パドックで会いましょう

櫻井音衣

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競馬場デビュー

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「そんなことまでわかるんですか?」
「ずっと見てるからな、だいたいはわかるよ。ホラ、5番のあの馬なんか、イレ込みまくって思いきり頭上げ下げして、厩務員振り回してるやろ。ああなってまうとろくに屋根の言うことも聞かんで、勝負にならんのよ」
「イレ込み……?屋根……?」
「イレ込むっていうのは興奮すること。屋根は騎手のこと。わかる?」
「初めて聞きました。そんな競馬用語があるんですね」

新しいことを教えてもらうのは、なんでも新鮮なものだ。
ついさっきまで競馬にはなんの興味もなかったのに、こんなふうに教えてもらうと少し興味が湧いてくる。

「おっ、今日は珍しく男連れか?」

ねえさんの隣に立ったおじさんが、ねえさんの肩を叩いた。
おじさんはねえさんと僕を交互に見る。

「なんや、弟か?それとも若いアンチャン、ナンパして来たんか?」

おじさんの言葉にねえさんはケラケラ笑った。

「ちゃうよ。入り口んとこでガラの悪いのに絡まれてたから。ここ初めてやって言うし、迷わんように連れてきたんよ。競馬も初めて言うし、ちょっと教えてた」
「そうか。ホンマにアンチャンやな」

僕にはその言葉の意味はわからないけれど、おじさんはおかしそうに笑った。

「アンチャン……?」
「新人ジョッキーのことな、アンチャンって言うねん。よし、ちょうどええから、アンタのことはアンチャンって呼ぶわ」

アンチャンって……。
確かに僕は競馬初心者だし、職場でも新人だけど……。
やっぱりここでも子供扱いなんだなと、僕が少し複雑な気持ちになっていることなど気付く様子もなく、おじさんは競馬新聞を広げてねえさんに見せた。

「ところでなぁ、おねーちゃん。4番どないやろ?」

おねーちゃんって……。
どう見てもねえさんは、おじさんの娘くらいの歳だろう?

「悪くもないけど、良くもないな。勝ち負けは厳しいで」

ねえさんは差し出された新聞を見もしないで、パドックを周回している4番の馬を見ながら答えた。

「やっぱりそうか。最終追いきりで一番時計出したとか、新聞ではええ感じのこと書いてるんやけどな」
「新馬やからな。そんなもんあてにならんよ。慣れん輸送で疲れたんちゃう?」

二人の会話を聞いていると、見かけによらず馬を見る目があるのは熟練者っぽいおじさんではなく、若くて綺麗なねえさんの方らしい。

「最低人気やけど1ー3やな。おっちゃん、毎週来てるくせにホンマ馬見る目ないわ」
「ひどいのう、彼氏にそんなこと言うなや」

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