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前編
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足を踏み入れた大地は深い霧に覆われ、黒い瘴気が発生している。
草木は生えず、乾いた地面がどこまでも続いていた。
ここは魔族の国。
勇者の称号を持つ者が冒険の最後に辿り着く場所だ。
「ブラック・タイガーだ! 大きいぞ、気を付けろっ」
青い光を帯びた聖剣を手にした青年が大声で叫んだ。
目の前には人間の数十倍も大きな黒い毛並みの虎が立ちはだかっている。
睨んでくる双眸は血に飢えた深紅の色を放っていた。
それなりに冒険してきて、幾多の困難にも立ち向かい、強敵を相手にしてきても魔族の国を守護する四獣はやはりレベルが違った。
油断すればあっという間に心臓を抉られるようだ。
聖剣を持った青年が地面を蹴ってブラック・タイガーに斬り掛かった。
振り下ろした剣はブラック・タイガーの爪に弾かれ、青年の頬をかすめた。
「結界が弱まっているぞ! 何をやっているんだ!」
ブラック・タイガーから一旦距離を取った青年が傷を負った頬を拭い、私に向かって怒鳴ってくる。
青年の額には勇者の証である七色の宝石が埋め込まれていた。
そう、彼は勇者だ。
「もっと結界を強化しろ!」
「――はい!」
私は言われた通り、両手を前に突き出したまま呪文を唱えた。
「汝、我を守護し、我を守りたまえ! 『エンペル・フィールド』!!」
呪文を唱えると足元に緑色の魔法陣が出現し、勇者の体が白い光に包まれた。
勇者は結界を施されると剣を握り締める。
同時に、他の仲間が魔法や体術、飛び道具などを使ってブラック・タイガーの注意を引いた。
「今よ!」
ブラック・タイガーの足を魔法で足止めしていた魔法使いの女性が凛とした声で合図する。
「うおおおお!!!」
青光りした聖剣を握り締めた勇者は高く跳び上がり、ブラック・タイガーの首めがけて剣を振り下ろした。
刹那、ブラック・タイガーの長く伸びた尻尾が勇者の顔に飛んでくる。
隙を突かれたのはこちら側だった。
「うわ、ああ!」
勇者の剣をかわしたブラック・タイガーは威嚇するように吠え、勇者の足を引っ掻いた。
足は切断されなかったものの深く抉られる。
私はすぐに勇者の前に分厚い結界を張ってブラック・タイガーの攻撃を防いだ。
「勇者が怪我をしたわ! ここは一旦引きましょう!」
深手を追わされた勇者に仲間達の顔が引き攣る。
ブラック・タイガーの圧倒的な力と容赦のない攻撃にひるんでしまったのだ。
私の言葉に、真っ先に反応した剣士が痛みに呻く勇者を肩に担いだ。
「行くぞ」
素早い行動のおかげで、仲間達が逃げていくのを見届け、私はブラック・タイガーの周りに結界を張って戦線から離脱した。
世の中は魔法と冒険の世界で満ちている。
暮らしている種族は多岐に渡って存在し、協力し合って生活している者達もいれば、共存を拒んで他種族を攻撃する者達もいた。
その中でも魔族と呼ばれる種族は人間を忌み嫌い、人間もまた長い歴史の中で魔族との戦争を何度も繰り返してきた。
魔族を統べる魔王は戦争に敗れて殺されても、数十年もすればまた復活する不滅の魂を持っていた。
しかし、魔王の復活に合わせて人間の国では「勇者」の証を授かった者が最強のパーティを組み、魔王討伐の旅に出る。
幾度となく続いてきた歴史だ。
バキ…ッ。
勇者の振りかざした拳が私の頬を打った。
私の細い身体は簡単に吹き飛んだ。
同時に、掛けていた黒縁の眼鏡も弾かれたように飛んでいった。
「どうして、お前は! まともな結界一つ張れないんだ!」
「…ご、ごめんな、さい…!」
「謝って済む問題じゃないだろ! 俺は危うく足を無くすところだったんだぞ!」
そう怒鳴る勇者の右足は木の棒で固定され、包帯が巻かれている。
伝説の聖剣は杖代わりになっていた。
怒りが治まらない勇者は必死で謝る私に近づき、無事だった左足で蹴りあげてきた。
テントの中でコロコロ転がっていく私の姿はさぞ無様だっただろう。
「結界しか張れない癖に、この役立たずが!」
再び謝ろうと頭を上げようとした私の後頭部に、勇者の左足が乗せられた。
「…う、あ…やめ、…許し、て…」
強い力で押し付けられて、私の顔面は地面にめり込んだ。
蹴られ、殴られ、押し付けられた全身が痛む。
私は反抗的な態度は取らず謝り続けた。
その時、外で警備をしていた剣士が騒ぎを聞きつけてテントの中に入ってきた。
「何をしている」
大剣を背中に担いだ大柄な男だ。
年は若い。
出会った時から仏頂面で何を考えているのか分からないが、私をときどき助けてくれる男だった。
「そこまでする必要があるのか」
剣士は勇者と私の間に割って入り、場を収めてくれた。
気分を害された勇者は鼻を鳴らして私の頭から足を退けて離れた。
「……大丈夫か?」
私の傍で片膝をついた剣士は大きな手を差し伸べてくれた。
けれど、私は「平気」と言って首を振った。
口の中に土が入って気持ち悪い。
まだ四つん這いになっている私を怪訝そうに見下ろした勇者は、深い溜め息をついてから口を開いた。
「もうお前のレベルじゃ役に立たない。この際だ、他の者を雇い入れることにする。今日限りでお前にはパーティから抜けてもらうぞ」
両手を持ち上げて伝えてくる勇者の顔は、ようやく私を切り捨てられるという安堵に近かった。
それだけ私はお荷物だったのだ。
「そんな…っ! こんなところで放り出されたら、私…!」
けれど、私は勇者の足元に近づいて頭を下げた。
こんな魔族の国に一人だけ置き去りにされたら確実に死を迎える。
せめて人間のいる街まで同行させてもらえないか追い縋った。
その時、テントの端からクスクスと笑う女性の声が聴こえた。
「まぁ、まだ残っているの? 早く去りなさいよ、目障りだわ」
魔術師の女性だ。
豊満な胸を露出させた服装にローブを羽織った彼女は、ちらりと勇者と目を合わせて妖艶な笑みを浮かべた。
「ああ、今すぐ立ち去れ。お前のような者が勇者のパーティにいるなんて恥晒しもいいところだ」
「……っ」
それが最後の宣告だった。
私はよろりと立ち上がり、勇者に向かって頭を下げた。
他の仲間達は視線を合わせようとしない。
誰も彼に逆らえないのだ。
私はもう一度仲間達に頭を下げてテントを出た。
涙は、出てこなかった…。
草木は生えず、乾いた地面がどこまでも続いていた。
ここは魔族の国。
勇者の称号を持つ者が冒険の最後に辿り着く場所だ。
「ブラック・タイガーだ! 大きいぞ、気を付けろっ」
青い光を帯びた聖剣を手にした青年が大声で叫んだ。
目の前には人間の数十倍も大きな黒い毛並みの虎が立ちはだかっている。
睨んでくる双眸は血に飢えた深紅の色を放っていた。
それなりに冒険してきて、幾多の困難にも立ち向かい、強敵を相手にしてきても魔族の国を守護する四獣はやはりレベルが違った。
油断すればあっという間に心臓を抉られるようだ。
聖剣を持った青年が地面を蹴ってブラック・タイガーに斬り掛かった。
振り下ろした剣はブラック・タイガーの爪に弾かれ、青年の頬をかすめた。
「結界が弱まっているぞ! 何をやっているんだ!」
ブラック・タイガーから一旦距離を取った青年が傷を負った頬を拭い、私に向かって怒鳴ってくる。
青年の額には勇者の証である七色の宝石が埋め込まれていた。
そう、彼は勇者だ。
「もっと結界を強化しろ!」
「――はい!」
私は言われた通り、両手を前に突き出したまま呪文を唱えた。
「汝、我を守護し、我を守りたまえ! 『エンペル・フィールド』!!」
呪文を唱えると足元に緑色の魔法陣が出現し、勇者の体が白い光に包まれた。
勇者は結界を施されると剣を握り締める。
同時に、他の仲間が魔法や体術、飛び道具などを使ってブラック・タイガーの注意を引いた。
「今よ!」
ブラック・タイガーの足を魔法で足止めしていた魔法使いの女性が凛とした声で合図する。
「うおおおお!!!」
青光りした聖剣を握り締めた勇者は高く跳び上がり、ブラック・タイガーの首めがけて剣を振り下ろした。
刹那、ブラック・タイガーの長く伸びた尻尾が勇者の顔に飛んでくる。
隙を突かれたのはこちら側だった。
「うわ、ああ!」
勇者の剣をかわしたブラック・タイガーは威嚇するように吠え、勇者の足を引っ掻いた。
足は切断されなかったものの深く抉られる。
私はすぐに勇者の前に分厚い結界を張ってブラック・タイガーの攻撃を防いだ。
「勇者が怪我をしたわ! ここは一旦引きましょう!」
深手を追わされた勇者に仲間達の顔が引き攣る。
ブラック・タイガーの圧倒的な力と容赦のない攻撃にひるんでしまったのだ。
私の言葉に、真っ先に反応した剣士が痛みに呻く勇者を肩に担いだ。
「行くぞ」
素早い行動のおかげで、仲間達が逃げていくのを見届け、私はブラック・タイガーの周りに結界を張って戦線から離脱した。
世の中は魔法と冒険の世界で満ちている。
暮らしている種族は多岐に渡って存在し、協力し合って生活している者達もいれば、共存を拒んで他種族を攻撃する者達もいた。
その中でも魔族と呼ばれる種族は人間を忌み嫌い、人間もまた長い歴史の中で魔族との戦争を何度も繰り返してきた。
魔族を統べる魔王は戦争に敗れて殺されても、数十年もすればまた復活する不滅の魂を持っていた。
しかし、魔王の復活に合わせて人間の国では「勇者」の証を授かった者が最強のパーティを組み、魔王討伐の旅に出る。
幾度となく続いてきた歴史だ。
バキ…ッ。
勇者の振りかざした拳が私の頬を打った。
私の細い身体は簡単に吹き飛んだ。
同時に、掛けていた黒縁の眼鏡も弾かれたように飛んでいった。
「どうして、お前は! まともな結界一つ張れないんだ!」
「…ご、ごめんな、さい…!」
「謝って済む問題じゃないだろ! 俺は危うく足を無くすところだったんだぞ!」
そう怒鳴る勇者の右足は木の棒で固定され、包帯が巻かれている。
伝説の聖剣は杖代わりになっていた。
怒りが治まらない勇者は必死で謝る私に近づき、無事だった左足で蹴りあげてきた。
テントの中でコロコロ転がっていく私の姿はさぞ無様だっただろう。
「結界しか張れない癖に、この役立たずが!」
再び謝ろうと頭を上げようとした私の後頭部に、勇者の左足が乗せられた。
「…う、あ…やめ、…許し、て…」
強い力で押し付けられて、私の顔面は地面にめり込んだ。
蹴られ、殴られ、押し付けられた全身が痛む。
私は反抗的な態度は取らず謝り続けた。
その時、外で警備をしていた剣士が騒ぎを聞きつけてテントの中に入ってきた。
「何をしている」
大剣を背中に担いだ大柄な男だ。
年は若い。
出会った時から仏頂面で何を考えているのか分からないが、私をときどき助けてくれる男だった。
「そこまでする必要があるのか」
剣士は勇者と私の間に割って入り、場を収めてくれた。
気分を害された勇者は鼻を鳴らして私の頭から足を退けて離れた。
「……大丈夫か?」
私の傍で片膝をついた剣士は大きな手を差し伸べてくれた。
けれど、私は「平気」と言って首を振った。
口の中に土が入って気持ち悪い。
まだ四つん這いになっている私を怪訝そうに見下ろした勇者は、深い溜め息をついてから口を開いた。
「もうお前のレベルじゃ役に立たない。この際だ、他の者を雇い入れることにする。今日限りでお前にはパーティから抜けてもらうぞ」
両手を持ち上げて伝えてくる勇者の顔は、ようやく私を切り捨てられるという安堵に近かった。
それだけ私はお荷物だったのだ。
「そんな…っ! こんなところで放り出されたら、私…!」
けれど、私は勇者の足元に近づいて頭を下げた。
こんな魔族の国に一人だけ置き去りにされたら確実に死を迎える。
せめて人間のいる街まで同行させてもらえないか追い縋った。
その時、テントの端からクスクスと笑う女性の声が聴こえた。
「まぁ、まだ残っているの? 早く去りなさいよ、目障りだわ」
魔術師の女性だ。
豊満な胸を露出させた服装にローブを羽織った彼女は、ちらりと勇者と目を合わせて妖艶な笑みを浮かべた。
「ああ、今すぐ立ち去れ。お前のような者が勇者のパーティにいるなんて恥晒しもいいところだ」
「……っ」
それが最後の宣告だった。
私はよろりと立ち上がり、勇者に向かって頭を下げた。
他の仲間達は視線を合わせようとしない。
誰も彼に逆らえないのだ。
私はもう一度仲間達に頭を下げてテントを出た。
涙は、出てこなかった…。
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