱する。
和解したのだろうか? いつの間に?
いつだとしても五年も経っていないはずだ。それでどうしてこうも親しげなのだ。
『あんなに練習に付き合ってあげたのに、それは残念ねえ』
『役には立ったわよ。全く踊れないんじゃ話にならないし……でもやっぱり、練習が一番楽しかったわ。いつもすましてるプリメーラが、あんなにぶんぶんぐるぐるして!』
『ふふっ、私も楽しかったわ。体力だけは馬鹿みたいにあるルビーが、目を白黒させて振り回されてるんだもの』
思い出話のように続けられているこれは、いったいいつの事なのだ?
プリメーラがダンスの練習に付き合う? そんなことはありえない。彼女はルビーを馬鹿にしていた。平民がダンスなんて、多少努力しても無駄だとあざ笑っていた。
(いや、練習はしていた)
ライアスは気づいて愕然とした。
練習という名のいじめだと思っていた。そのくらい乱暴に、プリメーラはルビーを振り回し、初心者には理解もできないだろうことを押し付けていた。
『もう! しょうがないじゃない、ダンスなんて見たこともない世界から来たのよ』
『私だって実物の平民と関わることなんてなかったんだもの。勉強では私より上を行くあなたがダンスも踊れないなんて、腹が立って腹が立って』
『おかげであんなスパルタになったわけね』
『そしたらルビーってば根性でくいついてくるんだもの! 今度はそれが面白くて仕方なくなって。みんなには呆れられちゃったわね』
『そういえば、あのダンス特訓を見られてからね、あのひとがやたらと絡んでくるようになったのも』
『ああ~……あれね、鬱陶しかったわあ……なにしろ教えるのに夢中だったから』
『ふふっ、いつも皮肉はすごかったけど、あの時は完全に殿下への態度じゃなかったわ。私もさすがにフォローするしかなかったのよね』
「え? はい、そうでございます。ルビー様のお客様はプリメーラ・リビア様です」
「……どこにいる!」
「ルビー様とご自室でお茶を……お待ちください! 誰も通さぬようにと言われております!」
「プリメーラは私の元婚約者だ! ルビーに嫉妬して、さんざん嫌がらせをしていた女だぞ!」
「そ、そんな……いえ、でも、今まで何度もいらっしゃって……」
「馬鹿な……退け!」
「ですがっ……」
いったいあの悪虐の女が、何をしに訪れているのだ。
(ルビー! 無事か!?)
もし頭を下げて謝るためであっても、あの女を妻に近づける気はない。王太子ライアスは、ルビーを必ず守ると誓ったのだ。
「で、殿下、ではせめて、声をおかけしてから……!」
侍女はよほどルビーにきつく言われているようだった。青い顔をしながらも、王太子であるライアスを止めようとする。
「退けといっている!」
責める時間さえも惜しく、ライアスは妻の部屋に向かった。
「殿下!」
しかし侍女がすばやく扉の前を塞いで邪魔をする。
「どうかお許しを。お忙しいルビー様が、ようやく余暇を持てたのです」
「余暇に呼ぶような相手ではない。ルビーは脅されているのかもしれない」
「ルビー様ご自身がお招きになったお方です」
「そんなはずはない!」
この扉の向こう、今まさにルビーが何をされていることか。
かつての姿が目に浮かぶ。男爵家の庶子として引き取られた元平民のルビーは、公爵家のプリメーラにひどい扱いを受けていた。成績が悪ければ「さすが平民」と言われ、良ければ「平民のくせに」と言われるのだ。
そしてルビーの所持品はよく破損させられていた。プリメーラは「まあ可哀想に。平民にはこれでいいでしょ?」とどうでもよさそうに新しい品を投げ捨て与えていた。
そのたびにルビーがどれほど悲しそうな顔をしたことか!
守ってやらなければ。ましてやあの悪女とは婚約を破棄し、今はルビーこそがライアスの妻なのだ。
「退け!」
「退きません。お待ちください、後ほどお茶をお持ちしますので、殿下が来られたとお伝えします」
「それでは遅いのだ、ええい……!」
自分に逆らう侍女とはいえ、か弱く若い女性だ。ライアスは押しのけることをためらった。
その時、扉から声が聞こえてきた。
『全く、すっかり変わったわねえ! あのみすぼらしい平民の子が』
「……!」
ライアスはぐっと拳を握った。やはりだ。いったいどう入り込んだのかわからないが、プリメーラはルビーをまだ虐げようとしているのだ。
『まあ、プリメーラ様こそ! 気高い公爵家のご令嬢とは思えませんわ』
ルビーの明るい声が聞こえた。
それがあまりに楽しげで、親しげであったので、ライアスは困惑した。ルビーも強くなったということなのだろうか?
しかし、けれど、根本はあの傷つきやすい少女に違いないのだ。
『ふふっ、そうね、ほら見て、筋肉がついたの』
『まあ本当! 辺境じゃ、ご夫人自ら働いてらっしゃるのね』
『そうなの、こないだなんて葡萄を絞ったのよ。このわたくしが! まったく、屈辱この上ないですわ。ふふっ!』
リビア家はプリメーラが嫁いだ家だ。確かに辺境貴族であり、その行く先を聞いた時、ライアスは思わず嗤ったのだ。
あのお高く止まった女がどれだけ屈辱を感じているかと。想像するだけで愉快であり、それをさかなに酒を飲んだものだ。
しかしその愉悦も、リビア家次代当主の優秀さを聞くまでだ。特産品のトマト、ワイン、オリーブ。そして風光明媚さが有名となり、今では貴族の保養地として人気が高いのだ。
『ふふ、ねえよく見せて。……ああ本当にいい筋肉。これは羨ましいわ、こっちはこうよ、もう書類仕事ばかりで』
『なんて細腕! もう、ルビーったらまるで生まれながらのお妃様よ。すっかり立場が入れ替わったわねえ』
『なればそうなるものなのね。高貴な女性がこんなに何もさせてもらえないなんて思ってもいなかったわ!』
『ふふっ、運動はあれよ、ダンスよ』
『あなたと踊るのは楽しかったけれど、私ったら王子妃なのよねえ。そこらの男と踊るわけにいかないし』
この空気は何なのだろう。笑いあい、遠慮のない言葉からは、まるで長い友かのような親しさしか伝わってこない。
そんなはずはない。
ライアスは混乱する。
和解したのだろうか? いつの間に?
いつだとしても五年も経っていないはずだ。それでどうしてこうも親しげなのだ。
『あんなに練習に付き合ってあげたのに、それは残念ねえ』
『役には立ったわよ。全く踊れないんじゃ話にならないし……でもやっぱり、練習が一番楽しかったわ。いつもすましてるプリメーラが、あんなにぶんぶんぐるぐるして!』
『ふふっ、私も楽しかったわ。体力だけは馬鹿みたいにあるルビーが、目を白黒させて振り回されてるんだもの』
思い出話のように続けられているこれは、いったいいつの事なのだ?
プリメーラがダンスの練習に付き合う? そんなことはありえない。彼女はルビーを馬鹿にしていた。平民がダンスなんて、多少努力しても無駄だとあざ笑っていた。
(いや、練習はしていた)
ライアスは気づいて愕然とした。
練習という名のいじめだと思っていた。そのくらい乱暴に、プリメーラはルビーを振り回し、初心者には理解もできないだろうことを押し付けていた。
『もう! しょうがないじゃない、ダンスなんて見たこともない世界から来たのよ』
『私だって実物の平民と関わることなんてなかったんだもの。勉強では私より上を行くあなたがダンスも踊れないなんて、腹が立って腹が立って』
『おかげであんなスパルタになったわけね』
『そしたらルビーってば根性でくいついてくるんだもの! 今度はそれが面白くて仕方なくなって。みんなには呆れられちゃったわね』
『そういえば、あのダンス特訓を見られてからね、あのひとがやたらと絡んでくるようになったのも』
『ああ~……あれね、鬱陶しかったわあ……なにしろ教えるのに夢中だったから』
『ふふっ、いつも皮肉はすごかったけど、あの時は完全に殿下への態度じゃなかったわ。私もさすがにフォローするしかなかったのよね』
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