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1巻

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 低い声で凄む父に、次兄は「いえなんでもないです」と目をらす。二人の気の置けない会話を聞いていたレオーネは、声を上げて笑ってしまった。

「到着したばかりで疲れているだろう。レオーネの部屋は二階に用意してある。湯でも使ってさっぱりするといい。今回のためにメイドも何人か雇っておいたからな」
「ありがとう、お父様」

 レオーネはさっそく二階へ上がり、南向きの一室に入る。そこにはレオーネよりいくらか年上のメイドが三人待っており、すでに浴室の用意を整えてくれていた。

「お嬢様がこちらに滞在中、誠心誠意お世話させていただきます」

 そう挨拶あいさつした三人は、さっそく旅で汚れたレオーネの全身を洗い上げ、肌や髪へ丁寧に香油を擦り込み始めた。全身のマッサージだけでなく、顔にパックをほどこされ、浴室を出たあとは爪にヤスリをかけられる。

「さ、さすがにちょっと、あれこれやりすぎなんじゃ……」
「なにをおっしゃいますか! 国王様のお妃候補を集めた舞踏会に出席されるのですから、当日までにできる限りのことをしておかなければ!」
「大丈夫です、お嬢様のお顔立ちは大変整っておられますし、お化粧をすれば、さらに大人っぽい雰囲気になりますわ。大船に乗ったつもりでいてくださいまし!」
「はぁ、それはどうも……」

 とても物見遊山ものみゆさんで王都にきたとは言えない雰囲気である。
 目を輝かせて奮闘するメイドたちの熱意に水を差すのも悪いので、レオーネは黙ってされるままになっていた。
 そうして気づけば、もう夕食の時間だ。久々に会う家族との食事ということで、父は料理長に晩餐ばんさんの支度を命じたらしい。レオーネはそれにふさわしく、普段はあまり身につけることのないドレスにそでを通した。
 デコルテの広く開いたデザインの服は、首元がスースーして落ち着かない。
 しかしメイドたちは「お美しいです!」と絶賛してくれた。階下に降りていくと、先に待っていた父と兄があんぐりと口を開けて驚いた顔をする。

「なによ。二人してはと豆鉄砲まめでっぽうを食らったような顔をして」

 わざと頬を膨らませると、二人の男はハッと我に返った様子で、慌てて弁解してきた。

「わ、悪かった。別に変だと思ったわけじゃないぞ。むしろ想像以上に美しくなっていたから驚いたんだ」

 セルダムがそう言うと、隣で父もうんうんと頷く。

「死んだ母さんの若い頃にそっくりだ。セルダムの言う通り、見とれるほど美しいぞ、レオーネ」

 真顔で父にめられて、レオーネもようやく笑顔になる。

(よかったわ。着慣れないドレス姿でも、それなりに見えているのなら)
「うむ、本当に見違えた。これなら案外、陛下の目に留まるかもしれんなぁ」
「ふふ、お父様ったら。でも、お世辞でもそう言ってもらえて嬉しいわ。ありがとう」

 そう言ってレオーネは、にこっと令嬢らしく微笑んだ。
 それから三人連れ立って、食堂へと入っていく。
 とっておきのワインが開けられ、席に着いた三人は笑顔で乾杯した。ほどなく、料理長の心づくしの料理がテーブルに並んでいく。
 山岳地帯の領地では味わえない海産物が豊富に出てきて、レオーネは思わず歓声を上げた。
 普段とは違う美しい盛り付けや、ったソースにも感動しながら、終始笑顔で料理に舌鼓したつづみを打つ。
 そうして食事を楽しみながら、三人はそれぞれの近況を語り合った。ここ五年ほど領地に帰っていない父は、長男が領地をよく治めていることにいたく満足した様子だ。

「そうか。ゴートもみんなも元気でよかった。ここ数年、北に行く機会がほとんどなかったから、そろそろ陛下に休暇を願い出てもいいかもなぁ」
「是非そうなさって、お父様。領地のみんなはゴートお兄様を慕っているけど、やっぱり領主はお父様なのだから、たまには顔を見せてあげないと忘れられちゃうわ」
「はっはっはっ、そうだな!」

 うんうんと嬉しげに頷く父に対し、「おれは都会のほうが合っているなぁ」と苦笑いしたのはセルダムだ。

「おれはこのまま王国軍の騎士として王都勤務を続けたいな。都会はいいだろ、レオーネ? 目に映るもの、なにもかもが新鮮だ。おまえもこっちに住めよ」
「うーん、都会の良さはまだわからないけれど……、わたしもしばらく、こっちにいたいと考えていたの」

 切り出すなら今かもしれない。
 ナプキンで口元を拭いたレオーネは、初めて父や兄に自分の将来の希望を口にした。

「わたし、どこかに嫁ぐくらいなら、王国騎士になって、フィディオロス領の国境警備隊に配属してもらいたいと思ってるの」
「ええっ、おまえ、そんなことを考えていたのか?」

 セルダムが「冗談だろう?」とでも言いたげに身を乗り出す。それに対して、父は重々しく頷いていた。

「なるほど、そう考えていたのか。まっ、レオーネの腕なら入団試験は充分に合格できるだろう。正式に王国騎士になれるかどうかは入団後の努力次第だが、やってみればいいんじゃないか? 何事も強い気持ちさえあれば、どうにかなるもんだ!」
「えぇっ? 本気で言っていますか、父上?」

 セルダムはぎょっと目をいたが、父将軍は「当然だ」と堂々と頷く。
 話のわかる父に感動して、席を立ったレオーネは父にぎゅっと抱きつきに行った。

「ありがとう、お父様! お父様の名に恥じないように精一杯頑張るわ」
「うむ! とはいえ、まずはお妃候補の舞踏会があるがな。それが終わってからセルダムに手続きを頼め。わたしは明日には任地にたないといけないから」
「え、お父様、また地方にいらっしゃるの?」

 娘に抱きつかれて心なしか鼻の下を伸ばしていた父は、将軍らしいキリッとした顔つきに戻って頷いた。

「ああ。今度は南方の国境警備隊との合同演習だ。不法入国の多いフィディオロス領と違って、南のほうは比較的平和だから、定期的に視察や演習に行かないとすぐに兵がなまけやがる」
「そう。もうちょっと一緒にいられるかと思っていたけれど」

 残念だわ、と肩を落とすレオーネに、将軍は「がっはっはっ」と笑った。

「安心しろ、おまえが騎士になる頃には帰ってくるよ。おまえの腕なら、入団して半年もすれば陛下から剣を授かれるはずだ」

 まさにその瞬間を夢見ているだけに、レオーネは落ち込んだ気持ちを少しだけ浮上させた。
 その後も三人の会話は尽きることなく、お開きになる頃にはすっかり遅い時間になっていた。
 自室に戻ってドレスを脱ぎ、化粧を落としてもらってから、軽く顔と足だけ洗って夜着に着替える。ここまでの長旅と少し飲み過ぎたワインの効果もあって、レオーネは寝台に入るとすぐに眠ってしまった。


 翌日、早朝に出発するという父を見送ったレオーネは、ゆっくり朝食を食べてから、セルダムに連れられて仕立屋へと足を運んだ。
 王都の中でも一等地に近い地域は、道も広く建物の雰囲気からしてとてもお洒落しゃれだ。その中でもひときわ派手な看板が立てられた店に案内される。兄に続き恐る恐る中に入ったレオーネは、すぐさま売り子の女性たちに囲まれ、あれよあれよと奥の応接間へ通された。

「いらっしゃいませ! お待ちしておりましたわ、セルダム様。そちらが妹様ですのね? お伺いしていた通り、とても可愛らしいお嬢様ですこと!」
「はぁ、どうも……」

 売り子の勢いに押されぎみのレオーネだが、セルダムは慣れているのか「だろう? あ、コーヒー二つね」とにこにこと注文をしている。仕立屋なのに飲み物が注文できるなんて、とレオーネは目を丸くするばかりだ。
 やがてここのオーナーという品のいいマダムがやってきた。

「ようこそおいでくださいました、お二方。本日はご予約ありがとうございます。お嬢様の舞踏会用のドレスをご所望ですか」
「ああ。それと普段使いのドレスも何着か頼みたい。小物や靴なんかも一緒に」
「承知いたしました。ではお嬢様は奥の部屋へお願いいたします」

 レオーネは部屋を出る前に、ついセルダムにじとっとした視線を送ってしまった。

「お兄様、やけに手慣れているわね。もしかして、どなたかにぎ込んでいるなんてことは……」
「おいおい、いくら妹でもひとの恋路をあれこれ詮索せんさくするのはよくないぞ。ほら、早く行ってこい」

 犬を追い払うようにしっしっとやられて、レオーネはため息をついて立ち上がる。部屋を出る寸前に振り返ると、売り子の女の子たちがセルダムに近寄っていき、それを兄が鼻の下を伸ばして迎えているのを見て、思わず音を立てて扉を閉めてしまった。

(もおおお、お兄様ったら。王都暮らしが楽しいんじゃなくて、女の子と遊ぶのが楽しいんじゃないの⁉)

 女性関係において硬派なお父様やゴートお兄様とは、正反対だわ……と思いながら、マダムに続いて個室に入る。
 そこでレオーネは抵抗する間もなく、着ていたものを下着以外すべて脱がされ、あちこち採寸されることになった。

「お嬢様も、国王陛下のお妃選びに出席されると聞いております。となると舞踏会用のドレスは最低でも三着。デイ・ドレスも五着は必要になりますわね。でも、ご安心ください、王都一を自負する当店の名にかけて、必ずや間に合わせてみせますわ」
「えっ、どうしてそんなにドレスが必要なんですか? 舞踏会に出席するだけなんじゃ……」

 思わず聞き返したレオーネに、マダムが驚いた様子で目をぱちくりした。

「まぁ、今回のお妃選びには国中の令嬢が集まります。とうてい一度の舞踏会で選考などできませんわ。初日に歓迎の舞踏会が開かれたあとは、候補者はしばらく城に滞在して、礼儀作法や教養に関する試験がおこなわれると聞いています。なのでドレスも最低それくらい用意するよう、通達があったそうなのですけど」
「ええぇえ……っ⁉ 聞いていないわ」

 思わず頭を抱えるレオーネに、マダムは「あらぁ」と頬に手をやりつつ巧みに話を聞き出していく。

「まぁまぁ、領地からいらっしゃったのですか。となると、セルダム様はその情報を得る前に、お嬢様を迎えに出られたのでしょうね。かく言うわたしどもも、これだけのドレスが必要というのは、顧客の子爵令嬢にちょっと前に教えていただいたばかりですの」

 なるほど、そういう事情なら仕方がない。……が、セルダムのことだ、お妃選びがあると聞いて、肝心のことを聞かずにさっさと馬を走らせた可能性もなきにしもあらずである。
 それに関してはあとでたっぷり問い詰めるとして……とにかくドレスを作らなければ話にならない。マダムは最新のカタログや見本のドレスが並ぶ部屋にレオーネを案内し、どんな色やデザインが好みか、取り入れたい流行はあるかなど事細かに質問していく。
 レオーネが求めるのはただ一点『動きやすいこと』だけだ。
 少し話しただけで、レオーネが流行にうとくドレスにも興味がないことがわかったのだろう。マダムは「お似合いになるものをこちらでご用意させていただきます」と早々に宣言した。
 ドレスはできあがった順に屋敷に届けてくれるというので、ありがたくそれを待つことにする。
 舞踏会当日まで間があるし、それまでは少しゆっくりできるだろうと思っていたレオーネだったが……

「さぁ、レオーネ様! 本日は理容師を呼びましたので、髪を整えましょう!」
「そのあとは、昨日とは違うオイルを全身に塗り込みましょうね! こちらは王都で一番人気の化粧品店の新作なんですよ!」
「昨日は爪を磨くだけでしたが、今日は染めてみましょうか!」

 屋敷に帰るなりメイドたちに捕まり、レオーネは再び美容の餌食えじきにされてしまった。
 さらにはセルダムが「王城に上がるのに不備があったら大変だから」という理由で、家庭教師まで呼び寄せてきた。
 厳しい淑女教育に定評のある家庭教師は、朝から晩までみっちりレオーネを指導した。
 勉強面は、優秀な兄ゴートが幼い頃から見てくれていたこともあって、すぐに及第点をもらえた。
 しかし、淑女らしい立ち居振る舞いに関してはそうはいかず、歩幅が大きすぎるだとか、食べるときはそんなに口を開けないとか、ちょっとでも気を抜くとすかさず注意が飛んでくる。
 雨あられと降りそそぐ教師の注意と、暇さえあれば美容術をほどこすメイドのおかげで、羽を伸ばすどころか、レオーネは人生でもっとも窮屈きゅうくつで大変な期間を送ることになったのだった。

(剣の稽古を止められなかったのは不幸中の幸いね……。そうじゃなかったら、ストレスのあまり逃げ出していたかもしれないわ)

 ――そして、いよいよ王城へ向かう日の夕方。
 これでもかと締められたコルセットの影響で、すっかり細くなったお腹回りを苦しく思いつつ、レオーネは馬車に乗り込んだ。

「行ってらっしゃいませ、お嬢様!」

 メイドはもちろん、使用人が一堂に並び、盛大に送り出される。
 世話をしてくれた彼らともしばらくはお別れかと思うと、ほんの少しさみしさが湧いてきて、レオーネは大きく手を振って屋敷をあとにしたのであった。

「メイドと教師のおかげだな、レオーネ! 今日のおまえからは、洗練された令嬢の雰囲気がただよっているぞ!」

 屋敷がすっかり見えなくなる頃。馬車の向かいの席に座ったセルダムがにこにこと声をかけてくる。
 窓を閉めたレオーネは、思わずじとっと目を据わらせてしまった。

「お兄様ったら、適当なことを言って……。家庭教師まで呼ぶ必要はなかったわよ。その気になれば、わたしだってお嬢様っぽく振る舞うことくらいできるのにっ」
「そうは言っても、陛下の前で粗相そそうがあったら困るじゃないか」

 しれっと言い切るセルダムは、教師に注意されるレオーネを盗み見ては笑い転げていた。この恨みは、父と兄に「セルダムお兄様は王都で女遊びをしています」と手紙に書くことで晴らすとしよう。レオーネは密かにそう誓った。
 とはいえ、セルダムが女性受けするのもわかる気がする。
 レオーネの付き添いとして同行するセルダムは、王国騎士の礼装である紺色の騎士服に身を包んでいた。それにより優しげなおもちがキリッとして、いかにも女性が好みそうなさわやかな騎士という印象になっている。

「ふふん? おれに見とれているのか? だが今日のおまえも、王宮に出入りする公爵家や侯爵家のお嬢様方と変わらない美しさだぞ。デビュタントの白のドレスもよく似合っている」

 マダムの手がけたドレスは、とても素敵に仕上がってきた。
 だいぶ遅い社交界デビューということもあり、可愛らしさよりすっきりとした美しさを前面に出すデザインにしてくれたらしい。
 フリルやレースといった装飾を控え、そのぶん細かい刺繍ししゅうが広く開いた胸元と、大きく膨らませたスカートのすそほどこされている。
 光沢こうたくのある白い生地きじに、銀糸を用いてほどこされた刺繍ししゅうは、動くたびにキラキラと光ってとても美しい。短期間でよく仕上げたものだと、初めて見たときは感動したものだ。
 それに、動きやすいほうがいいというレオーネの希望にも可能な限りこたえてくれたようだった。

「ありがとう、お兄様。それにしても……王都は夜も明るいのねぇ。明かりがあちこちにあるなんて、やっぱり都会はすごいわ」

 馬車の窓に掛かるカーテンをそっと開けて外を見つめたレオーネは、等間隔に並ぶ街灯を見てほぅっとため息をつく。夕方だというのに、ほとんどの店がまだ明るく、むしろこれから開けるという店舗も多く見られた。

「領地は朝が早いけれど、そのぶん夜も早いから。それに、炭鉱夫は何日も地下にもぐることがあるから、街も静かなのよねぇ。こういう街灯みたいな明かりが、炭鉱の中でも使えたら便利なんだけど」
「そりゃあ無理だろう。このあたりの街灯はすべてガス灯だ。炭鉱で扱うには危険すぎる。というか、これから王城に上がるっていうのに、よく領地の心配なんてしてられるな」
「ずっとそうやって生活してきたのだもの。せっかく王都にきたんだから、役に立つ技術の一つでも持って帰らないと」
「たくましいな、本当に」

 レオーネの考えに、セルダムは感心したようなあきれたような顔をした。

「だが、そのたくましさがあれば舞踏会も乗り切れるだろう。そろそろ街を抜けるぞ」

 王都の一等地を抜けると、ただただ広い道が続く。その両脇には高い壁がそびえていて、なんとも威圧的な雰囲気だ。
 ほどなく馬車は堅牢けんろうな門を抜け、いよいよ王城が近づいてきた。
 これまで遠目に見ていた王城を近くで見ると、壮観の一言だ。
 どんなに首をらしても、一番高い尖塔を見ることができない。同じように首を左右にめぐらせても、城の端がわからなかった。
 おまけに夜だというのに、多くの窓から明かりが漏れているのが見える。舞踏会のためにそうしているのか、いつでもこうなのかわからないが、一晩でいったい何本の蝋燭ろうそくを消費するのだろうと考えるだけでめまいがした。
 やがて馬車は正面入口の馬車寄せに入っていく。
 そこにはすでに多くの馬車がひしめいていて、玄関に続く道には、きらびやかに着飾った令嬢たちと付き添いの者たちが、これでもかとあふれ返っていた。

「どの子もとてもお洒落しゃれで可愛いわ……。お兄様、わたし、おかしなところはないかしら?」

 今更ながら心配になってきて、レオーネは自身のよそおいを見下ろす。セルダムは軽快に笑った。

「大丈夫だって。王都住まいのおれの言うことを信じろ。それに、あの家庭教師の厳しい説教やらお小言に比べたら、舞踏会なんて楽勝だろう?」

 肩をすくめながらなんでもないことのように言われて、レオーネもほっと力を抜く。

「そうね……。あの先生より怖いひとなんて、そういないでしょうし」
「そうそう。せっかくの舞踏会なんだから、楽しんでやろうくらいの気持ちでいろよ」

 レオーネはしっかり頷く。完全に緊張がぬぐえたわけではないが、少し気が楽になった。
 しばらくして二人の乗る馬車が停まり、御者が扉を開けてくれる。
 いつものように一人で降りようとしたレオーネを止めて、セルダムが先にひらりと下車する。そしてレオーネに手を差し伸べてきた。

「エスコートいたしますよ、お嬢様」

 レオーネは驚きに目を丸くしたが、自分は国王陛下のお妃選びにやってきたのだと思い出して、気持ちを引き締める。
 兄が相手だと気安い言動をしてしまいがちだが、きちんとお妃候補の自覚を持って、ここでは慎重に、令嬢らしく行動しなければ。

「ありがとう、お兄様」

 それをさりげなく教えてくれた兄に感謝を述べて、レオーネは彼の手を借り、ゆっくりと馬車を降りる。
 そして背筋をしゃんと伸ばし、王城への最初の一歩を踏み出すのだった。


 ――当たり前だが、会場は大変な人いきれだった。
 王城でもっとも広いとされる大広間は、広さだけでなく天井までの高さもかなりのものだ。民家どころか、ちょっとした聖堂くらいならすっぽり入るのでは、と思えるほどの大きさである。
 そんな広間を埋め尽くすくらい多くのひとが集まっている状況に、まず驚かされた。
 招待客の大半を占めるのは、レオーネと同じお妃候補の令嬢たちだ。
 流行はやりの羽根飾りや高価な真珠で着飾り、堂々としている者もいれば、慣れない場所に緊張して、青い顔で立ち尽くしている者もいる。
 付き添いの人々の様子も様々だ。鼻息荒くほかの参加者をにらんでいる者もいれば、顔見知りと気ままに会話を楽しんでいる者もいる。
 セルダムはどちらかと言えば後者で、すぐに騎士団の人間と顔を合わせて挨拶あいさつし始めた。

「やぁセルダム。そちらが将軍家の紅一点の妹君かい?」
「ああ、その通りだ。レオーネ、挨拶あいさつしなさい」

 兄にうながされて、一歩うしろにいたレオーネはしずしずと進み出る。

「レオーネ・フィディオロスと申します。以後お見知りおきを」

 ドレスのすそをつまんで、家庭教師に仕込まれた通りに腰をおとす。兄の同僚らしき紺色の騎士服の男たちは、ほぅっと小さくため息をついた。

「――なんだ、とても美しいご令嬢じゃないか! じゃじゃ馬姫なんて言われていたようだが、やっぱり噂なんて当てにならんな」
「前からそう言っているだろう? うちのレオーネは亡き母上に似て美人なんだよ。確かに剣や弓を扱うが、国境近くに住んでいるんだ、護身術くらい仕込んでおかないと逆に危ないだろう」
「なるほど。じゃじゃ馬姫と噂されるようになったのは、将軍家の男たちの教育が原因ということか。それは妹君にとっては災難だったな!」

 そんな感じで楽しそうに笑い合う男たちに、果たして自分はよく思われているのだろうか、悪く思われているのだろうか、と判断がつかずに苦笑するレオーネである。
 気さくな兄には友人が多いらしく、騎士以外にもあちこちでひとを紹介された。
 だが慣れない場所で緊張していたのか、一通り挨拶あいさつが終わったあたりでレオーネは気分が悪くなってくる。

(コルセットを緩めたいけど、そういうわけにはいかないわよね……)

 無意識に胃のあたりを押さえていると、広間の奥の、一段高くなった場所にぞろぞろとひとが出てくるのに気づいた。ほかの参加者たちが目を向けるのに合わせて、レオーネもそちらを見る。
 少しするとそこへ、左右に衛兵を従えた、濃い臙脂えんじ色のドレスに喪章もしょうをつけた貴婦人が現れた。
 彼女の姿に気づいた人々が、深々とこうべを垂れていく。
 レオーネとセルダムも、周囲の人々に合わせ腰を折った。

「――お兄様、あの貴婦人はどなた?」

 ひそひそ声で尋ねると、兄も同じくひそひそと答えてくれた。

「王太后様だ。今回のお妃選びを提案したのは、王太后様と聞いている」

 王太后……ということは、ギルバート陛下のお母上だ。
 レオーネはいけないと思いつつ、好奇心に負けてちらっと王太后様を盗み見る。
 ふくよかで優し気な風貌ながら、堂々とした立ち姿には気品と威厳があふれていた。濃い色のドレスと相まって、抜けるように白くつやつやした肌が際立って見える。

「――皆様、静粛に。王太后様よりお言葉をたまわります」

 王太后のかたわらに立つ老人が声を張ると、全員がさらに頭を下げる。
 参加者たちを見回しつつ、王太后はゆったりとしたアルトで語りかけた。

「皆、今日はよく集まってくれました。今回皆を招いたのは、ほかでもない、国王陛下のお妃――この国の王妃を決めるためです。ですが今宵こよいは歓迎のうたげ。思い思いに語らい、食事を楽しみ、歓談するように」

 言い終えた王太后が、きらびやかな装飾をほどこされた椅子に座ると、全員がようやく頭を上げる。
 それを合図に給仕が入ってきて、人波を縫って飲み物を配り始めた。

「失礼、レディ。お飲み物はいかがなさいますか?」
「あ、ええと、ではそのピンクのを」

 レオーネのもとにも給仕がやってきて、彼女はおっかなびっくりお願いする。
 渡されたピンクの飲み物は桃のジュースだと思ったのだが、一口飲んですぐにお酒が入っていることに気づいた。

(うぅ、見た目に反して結構強いお酒が入っているわね? くらくらしてきた)

 今は気分もよくない中だ。周囲にただよう香水の匂いに酒の匂いまで加わって、本格的に気持ちが悪くなってきた。

「お、お兄様、お兄様……。ちょっと風に当たってきていい?」
「なんだ。ひとに酔ったのか? ……まぁ、これだけの人間を見る機会は領地ではないしな。へたすりゃ人間より家畜のほうが多いくらいだし」

 セルダムは軽口を叩きながらも、レオーネをすぐにバルコニーへ連れて行ってくれた。

「ここからは庭にも出られるんだ。しばらくそこのベンチに座って休んでいるといい。ただ、庭の奥には行くなよ。そういうところにしけ込むには、おまえはまだ子供過ぎる」
「しけ込むってどういう意味?」
「今はまだ、わからないままでいい。――っと、すまん。上官がきているのが見えた。挨拶あいさつしておかないと」
「わかったわ」
挨拶あいさつしたらすぐ戻るからな」

 ごめんと言いつつ、セルダムは再び大広間へ戻っていった。


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