パドックで会いましょう

櫻井音衣

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最後の願い

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「なあ、アンチャン……」
「なんですか?梅も食べますか?」
「いや……酸っぱいのは苦手や」
「そうですか?じゃあ僕が食べますね」

梅おにぎりの封を開けて口に入れた。
おじさんはお茶を一口飲んで、手元をじっと見つめた。
そして思い詰めたような顔つきで、おもむろに口を開いた。

「アンチャン……俺な、もうなごうないねん」
「……え?」

おじさんはペットボトルのお茶をテーブルの上に置いて、ゆっくりと話し始めた。

「来週、この部屋出るんや。身内とはずっと昔に縁切ったし頼れんからな。古い知り合いがやってる施設に移ることになった」

おじさんは枕元から一枚の名刺を取り出した。

「ホスピス……?」
「俺みたいにがんで手の施しようのないもんがな、静かに最期を迎えるためにある場所や」

おじさんは来週ここを離れて、その知り合いが運営しているホスピスに行くと言う。

「肺がんやねん。それも末期や。気ぃついた時にはもう手遅れやったし、俺には大金はたいてまで延命するほどの値打ちもないしな。生きててもなんの得もないし、治療はとっととあきらめたんや」

生きる価値がない命なんてひとつもないのに。
おじさんの言葉を、僕は素直に飲み込めない。

「なあ、アンチャン……。袖振り合うも多生の縁って言うやろ。悪いけどな……こんな死に損ないの話、聞いてくれへんか?」

うつむいて拳を握りしめる僕に、おじさんは静かに話し始めた。

「俺は死ぬのが怖いわけやないねん。ただな、ひとつだけ、心残りがあるんや」

おじさんはそう言って、本棚の隅に立て掛けられていたアルバムを差し出した。

「俺な、昔、少しの間やけど、中学校の教師やったんや。このアルバムは最後の教え子らの写真やねん」

そのアルバムは、つい先日先輩の家で見たアルバムと同じものだった。

「今になって考えたら、あの子を守る手立てなんか、他にいくらでもあったはずやのにな……。あの時は俺もまだ若かったから、あの子を連れて逃げる他に、思い浮かばんかったんや」

おじさんは静かにそう言って、目元に涙をにじませた。
アルバムのページをめくると、若かった日の中学生のねえさんと、教師だった頃のおじさんの姿。
先輩の家で酔っ払いながらアルバムを見たあの日、担任の先生にどこか見覚えがあるとは思ったけれど、それがおじさんだとは気付かなかった。
無精髭とボサボサの頭が、実際の年齢よりもずっと歳上に見せていたせいかも知れない。

「歳なんか一回りほども離れてんのにな……俺はあの子を本気で好きになってしもた。中学卒業して、もう少し大人になったら一緒になろうて約束したんや。せやけど……神様は、大人になるまで待たせてはくれんかった」

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